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番外編

日々 後編

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繁みがガサリと揺れて、そこから騎獣が飛び出してくる。

ホルグは咄嗟に茉莉を庇い、剣を抜いて飛び出してきた騎獣に対峙した。
それは……騎獣に乗ったダリウスと、そのダリウスに抱えられた茉莉の第3子、第二王女エイミ・フラウ・カルクーラだった。
「えっ? ……ダリウス! エイミ!」
茉莉は驚いて声を上げる。
「どうしたの?」
何故こんな早朝に騎獣に乗って繁みなんかから飛び出してくるのだろうか?
しかも王女はダリウスにまるで荷物のように抱えられている。
「茉莉、ホルグ、散歩か? 丁度良い。このじゃじゃ馬を叱ってやってくれ」
ダリウスが苦々しそうに話してくる。
「じゃじゃ馬じゃないわ!」
エイミはダリウスの腕からなんとか逃れようとジタバタと暴れる。
「こいつは、騎獣に乗って、家出しようとしていた」
見つけたダリウスが強引に騎獣に乗り移り捕まえたのだそうだ。
ダリウスの言葉に、茉莉は「まあ! 」と言って口を開け、ホルグは目を瞬かせる。
タローまで驚いたようにつぶらな瞳でエイミを見詰めていた。
「家出じゃないわ! ちょっと城下の騎士の学舎まで、騎獣の訓練を受けに行こうと思っただけよ!」
エイミの言い訳に茉莉とホルグは呆気にとられる。
騎士の学舎? 王女が? ……しかも騎獣の訓練?
「なんでそんな事をしようと思ったの?」
茉莉は不思議そうに娘に訊く。
「騎獣の訓練なら俺やバスツールがやってやる。若いのが良いならホルグにさせる。学舎になんか行く必要はない!」
ダリウスも怒鳴りつけた。
しかし、エイミは負けなかった。
反抗的にダリウスを睨み返す。
「嫌よ! 私、知っているのよ! ……みんな私になんか本気で教えないじゃない!! 姉さまには厳しく真剣に教え込むくせに、私はいつもなおざり! 何をやっても“凄い”とか“お上手ですね”とか適当に、褒めてばっかり! 剣でも騎獣でもみんなそう! ……ずるい! 姉さまばっかり! 私だっておんなじ王女なのに!」
茉莉は驚きに息を飲む。
ダリウスとホルグは気まずそうにエイミの強い視線から目を逸らした。
――――確かにユウカとエイミへの教育には差があった。
ユウカはノルガーへ嫁ぐことが決まっている。他国、しかも少々難のある国に嫁ぐ王女のために持てる知識や技術の全てを教えようと、茉莉達はユウカに厳しい教育を行っている。
一方エイミは今のところ他国へ嫁がす予定はない。
ノルガー以外の周辺諸国からは同じように加護を持つエイミを王妃に欲しいという申し込みが殺到しているが、カルクーラも加護を持つ者がたった一人となるというような事態に二度と陥りたくはない。
エイミにはフレイアスの弟との結婚話が進んでいた。
対外的にもカルヴァン公爵家との婚姻であれば言い訳が立つ。
現カルヴァン公爵たるフレイは、女王の愛相と称して決して自身は結婚しようとしなかった。
これではカルヴァン公爵家の血筋が絶えてしまう。危惧する周囲に対してフレイは弟とエイミ王女を結婚させると言い出したのだ。2人の結婚を機に公爵位も弟に譲ると表明する。
嫡男ではなくとも王女を伴侶に迎えれば公爵位を継ぐのに異論がでるはずもなかった。
当の弟やエイミ王女自身は、この話に今一乗り気ではなかったが(フレイの弟はフレイに似た容貌の美男子だが、どちらかと言えば学者肌の文系青年でお転婆なエイミ王女とは趣味が合いそうもなかった)フレイに逆らえるわけもなく、この話は着々と進められている最中だ。
だからこそ国内で手厚く守ってやれるエイミに、真剣に剣術や騎獣の術を教える必要性は猶更感じられなかったのだ。
茉莉は困惑する。
同じ事実をユウカは反対に「妹ばかり甘やかされてずるい! 」と怒っていることに茉莉は気づいていた。
厳しくされた方も優しくされた方もどちらも相手を羨みずるいと怒っている。
(子供の教育って一筋縄ではいかないわ)
今更ながらに茉莉は嘆息した。
一番上の王太子が聞き分けの良い優しい子だったために、下2人の娘の我が儘ぶりが目立ってしまう。
「困ったわねぇ」と言いながら茉莉は幸せそうだった。
「お父様やみんなに相談して、エイミの教育を厳しくしてくれるようにするわ。それで良い?」
「ホント? お母様? ……あっ! でも礼儀作法やお勉強は、これ以上は嫌よ! 剣と騎獣の訓練だけ、姉さまや兄様と同じように! お願い!!」
パッと顔を輝かせたエイミはダリウスに抱えられながら茉莉に向かって手足をバタつかせて訴えてくる。
「……なんて我儘娘だ」
呆れたようにダリウスは呻いた。
「わかったわ。その代わり家出は止めてね」
茉莉の言葉に満面の笑みで首をコクコク頷かせるエイミは、母譲りの美貌も相俟ってとても可愛かった。
ダリウスはその可愛い王女をうんざりとしたように持ち上げてポンとホルグに投げて寄越す。
「きゃっ!!」
可愛らしい悲鳴は、王女と……もう一人茉莉から上がった。
ダリウスは投げ出したエイミの代わりとばかりに身を乗り出して、茉莉を掴まえると騎獣の上に引っ張り上げたのだ。
「陛下!」
王女を受け止めさせられたためホルグにはそれを阻止できない。
タローも毛を逆立てて唸ったがそれに怯むダリウスではなかった。
「ダリウス!」
茉莉の抗議の声を全く無視してダリウスは、茉莉を抱き締めて首筋に顔を埋める。
「……リオンの匂いがする」
忌々しそうに唸った。
茉莉は顔を真っ赤に染める。それは仕方ないだろう。つい先ほどまで一緒にいたのだから。
「ダリウス!」
抗議の声はやはり聞いてもらえない。
「朝駆けしてくる。そいつとその犬を頼む。……あの忌々しい朝食までには戻るとフレイに伝えておけ」
言い置くとダリウスは片腕で茉莉の体を支え、もう一方の腕だけで器用に騎獣を操り、あっという間に茉莉をその場から連れ去ってしまう。
ホルグが抗議する間も与えない、実に見事な騎獣術だった。



