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竜殺し編・《焔喰らう竜》
第三話・「暗夜に赫く絶望の焔(2)」
しおりを挟むなんだか今日は――〝嫌な予感〟がしてた。
ずっと……ずっと、心の中で何かが引っかかったような違和感に付き纏われて――朝、あの人の暗い表情を見て、胸が苦しくなった。
過去にも、似た感覚をその人に覚えた。
昔に比べて大分、前を向けていると思う……けど、その胸の淵には、今もそれが巣くっていて――こべり付いて取れない重荷となって、彼を苦しめ続けている。
彼はそういう人だ……全部背負い込んで前に進もうとする。
私は、そんな彼に救われてほしいと何度も願った。
だって彼は何も悪くない。なんで彼が不幸にならなければならないのか、どうして彼が辛い目に遭わなければいけないのか……私にはわからない。
今日は〝日〟が悪い――今日のあの人は、いつにも増して表情が暗かった。
ふとした時に向けた視線の先にいる彼は、昔みたいに思いつめた表情をしている。ひどく悲しそうな息を吐いて、辛そうな表情をしている。友達と話している時ですら、そんな表情を見せる彼を見て悲しくなる。
思いを形にするには、今日はよくない日だ。
仮に受け入れられても、まるで傷心につけこむみたいできっと私は後悔する。
……やっぱり、よく見てるなぁ。
ため息が零れてしまう。
こんなにも自分のことを見ていてくれる人は、彼の他にいないだろう。
こんなにも自分のことを考えてくれる人は、彼を除いていないだろう。
傍にいて欲しい時に居てくれる人。
お人好しの癖にクールぶって、善人なのにその事実は否定する。ちょっとチグハグで、時に何を考えているかわからない時があるけど、いつだって優しい人。
だからこそ、私は――
「ハァハァ、ハァハァ」
息を荒くして路地を駆け抜ける。
地震で倒壊し、業火によって燃やされる建物。それらにより生まれた瓦礫が道を塞いでいるが、なんとか瓦礫の少ない道を選び前へ進む。
肌が焼けるような熱気が立ち上っている。
ここらの建物には、まだ火が移っていないのにも関わらず、その火の勢いがここまで伝わってくる。息を吸うたび、肺が焼けるような感覚を味わう。サウナで息を吸っているような感覚に似ている。
そんな熱気を突っ切って走った。
――どうしてこんなことをしているかはわからない。
本来であれば、今すぐにでも避難所へ向かうべきだ。でも、胸の中を占領する正体不明の感覚に突き動かされ、この先を進んでいる。
どうしてか、私はこの感覚に逆らってはいけない、とそう思った。
ここで引き返せば後悔するって疑いもなくそう思ったから、私は足を止めずに走る。この感覚は嫌いだけど、決して嘘は吐かないって知っているから、だから止まったりはしない。
目線の先には赤々と燃える焔。
怖い、怖い怖い怖い……怖い。
恐怖で足が竦む。
この先はきっと、あの日と同じ光景が広がっている――多くの命が落ちる地獄のような風景が。恐怖を抱かない筈がない、この先はそんな光景ばかりか……私だって死んでしまうかもしれない。
死ぬのは怖い。
死んでしまったらそこで終わり。まだやりたいことがたくさんあるのに、全て失ってしまう。物語の……本のページはそこで止まる。
嫌だ、嫌だ――嫌だ。
そんなの嫌に決まってる。
思考が負の方へ傾き、どんどん憂鬱な気持ちになる。
「ッ――」
パチン、と頬を叩き無理やり前へ進む。
――落ち着け、私!
頬に走る衝撃と痛みで心を麻痺させる。
どんなに強がったって恐怖は付き纏う、でも今は前に進まなきゃダメだ。ならやせ我慢だって構わないから、無理やり心を奮い立たせる。
「……ふふ」
こんな状況なのに思わず、苦笑気味に笑みが零れてしまった。
恐怖の中――私はこんな時でも彼のことが脳裏に過ってしまう。死にたくない理由の時も、恐怖を飛ばす時も、ずっと彼がいた。
自分のことながら小中学生と変わらない行動に呆れてしまう。こういうのをミラーリングというのだっけ? 自分を顧みると中々恥ずかしい。
でも――やっぱり勇気をもらえる。
今でも恐怖はある。嫌だ、と強く思っている。でも、彼ならきっとこうすると思うと、私は前へ進める。怖くてもできる気がする。
だからきっと、大じょ――
ドゴ――――ッ!
ふと――頭上の建物が倒壊する絵が視界に映った。
声を上げる暇もないほど一瞬の出来事。
どう逃げたって落ちる瓦礫から脱する方法はなくて、私にはただ瓦礫の落ちる光景を見ることしかできない。死に際にゆっくりと回る視界、淡々と訪れる終わりの光景を眺めることになる。
――〝死〟。
明確にその想像ができる。
一秒先――この後に起こる出来事……私は一体どうなるんだろ?
嫌な想像を否応なしに考えさせられる。
圧死?……それとも、運良く生き残ってその後に死ぬ? 瓦礫の下敷きになってジワジワ死ぬのかな? ショック死? 窒息死?
それは怖いだろうな。だって即死と違って死が這いよって来る感覚が明確にある……きっと、とっても怖い。
どうせなら即死にしてほしい、それならきっと怖くない――痛くない。
一瞬で終われば、何も感じずにそこで終わりだ。だから、どうせ死ぬのなら――
……いや、――どれだって嫌だ!
