チート転生者は、双子の弟でした!

九重

文字の大きさ
2 / 17
1巻

1-2

しおりを挟む
 それはさておき、確かにテオの言う通り、召喚魔法は正式な入城ルートではない。だからといって王子に抱っこされて運ばれることを受け入れられるかといえば、それは違うはず。
 断ろうとした千陽の耳元に、テオは顔を近づけてきた。

「俺が君を運ばなければ、アンリは魔法を使ってでも君を抱き上げようとするだろう。ああ見えて、あいつは疲れている。召喚魔法なんて、とてつもない魔法を使ったんだからな。普通であれば、倒れてもおかしくない状態だ。これ以上、あいつに無理をさせたくない。……頼む」

 彼は小さな声でそうささやく。
 よく見れば、確かにアンリの顔色は青白い。色白なのだと思っていたが、テオの言う通り疲れているのかもしれなかった。
 とはいえ、当の本人は千陽を抱き上げたテオに向かって「やっぱり殺してやる!」「いっそ去勢するか?」などと不穏なことをわめき散らしているので、全然弱って見えないのだが――
 抵抗をやめた千陽に対し「いい子だ」と、テオはささやいた。彼はそのままアンリにかまわず、馬車に向かう。千陽を抱く腕は力強く、イケメン度が半端なかった。

(これで、王子っていう身分も持っているんだもの。天は二物を与えずっていう言葉は、まるっきりでたらめよね)

 ため息をこらえて、千陽はそう思う。

(……もっとも、性格は一癖ありそうだけど)

 そこは心の中にしまっておくことにした。
 そうして建物の外に出たところで、千陽はふと振り返った。すると、ヨーロッパの古城かと思うような立派な城がそびえており、思わず口をあんぐり開けてしまう。

「まさかこんなに大きなお城にいるとは思わなかったわ……」
「召喚魔法を使えるのは、城の地下室だけだからな」

 クックッと笑いながら、テオがそう説明してくれる。
 そうして、彼は何故か千陽と一緒に馬車に乗り込んだ。アンリの家に帰るというのでテオとはここでお別れかと思ったが、彼も行くらしい。
 馬車が動き出すと、向かいの席に座ったテオは、楽しそうにこの世界の魔法について話しはじめた。
 今までのことからもわかるとおり、この世界には魔法がある。
 魔力は大気や地に含まれ、それを操る才能を持つ者がいる。中でも一番魔力の集まる場所に、王城は建てられていた。召喚魔法をおこなえるほどの魔力があるのは、王城だけだという。

「まあ、いくら魔力があっても、それを操る才のない者にとっては関係ない話だろうがな」

 テオは小さく肩をすくめる。
 魔力を操れる者――いわゆる魔法使いは、この世界では四、五人に一人くらいの割合で存在するという。特に王族や貴族に多く、平民に少ないのだとか。そのため、魔法を使えることは、高位貴族のステータスの一つらしい。
 そこでアンリが口を挟んできた。

「とはいえ、今では誰でも魔法を発現させることができる機械が普及しているからね。才能の有無なんて実生活には何も影響しないんだ。魔法を使えなくても、普通に暮らしていく分には、まったく支障はない。……だから、お姉ちゃんも気にしなくていいからね」

 日本生まれの千陽に魔法の才能はない。それでも心配しなくていいのだと、アンリは安心させるように笑いかけてくる。
 相変わらず彼は、千陽の横にピッタリくっついて座っていた。ここは馬車の中とは思えないほど広いので、もっと離れて座れるはずなのに。

(パーソナルスペース、気にしなさすぎでしょう!)

 心の底から、千陽は思う。そこでテオが呆れたように口を開く。

「実生活上は、だろう? お前みたいな規格外の魔法使いが関係ないなんて言っても、嫌味なだけだ」
「人をものみたいに言わないでください。お姉ちゃんが誤解したらどうしてくれるんです?」
「誤解も何も事実だろう?」
「誤解です! ――お姉ちゃん、僕は魔法が使えるけれど、その他はごくごく平凡な親しみやすい男だからね。遠慮とか、気兼ねとか、距離をとるとか、そういうことは一切しないでね!」

