チート転生者は、双子の弟でした!

九重

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1巻

1-2

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 それはさておき、確かにテオの言う通り、召喚魔法は正式な入城ルートではない。だからといって王子に抱っこされて運ばれることを受け入れられるかといえば、それは違うはず。
 断ろうとした千陽の耳元に、テオは顔を近づけてきた。

「俺が君を運ばなければ、アンリは魔法を使ってでも君を抱き上げようとするだろう。ああ見えて、あいつは疲れている。召喚魔法なんて、とてつもない魔法を使ったんだからな。普通であれば、倒れてもおかしくない状態だ。これ以上、あいつに無理をさせたくない。……頼む」

 彼は小さな声でそうささやく。
 よく見れば、確かにアンリの顔色は青白い。色白なのだと思っていたが、テオの言う通り疲れているのかもしれなかった。
 とはいえ、当の本人は千陽を抱き上げたテオに向かって「やっぱり殺してやる!」「いっそ去勢するか?」などと不穏なことをわめき散らしているので、全然弱って見えないのだが――
 抵抗をやめた千陽に対し「いい子だ」と、テオはささやいた。彼はそのままアンリにかまわず、馬車に向かう。千陽を抱く腕は力強く、イケメン度が半端なかった。

(これで、王子っていう身分も持っているんだもの。天は二物を与えずっていう言葉は、まるっきりでたらめよね)

 ため息をこらえて、千陽はそう思う。

(……もっとも、性格は一癖ありそうだけど)

 そこは心の中にしまっておくことにした。
 そうして建物の外に出たところで、千陽はふと振り返った。すると、ヨーロッパの古城かと思うような立派な城がそびえており、思わず口をあんぐり開けてしまう。

「まさかこんなに大きなお城にいるとは思わなかったわ……」
「召喚魔法を使えるのは、城の地下室だけだからな」

 クックッと笑いながら、テオがそう説明してくれる。
 そうして、彼は何故か千陽と一緒に馬車に乗り込んだ。アンリの家に帰るというのでテオとはここでお別れかと思ったが、彼も行くらしい。
 馬車が動き出すと、向かいの席に座ったテオは、楽しそうにこの世界の魔法について話しはじめた。
 今までのことからもわかるとおり、この世界には魔法がある。
 魔力は大気や地に含まれ、それを操る才能を持つ者がいる。中でも一番魔力の集まる場所に、王城は建てられていた。召喚魔法をおこなえるほどの魔力があるのは、王城だけだという。

「まあ、いくら魔力があっても、それを操る才のない者にとっては関係ない話だろうがな」

 テオは小さく肩をすくめる。
 魔力を操れる者――いわゆる魔法使いは、この世界では四、五人に一人くらいの割合で存在するという。特に王族や貴族に多く、平民に少ないのだとか。そのため、魔法を使えることは、高位貴族のステータスの一つらしい。
 そこでアンリが口を挟んできた。

「とはいえ、今では誰でも魔法を発現させることができる機械が普及しているからね。才能の有無なんて実生活には何も影響しないんだ。魔法を使えなくても、普通に暮らしていく分には、まったく支障はない。……だから、お姉ちゃんも気にしなくていいからね」

 日本生まれの千陽に魔法の才能はない。それでも心配しなくていいのだと、アンリは安心させるように笑いかけてくる。
 相変わらず彼は、千陽の横にピッタリくっついて座っていた。ここは馬車の中とは思えないほど広いので、もっと離れて座れるはずなのに。

(パーソナルスペース、気にしなさすぎでしょう!)

 心の底から、千陽は思う。そこでテオが呆れたように口を開く。

「実生活上は、だろう? お前みたいな規格外の魔法使いが関係ないなんて言っても、嫌味なだけだ」
「人をものみたいに言わないでください。お姉ちゃんが誤解したらどうしてくれるんです?」
「誤解も何も事実だろう?」
「誤解です! ――お姉ちゃん、僕は魔法が使えるけれど、その他はごくごく平凡な親しみやすい男だからね。遠慮とか、気兼ねとか、距離をとるとか、そういうことは一切しないでね!」

