チート転生者は、双子の弟でした!

九重

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1巻

1-1

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   第一章 再会


『お前さえいなければ、あの土地は、俺たち家族のものだ。……両親が死んで、お前も死にたいんだろう? 殺してやるよ。死んじまえ!』

 ヒドイ言葉が聞こえた。それは、ついさっきまで優しく千陽ちはるいたわってくれていた声だ。
 そして千陽は、大きな手で乱暴に突き飛ばされる。
 そこは、十階建てのビルの立ち入り禁止になっている屋上で、転落防止のフェンスはない。千陽の体は、簡単に宙に投げ出された。
「キャァァァッ!」と悲鳴をあげながら、千陽は地面に向かって急降下する。
 そして、硬いアスファルトに激突……するはずだった。
 ――それなのに、なんで、こんなことになっているのだろう?
 千陽は口をポカンと開ける。気がつけば彼女は、ビルの屋上でもビル脇の道路でもない、見覚えのない場所に座り込んでいたのだ。

(ここ、どこ?)

 高い天井。白い壁。家具もなく、窓もない大きな部屋。
 その部屋は照明器具がないのに何故か明るくて、ひんやりとしている。ブルリと体が震えたその時、カツンと小さな音が背後から聞こえた。千陽は反射的にそちらを振り向く。

「――お姉ちゃん!」
「え?」

 視線を向けた先には、金髪の青年と黒髪の青年が並んでいる。どちらもイケメンだ。金の王子と黒の騎士――そんなイメージの美形二人を前にして、開いた口が塞がらない。
 金髪の王子は白を基調とした煌々きらきらしい中世の貴族のような服を身にまとって、澄んだ湖みたいな青い目をしている。色白の肌に優しげな美貌びぼう。左目の下に泣きぼくろがある、あでやかな美青年だ。青い目には涙を浮かべていた。
 一方、黒髪の騎士は、カッチリした黒い服に身を包んでる。瞳はアメジストを思わせる紫色だ。物語に出てきそうな凜々りりしい姿で、ストイックな雰囲気をかもし出している。騎士の目は、驚きに大きく見開かれていた。

(この人たちは、誰? さっきの声は、この二人のどちらかが発したのよね?)

『お姉ちゃん』と聞こえた気がする。よく見ると、二人とも千陽より少し若そうだ。
 千陽――赤羽あかは千陽は、二十三歳の会社員。つい先日、両親を事故で亡くして、天涯孤独てんがいこどくの身の上になった。子供の頃は双子の弟がいたのだが、十八年前に事故で他界している。他に兄弟姉妹はいない。だから、彼女を『お姉ちゃん』と呼ぶ人など誰もいないはずだ。
 そんなことを考えていると、王子の青い目からついに涙がこぼれ落ちた。
 それを見た途端、千陽の胸は何故かギュッと締めつけられる。

(だめよ、泣いちゃだめ)

 千陽は心の中でそうつぶやく。
 次の瞬間、ポロポロと涙を流す王子が、ものすごい勢いで駆けてきた。

(え?)
「お姉ちゃん! お姉ちゃん! 会いたかった!!」

 ける暇もなく、ギュウッと抱きしめられる。どうやら、千陽を『お姉ちゃん』と呼んだのは、金髪王子の方らしい。

(どうして? なんで、お姉ちゃん?)

 千陽は、軽くパニックを起こした。気がつけば知らない場所にいた上に、初対面の男性から『お姉ちゃん』と呼ばれ、あまつさえ抱きしめられているのだ。パニックを起こすのも当然だろう。
 優しげな外見の王子も、やっぱり男性。彼の力は強く、千陽の息は止まりそうになる。
 視界が徐々に暗くなり……まずいと思った。

「ぐっ、うぅっ! ……ひ、人違いです!!」

 め殺される前にと、千陽は精一杯声を振りしぼってそう怒鳴る。
 突然両親を亡くし、何もする気になれないほど落ち込んでいた。けれど、千陽はまだ死にたくない。

(そうよ! 私は、死にたくなんてなかったのよ!)