 どこか必死な様子で、アンリは千陽にうったえてきた。
 本当に平凡な男なら、自分が平凡であるとそんなに一生懸命主張しないだろう。

「平凡? 誰がだ?」
「うるさい! 黙れ!」

 平凡な男は、王子を怒鳴りつけたりもしないはずだ。
 顔を引きつらせる千陽に対し、テオはニヤリと笑い、片目をつぶってみせる。その仕草を翻訳するとしたら、『俺の言う通りだろう?』といったところか。
 この主従の関係性が見えて、千陽はめまいを覚えた。
 魔法についておおまかな説明が終わったところで、アンリは「ねぇ、お姉ちゃん。提案があるんだけど」と話を切り出してくる。
 アンリの提案とは、この世界でも千陽がアンリの姉となること。つまり、アンリの両親であるエルヴェシウス伯爵夫妻の養女となるというものだった。

「こっちの世界の僕の両親は、子供の僕が言うのもおかしいけれど、底抜けにお人好ひとよしでね。お姉ちゃんの事情を話したら、『ぜひうちにお迎えしなさい!』って言っているんだ。だから、遠慮とかまったくなしに、僕のお姉ちゃんになってね」

 目を輝かせながら、アンリはそう言った。
 伯爵家の養女になるということは、千陽が貴族になるということだ。千陽はブンブンと首を横に振った。庶民として生きてきた自分が貴族のご令嬢になるなんて、ムリに決まっている。
 するとアンリは、肩をガックリ落とした。

「お姉ちゃんは、僕と家族になってくれないの?」

 青い目がみるみるうちにうるんでいく。幼い頃に熱を出し、一緒に幼稚園に行けなかった時の千景にそっくりな表情だ。千陽はこの顔に弱かった。

「でも、そんな養女だなんて」
「大丈夫、形式だけだよ。僕がお姉ちゃんとずっと一緒にいるためには、お姉ちゃんにも同じ身分になってもらった方が、何かと都合がいいんだ」
「私は、貴族の礼儀作法も何も知らないし」
「これから覚えればいいことだよ。もう教師とか教材の手配はしてあるんだ」
「……覚えられる自信がないわ」
「う~ん、そっか。……じゃあやっぱり、お姉ちゃんが養女になるんじゃなくて、僕が出奔しゅっぽんしようかな? ちょっと不便になっちゃうけど、二人でのんびり田舎いなか暮らしなんてのも、いいよね?」
「――それはやめろ!」

 千陽とアンリの言い合いに、突如、テオが話に割り込んでくる。

「お前ほどの才能のある騎士が突然出奔しゅっぽんしたら、王城の機能に大混乱が起こる」

 テオの顔は、いたって真面目だった。

「……大混乱?」

 呆然とする千陽。いくら才能のある魔法使いとはいえ、一人欠けることでそこまで影響が出るものだろうか?
 アンリは「え~?」と頬をふくらませた。

「そんなことはありませんよ? 少しは混乱するかもしれませんが……大丈夫ですよ。きっと」
「きっとで、片づけようとするな! だいたい、権力を握るために、文武両機関の中枢ちゅうすうを自分なしで回らないようにしたのはお前だろう。……今さら、勝手に仕事を放棄するな!」

 それが本当なら、とんでもない話だった。自分の弟があまりに規格外すぎて、千陽はびっくりする。同時に、権力を握るためというセリフに引っかかった。
 いさめるテオを、アンリはフンと嘲笑あざわらう。

「オーバーに言わないでください。この程度で混乱が起こるようなら、それは国の責任です。言いがかりもはなはだしい」

 えと冷えた青い目が、王子を見据みすえた。

(権力を握るために画策して、必要がなくなったら放り出す。それで混乱が起こるなら国の責任で、言いがかり?)

 聞いていた千陽は、なんだか頭が痛くなった。

(それって、ものすごい悪人のすることじゃない?)

