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【最終章】新世界
135 ダウレシュでの一夜
サイードさんに招かれて訪れた家はあのアル・ハダールの山羊飼いの老人の家とよく似た幕家だった。ギリギリ目で見える範囲に同じような幕家がいくつも散らばって建っているのが見える。
鞍に括りつけていた鳥や野兎を片手で器用に外す彼のところにまだ十代半ばくらいの少年と少女が駆け寄って来た。
「お帰りなさい!」
「やった! 野兎だ!」
「まずは客人に挨拶を」
すると僕とダルガートを見た子どもたちがぴょん、と跳ねるように背筋を伸ばした。
「弟のアディル、妹のエウリシュにアティファだ。そしてあちらが我が氏族の長エレカシュ、母のハセナだ」
「よく参られた、旅のお方よ」
僕たちにそう言った壮年の男は、サイードさんが年を取ったらこんな風になるだろうと一目でわかるほどよく似ていた。
「は、初めまして。お世話になります」
慌ててそう言って頭を下げる。隣に立つダルガートは黙ったまま目礼をした。
砂漠や草原の民は偶然通りかかった旅人がいると必ず一夜の宿を勧めてくれる。僕たちが中央神殿から来たと知ってサイードさんたちはいっそう僕たちを歓迎してくれた。
夜、幕家の中で僕たちのために屠った羊と乳酒を皆で囲む。この家にはサイードさんの叔父にあたる家族も一緒に住んでいるのだそうだ。総勢11人の大所帯だがこの辺りでは珍しい数ではないらしい。
少し離れたところにいくつか見えた幕家の人たちも同じ氏族なのだと聞いた。
サイードさんを含む大人の男たちはダルガートが神武官だと知って、三国の情勢やここまでの道のりや国境付近で何か変わったことはないかと口々に尋ねている。そしてそれ以上にやけに今の気候や小麦の作付け、太陽や月のことについて聞いていたようだが、さすがにそんなことまではダルガートも把握していないんじゃないだろうか。
新しい世界に来たばかりの頃は知らなかったが、神武官というのは神殿の中でも外でも一目置かれる存在のようだ。
以前と比べて今の神殿には神子を召喚できる唯一の手段を持っているというアドバンテージがない。けれどエイレケとほかの二国の間に不穏な空気と緊張感が絶えぬこの世界では、三国の中心に位置する神殿領は他国への侵略の足掛かりとして最も狙われやすく、また重要な立場にある。
また自然条件が安定していることで農業・畜産・漁業・鉱業・工芸など多様な産業が発達し、三国間での商取引が以前よりも盛んになっていて、ダーヒル神殿領は商人たちが必ず通る場所として町自体もかなり発展し、大陸内での重要度は以前よりもさらに高くなっていた。
そんな神殿領を守り、またそれぞれの国が他国を侵さぬよう牽制する役目を持つ神武官は、各国の精鋭と比べても引けを取らぬほどの強さを誇るらしい。なんでも神武官になるための条件は非常に厳しく、訓練の過酷さも群を抜いているのだと聞いた。
そんな神武官たちは神殿の外、とくに身分や地位よりも実力が重んじられる砂漠や草原の民からは非常に尊敬されている。
サイードさんの父親と叔父はダルガートと酒を酌み交わしながら他国の情勢や天候のこと、神殿領の鉄や肉の価格など話している。
サイードさんはこんな時自分からあれこれ話すタイプではないらしく、黙って彼らの話を聞きながら静かに酒器を傾けているようだ。そんなところも以前のサイードさんを彷彿とさせて懐かしく思う。今年十五になるという弟のアディル少年とその従弟たちが隣に座って一生懸命大人たちの会話に耳を傾けているのがなんとも微笑ましかった。
僕は彼らから少し離れたところで久しぶりの肉をごちそうになっていると、女の子たちがうわさに聞いたことがあるという50年に一度の大祭について口々に聞いてきた。
とはいえずっと神殿の地階でひたすら給仕や料理の手伝いに明け暮れている僕には、各地からの巡礼者でたいそうにぎわっているらしい街の様子や壮麗な儀式の様子はわからない。あまり上手に話をしてやれずに困っていると、ごちそうを囲む輪の向こう側から声がした。
「エウリシュ、アティファ、ラーラ。旅のお方をあまり困らせるな」
「でもサイード兄様」
「神殿のお話なんてなかなか聞けないもの」
「そうよ。お祭りの時、神殿にはお星さまよりたくさんのランプが灯されて、朝から葡萄酒を飲むのだってエラルのおじさまが言ってたけど、そんなのありえないと思うわ!」
口々に言う少女たちをサイードさんはきっぱりとした口調でたしなめる。
「彼はラハル神に仕え奉仕するために神殿にいる。そのような浮かれ騒ぎには関わるまい」
「いえ、あの、僕は下級神官で、表の祭祀に携わる機会がないのでよく知らなくて……すみません」
すると酒の席だというのに姿勢も表情も少しも緩んだところのないまま「いや、おのれの職務に専念するのは良いことだ。謝る必要はない」と言った。いかにもサイードさんらしいなぁと思う。するとサイードさんの父親が尋ねてきた。