 自分に『死にたいんだろう』と言った男の顔を脳裏に浮かべ、千陽は心の中で叫ぶ。

「やめろ、アンリ! 王家の秘儀まで使って召喚した相手を、お前は殺す気なのか!?」

 千陽を助けてくれたのは、黒髪の騎士だった。気絶しそうになっている千陽を、強引に救い出してくれる。しかし、何を考えているのか、そのまま彼女を横抱きでかかえあげた。
 ――いわゆるお姫さま抱っこである。この展開もまた、ありえない。

「テオ!」
「ともかく、いったん彼女を上の客室に運ぶ。ここでは落ち着いて話もできない。……アンリ、お前は少し頭を冷やせ!」

 焦って千陽を取り返そうとする王子を怒鳴りつけながら、騎士は歩きだした。

「きゃあっ!」

 体が揺れて、千陽は咄嗟とっさに騎士の首にしがみつく。

「いい子だ。そのまま掴まっていろよ」

 フッと笑った騎士は、千陽を抱いたまま、後方にあるドアに向かった。騎士が近づくと、ドアはひとりでに開く。下ろしてほしいと言おうと思ったのに、ドアに注意を引かれて頭から吹き飛んでしまう。

(自動ドア? ここは、あのビルの中なの?)

 部屋を出ると、ものすごく広い廊下があった。そのことからも、千陽は確信する。

(やっぱり、ビルの中なんだわ。こんなに広い廊下は、普通の家じゃありえないもの)

 ビルの屋上から突き落とされたというのに、何故ケガ一つしていないのか。それに、いつの間に建物の中に移動したのかもわからない。ただ、幸い体はどこも痛くなかった。
 やがて、千陽は少し落ち着いてきた。

(ひょっとすると、ビルの外に倒れていたところを彼らに助けてもらったのかもしれないわ。どうして救急車を呼ばなかったのかは、不思議だけれど。……私がここにいる理由を聞いて、迷惑をかけたことを謝ろう。それから警察に行って……あ、念のために病院に行くのが先かしら?)

 先ほど騎士が『王家の秘儀』などとわけのわからないことを言った気がするが……聞き間違いだろう。そうでなければ、再びパニックになりそうだ。
 必死に自分に言い聞かせる千陽をよそに、騎士はスタスタと進んでいく。

「テオ! いくらあなたでも、お姉ちゃんを抱くなんて……殺しますよ!」

 騎士に追いすがりながら、金髪の王子が怒鳴った。さっき彼は確か『アンリ』と呼ばれていた。

「うるさい! お前より俺の方が力があるだけだ! 悔しかったら、俺より強くなってみろ!」

『テオ』と呼ばれた騎士は、ピシャリと言い返す。
 二人とも長身なのだが、騎士は王子より五センチほど背が高い。体つきもしっかりしていて、引きしまった体だ。いわゆる細マッチョというやつだろう。千陽を抱えて歩いていても、少しもふらつかない。
 反して、王子はほっそりとしており、柔和にゅうわな外見をしている。彼の体格では、千陽を抱き上げることはできても、そのまま歩くことは難しそうだ。
 それは自分でもわかっているのだろう。王子は悔しげに下を向いた。

「ほんの少し私より力が強いからって……魔法の腕は私の方が上です。……お姉ちゃんに触れた手を切り落としてやりましょうか? ……いえ、やはり、殺すのが一番ですね。そうです、殺してしまいましょう」

 穏やかな外見に似合わず、王子は物騒なことをブツブツとつぶやく。しかも、『魔法』と言ったか。

(ううん。違うわ。聞き間違いよ)

 千陽は心の中で否定する。騎士は面倒くさそうに舌打ちした。

「お前らしくもない。短絡的な考えをダダ漏れにするのをやめろ。お前の大事な〝お姉ちゃん〟が、おびえているぞ」

 騎士の言葉に驚いた王子は、慌てて千陽の顔をのぞきこんでくる。そしてビクリと震えた彼女を、安心させるように微笑んだ。

「驚かないで、お姉ちゃん。……もちろん冗談だよ。〝僕〟がそんなことするはずないでしょう?」

 もちろん、冗談だろう。人を殺すなんて、冗談じゃなかったら怖すぎる。
 ほんの少し前に殺されかけた千陽は、そう強く思う。
 千陽のおびえが伝わったのか、王子はことさら明るく話し出した。

「本当に久しぶりだね、お姉ちゃん。お姉ちゃんが、僕の手の届くところにいるなんて、まるで夢を見ているみたいだ。とっても嬉しいよ。……僕以外の男に抱き上げられているのは、ちょっと……いや、はらわたが煮えくり返りそうなくらい、腹立たしいけれど。……でも、大丈夫。僕は我慢できるからね。早く休めるところに行って、僕とゆっくり話そうね」

 話の内容は不穏だったが、優しい声と笑顔に、千陽はホッとする。彼らに敵意はなさそうだ。

(落ち着いて話せば、わかってくれるかしら?)

