月の砂漠に銀の雨《二人の騎士と異世界の神子》

伊藤クロエ

文字の大きさ
17 / 161
web版【第一部】おまけ&後日談

閑話 騎士・ヤハルの決意


※カルブの儀式が終わり、カイとサイードとダルガートが山から下りてきた時のヤハル視点のお話です。

※ここから先、書籍版とは一部設定が異なる部分があります。

-------------------------------------

 太陽ラハル神が西の地平線に沈む頃になっても神子たちは戻ってこなかった。ヤハルはアジャール山へと続く神殿の石橋のたもとで気を揉みながら険しい山道を見上げる。

 ヤハルはサイードが率いる第三騎兵団の若い騎士だ。
 カルブの儀式のためにアジャール山を登る神子たちの一行に加わるようサイードに指示された時は、心底光栄に思い喜んだ。

(なのに神子殿を置いて先に下山することになってしまうとは……)

 昨夜、山頂で神子の代わりに囮になろうと敵に向かい一人は倒したが、後から来た二人の騎士に腕を斬られたところで同じく同行していた近衛部隊のダルガートに助けられた。
 そしてそのまま彼と神子とサイードとを残して神殿に戻ってきた。

 任務の途中で戻らねばならなかったのは、今でもひどく悔しい。
 だが、先に戻っていた三人の騎士たちとともに、エイレケと思しき敵が神子を奪おうと武器を持って追ってきたことを皇帝ハリファカハルに報告しなければならなかった。



 選定の儀式で神子に選ばれず、この神殿に留まることを許されなかったエイレケの者たちは、神殿を取り巻く街から出た砂漠に陣を張り、神子が無事カルブの儀式を終えることが出来るのかどうか目を光らせていた。

 選定に外れたもう一つの国イスタリアは代々女王が治める国で、今回も次期王位継承者である第一王女が大勢の騎士を引き連れてやってきている。彼らは比較的大人しく事態を静観しているらしい。
 だがエイレケは違った。
 神子を力ずくで攫うか、もしもカルブの儀式に手落ちがあればすぐに難癖をつけて再び別の神子を召喚させ、今度こそ自国を選ばせようという魂胆を隠しもしないエイレケを、皇帝ハリファは元から警戒していたらしい。

 神殿に戻ったヤハルたちの知らせを受けると皇帝はすぐに子飼いの騎士たちを率いてエイレケの陣を急襲し、このダーヒル神殿領から彼らの王もろとも全員追い払ってしまった。
 ヤハルはその時のことを思い出して深々と息を吐く。

 皇帝ハリファカハルは、エイレケの王を守る騎士たちに自ら剣を突き付けて言った。

『我らが神子殿に傷一つ付けてみよ。その首跳ね飛ばして百日百晩城外に晒し、エイレケの王の愚者蒙昧ぶりをイシュマール全土に知らしめてやろう!』

 若い頃は奴隷騎士マクフースとして二人の義弟らとともに各地で暴れまわったというカハル皇帝ならではの恫喝だ。
 今頃エイレケの者たちは、昨夜からずっとエルミラン山脈に降りしきる雨を見ながら悔し涙に暮れていることだろう。アル・ハダールの神子はカルブの儀式を見事成し遂げたのだ。

(……それにしても、神子殿はご無事であろうか)

 ヤハルは夜になってすでに真っ黒な影となっている山を見上げて唇を噛み締める。

 昨夜、あれだけ吹雪いていた山頂には夜明け前から丸一日、穏やかな雨が降り注いでいた。なのに空は明るく、まさしく神子が呼び寄せた特別な雨なのだとわかった。

 確かにカルブの儀式が成功するかどうかはイシュマール大陸の一大事だ。でもそれ以上にあの、小柄でまだどこか幼さの残る神子が無事でいるのかどうかが気になった。

(サイード様もダルガート殿もあのお方についておられる。万が一にもめったなことは起こらぬとは思うが……)