 どこか必死な様子で、アンリは千陽にうったえてきた。
 本当に平凡な男なら、自分が平凡であるとそんなに一生懸命主張しないだろう。

「平凡? 誰がだ?」
「うるさい! 黙れ!」

 平凡な男は、王子を怒鳴りつけたりもしないはずだ。
 顔を引きつらせる千陽に対し、テオはニヤリと笑い、片目をつぶってみせる。その仕草を翻訳するとしたら、『俺の言う通りだろう?』といったところか。
 この主従の関係性が見えて、千陽はめまいを覚えた。
 魔法についておおまかな説明が終わったところで、アンリは「ねぇ、お姉ちゃん。提案があるんだけど」と話を切り出してくる。
 アンリの提案とは、この世界でも千陽がアンリの姉となること。つまり、アンリの両親であるエルヴェシウス伯爵夫妻の養女となるというものだった。

「こっちの世界の僕の両親は、子供の僕が言うのもおかしいけれど、底抜けにお人好ひとよしでね。お姉ちゃんの事情を話したら、『ぜひうちにお迎えしなさい!』って言っているんだ。だから、遠慮とかまったくなしに、僕のお姉ちゃんになってね」

 目を輝かせながら、アンリはそう言った。
 伯爵家の養女になるということは、千陽が貴族になるということだ。千陽はブンブンと首を横に振った。庶民として生きてきた自分が貴族のご令嬢になるなんて、ムリに決まっている。
 するとアンリは、肩をガックリ落とした。

「お姉ちゃんは、僕と家族になってくれないの?」

 青い目がみるみるうちにうるんでいく。幼い頃に熱を出し、一緒に幼稚園に行けなかった時の千景にそっくりな表情だ。千陽はこの顔に弱かった。

「でも、そんな養女だなんて」
「大丈夫、形式だけだよ。僕がお姉ちゃんとずっと一緒にいるためには、お姉ちゃんにも同じ身分になってもらった方が、何かと都合がいいんだ」
「私は、貴族の礼儀作法も何も知らないし」
「これから覚えればいいことだよ。もう教師とか教材の手配はしてあるんだ」
「……覚えられる自信がないわ」
「う~ん、そっか。……じゃあやっぱり、お姉ちゃんが養女になるんじゃなくて、僕が出奔しゅっぽんしようかな? ちょっと不便になっちゃうけど、二人でのんびり田舎いなか暮らしなんてのも、いいよね?」
「――それはやめろ!」

 千陽とアンリの言い合いに、突如、テオが話に割り込んでくる。

「お前ほどの才能のある騎士が突然出奔しゅっぽんしたら、王城の機能に大混乱が起こる」

 テオの顔は、いたって真面目だった。

「……大混乱?」

 呆然とする千陽。いくら才能のある魔法使いとはいえ、一人欠けることでそこまで影響が出るものだろうか?
 アンリは「え~?」と頬をふくらませた。

「そんなことはありませんよ? 少しは混乱するかもしれませんが……大丈夫ですよ。きっと」
「きっとで、片づけようとするな! だいたい、権力を握るために、文武両機関の中枢ちゅうすうを自分なしで回らないようにしたのはお前だろう。……今さら、勝手に仕事を放棄するな!」

 それが本当なら、とんでもない話だった。自分の弟があまりに規格外すぎて、千陽はびっくりする。同時に、権力を握るためというセリフに引っかかった。
 いさめるテオを、アンリはフンと嘲笑あざわらう。

「オーバーに言わないでください。この程度で混乱が起こるようなら、それは国の責任です。言いがかりもはなはだしい」

 えと冷えた青い目が、王子を見据みすえた。

(権力を握るために画策して、必要がなくなったら放り出す。それで混乱が起こるなら国の責任で、言いがかり?)

 聞いていた千陽は、なんだか頭が痛くなった。

(それって、ものすごい悪人のすることじゃない?)