 千陽の頭痛も知らず、アンリは一転してデロデロに甘い笑みを浮かべ、彼女の顔をのぞきこんでくる。

「僕にとって、お姉ちゃんと一緒にいる以上に大切なことはないからね。お姉ちゃんが貴族になるのが嫌なら、二人でこの国を出奔しゅっぽんし、どこか田舎いなかに行こう。……大丈夫。僕は結構お金持ちだし、絶対お姉ちゃんに苦労はさせないよ」

 テオと話している時とは、まるっきり別人である。豹変ひょうへんしすぎだろうと、千陽は顔を引きつらせる。
 テオはぐしゃりと自分の前髪を握り、困り顔で千陽を見た。

「あ~っ! 千陽……悪いが、養女になる話を受けてくれないか? 元の世界でいろいろ辛いことがあった後、突然異世界に連れてこられて、戸惑っているのはわかる。でも俺も最大限協力する。アンリの性格は最悪だが、能力的にはこの国になくてはならない奴なんだ。……頼む」

 王子さまに頭を下げられてしまった。
 千陽の顔はますます引きつる。
 間違いなく、アンリはチートというやつなのだろう。魔法の才もそうだが、今の話からすると、他にもいろいろすごそうだ。
 一国の王子からの頼み事を断れるほどの度胸は、千陽にはない。とはいえ、何から何まで言いなりで世話になるわけにもいかない。

「エルヴェシウス伯爵夫妻の養女になるという話は、了承します。ただ、将来的に私が自立することを認めてもらえますか?」

 千陽がそういえば、アンリとテオは目を丸くする。

「自立?」

 テオに聞かれて、千陽は大きくうなずいた。

「見てわかるとおり、私は立派な大人です! 日本では働いて、自分のことは自分でやっていました! この世界でも、できることなら自分の力で生きていきたいんです。この世界のことは何も知らないから、時間がかかるかもしれないけど……。養女になっても、お金をかせいだり、自分の身の回りのことを自分でやったりしてもいいでしょう? あまり私のことを、甘やかさないでほしいの」

 いくら異世界トリップをしたからといって、二十三歳のいい大人な自分が、世話になってばかりではいられない。
 アンリは悩む素振りをしたが、すぐに「わかった!」ととびきりの笑みを浮かべた。テオは何故か眉根を寄せたまま、何も言わない。
 了承してもらえたのだろうと、千陽はホッと胸を撫で下ろしたのだった。


 そんなやりとりをする千陽たちを乗せた馬車は、石畳の道路をカラカラと進んでいく。
 広い道路の脇には街路樹が等間隔で並び、緑の枝を伸ばしていた。瀟洒しょうしゃな大豪邸が並ぶ景色は、美しく異国情緒に満ちている。このあたりは貴族の住宅街だそうだ。
 そして、一際立派な大邸宅の前で、馬車はピタリと停まる。
 なんでもこの馬車には魔法機械が使用されていて、車両の重さは実際の十分の一まで減らされ、かすかに浮きながら走っているのだという。どうりで振動がほとんどなく、快適な乗り心地だった。
 しかし、道中ではアンリにべったりくっつかれ、正面に座るテオからは苦笑されていた。そんな非常に居心地の悪い時間を過ごした千陽の心労は、して知るべしだ。
 どっと疲れを感じながら馬車から降りようとすると、先に降りていたアンリが手を差し出してきた。

「ようこそが家へ、お姉ちゃん」
(えっと? この手に掴まって馬車を降りろっていうの?)

 それが貴族のマナーだと言われたら、断れない。けれど千陽は足元がしっかりしているので、エスコートしてもらわなくても大丈夫だ。
 ……先ほどから、抱き上げられたり抱きしめられたりと、千陽はどうにも居心地が悪い。

(私、二十三歳の大人なのよ。一人で馬車から降りることくらいできるのに)

 往生際悪くためらっていると、テオが背後から「抱き上げようか?」とささやいてきた。たいへん心臓に悪いイケメンボイスである。

「結構です!」

 千陽は慌てて、アンリの手に掴まり馬車を降りた。
 テオがクスクスと背後で笑う。やっぱりこの王子さまは、性格があまりよくなさそうだ。

「……すごい」

 エルヴェシウス伯爵邸は、見上げるほど大きな建物だった。四本の白い円柱に支えられた格式高い玄関に、千陽の目はくぎ付けになる。荘厳な雰囲気は、ヨーロッパの小宮殿に似ていた。とても個人の邸宅とは信じられない。
 気後きおくれする千陽にかまわず、アンリはグイグイと彼女の手を引き、建物の中に入っていく。
 天井の高いエントランスホールには、多くの使用人が並んで頭を下げていた。

「お帰りなさいませ、アンリさま」
「いらっしゃいませ、テオフィル殿下」

 年配の執事とメイドがしらおぼしき男女が代表して声をかけてくる。
 テオがこのやしきに来ることは日常茶飯事さはんじなのか、王子の来訪なのにみんな落ち着いている。
 アンリは千陽の右手を引いて自分の隣に立たせると、使用人たちに紹介した。