 その時、アジャール山の麓から続く山道に人影のような者が見えてヤハルは身構えた。
 もしもサイードたちに撃退されて戻ってきたエイレケの者たちなら、すぐさま捉えて相応の報いを受けさせてやらねば。
 だが、それが神子を背負ったサイードと、三人分の荷物を担いだダルガートだと気づいて思わず声を上げた。

「サイード様! ダルガート殿!」

 急いで駆けつけると、サイードに背負われていた神子が顔を上げて微かに笑う。

「ヤハル、無事で良かった……!」
「神子殿も、ご無事の帰還、何よりでございます」

 三日に渡る強行軍の後だ。神子は当然、他の二人も疲れているだろう。
 ヤハルはサイードを見て何か手助けを、と思ったが、非常事態でもないのに神子の身体を預かることはできない。

 山での道中も、神子の世話は全て彼の守護者イシュクであるサイードだけがしていた。そして追っ手を防ぐためにサイードが後に残り、神子と自分とダルガートの三人だけになった時は、ダルガートが全てを請け負った。

 サイードと別れた後、ヤハルは若手である自分が率先して神子のお世話に動かねば、と思っていたのだが、ダルガートがあの冷ややかで威圧的な黒い目で敵の動向だけでなく、ヤハルをも見張っていることに途中で気が付いた。
 だからヤハルは決して神子の身体には触れぬよう、その後は気を付けて行動するようにした。

 山から戻ってきた今も、やはりサイードもダルガートもヤハルに神子を任せるつもりはないらしい。神子も随分と疲れてはいるようだったが、安心してサイードの背にもたれているようだ。

「神子殿はもしやお怪我を……」

 ヤハルが尋ねると、サイードが首を振った。

「少し疲れただけだ。日も落ちて足元が危ないので背負ってきた」
「そうでしたか」

 ヤハルはホッとしてもう一度神子の様子を窺う。すると、少し乱れた黒髪がかかった顔がいつも以上に白く見えた。

(無理もない、このような徒歩での山登りなどまったく経験がおありではなかったのだろう)

「それでは私は一足先に戻って陛下にご報告して参ります」
「頼む」

 ヤハルは礼をとると、踵を返して神殿へと戻った。

「ヤハル!」

 皇帝ハリファの部屋へと向かう途中、三年上の騎士であるアキークに呼び止められる。

「どうした、そんなに急いで」
「神子殿がお戻りになられました」
「何、まことか!」
「今から陛下にご報告申し上げるところです」

 時を惜しんだヤハルは歩きながら答えた。

「して、神子殿はご無事か」
「はい、随分とお疲れのようではありましたが……」
「そうか。どうも神子殿は随分と高貴なお生まれのようだし、とてもあのような山歩きに慣れておられるとは思えぬからな」

 確かに、数日前に初めてヤハルたちの前に現れた神子は、自分たち砂漠の民とはまるで違う姿かたちをしていた。
 まっすぐで癖のない黒髪、まるで日に当たったことがないような滑らかで白い肌。この国では産まれたばかりの赤子でももう少し濃い色をしている。
 実際の歳は知らないが、今年二十三になるヤハルよりもずっと下だろう。
 古い傷跡一つなく、細くて華奢な体格を見れば彼が一度として剣も槍も握ったことがなく、戦場とは無縁に生きてきた位高き一族の出であることがひと目でわかった。

「して、サイード様とダルガート殿は」
「もちろんご無事です」

 するとアキークが声を潜めてヤハルに言った。

「神子殿らが山へ向かわれてからずっと、エイレケの陣から副騎士団長のマスダルのほか、数名の騎士の姿が見えないと報告があったが」
「ええ、襲ってきたのはその者たちでしょう」
「では……」
「恐らく、お二人で全て倒されたのだと。もし一人でも取り逃がしていれば、必ずや私に真っ先に言われたはず」
「なんと……」