 千陽は彼の間違いを一刻も早く正さなければならない。彼らは人違いをしているのだから。

「……あの。私は、あなたの〝お姉ちゃん〟ではありません」

 千陽は黒髪黒目で、ザ・日本人といった外見をしている。対する王子は、外国のロマンス映画で主役を張れそうな西洋人っぽいイケメンだ。どう考えても、姉弟きょうだいには見えない。
 それなのに、王子はコテンと可愛らしく首を傾けた。

「〝お姉ちゃん〟だよ。いやだなぁ。ひょっとして僕がわからないの?」

 わかるも何も、これが初対面だ。こんな美形、もし会ったことがあれば絶対に忘れない。

「この状況で、わかるはずがないだろう。だいたいアンリ、お前は自己紹介もしていないじゃないか」

 騎士が心底呆れた声で言う。彼の声がすぐ近くで聞こえて、千陽の胸はちょっとドキドキする。

「あ! そうか。そうだよね。僕からお姉ちゃんは見えていたけれど、お姉ちゃんからはこっちが見えなかったんだ。姿形も変わっているし、わからないのも当然か。お姉ちゃんに会ったら、きちんと説明しようって思っていたのに……ゴメン。あんまり嬉しすぎて、忘れていた」

 ペロリと舌を出す王子。
 その仕草を見た千陽は、幼い頃、自分の一番近くにいた存在をフッと思い出す。
 もうずいぶん昔に失ってしまった、千陽の片割れだ。
 その子にそっくりな笑顔で、王子は笑った。

「今の僕はアンリって名前で、この世界で生まれ育った十八歳。だけど僕には前世の記憶があるんだ。――前世の名前は赤羽千景ちかげ。……チカって呼ばれていた」

 赤羽千景――チカというのは、五歳の時に事故で亡くなった、千陽の双子の弟の名前だ。

「……うそっ!」
「ホントだよ、お姉ちゃん。……僕、異世界に転生したんだ! ここは地球じゃなくて、異世界の王国オードランの王城だよ」
「…………えぇ?」

 異世界だの転生だのと言われ、千陽は顔をしかめる。いくら動転しているからといって、そんな話を信じられるわけがない。

「うーん。信じられないかな。そうだ、お姉ちゃんが僕の言葉を理解できるのは、僕が翻訳魔法をかけたからだよ。あぁ、実際に魔法を見たら信じるよね」

 王子はそう言うと、手のひらを上に向けて、そこからボゥッと炎を出す。
 熱風が千陽の前髪を少しだけがし――彼女は、気絶しそうになった。



 それからしばらくして、千陽は高級そうなソファーに居心地悪く座っていた。
 異世界召喚についても、王子のようなアンリの前世が千陽の弟だということも、信じたわけではない。ただ、目の前で燃え上がった炎の熱を感じたことで、これが現実だと理解した。
 そして今いるのは、先ほどのガランとした部屋とは対照的に、品よく家具が設置された立派な一室だ。ソファーをはじめ、テーブル、棚、壁にかかる絵画のどれも、一目で高級品とわかるものばかり。築三十年の小さな家に住んでいた千陽には、いたたまれないような部屋だった。

「なんで、俺がこんな召使いみたいな真似をしなくちゃならないんだか……」

 ブツブツ言いながら騎士――ではなく、テオがお茶をれてくれる。
 気遣いは嬉しいのだが、目の前に置かれたカップもソーサーも、精緻せいちで美しい模様の入った高値間違いなしの陶磁器とうじきだ。触れるのが怖くて、お茶を飲む気になんてとてもなれなかった。
 引きつった表情を浮かべる千陽を気にすることなく、テオは自分のカップを持ち、彼女の前のソファーにドカッと腰を下ろす。
 彼女の横には、当然という顔をしたアンリが座っている。しかも、距離が極端に近い。
 アンリはテオの言葉に呆れたように答える。

「仕方ないでしょう。私はお姉ちゃんのたった一人の肉親です。異世界に召喚されたばかりで不安なお姉ちゃんのそばから離れるわけにはいきません」
「……これでも、俺はお前の〝あるじ〟なんだがな」
「役に立たないあるじなんかより、お姉ちゃんの方が百倍大切です」