 千陽の頭痛も知らず、アンリは一転してデロデロに甘い笑みを浮かべ、彼女の顔をのぞきこんでくる。

「僕にとって、お姉ちゃんと一緒にいる以上に大切なことはないからね。お姉ちゃんが貴族になるのが嫌なら、二人でこの国を出奔しゅっぽんし、どこか田舎いなかに行こう。……大丈夫。僕は結構お金持ちだし、絶対お姉ちゃんに苦労はさせないよ」

 テオと話している時とは、まるっきり別人である。豹変ひょうへんしすぎだろうと、千陽は顔を引きつらせる。
 テオはぐしゃりと自分の前髪を握り、困り顔で千陽を見た。

「あ~っ! 千陽……悪いが、養女になる話を受けてくれないか? 元の世界でいろいろ辛いことがあった後、突然異世界に連れてこられて、戸惑っているのはわかる。でも俺も最大限協力する。アンリの性格は最悪だが、能力的にはこの国になくてはならない奴なんだ。……頼む」

 王子さまに頭を下げられてしまった。
 千陽の顔はますます引きつる。
 間違いなく、アンリはチートというやつなのだろう。魔法の才もそうだが、今の話からすると、他にもいろいろすごそうだ。
 一国の王子からの頼み事を断れるほどの度胸は、千陽にはない。とはいえ、何から何まで言いなりで世話になるわけにもいかない。

「エルヴェシウス伯爵夫妻の養女になるという話は、了承します。ただ、将来的に私が自立することを認めてもらえますか?」

 千陽がそういえば、アンリとテオは目を丸くする。

「自立?」

 テオに聞かれて、千陽は大きくうなずいた。

「見てわかるとおり、私は立派な大人です! 日本では働いて、自分のことは自分でやっていました! この世界でも、できることなら自分の力で生きていきたいんです。この世界のことは何も知らないから、時間がかかるかもしれないけど……。養女になっても、お金をかせいだり、自分の身の回りのことを自分でやったりしてもいいでしょう? あまり私のことを、甘やかさないでほしいの」

 いくら異世界トリップをしたからといって、二十三歳のいい大人な自分が、世話になってばかりではいられない。
 アンリは悩む素振りをしたが、すぐに「わかった!」ととびきりの笑みを浮かべた。テオは何故か眉根を寄せたまま、何も言わない。
 了承してもらえたのだろうと、千陽はホッと胸を撫で下ろしたのだった。


 そんなやりとりをする千陽たちを乗せた馬車は、石畳の道路をカラカラと進んでいく。
 広い道路の脇には街路樹が等間隔で並び、緑の枝を伸ばしていた。瀟洒しょうしゃな大豪邸が並ぶ景色は、美しく異国情緒に満ちている。このあたりは貴族の住宅街だそうだ。
 そして、一際立派な大邸宅の前で、馬車はピタリと停まる。
 なんでもこの馬車には魔法機械が使用されていて、車両の重さは実際の十分の一まで減らされ、かすかに浮きながら走っているのだという。どうりで振動がほとんどなく、快適な乗り心地だった。
 しかし、道中ではアンリにべったりくっつかれ、正面に座るテオからは苦笑されていた。そんな非常に居心地の悪い時間を過ごした千陽の心労は、して知るべしだ。
 どっと疲れを感じながら馬車から降りようとすると、先に降りていたアンリが手を差し出してきた。

「ようこそが家へ、お姉ちゃん」
(えっと? この手に掴まって馬車を降りろっていうの?)

 それが貴族のマナーだと言われたら、断れない。けれど千陽は足元がしっかりしているので、エスコートしてもらわなくても大丈夫だ。
 ……先ほどから、抱き上げられたり抱きしめられたりと、千陽はどうにも居心地が悪い。

(私、二十三歳の大人なのよ。一人で馬車から降りることくらいできるのに)

 往生際悪くためらっていると、テオが背後から「抱き上げようか?」とささやいてきた。たいへん心臓に悪いイケメンボイスである。

「結構です!」

 千陽は慌てて、アンリの手に掴まり馬車を降りた。
 テオがクスクスと背後で笑う。やっぱりこの王子さまは、性格があまりよくなさそうだ。

「……すごい」

 エルヴェシウス伯爵邸は、見上げるほど大きな建物だった。四本の白い円柱に支えられた格式高い玄関に、千陽の目はくぎ付けになる。荘厳な雰囲気は、ヨーロッパの小宮殿に似ていた。とても個人の邸宅とは信じられない。
 気後きおくれする千陽にかまわず、アンリはグイグイと彼女の手を引き、建物の中に入っていく。
 天井の高いエントランスホールには、多くの使用人が並んで頭を下げていた。

「お帰りなさいませ、アンリさま」
「いらっしゃいませ、テオフィル殿下」

 年配の執事とメイドがしらおぼしき男女が代表して声をかけてくる。
 テオがこのやしきに来ることは日常茶飯事さはんじなのか、王子の来訪なのにみんな落ち着いている。
 アンリは千陽の右手を引いて自分の隣に立たせると、使用人たちに紹介した。