 アキークが感心したように頷いた。

「サイード様がお強いのは充分承知しているが、ダルガート殿もさすがだな」
「確かに」

 ダルガートとは今回のアジャール山行きで初めて行動とともにしたが、確かにどんな時でも警戒を怠らず些細な危険も見逃さない目と、常に落ち着き払って小揺るぎもしない精神力、そして神子を背負ってあの急な山道を休む間もなく駆け登り、背後から飛んでくる矢を振り返りもせずに避ける姿も、まだ年若いヤハルには驚異的なものだった。

「なんにしても、神子殿がご無事で良かった。見事カルブの儀式もやり遂げられて」

 アキークの言葉にヤハルも頷く。そして山での道中や先程神殿の外で見た三人の姿を思い出した。

「サイード様もダルガート殿も、神子殿には特別に心を砕いておられます」
「そうか」

 ヤハルは左右を見渡し他に人がいないのを確認すると、アキークに近寄って小声で言った。

「…………アキーク殿はサイード様が笑っておいでのところを見たことがありますか?」
「……っわ、わら……っ、えっ……!?」
「私は見ました」
「!!」

 アキークが目を丸くしてヤハルを見る。

 ヤハルの所属する第三騎兵団の団長であるサイードは皇帝ハリファカハルの覚えもめでたく、帝国随一の鉄槍の使い手としてヤハルたちが心から尊敬している相手だ。
 だが、豪放磊落で戦いと同じくらい酒色も愛する第一・第二騎兵団の団長とは異なり、浮いた噂もなく謹厳実直を絵に描いたようなサイードは、皆に尊敬されてはいるが少しばかり近寄りがたさを感じてしまう人でもあった。
 常にキリリとした顔で隙というものがまったくない彼が唯一笑みを浮かべるのは、同じ第三騎士団の者がよっぽどの大金星を挙げた時か、彼の唯一の道楽であり大層大事にしているという愛馬たちが元気な仔を産んだ時ぐらいなものだ、というのがもっぱらの評判なのだ。
 ちなみにヤハルはまだその栄誉に浴したことは一度もない。
 ヤハルはひそひそ声でアキークに言う。

「……サイード様は山での道中、よく神子殿に笑いかけておられました」
「……っ、ま、まことかそれは……!」

 あまりにも衝撃的だったのか、妙に狼狽えた顔でアキークが問い詰めてくる。そりゃそうだ。ヤハルとて実際に自身の目で見たのでなければ、サイードが微笑んだところなど想像もつかなかっただろう。それくらい彼の笑みは破壊力満点だった。

「あのお顔を絵にでもできたら、きっと帝都のご婦人方の間で飛ぶように売れてひと儲けできるでしょうね」
「おい、待て」
「冗談ですよ、冗談」

 おまけに、あの皇帝陛下以外の者には恐ろしく冷淡なダルガートまでもが昼夜を問わず神子を守護し、ヤハルのことをも無駄に神子に近づくことがないよう見張っていたと知ったらアキークもひっくり返るだろう。

(今代の神子殿はまだ幼げで弱弱しく見えるが、立派にカルブの儀式を成し遂げられた。そのお力をサイード様もダルガート殿も察しておられたからこそ、あのように大事にお守りしておられるのだろう)
(なればこそ、我らも神子殿を全力でお守りせねば……!)

 途端にヤハルの騎士魂がメラメラと燃え始める。

(次こそは必ずや最後まで神子殿をお守り申し上げる……!!)
「ではアキーク殿! 御免!」

 ヤハルはビシッと礼をとると急ぎ皇帝ハリファの部屋へと走り出した。


感想 399

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

悪役令息の七日間

リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。 気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

「お前を愛する事はない」を信じたので

あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」 お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。