 堂々とアンリは言い放った。――そう、テオはアンリのあるじ。なんと、騎士だと思っていたテオは異世界の王子で、王子だと思っていたアンリこそ彼の騎士だった。
 テオの正式な名前は、テオフィル・ノエ・オードラン。オードラン王国の第二王子だそうだ。
 アンリの名は、アンリ・ヴュー・エルヴェシウス。由緒ゆいしょ正しい伯爵家の嫡男ちゃくなんだという。
 この部屋でソファーに下ろされると同時にそんなことを明かされ、千陽は心底ビビっていた。
 その上アンリは、自分は前世で千陽と死に別れた、双子の弟・千景なのだと話す。とても、信じられる話ではなかった。
 しかも千陽はアンリによって異世界に召喚されたらしい。

「騎士とはいっても、エルヴェシウス伯爵家が騎士位を持っているだけで、本来の僕の仕事は文官だよ。まあ、成り行きでテオの近衛このえ騎士をしていたり、少し軍部で働いていたりもするけれど。……僕は、基本お姉ちゃん以外のために命をかけるつもりはないからね」

 ニコニコと話すアンリ。キレイな顔が近づいてきて、思わず千陽は顔をそむけてしまった。
 しかしアンリはクスクスと上機嫌に笑う。

「お姉ちゃん。耳まで真っ赤だね。……可愛い」
「そ、そんなことを指摘しないで!」

 こんな美形に近づかれて平常心でいられる女性はいない。千陽が抗議すると、アンリは嬉しそうに「ごめん」と謝った。

「お姉ちゃんが、僕に話しかけてくれて嬉しい」

 先ほどからアンリは、千陽が何を話してもこんな調子だ。

「お前……。そこは、嘘でも俺に忠誠を誓っているって言っておけよ」

 ため息をつきながら、テオが先ほどのアンリのセリフに文句をつけてきた。

「お姉ちゃんに嘘をつきたくないんです」

 なんとも正直なアンリだ。テオは黙って肩をすくめただけで、それ以上とがめることはない。

「僕はお姉ちゃんに嘘はつかない。だから、さっきの話も本当なんだ。僕は本物の千景だよ」
(……そんなことを言われても、信じられるわけないでしょう。いったい、この人は、私にどうしてほしいの?)

 途方に暮れる千陽に対して、アンリはスラスラと説明をはじめた。
 日本とこの世界の時の流れは同調していて、彼は十八歳。前世の記憶を取り戻したのは、七歳の時だったという。その後、魔法の才があった彼は、必死に努力して、異世界にいる千陽の様子を見る魔法を作ったらしい。

「……でも、どんなに努力しても、お姉ちゃんに僕の声を届けることや、連絡を取ることはできなかった。できたのは、遠くからお姉ちゃんを見ることだけ。……お姉ちゃんが幸せになってくれるなら、見守るだけでいいって思っていたんだ。……けど、あの事故が起こって――」

 千陽の肩は、ビクリと震えた。両親を一度に亡くした事故のことだろう。
 それは、銀婚式のお祝いとして千陽が両親に贈った有名レストランでのディナーの帰りに起きた。笑顔で帰ってくるはずだった二人は、無言の帰宅をしたのだ。

「――お姉ちゃん、泣いてた。一人で。自分を責めて。……そんな必要、全然ないのに」

 その千陽の姿を見て、アンリは何がなんでも彼女を自分の世界に召喚しようと思ったのだという。様々な文献を読みあさり、調べに調べつくして、失われていた王家の秘儀を見つけたそうだ。

「どうやら俺の祖先が、遥か昔の暗黒時代に、異世界から勇者とやらを召喚したそうでな」

 遠い目をして、テオがそう教えてくれた。
 その時召喚した勇者は、日本人。勇者のつとめを果たしても帰ることのできなかった彼は、王家の姫と結婚したそうだ。おかげで王家の人間には、時々黒髪や黒い目の人物が生まれるという。だからテオも黒髪なのだろう。

「異世界召喚なんて、ていのいい言葉を使っているけれど、要は拉致らちと同じことさ。自分の祖先が犯罪者だと国民にばらされたくなかったら、僕に協力しろって、テオを脅したんだ」