「ああ、ただいま。……後で正式に紹介するが、彼女は私の姉となる女性だ。最大限の敬意を持ってつかえるように」
「アンリの姉上は、私にとっても大切な人だ。彼女が心地よくこの家で過ごせることを望む」

 テオまでそう言って、千陽の左手を握ってきた。そのまま彼女の手を自分の唇に近づけ、手の甲に軽いキスを落とす。
 千陽は驚いて固まり、アンリは不機嫌そうに顔をしかめた。しかし、さすがに使用人の前で王子に向かって『殺す』だの『去勢する』だの言うことはできないようだ。アンリは千陽をかすふりをして、さりげなくテオから距離を取って歩き出す。

「行こう。お姉ちゃん、こっちだよ」

 満面の笑みで案内する声は、蜂蜜はちみつみたいに甘かった。
 気になって振り向くと、使用人たちは皆、感じ入ったように深く頭を下げている。顔を上げたメイドがしらの目には、涙が光って見えた。目の錯覚だろうか?

(なんにしても、やりすぎだわ。チカは、私を甘やかしすぎよ。さっきお願いしたばかりなのに)

 心の中で不満をこぼすが、こんな廊下で家主の息子に文句を言うのもはばかられる。
 そうしているうちに案内されたのは、とても立派な応接室だった。豪華でありながら派手すぎない青を基調とした調度品が、バランスよく配置されている。

「ただいま戻りました。父上、母上」

 部屋に入ると、奥の方に優しそうな男女が立っていた。彼らがアンリの両親、エルヴェシウス伯爵夫妻のようだ。
 男性は四十代半ばくらい。アンリと同じ金髪と青い目だが、顔立ちは平凡だ。
 女性の方は、茶色の髪と目を持つアンリそっくりな美人だった。若々しいのに、聖母のような慈愛に満ちた雰囲気がある。
 彼らはまず、王子であるテオに対し丁寧な礼をした。その後、アンリと千陽の方に視線を移す。
 千陽は、慌てて頭を下げた。彼らは千陽の養父母になる人たちのはずだ。

「おかえり。アンリ。彼女がお前の姉上かい?」
「その人が、あなたの言っていたお姉さまなのね?」

 伯爵夫妻の声は――何故か震えている。千陽が疑問に思って顔を上げると、伯爵は滂沱ぼうだの涙を流し、夫人は白いハンカチで目頭を押さえていた。

「え?」
「こんなにうら若き女性が、天涯孤独てんがいこどくの身の上となるなんて!」

 両手を握りしめ、エルヴェシウス伯爵が嘆いた。

「しかも、信じていた親族に裏切られるなんて、なんて悲しいことでしょう!」

 そう叫んだ夫人は、ドレスの裾を持ち上げると、素早く千陽に駆け寄ってくる。そして驚きに固まる千陽を、ギュッと抱きしめた。

「もう大丈夫ですよ。ご両親をうしなった悲しみは、なかなかえないでしょうけれど、これからは私たちがいます。あなたを一人で泣かせるようなことはしませんからね」

 細く見えた夫人の胸は案外豊かで、柔らかい。千陽が男であれば、役得だと思うところだろう。
 夫人の後ろでは、伯爵が「びぃーむ!」と大きな音を立てて鼻をんだ。
 あまりに同情的な夫妻の態度に、千陽の顔は思いっきり引きつる。

「……あ、あの!」
「お姉ちゃん、諦めてなぐさめられてやってよ。……言ったでしょう? 僕のこっちの両親は、底抜けのお人好ひとよしだって。二人とも、僕がお姉ちゃんの話をしてからずっと心配していたんだよ。一刻も早く、お姉ちゃんを抱きしめてあげたいって言い続けていた。……まあ、母上はともかく、父上にそんな真似はさせないけれどね」

 どこか疲れたように、アンリが言ってきた。テオも脇で苦笑している。

「エルヴェシウス伯爵夫妻のお人柄のよさは、この国の誰もが知っている。お二方ほど高潔で優しい人物に、私は会ったことがない」
「殿下、そのような!」
「そうですわ。私たちは人として当たり前のことをしているだけです」

 アンリのどこか毒のある言葉は気にせず、テオの言葉を真面目に受け取って、伯爵夫妻はしきりに恐縮する。

(それって、貴族として生きていくには、とてもたいへんなのじゃない?)