「ああ、ただいま。……後で正式に紹介するが、彼女は私の姉となる女性だ。最大限の敬意を持ってつかえるように」
「アンリの姉上は、私にとっても大切な人だ。彼女が心地よくこの家で過ごせることを望む」

 テオまでそう言って、千陽の左手を握ってきた。そのまま彼女の手を自分の唇に近づけ、手の甲に軽いキスを落とす。
 千陽は驚いて固まり、アンリは不機嫌そうに顔をしかめた。しかし、さすがに使用人の前で王子に向かって『殺す』だの『去勢する』だの言うことはできないようだ。アンリは千陽をかすふりをして、さりげなくテオから距離を取って歩き出す。

「行こう。お姉ちゃん、こっちだよ」

 満面の笑みで案内する声は、蜂蜜はちみつみたいに甘かった。
 気になって振り向くと、使用人たちは皆、感じ入ったように深く頭を下げている。顔を上げたメイドがしらの目には、涙が光って見えた。目の錯覚だろうか?

(なんにしても、やりすぎだわ。チカは、私を甘やかしすぎよ。さっきお願いしたばかりなのに)

 心の中で不満をこぼすが、こんな廊下で家主の息子に文句を言うのもはばかられる。
 そうしているうちに案内されたのは、とても立派な応接室だった。豪華でありながら派手すぎない青を基調とした調度品が、バランスよく配置されている。

「ただいま戻りました。父上、母上」

 部屋に入ると、奥の方に優しそうな男女が立っていた。彼らがアンリの両親、エルヴェシウス伯爵夫妻のようだ。
 男性は四十代半ばくらい。アンリと同じ金髪と青い目だが、顔立ちは平凡だ。
 女性の方は、茶色の髪と目を持つアンリそっくりな美人だった。若々しいのに、聖母のような慈愛に満ちた雰囲気がある。
 彼らはまず、王子であるテオに対し丁寧な礼をした。その後、アンリと千陽の方に視線を移す。
 千陽は、慌てて頭を下げた。彼らは千陽の養父母になる人たちのはずだ。

「おかえり。アンリ。彼女がお前の姉上かい?」
「その人が、あなたの言っていたお姉さまなのね?」

 伯爵夫妻の声は――何故か震えている。千陽が疑問に思って顔を上げると、伯爵は滂沱ぼうだの涙を流し、夫人は白いハンカチで目頭を押さえていた。

「え?」
「こんなにうら若き女性が、天涯孤独てんがいこどくの身の上となるなんて!」

 両手を握りしめ、エルヴェシウス伯爵が嘆いた。

「しかも、信じていた親族に裏切られるなんて、なんて悲しいことでしょう!」

 そう叫んだ夫人は、ドレスの裾を持ち上げると、素早く千陽に駆け寄ってくる。そして驚きに固まる千陽を、ギュッと抱きしめた。

「もう大丈夫ですよ。ご両親をうしなった悲しみは、なかなかえないでしょうけれど、これからは私たちがいます。あなたを一人で泣かせるようなことはしませんからね」

 細く見えた夫人の胸は案外豊かで、柔らかい。千陽が男であれば、役得だと思うところだろう。
 夫人の後ろでは、伯爵が「びぃーむ!」と大きな音を立てて鼻をんだ。
 あまりに同情的な夫妻の態度に、千陽の顔は思いっきり引きつる。

「……あ、あの!」
「お姉ちゃん、諦めてなぐさめられてやってよ。……言ったでしょう? 僕のこっちの両親は、底抜けのお人好ひとよしだって。二人とも、僕がお姉ちゃんの話をしてからずっと心配していたんだよ。一刻も早く、お姉ちゃんを抱きしめてあげたいって言い続けていた。……まあ、母上はともかく、父上にそんな真似はさせないけれどね」

 どこか疲れたように、アンリが言ってきた。テオも脇で苦笑している。

「エルヴェシウス伯爵夫妻のお人柄のよさは、この国の誰もが知っている。お二方ほど高潔で優しい人物に、私は会ったことがない」
「殿下、そのような!」
「そうですわ。私たちは人として当たり前のことをしているだけです」

 アンリのどこか毒のある言葉は気にせず、テオの言葉を真面目に受け取って、伯爵夫妻はしきりに恐縮する。

(それって、貴族として生きていくには、とてもたいへんなのじゃない?)

