月の砂漠に銀の雨《二人の騎士と異世界の神子》

伊藤クロエ

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後日談やおまけなど

【書籍購入お礼SS再録】カイが召喚される前のサイードとダルガートのお話(2)


 サイードはカハルの前を辞すると、部屋を出て石造りの回廊を歩いていった。脳裏には今しがた言われた言葉が響いている。

(神子のイシュクの役目は神子を守り、支えること。だがその前に他の二国の騎士を退け神子に選ばれなければならぬ)

 そのために自分は何を努力すればよいのか、皆目見当もつかなかった。

(俺は自分の家族や一族を誰一人守ることができなかった男だ。そのような者が神の化身たる《慈雨の神子》の守護者に相応しいと言えるだろうか)

 考え事をするのは馬に乗っている時がいい。それがサイードの持論だ。
 サイードはいつも通り騎兵団の調練を監督し、北の辺境に駐屯している部下たちから送られた報告書を読み、自分がダーヒルの神殿領へ行っている間の指示を書きしるした後、日が暮れる前になんとか遠駆けに出る時間を取ることができた。
 サイードはこの日二度目となる厩への道をたどっていると、右手の廊下から見知った顔の男がやって来るのが見えた。彼はサイードの姿を見かけると、目礼をして言った。

「これはサイード殿」
「ダルガートか」

 それはハリファ・カハルの筆頭近衛騎士のダルガートだった。
 先ほどハリファから《選定の騎士》に選ばれたことを知らされた時にハリファの後ろで微動だにせず、その圧倒的な巨躯と鋭い目でハリファを護衛していた男だ。

 主に帝都の外で外敵から国を守る騎兵団の長であるサイードは、宮城や帝都の中を守る近衛騎士のダルガートと話す機会はあまりない。
 サイードが彼について知っているのは、彼がアル・ハダールの中でも屈指の腕前を誇るシャムシールの遣い手であること、彼が前の王ジャハール直属の近衛騎士であったにも関わらず前王を裏切ってカハルに味方し、そのお陰で無駄な血を流すことなく帝都は陥落しカハルが帝位を簒奪するのに大きく貢献したこと、そして彼を『騎士の誓いに背き、二君に仕える裏切り者』と陰口をたたく者がいてもまるで気にせず、常に感情の読めぬ冷ややかな顔をして誰とも群れずにいる男だ、ということだ。

 常にカハルにつき従い彼を守っているダルガートとこのような場所で出くわすのは初めてのことだ。

「ダルガートも馬に乗りに来たのか」

 と尋ねると、彼は厩の方を見て「今日あの中の一頭が走る姿を見た折に、些か違和感を覚えましたゆえ」と答えた。

「それはいかんな」

 馬は非常に繊細で気性の細やかな性質だ。もしもダルガートが乗るのなら、恐ろしく逞しい乗り手であるカハルに同行するための馬ということになる。ほんの少しの不調であっても世話や配慮を怠れば大きな怪我に繋がる恐れもあった。
 元から丈夫で辛抱強い馬を育てることが唯一の趣味であるサイードは、つい気になってダルガートと共に彼の馬の様子を見に行った。

「ああ、これか」

 ダルガートが黒く大きな馬の右足の蹄を見て呟く。どうやら蹄底の内側がわずかに炎症を起こしているようだ。

「蹄底の削りが浅かったようだな」
「そのようですな」

 ダルガートは慌てて駆け寄ってきた馬丁から鉄鉤を受け取り、蹄の裏の彫りを深くする。サイードが大人しく蹄を削られている馬のがっしりとした首を撫でてやると、漆黒の大きな馬は気持ちよさそうにゆっくりと瞬きをした。
 鉄鉤を返し身を起こしたダルガートにサイードは問う。

「蹄鉄を付けていないのか」
「先ごろまで帝都の外の遊牧場に放されておりましたが、ハリファが気に入られて今日こちらに」
「なるほど」

 蹄鉄は野生の馬や外で放牧されている馬にはなくてもよいが、馬房で飼われる馬は糞尿や汚れがついて蹄が弱るのを避けるために必要だ。
 ダルガートが道具を返して馬丁に言う。

「腫れが治まるまで外の囲いに放しておけ」
「畏まりました」

 それからサイードの方へ向き直った。

「遠駆けに行かれるおつもりだったのでは?」
「ああ……そうだな」

 だがすでに日は西の城壁まで傾いてしまっている。

「まあいい。明日にしよう」

 そう答えてサイードはダルガートと共に馬房から出た。なんとなく連れだって宮城への道を歩いていると、珍しいことにダルガートの方から話しかけて来た。

「サイード殿は近日、ダーヒルへ向かわれるそうで」
「ああ、今日ハリファより仰せつかった」

 先ほどハリファの後ろで一人警護に立っていた近衛騎士はダルガートだった。だからサイードも隠すことなく頷く。するとダルガートが思いがけないことを言った。

「私もハリファと共に中央神殿へお供つかまつる」
「まさかハリファも神殿へ行かれるのか?」
「左様」

 いくら国の命運を決める《慈雨の神子》との邂逅の儀とはいえ、君主自ら神殿まで来る国はほかにはないだろう。さすがのサイードも驚いて聞き返すと、ダルガートは相変わらず感情を読ませぬ顔で頷く。

「相も変わらず破天荒なお方だ」

 サイードが思わずそう呟くと、深く被ったシュマグの下でダルガートがかすかに笑ったような気がした。
 本当に、こんな風に彼が話しかけてきたのはほぼ初めてのことだ。サイードはそれを珍しく思う。

 ダルガートはハリファの筆頭近衛騎士という役目柄か、誰とも個人的な付き合いを持とうとしない。それはハリファの敵は国外の者ばかりとは限らず、このアル・ハダールの中にいるかもしれないからだ。

(ハリファを害するために、またはおのれの地位や権力のためにハリファが常に一番傍に置いているダルガートに取り入ろうとする者を警戒しているのだろうな)

 だから国の大事に関することとはいえ、ダルガートの方から自分に話しかけてきたことに驚いたが、悪い気はしなかった。それはダルガートから見て自分がいくらか信用されている証に思えたからだ。

(それに、恐らく彼の方こそ信頼に値する男だ)
「ダルガートは《慈雨の神子》に選ばれる騎士とは一体どんな人物だと思う?」

 サイードの口をついた言葉に、ダルガートが振り向いた。

「どんな、とは」
「神子のイシュクとなるには、何が必要なのだろうか」

 サファル将軍を差し置いて自分が選ばれたからには、何が何でも他の二国を退け神子を手に入れなければならない。

「敵を倒し陛下をお守りするにはひたすら鍛錬を積めばいい。だが神子を得るために何を努力すればいいのかがわからん」
「なるほど。いかにもサイード殿らしいお悩みですな」

 揶揄われたのかと思ってダルガートを見れば、意外にも彼の横顔からそのような色は見えなかった。しばらく黙って歩いていたが、ふとダルガートが前を見たまま言った。

「サイード殿は私の出自をご存知か」

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