その国の将軍が女王を誘拐するなんてあって良いのだろうか?
「あんな事ばかりしているから、あの人が私の父だなんて噂が立つのよね」
ホルグの腕の中でエイミ王女が呆れたように呟く。
そのどこか人を馬鹿にしたような言い方は、彼女が呆れた将軍にそっくりだった。
ホルグは慌てて王女を降ろす。
「ありがとう」と王女は澄まして言った。
「ホルグもたいへんね。……あぁ、でも姉様の“ホルグ様連行作戦”は失敗したんだっけ。良かったわね」
ニッコリ笑いかけて言われる。
ホルグは年齢の割にこましゃくれた王女の様子に目を見開いた。
「姉様も何時までも、絶対振り向いてもらえない相手に想いを向けるのは止めれば良いのに……困ったものよね」
大袈裟にため息をついて言われる言葉に驚く。
母親そっくりな黒い瞳がホルグを見ていた。
「……それは、私の事を言っておられるのですか?」
黒い瞳が瞬きする。
「あら、違うわよ。ホルグは母様に振り向いてもらえる可能性はあるじゃない。そのために髪を伸ばしたのでしょう? 母様、長髪の美形が好きよね?」
そのとおりだった。
もちろん茉莉はリオンの短い金の髪も大好きだが、純粋に外見だけの好みを言うならフレイやギネヴィアの長髪をいつもうっとりと見詰めている。
ホルグは以前茉莉が「長髪の似合う男の人ってステキよね」と話したことを聞いた事があった。
「それにもちろん母様は金髪も大好きだし。ホルグの今の外見は母さまの好みのストライクなんじゃない?」
母様の好みってベタよねと王女は呆れたように言う。
「そうだと良いのですが」
大丈夫よと、おませな王女は太鼓判を押す。
手を差し出して催促してホルグと手を繋ぐとそのままタローの散歩を再開した。
「私の秘密も教えてあげましょうか? 私もね、キレイな男の人は大好きなのよ」
ホルグは少し考えた。
「フレイアス様の弟君も、とてもおキレイですね」
「そうね。顔だけはとってもキレイだわ」
ホルグと王女は顔を見合わせて楽しそうに笑う。
「大丈夫よ。今度私に弟か妹ができる時の父親候補の噂にはきっとホルグも入っているわ」
もう一度、大丈夫と小さな王女は言う。
そうなればどんなに幸せだろうとホルグは思う。
背の高い騎士と小さな王女と飼い主を拉致されて、ちょっとしょんぼりした犬は、朝の散歩を続ける。

これはこの城の人々の、ごくありふれた日々のお話。
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