「ところで、神武官殿らはどちらへ向かわれる予定でここを通られたのだろうか」
不意を突くように聞かれて飲んでいたお茶が気管に入りそうになる。
普通に考えれば神武官と神殿の下働きのような下級神官が二人で小さな聖廟すらない草原をうろうろしているのは明らかに不自然だ。かといってサイードさんに会いに来たと正直に言うわけにもいかない。言えば「なぜだ」と聞かれるだろうし、あんな荒唐無稽な話をして正気かと疑われてここを追い出されでもしたら元も子もないからだ。
すると僕が焦って口を開くより先にダルガートが相も変らぬ無表情のまま言った。
「特段、目的地はない。神殿預かりの客を国境まで送り、用が終わるのを待つ間この辺りを見て回っているだけだ」
すごい。嘘はついてないけどヤバそうな部分には何一つ触れていない。密かに感心していると、元々相手のことをあまり詮索しないのが流儀である砂漠や草原の民らしく、彼らはそれ以上は追及せずに頷いた。
「それでは時間の許す限りこちらに逗留されるとよい」
「かたじけない」
ダルガートのお陰でいつの間にかここに滞在できることが決まっていて、ほっと胸を撫で下ろす。これでもうしばらくサイードさんのところにいられそうだ。
◇ ◇ ◇
「客人にはこちらを使っていただこう」
そう言ってサイードさんが案内してくれたのは、普段は冬支度をしまってあるという小さな幕家だった。床には厚い毛織の敷物が重ねてあり、夜に地面から伝わる寒さもだいぶ和らいでいる。
ダルガートは何の用があるのかは知らないが外に出ていてまだこちらの幕家には来ていない。だから今はサイードさんと二人っきりだ。
「あ、あの」
つい名残惜しくて、幕家から出て行こうとする彼に声を掛けてしまった。するとサイードさんはわざわざこちらに身体を向けて「何だろうか」と尋ねてくれる。
「ええと、その……」
どう聞いていいか迷って言いよどんでいると、僕の視線が一瞬彼の空っぽの右袖に向いたのに気づいて頷いた。
「ああ、この腕のことか」
「……すみません」
「気にするな。昔、家畜を盗もうと襲ってきた賊と戦ってなくした」
「賊と?」
ちょうど戻ってきたダルガートが横から尋ねる。
「賊は頻繁に出るのか」
「いや、近頃はめったに。だがこの腕の代わりに家族と財を守れた。気に病むことはない」
最後の言葉は僕に向かって言ったのだろう。余計なことを聞いた僕の方が気遣われてしまって唇を噛む。
「明日は朝から家畜を水場へ連れて行くついでに狩りに行く。ついてくるか?」
サイードさんの問いに、僕の代わりにダルガートが「そうしよう」と答えた。
その晩、真っ暗な幕家にダルガートと背中合わせに横たわりながら考える。
てっきり家族や馬に囲まれて幸せに暮らしているとばかり思っていたサイードさんが、まさか片腕をなくしているとは思いもしなかった。
家畜を守り盗賊と戦ったと言っていたけれど、それはもしかして前の世界で家族の仇だと言っていたあの腕に入れ墨のある男だったのだろうか。彼が腕をなくしたのは、僕が歴史を変えてしまったことと何か関係があるのだろうか。
考えれば考えるほど眠れなくて、つい何度も寝がえりをうつ。すると暗闇にダルガートの声が響いた。
「明日、彼とともに行くなら早く寝たほうがいい」
「……そうだね。ごめん」
毛織の毛布を顎まで引き上げてため息をつく。
再会したサイードさんは、腕のことを除けば以前とどこも変わらぬように見えた。相変わらず凛としてかっこよくていかにも頼りになりそうだ。実際、彼は言葉数は少ないけれど子どもたちは皆サイードさんにまとわりついて構ってもらいたがっているし、大人たちもサイードさんに度々意見を聞こうとする。でもそのくっきりとした口元は固く結ばれていてあまり緩むことがない。
いつも僕に微笑みかけてくれたあの顔やいかにも愛おしそうに目を細めて僕を見ていたのを思い出して胸が詰まりそうになる。
サイードさんの笑顔が懐かしい。いつでも僕を振り向いて「どうした? カイ」と聞いてくれるあの声が聞きたい。名前を呼ばれたい。
でもすぐに思い直す。これ以上欲張ったことを考えてはいけない。今はこうして再び会うことができて、サイードさんが家族や馬と幸せに生きていることが分かっただけでも大収穫だ。
そういえば今日はサイードさんの腕のことでひどく動揺してしまった僕の代わりにダルガートが全部やり取りしてくれて、お陰でしばらくここに泊めて貰えることになった。
ダルガート自身はダウレシュや彼らになんの用もないし、ましてや僕とダルガートとサイードさんが前の世界で知り合いだったという話もこれっぽっちも信じていないだろうに。
ダルガートの方に首を向けて「今日はいろいろありがとう」と呟く。ダルガートは黙ったまま答えなかった。
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