 アンリはサラッと、とんでもない発言をした。王子を脅すなんて大問題だろう。

「しかも、結局することは異世界召喚だし」

 テオは不満そうにつぶやく。

「私の異世界召喚は、拉致らちじゃありません! 傷つき泣いているお姉ちゃんを保護し、なぐさめるためです。自己都合の勇者召喚と一緒にしないでください!」

 アンリは憤然とする。千陽は心の中でツッコミを入れた。

(……どっちにしろ、相手の意思を確認していないわよね。似たり寄ったりだと思うけど?)
「お姉ちゃんを傷つけるやからばかりいる地球になんて、お姉ちゃんを置いておけません! しかも、召喚するタイミングを計っていたら、あんなことが起こって!」

 そう叫び、突如立ち上がるアンリ。青い目をギラギラさせ、宙をにらむ。

「あんなこと?」
「お姉ちゃんが、殺されそうになったことだよ!」

 千陽の問いに対して、アンリは怒髪天どはつてんをつく勢いで怒鳴った。

(……ああ。やっぱり、あれは本当のことだったのね)

 千陽は悲しい気持ちで思い出す。
 彼女は、信頼していた従兄いとこに殺されそうになったのだ。
 天涯孤独てんがいこどくになった千陽に、従兄いとこはいろいろと世話をやいてくれた。しかし数日前、それは千陽の財産目当てでしたことだと、従兄いとことその彼女が話しているところに出くわした。
 千陽の実家は都会にあり、その土地はそれなりの値がつく。傷心の千陽に優しくして、彼女が心を許したところで、家や土地の権利書を巻き上げるつもりだったらしい。
 それ以来、千陽は従兄いとことその家族を避けた。すると彼は、二人きりで話したいと言ってきたのだ。
 従兄いとこが勤める会社のビルの屋上に呼び出され、千陽は彼ときっぱり縁を切るつもりでそこに出向いた。そして、従兄いとこに屋上から突き落とされた。
 ドン! と押された手の感触をまざまざと思い出し、千陽はブルリと体を震わせる。
 急にのどが詰まり、息ができなくなった。恐怖と悲しみが今さらながら千陽を襲う。
 青い顔で震え出した千陽に気がついて、アンリは慌てて彼女の体に腕を回す。そしてギュッと抱きしめ、ささやいてくる。

「大丈夫だよ。お姉ちゃんはここにいる。あいつに突き飛ばされた瞬間、僕がこちらの世界にお姉ちゃんを召喚したんだ。……あいつ、今頃、さぞかし焦っているだろうな」

 アンリは、ひどく冷たい表情で笑った。

「突き落としたはずのお姉ちゃんが、突然消えたんだ。何が起こったかわからず混乱しているに決まっている。お姉ちゃんが死んだかどうかもわからずに、疑心暗鬼ぎしんあんきになるかもな。それにあの時、あいつがお姉ちゃんを突き飛ばしたところを、あいつの彼女が見ていたんだ。死体が出ないから、あいつが罪に問われることはないだろうけれど、相当悪い評判が立つだろうな。……あんな奴、お姉ちゃんを殺そうとした罪を背負って、一生、生きていけばいい」

 あざけるようにそう言ったアンリは、天使みたいな容姿なのに悪魔に見える。

「キレイな顔して言うことがえげつないよな」
「テオにだけは言われたくありませんね」
「それはこっちのセリフだ」

 互いに言い合うアンリとテオ。
 千陽はポカンとして、そんな彼らを見つめた。いつの間にか、体の震えは止まっている。
 彼らの言葉は千陽が体験した状況と相違ない。不思議なことだらけだけれど、信じるほかなさそうだ。

(……私、助けてもらったの?)

 望んだわけでも、ましてや頼んだわけでもなかったが、異世界に召喚されなかったら、千陽は死んでいた。十階建てのビルの屋上から突き落とされたのだ、無事でいられるわけがない。

「……どうして?」

 千陽は、ポツリとそうつぶやいた。
 異世界召喚は王家の秘儀で、それを使うために、アンリは王家を脅したのだと言った。
 普通、いくら双子の姉のためとはいえ、そこまで無茶をするだろうか?
 ましてや彼は一度死に、異世界で新たな人生を送っている。今のアンリの体は、千陽とは赤の他人で、容姿だって似ても似つかない。
 彼女の疑問を聞いたアンリは、優しい笑みを浮かべた。

「前世では五歳までしか生きられなかったけど……僕は、覚えているよ。体の弱かった僕を、お姉ちゃんがいつも守ってくれたこと。お姉ちゃんだって、子供で遊びたい盛りのはずなのに、いつも僕と一緒にいてくれた。他の子が元気よく駆け回るのを見て、遊びたいと駄々だだをこねた僕をなぐさめながら、『お姉ちゃんがずっと一緒にいるからね』って抱きしめてくれたんだ」
(――ああ、そうだったわ)