 富や権力のあるところには、必ずと言っていいほど悪いやからが集まってくる。獲物にむらがるハイエナは、引きも切らないはずだ。
 そんなことを考えていると、アンリは大きく顔をしかめた。

「父上、母上。殿下のお言葉は褒め言葉ではないですからね。どう聞いても当てこすりです。バカ正直に他人の言葉を信じてはいけないと、言っているでしょう」
「アンリ! どうしてお前は、そんなにうたぐり深く育ってしまったのだい?」
「あなた。アンリは私たちのことを心配してくれているのです。この子はとても優しい子ですから」

 嘆く伯爵と、息子をかばう夫人。夫人が千陽から少し離れた隙に、テオはさりげなく彼女を自分の方に引き寄せる。そしてこっそりささやいてきた。

「ご夫妻がいい方なのは間違いないが、いつもこの調子でね。アンリがいなければ、エルヴェシウス伯爵家は、とっくの昔に潰れていただろう。この家の実権を握っているのは、もうかなり前からアンリだよ」

 やたら耳元でささやくのが好きな王子だ。そのたびに心臓がドキドキするので、やめてもらいたい。
 伯爵夫妻はアンリに、人を信じ愛することがいかに素晴らしいかを切々とうったえていた。苦虫をみ潰したような表情でそれを聞き流すアンリを見ながら、千陽はたいへんだなと同情する。
 その気持ちはテオも同じようで、心配そうな声でまたささやく。

「千陽。君にはできるだけアンリをいやしてほしいんだ。ここに来る前に言った通り、アンリは王城で重責をになっている。この国になくてはならない存在だ。その上、家でもエルヴェシウス伯爵家を支えている。実質、彼には休む暇もない。……アンリには、心から甘えられる存在が必要なんだ」
(まあ、確かにそれは、その通りかも)

 人間、張りつめてばかりいては、いつか心の糸が切れてしまう。アンリにとってテオは信頼でき、なんでも言える相手のようだが、甘えられる相手ではないはずだ。

いやされる相手でもなさそうだし)

 アンリは異世界召喚なんてとんでもない手段を使ってまで千陽を助けてくれた恩人である。

(……アンリ……チカのために、私にできることがあるのなら)
「わかりました。うまくできるかどうかは不安ですが、やってみます」

 小さい声だが、はっきりと千陽は答えた。彼女を見つめるテオの目を、まっすぐ見返す。
 テオは、満面の笑みを浮かべた。

「ああ。期待している。……なにせ、君を召喚するにあたって、俺も少なからずリスクを負ったからな。その分、しっかり頑張ってもらわないと」

 それは、どこか腹黒さを感じさせる笑みだった。

「……リスク?」

 千陽の背中に、何故か寒気が走る。
 テオは笑みをスッと消して真面目な表情になると、伯爵夫妻の方を向いて声をかけた。

「エルヴェシウス伯爵。伯爵夫人。……千陽を、どうかよろしく頼む。お二人になら、彼女を――私の婚約者を、安心してお任せできる」

 驚いたことに、テオは千陽を婚約者と言った。
 千陽は目を見開く。婚約者とか、何か今ありえない言葉が聞こえた気がしたが――

(……きっと、聞き間違いよね)

 今日はとんでもないこと続きで、思ったよりも千陽は疲れているのだろう。そういうことであってほしい。

「テオ! まだその話は!」

 焦った様子でアンリが声をあげた。しかしそれをさえぎるように、伯爵夫妻がテオに向かって礼をとる。

「しかとうけたまわりました。テオフィル殿下。……殿下のこたびのご厚意に、心から感謝いたします」
「殿下のおかげで抱きしめることの叶った私たちの娘を、心からの愛情と敬意を持って遇し、殿下のきさきにふさわしい教育をすることをお誓いいたしますわ」

 テオが、千陽の顔をのぞきこんできた。キラキラと輝くアメジストの目は、いたずらっ子のようだ。こんな時でも、彼は美しい。

(美形って、どんな時でも美形なのね)