 富や権力のあるところには、必ずと言っていいほど悪いやからが集まってくる。獲物にむらがるハイエナは、引きも切らないはずだ。
 そんなことを考えていると、アンリは大きく顔をしかめた。

「父上、母上。殿下のお言葉は褒め言葉ではないですからね。どう聞いても当てこすりです。バカ正直に他人の言葉を信じてはいけないと、言っているでしょう」
「アンリ! どうしてお前は、そんなにうたぐり深く育ってしまったのだい?」
「あなた。アンリは私たちのことを心配してくれているのです。この子はとても優しい子ですから」

 嘆く伯爵と、息子をかばう夫人。夫人が千陽から少し離れた隙に、テオはさりげなく彼女を自分の方に引き寄せる。そしてこっそりささやいてきた。

「ご夫妻がいい方なのは間違いないが、いつもこの調子でね。アンリがいなければ、エルヴェシウス伯爵家は、とっくの昔に潰れていただろう。この家の実権を握っているのは、もうかなり前からアンリだよ」

 やたら耳元でささやくのが好きな王子だ。そのたびに心臓がドキドキするので、やめてもらいたい。
 伯爵夫妻はアンリに、人を信じ愛することがいかに素晴らしいかを切々とうったえていた。苦虫をみ潰したような表情でそれを聞き流すアンリを見ながら、千陽はたいへんだなと同情する。
 その気持ちはテオも同じようで、心配そうな声でまたささやく。

「千陽。君にはできるだけアンリをいやしてほしいんだ。ここに来る前に言った通り、アンリは王城で重責をになっている。この国になくてはならない存在だ。その上、家でもエルヴェシウス伯爵家を支えている。実質、彼には休む暇もない。……アンリには、心から甘えられる存在が必要なんだ」
(まあ、確かにそれは、その通りかも)

 人間、張りつめてばかりいては、いつか心の糸が切れてしまう。アンリにとってテオは信頼でき、なんでも言える相手のようだが、甘えられる相手ではないはずだ。

いやされる相手でもなさそうだし)

 アンリは異世界召喚なんてとんでもない手段を使ってまで千陽を助けてくれた恩人である。

(……アンリ……チカのために、私にできることがあるのなら)
「わかりました。うまくできるかどうかは不安ですが、やってみます」

 小さい声だが、はっきりと千陽は答えた。彼女を見つめるテオの目を、まっすぐ見返す。
 テオは、満面の笑みを浮かべた。

「ああ。期待している。……なにせ、君を召喚するにあたって、俺も少なからずリスクを負ったからな。その分、しっかり頑張ってもらわないと」

 それは、どこか腹黒さを感じさせる笑みだった。

「……リスク?」

 千陽の背中に、何故か寒気が走る。
 テオは笑みをスッと消して真面目な表情になると、伯爵夫妻の方を向いて声をかけた。

「エルヴェシウス伯爵。伯爵夫人。……千陽を、どうかよろしく頼む。お二人になら、彼女を――私の婚約者を、安心してお任せできる」

 驚いたことに、テオは千陽を婚約者と言った。
 千陽は目を見開く。婚約者とか、何か今ありえない言葉が聞こえた気がしたが――

(……きっと、聞き間違いよね)

 今日はとんでもないこと続きで、思ったよりも千陽は疲れているのだろう。そういうことであってほしい。

「テオ! まだその話は!」

 焦った様子でアンリが声をあげた。しかしそれをさえぎるように、伯爵夫妻がテオに向かって礼をとる。

「しかとうけたまわりました。テオフィル殿下。……殿下のこたびのご厚意に、心から感謝いたします」
「殿下のおかげで抱きしめることの叶った私たちの娘を、心からの愛情と敬意を持って遇し、殿下のきさきにふさわしい教育をすることをお誓いいたしますわ」

 テオが、千陽の顔をのぞきこんできた。キラキラと輝くアメジストの目は、いたずらっ子のようだ。こんな時でも、彼は美しい。

(美形って、どんな時でも美形なのね)

