【完】泡姫ミナミくんの初恋 ~獣人店長さんと異世界人のソープ嬢(♂)

伊藤クロエ

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泡姫♂になりたい南くん。

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「……今日の面接希望者って、え、お前?」

 恐る恐るノックした店の事務所のドアから出てきた咥え煙草の大男にそう言われて、南は思わずぽかんと口を開けた。

(ス、スゴイ、虎の獣人だぁ……)

 南は眼鏡越しにその虎を見上げて感嘆する。
 住人のほとんどが獣人というこの街でもここまで大きくて見事な毛並みなのは、なかなかお目に掛かれないだろう。しかもその毛は南が今までに見たことのある茶色と黒ではなく白と黒。そして目だけが金色に光っている。
 彼ほどがっしりと大きく逞しい身体をしていると、いかにも風俗店の店員らしい白いシャツと黒のベストを着ているだけでもやけに迫力がある。もし表の界限路辺りですれ違っていたら間違いなく黒幇の大哥ヤクザの若頭か何かだと思っただろう。無造作にまくり上げた袖から覗く太い腕もいかにも強そうだった。

 碁盤の目のようにきちんと整備された東の新都心側と違い、ここ旧市街は非常に雑然とした街だ。中でも円環城区ユアンファンセンキョイと呼ばれている一帯は違法建築物や無許可の店舗が隙間なく並ぶスラムと化していて、特に風俗店が多く軒を連ねるこの通りを『五華路』という。
 今、南がいるのはその五華路でも珍しい、客もスタッフも男性のいわゆるゲイ専のソープランドだ。
 一世一代の決心の元、この店にアルバイトの面接を申し込みに来た南は、目の前に聳える虎の獣人の巨体に思わずごくり、と唾を飲み込んだ。

 南とて普通の人間たちの中ではチビでも貧弱でもないし健康そのものだ。何せ家族も親戚もいない、ましてや貯金も財産もないこの世界・・・・で頼れるのは病気をしない頑丈な身体と、あまりにも非現実的な現在に悲観しない図太さだ。だから普段からきちんと食べて身体も鍛えるようにしている。けれど今南の目の前に立ちふさがる、金色の目をした虎の獣人に比べたらまるで大人と子どもだ。

 そんな虎が唖然とした顔で南を見下ろしている。そりゃそうだ。この五華路にある店はほとんど全部が獣人向けで、当然スタッフだって獣人ばかりだろう。
 例え同じゲイだったとしても獣人よりもはるかに弱いニンゲンで、しかも南のようなどう見てもカタギの一般人はお断りどころか難癖つけられて迷惑料と称して財布の有り金全部巻き上げられて通りに放り出されても文句は言えない。
 それがこんな場末の風俗街のど真ん中に一体何をしに来たのか、とこの虎の獣人は呆れているのだ。そう思って息を詰まらせていると、目の前に聳える小山のような分厚い胸板の上から虎の獣人の野太い声が降ってきた。

「…………え、けどお前、ニンゲンだよな?」
「……そ……そうですが……あの、やっぱりダメですか? 五華路の入口の案内所に貼ってあった張り紙には、獣人のみとは書いてなかったけど……」

 南がおっかなびっくりそう尋ねると、虎は白と黒の縞の頭をガシガシと掻いて言った。

「いや、だってまさかニンゲンがこんなとこに面接受けに来るとか思わねぇからな。ここは獣人のゲイ専の桑拿ソープだぜ? ただでさえこの辺りは物騒だっつーのに、お前みたいなちっちゃいのがこんなとこに何しに来たんだよ」
「ちっちゃ……、何しにって……面接受けにですが」

「小さい」という言葉に思わずムッとしながらそう答えると、虎はため息を堪えるようにして言った。

「や、面接ってコレ、ソープ嬢のだぞ? 裏方とかそういうスタッフ今募集してねぇんだけど」
「ええ、ですからそのソープ嬢っていうの。それやりたいんです、俺」
「は……はぁあっ!?」