 千陽はしみじみと実感する。

「――召喚魔法は、王家の秘儀だ。使うためには大義名分がいる。今回の召喚は〝王子の花嫁〟を召喚するためにおこなわれたのさ」

 テオは、爆弾発言をした。
 この国の王子は二人。第二王子であるテオとその兄の第一王子のみだという。
 アンリはテオの近衛このえ騎士として秘儀を使ったので、千陽と婚約するのは自分だと、テオは笑う。
 キラキラした笑顔に、目がチカチカした。そしてめまいを覚え……千陽は、意識を失った。


 次に千陽が目を覚ましたのは、ふかふかのベッドの上だった。誰かが運んでくれたらしい。
 ここは、千陽が倒れた部屋ではなく、これから彼女が暮らす部屋だという。ダブルサイズのベッドも、掛布団もみんな何故かピンクだ。見上げる天井も、当然のようにピンク色。可愛いが、なんだか落ち着かない。日本の千陽の部屋は、純和風の畳部屋だった。
 窓際に置かれたベッドの脇には、アンリとテオが椅子を並べて座っている。他には、誰もいない。
 意識を取り戻した彼女に、アンリは必死に言い訳する。

「婚約者なんて、ただの口実だよ。確かにテオの言う通り、召喚には表向きの理由がいる。そうでないと、魔法自体が発動しない仕組みになっているからね。だから、仕方なく〝王子の花嫁召喚〟とめい打ったけれど、召喚したからって結婚しなきゃいけないって決まりはないんだ。お姉ちゃんはそんなこと全然気にしなくていいんだよ!」

 千陽が王子の花嫁として召喚されたことは、本当に気にしなくていいことだから、できれば言わずに済ませたいと思っていたのだと、アンリは言葉を重ねる。

「おいおい。それじゃあ俺は、わざわざ異世界から召喚した花嫁に逃げられた男になるだろう?」

 大袈裟おおげさに嘆くジェスチャーをして、テオが口をはさんできた。
 あるじであるはずの第二王子を、アンリは冷え切った青い目でにらみつける。

「何をいまさら! 口実だということは、国王陛下や王妃さまにもきちんと伝えてあるではないですか。そもそも今回の異世界召喚は極秘でおこなったこと。知っているのは王家の方々と神官長、宰相、元帥げんすいと、私の家族のみ。お姉ちゃんは、表向きエルヴェシウス伯爵が養女とした遠縁の令嬢として社交界デビューをする予定です。王子と婚約なんて、絶対ありません!」

 テオの発言を、アンリはピシャリと封じた。
 王子の婚約者はまぬかれても、社交界デビューはするのかと、千陽は頭を抱える。

「……残念だな」

 そうつぶやいて、テオは肩をすくめた。
 その声が本当に残念がっているように聞こえて、千陽はちょっとびっくりする。
 先刻、テオはリスクを負ったと言っていた。それは、花嫁として千陽を召喚したことを指しているに違いない。確かに、王城で重要人物らしいアンリの姉とはいえ、見知らぬ異世界人を婚約者とすることにメリットはないだろう。
 彼は王子。国の益となる令嬢と結婚するのが当然だ。ならば、千陽を花嫁にせずに済むことは、彼にとって望ましいことのはず。なのに、どうして残念そうなのだろう?
 テオも自分の言葉を疑問に思ったのか、困惑したように黙り込んだ。

「テオさま?」
「あ。……いや。……どうやら俺は、自分が思っている以上に、千陽が気に入っているらしい?」

 彼は心底不思議そうに首をかしげた。しかも、語尾が微妙に上がる疑問形だ。

(まさか、私に理由をたずねているの?)

 そんなことを聞かれても困ってしまう。かたわらのアンリは、ポカンと口を開けている。

「……勘違いだと思います」

 仕方なく、千陽は冷静にそう答えた。

(私がテオさまと会ってから、半日も経っていないんだもの。気に入られる理由がないわ)
「……そうか?」
「そうですよ」

 再び首をかしげるテオに、千陽はきっぱりと言った。

「いや。……なんというか? その、俺に対して少しもびない態度が新鮮というか……戸惑って涙目になる黒い瞳にぞくぞくするというか――」

 テオは、ブツブツつぶやきながら考えはじめる。
 涙目にぞくぞくするとか、やめてほしい。やっぱり彼は、性格に問題があるようだ。

しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜

しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」 魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。 鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。 (な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?) 実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。 レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。 「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」 冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。 一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。 「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」 これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。