 千陽はしみじみと実感する。

「――召喚魔法は、王家の秘儀だ。使うためには大義名分がいる。今回の召喚は〝王子の花嫁〟を召喚するためにおこなわれたのさ」

 テオは、爆弾発言をした。
 この国の王子は二人。第二王子であるテオとその兄の第一王子のみだという。
 アンリはテオの近衛このえ騎士として秘儀を使ったので、千陽と婚約するのは自分だと、テオは笑う。
 キラキラした笑顔に、目がチカチカした。そしてめまいを覚え……千陽は、意識を失った。


 次に千陽が目を覚ましたのは、ふかふかのベッドの上だった。誰かが運んでくれたらしい。
 ここは、千陽が倒れた部屋ではなく、これから彼女が暮らす部屋だという。ダブルサイズのベッドも、掛布団もみんな何故かピンクだ。見上げる天井も、当然のようにピンク色。可愛いが、なんだか落ち着かない。日本の千陽の部屋は、純和風の畳部屋だった。
 窓際に置かれたベッドの脇には、アンリとテオが椅子を並べて座っている。他には、誰もいない。
 意識を取り戻した彼女に、アンリは必死に言い訳する。

「婚約者なんて、ただの口実だよ。確かにテオの言う通り、召喚には表向きの理由がいる。そうでないと、魔法自体が発動しない仕組みになっているからね。だから、仕方なく〝王子の花嫁召喚〟とめい打ったけれど、召喚したからって結婚しなきゃいけないって決まりはないんだ。お姉ちゃんはそんなこと全然気にしなくていいんだよ!」

 千陽が王子の花嫁として召喚されたことは、本当に気にしなくていいことだから、できれば言わずに済ませたいと思っていたのだと、アンリは言葉を重ねる。

「おいおい。それじゃあ俺は、わざわざ異世界から召喚した花嫁に逃げられた男になるだろう?」

 大袈裟おおげさに嘆くジェスチャーをして、テオが口をはさんできた。
 あるじであるはずの第二王子を、アンリは冷え切った青い目でにらみつける。

「何をいまさら! 口実だということは、国王陛下や王妃さまにもきちんと伝えてあるではないですか。そもそも今回の異世界召喚は極秘でおこなったこと。知っているのは王家の方々と神官長、宰相、元帥げんすいと、私の家族のみ。お姉ちゃんは、表向きエルヴェシウス伯爵が養女とした遠縁の令嬢として社交界デビューをする予定です。王子と婚約なんて、絶対ありません!」

 テオの発言を、アンリはピシャリと封じた。
 王子の婚約者はまぬかれても、社交界デビューはするのかと、千陽は頭を抱える。

「……残念だな」

 そうつぶやいて、テオは肩をすくめた。
 その声が本当に残念がっているように聞こえて、千陽はちょっとびっくりする。
 先刻、テオはリスクを負ったと言っていた。それは、花嫁として千陽を召喚したことを指しているに違いない。確かに、王城で重要人物らしいアンリの姉とはいえ、見知らぬ異世界人を婚約者とすることにメリットはないだろう。
 彼は王子。国の益となる令嬢と結婚するのが当然だ。ならば、千陽を花嫁にせずに済むことは、彼にとって望ましいことのはず。なのに、どうして残念そうなのだろう?
 テオも自分の言葉を疑問に思ったのか、困惑したように黙り込んだ。

「テオさま?」
「あ。……いや。……どうやら俺は、自分が思っている以上に、千陽が気に入っているらしい?」

 彼は心底不思議そうに首をかしげた。しかも、語尾が微妙に上がる疑問形だ。

(まさか、私に理由をたずねているの?)

 そんなことを聞かれても困ってしまう。かたわらのアンリは、ポカンと口を開けている。

「……勘違いだと思います」

 仕方なく、千陽は冷静にそう答えた。

(私がテオさまと会ってから、半日も経っていないんだもの。気に入られる理由がないわ)
「……そうか?」
「そうですよ」

 再び首をかしげるテオに、千陽はきっぱりと言った。

「いや。……なんというか? その、俺に対して少しもびない態度が新鮮というか……戸惑って涙目になる黒い瞳にぞくぞくするというか――」

 テオは、ブツブツつぶやきながら考えはじめる。
 涙目にぞくぞくするとか、やめてほしい。やっぱり彼は、性格に問題があるようだ。

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「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

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