 虎が目を剥いて大声を上げる。その拍子に彼が指に挟んでいた煙草の灰が床に落ちた。思わず南はそちらに気を取られる。

「あの、火、危ないですよ」
「そんなことはどうでもいい。ってか何言ってんだお前」
「お、俺ここで働きたいんです。あなたが店長さんですか? 面接してくれませんか?」

 虎が呆れているのは顔を見ればわかる。だが南にだってそう簡単に引き下がれぬ理由があるのだ。

「あの、俺以前は水商売の裏方やってたんで、まったくの未経験じゃないと思います。履歴書も一応持ってきたました。だから面接だけでもお願いできませんか」
「…………マジなのかよ」
「マジです!」

 虎はまたガシガシと頭を掻くと、仕方がないといった様子で身体を斜めにして南を事務所の中へと通してくれる。中には旧式の電話と煙草の吸い殻が山盛りになった灰皿、伝票や帳簿の類でいっぱいの事務机があり、その向かいには随分とくたびれた応接セットが置かれていた。虎は一人掛けのソファーにどっかりと腰を下ろすと顎で向かいの席を指す。
 南が持ってきたリュックを抱え、目の前の虎のサイズに合わせてあるらしい大きな座面に腰を下ろすと、虎が困ったような顔をして言った。

「…………お前、なんか金に困ってんのか」
「えっ、あ、いえ、一応、他に正業には就いているので……。町工場で……製品の設計を」
「設計? そんな学があんのか? スゲェな」

 そう言って獣人が驚く。
 確かに獣人ばかりのこの国で圧倒的少数派の人間がまともな職に着けているということは、本人に確かな能力と実力があり、なおかつ獣人ともやっていける度胸があるという証拠だ。とはいえ、南がきちんとした仕事を得られたのは単に運が良かったのと周りに恵まれていたからに過ぎない。

 南がこの『異世界』に飛ばされてきたのは今から一年ほど前だ。
 元の世界では専門学校で機械設計などを学んだが生来の要領の悪さと不景気が祟って就職できず、キャバクラのボーイでなんとか生計を立てていた。
 だがそこで南はキャバ嬢と客との痴情のもつれに巻き込まれ、客にナイフで刺されて多分、死んだ。そして気が付いたらこの五華路からほど近い、屋台の夕飯を目当てに大勢の獣人たちが行きかう円環街の道のど真ん中に倒れていた。

 一体ここがどこなのか、自分が正気なのかもわからず、明らかに現代日本とは違う文字の並んだケバケバしいネオンとごちゃごちゃした猥雑な古い建物や屋台に囲まれたこの街で、倒れている自分を覗き込む熊や兎や猪や猿頭の獣人たちを目の当たりにした時はただただもう頭は真っ白で何も考えられなかった。
 そんな中でたまたまいい獣人たちに出会い、助けられてなんとか生きてこれたのも本当に運が良かったからとしか思えない。そう説明しようと口を開きかけた時、虎が眉を顰めて言った。

「で、そんなインテリがなんでこんなヤクザな店に来てんだよ」

 そう言ってギロリ、と南を睨みつけた。普通の人間ならそれだけで竦みあがって腰を抜かしてしまうだろう。だが南はその瞬間に虎の目がそれはそれは鮮やかに輝いたのを見て思わず息を呑んだ。

(……スゴイ……きれいな、金色だ……)
「おい、どうした」
「あ、はい! ええと」

 しどろもどろになりながらも、南はいささかサイズが大きくてすぐ落ちてくる眼鏡を押し上げてなんとか口を開く。

「……あの、働きたいから、ってだけじゃダメですか。土日だけでいいんですけど」
「ダメに決まってんだろ。どこの会社だって志望動機くらい聞くだろうが」

 そう言われるとぐうの音も出なかった。

(うーん、何と言えば雇って貰えるかな……)

 冷静に考えようとするが、虎の金色の目にじっと見つめられて考えがまとまらない。

「どうしておめーはここで働きたいんだ」

 再び問われて、南は覚悟を決めた。

「あ、あの」
「おう」
「………………お…………男に、抱かれたいから、……」
「………………は?」

 これ以上ないくらい目をまんまるにして、大きな虎が固まった。
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