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ―――――嫌だ!
死にたくなんかない。怖いのも、痛いのも、辛いのも、全部嫌だ。そんなの耐えられない、そんな現実受け入れたくない。
頭が真っ白になる。ただ死にたくないという思いだけが溢れて、余計な思考は全部潰れて、ただ目の前に迫る死を否定することしかできない。
――――、叢真。
死に際に思い出すのはやはり〝彼〟だった。
こんな状況になって選択の後悔が生まれる。
何度も何度も選んで間違えて――選ぶことを放棄して後悔する。私の人生はその繰り返し、少しでも後悔しない道を選んだつもりでも、その全てが間違い。
天秤の上に積み上げたモノを全てひっくり返す――それが〝私〟。
――あの日、
――あの日、あの日、
――あの日、あの日、あの日、
…………、――――。
――――、…………。
この日――私が少し勇気を振り絞っていれば、
結末は変わっていたんだろうか?
――――いや、きっとそれはない。
私はいつだってこの日の繰り返し、いつかの明日に回し続ける私にそんなことはありえない。
選択の後悔は選んだその瞬間から不可逆的なもの、今の私がどんなに選択を悔んだところで私は――何度だって同じことを繰り返す。
だってそれが――――私の選択だから。
――諦めるように瞳を閉じる。
この結末が私の選択の末路というのなら仕方がない。全ての後悔は自分に返る、ただそれだけの話。
でも、最後に叶わない願いを口にするのなら、一度……もう一度だけ――彼の顔が見たい。
刹那の願いを最後に――死が落ちる。
「命里――――!!!」
「――え」
口から漏れる声。
誰かが私の名を呼ぶと同時――体を弾かれるような感覚に襲われ、ゴロゴロと地面を転がった。
かなりの勢いで飛ばされた筈だが、あまり痛くはない。凄まじい勢いで地面を転がるが、まるで誰かに抱きかかえられているようで、衝撃は来るが地面を転がる痛みは全て誰かが受けている。
ドゴンッ、と近くで瓦礫の落ちた音が聞こえた。
「痛てて……し、死ぬかと思った」
私に覆い被さるようにしたその誰かが、聞き慣れた声でそう言った。
きつく瞑った瞳を開き、私は目の前の誰かを――彼を見た。
「大丈夫か、命里?」
心配そうな双眸で彼は私を見る。
「むら、ま……」
その名前を口にすると心臓がキュッとなった。
目の前にいるのが、彼だと実感すると急に顔が熱くなるのを感じて、助けてくれた彼を見て泣きそうになった。やっぱり彼は、弩級のお人好しで私の……正義の味方なんだと思った。
同時に今の自分達の姿勢を思い出し、この場の熱気以上に頭が熱を上げる。
いま私は、叢真に押し倒されているような恰好になっている。こんな状況でそんなこと考えている場合じゃないのはわかっているけど、それでもやっぱり気にしてしまう。
か、顔が近い。
心配そうな表情が真っ直ぐとこちらへ向けられ、真っ赤になった自身の顔を見られている現状がとても恥ずかしい。
すると、何故だか叢真の表情が急に呆れたものになる。
「お前、この状況で全然関係ないこと考えてないか?」
体を起こしながら彼はそう言い、手を差し出して来る。
「そ、そんなことない」
「そうか?」
呆れた双眸を向けられながら、私はその手を掴んで立ち上がる。
「それよりどうしてこんなところにいるの?」
「っ、それは……」
「?」
そう私が聞くと叢真は、ばつの悪そうな顔で視線を逸らした。
珍しく恥ずかしそうな表情をする彼、私はそれがどういう意味か分からず首を傾げた。
「…………」
すると、再び呆れた表情が彼に戻る。
「え、なに? 私なにかした?」
「いーや、別に。ただ、お前は物語の主人公に向いてるな、ってそう思っただけ」
「え? どういうこと?」
「はぁ……」
ひどく疲れたため息。本当に意味がわからず首を傾げるばかりだった。
「命里」
彼は呆れた表情から優しい表情に変わり、大らかな声で私の名を呼んだ。
「俺がここにいるのは……お前がここにいるからだ」
「え」
「話を聞いてな。お前らしき人物がこっちにいたって聞いてさ、いてもたってもいられなくなった」
「…………」
そんなことで――と思う。
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「ああ、本当に――良かった」
そっと叢真は私の頭を撫でた。
「死んでなくてよかった、
生きていてくれてよかった……俺のこの手が届いて――
―――本当に良かった」
今にでも泣いてしまいそうな優しい表情で彼は言った。
「――――」
そんな表情を見た私は完全に言葉を失う。
ずっと彼を見て来たからこそ、その表情を前に私が言葉を送れる筈がなかった。
ズキン――
「っ――!」
突然、頭に痛みが走った。
「命里?」
心配するような叢真の声が聞こえる。
さっき転がった時に頭でもぶつけたか、と思ったがどうやら違うみたい。この感覚は私をこの場所まで突き動かしていたものだ。
私は心配そうな表情の叢真を余所に、その感覚に突き動かせるように再び歩き出した。
「おい命里、どうしたんだ」
そう声を掛けられるが、私はそんな彼を無視して感覚のまま走り出した。
戸惑う叢真も理由はわからないながら、私について走って来てくれた。
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