悪役令息を引き継いだら、愛が重めの婚約者が付いてきました

ぽんちゃん
BL
 双子が忌み嫌われる国で生まれたアデル・グランデは、辺鄙な田舎でひっそりと暮らしていた。  そして、双子の兄――アダムは、格上の公爵子息と婚約中。  この婚約が白紙になれば、公爵家と共同事業を始めたグランデ侯爵家はおしまいである。  だが、アダムは自身のメイドと愛を育んでいた。  そこでアダムから、人生を入れ替えないかと持ちかけられることに。  両親にも会いたいアデルは、アダム・グランデとして生きていくことを決めた。  しかし、約束の日に会ったアダムは、体はバキバキに鍛えており、肌はこんがりと日に焼けていた。  幼少期は瓜二つだったが、ベッドで生活していた色白で病弱なアデルとは、あまり似ていなかったのだ。  そのため、化粧でなんとか誤魔化したアデルは、アダムになりきり、両親のために王都へ向かった。  アダムとして平和に暮らしたいアデルだが、婚約者のヴィンセントは塩対応。  初めてのデート(アデルにとって)では、いきなり店前に置き去りにされてしまい――!?  同性婚が可能な世界です。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。  ※ 感想欄はネタバレを含みますので、お気をつけください‼︎(><)

処刑される悪役令息に転生したらなぜか推しの騎士団長がグイグイ近づいてくる

猫に小判
BL
交通事故で死んだはずの会社員・田中悠人は、気がつくとBL小説『恋と陰謀~はじまりは夜に~』の世界に転生していた。 しかも転生先は、原作で処刑される悪役令息エリオット。 当然そんな未来は回避したい。 原作知識を頼りに慎重に立ち回るつもりだったのに、気づけば王宮を揺るがす事件に巻き込まれていき――。 さらに困ったことに、原作で一番の推しだった騎士団長ガイウスがやたらと距離を詰めてきて……? 平穏に生きたい元悪役令息と、過保護な騎士団長がじれじれ距離を縮める話。 ガイウス(騎士団長)×エリオット(元悪役令息)

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

悪役神官の俺が騎士団長に囚われるまで

二三@冷酷公爵発売中
BL
国教会の主教であるイヴォンは、ここが前世のBLゲームの世界だと気づいた。ゲームの内容は、浄化の力を持つ主人公が騎士団と共に国を旅し、魔物討伐をしながら攻略対象者と愛を深めていくというもの。自分は悪役神官であり、主人公が誰とも結ばれないノーマルルートを辿る場合に限り、破滅の道を逃れられる。そのためイヴォンは旅に同行し、主人公の恋路の邪魔を画策をする。以前からイヴォンを嫌っている団長も攻略対象者であり、気が進まないものの団長とも関わっていくうちに…。

有能すぎる親友の隣が辛いので、平凡男爵令息の僕は消えたいと思います

緑虫
BL
第三王子の十歳の生誕パーティーで、王子に気に入られないようお城の花園に避難した、貧乏男爵令息のルカ・グリューベル。 知り合った宮廷庭師から、『ネムリバナ』という水に浮かべるとよく寝られる香りを放つ花びらをもらう。 花園からの帰り道、噴水で泣いている少年に遭遇。目の下に酷いクマのある少年を慰めたルカは、もらったばかりの花びらを男の子に渡して立ち去った。 十二歳になり、ルカは寄宿学校に入学する。 寮の同室になった子は、まさかのその時の男の子、アルフレート(アリ)・ユーネル侯爵令息だった。 見目麗しく文武両道のアリ。だが二年前と変わらず睡眠障害を抱えていて、目の下のクマは健在。 宮廷庭師と親交を続けていたルカには、『ネムリバナ』を第三王子の為に学校の温室で育てる役割を与えられていた。アリは花びらを王子の元まで運ぶ役目を負っている。育てる見返りに少量の花びらを入手できるようになったルカは、早速アリに使ってみることに。 やがて問題なく眠れるようになったアリはめきめきと頭角を表し、しがない男爵令息にすぎない平凡なルカには手の届かない存在になっていく。 次第にアリに対する恋心に気づくルカ。だが、男の自分はアリとは不釣り合いだと、卒業を機に離れることを決意する。 アリを見ない為に地方に移ったルカ。実はここは、アリの叔父が経営する領地。そこでたった半年の間に朗らかで輝いていたアリの変わり果てた姿を見てしまい――。 ハイスペ不眠攻めxお人好し平凡受けのファンタジーBLです。ハピエン。