 弟の千景は、千陽と違いとても病弱な子供だった。わずかなことですぐに咳き込み、高熱を出し、病院への入退院を繰り返す。おかげで両親は千景につきっきりで、千陽は少し放任気味に育った。
 それにまったく不満がなかったとは言わない。しかし千景の苦しむ様子や、小さな手を千陽に向けて必死で伸ばしてくる姿を見るにつれて、そんな気持ちはなくなっていった。
 何より千景は千陽が大好きだった。双子なんだから名前を呼び捨てしてもかまわないのに、『お姉ちゃん、お姉ちゃん』と呼んで、『なあに?』と千陽が返事をするだけで嬉しそうに笑う。
 心から自分を慕ってくれる相手を、自分も好きになるのは、ごく自然な流れだろう。
 千陽は自分たちが仲のいい双子だったことを、なつかしく思い出す。思わず、笑みがこぼれた。
 彼女の笑顔を見たアンリも、満面の笑みを浮かべる。

「今度は、僕がお姉ちゃんを守る番だ。お姉ちゃんを悲しませないためなら、僕はどんなことだってする! 異世界召喚なんて、全然大したことじゃないよ。……だから、お姉ちゃん、僕と一緒にこの世界で暮らそう!」

 本当にとんでもない〝弟〟だった。そのとんでもない行動が……とても嬉しい。

「……ありがとう、チカ」

 気づけば千陽は、そうつぶやいていた。
 急に異世界召喚され、一緒にこの世界で暮らそうと言われて、戸惑いがないわけでは決してない。
 でも、嬉しいことも本当なのだ。
 両親をうしなった千陽は、日本でひとりぼっちだった。仕事はしていたし、仲のいい友人もそれなりにいたけれど、親友や恋人と呼べるような存在はいない。

(少なくとも、チカみたいに、私を想ってくれる人はいないわ)

 ひどく小さな声だったのだが、アンリの耳は、しっかり千陽の声を拾う。

「チカって呼んでくれた! 僕を千景だって、認めてくれたんだね!? ありがとう、お姉ちゃん!」

 喜びいさんだアンリは、千陽を一層強く抱きしめる。

「きゃあっ! ち、近い! 近いわ、チカ!」
「だって、嬉しいんだ! お姉ちゃんに認めてもらえた! こんなに嬉しいことはないよ!」
「……近いのチカか、名前のチカか、よくわからんな」

 のんびりお茶を飲みながら、テオがどうでもいい感想を漏らす。

(そんなことより! チカを止めて!)

 その思いを込めて見つめると、テオは諦めろとばかりに、首を横に振った。

「お姉ちゃん! お姉ちゃんは、僕が生涯をかけて幸せにするからね! 一緒に幸せになろう!」
(それじゃ、まるっきり、結婚式の誓いの言葉でしょう!?)

 異世界転生を果たした千陽の双子の弟は、どうやらずいぶんと激情家のようだった。



   第二章 新しい家族


 その後、千陽が落ち着くのを待って、彼女たちは馬車で移動することになった。
 行き先は、アンリの家であるエルヴェシウス伯爵家。
 テオは部屋から馬車まで、千陽をお姫さま抱っこで運んでくれるという。二度も王子さまに運ばれるわけにはいかないと、千陽は必死に断った。しかしテオは首を横に振るばかり。

「千陽、すまないが、我慢してくれないか? 城内には、正式なルートで入城しなかった者を排除する魔法が、あちこちに仕掛けられている。君が一人で歩いては、危険なんだ」

 それが本当ならば仕方ないが、いつの間にか名前を呼び捨てにされていることが気になる。

(やたら親しげに聞こえるから、やめてほしいんだけど)

 少なくとも、数時間前に出会ったばかりの女性に対する呼び方ではないだろう。
 しかも彼は、自分のことをテオと呼んでくれと言うのだ。テオは二十歳。自分の方が年下だから、愛称でかまわないと主張する。

「王子さまを愛称で呼ぶなんて、できません!」
「千陽は真面目だな」
(そういう問題じゃないでしょう!)

 なんとか交渉して『テオさま』と呼ぶことで妥協してもらったが、それだってハードルが高い。

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「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

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