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4 Who are you?
第19話
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一陣の風が吹き、彼女の長い髪が靡く。明るい水色のワンピース、頭につけたカチューシャ。どこを見ても、今目の前にいるのは、明日葉明日香という一人の人間だ。
「あれ、雫も一緒だったんだ。相変わらず仲いいんだね」
「あ、明日葉明日香……? 何であんたがこんなところにいるのよ」
隣で村雨が混乱気味に呟いている。彼女はまだ何にも気づいてはいないらしい。当たり前だろう、いるはずだと思っていた人物とはまったく別の人がそこにいたのだから。
現れたのは桐島園加ではなく、明日葉明日香。それがどういう意味なのかは、もはや疑うまでもない。
それでも僕は一歩踏み出し、尋ねずにはいられなかった。
「君は――誰、なんだ?」
「……」
彼女は答えない。ただその優しい目を僕に注ぎ、口角を上げて首を傾げる。魅力的で魅惑的な、その姿。あの日街で出会った時と、少しも変わってはいない。
その場に響いているのはセミの声だけ。しかし、僕には心地よいリズム音だ。今の逸る心を落ち着かせてくれる。
「……ちょっと、どういうことなの二人とも。いい加減、説明してくれないかしら」
無言を破ったのは村雨だった。痺れを切らしたようなイラついた声で、僕と明日葉明日香を睨んだ。
それを見た明日葉明日香が、くすっと笑う。まるで、我が儘な妹を見つめる姉のように、その表情は穏やかである。
「……じゃあ、そろそろ話そうか。せっかく、こんなところまで来てもらったんだもんね。話せることは、全部話さないと」
くるりと僕らに背を向けた彼女は、そのまま墓の後ろへと回り、再びこちらを向く。刻まれた名前が、僕らの目に飛び込んでくる。隣の村雨が息を飲むのが分かった。
「私が誰なのか……そうだね、まずは自己紹介からしないとね。私の名前は、明日葉明日香だよ。漢字はここに書いてある通り。珍しいと思うけど、結構気に入ってる名前なんだ」
その屈託のない笑顔の裏には、何の悪意も感じられない。ここにいるのは明日葉明日香という一人の人間であり、自分は明日葉明日香であるということをごく当たり前の事実として受け止めている、一人の少女、ただそれだけの光景。
だがそれは、あまりにも矛盾に満ち溢れている。
「うーん、それじゃあ次は、私の昔話でも話そうかな」
彼女は墓石を中心に軽やかに歩き回りながら、無邪気な口調で話し続けた。
「私、明日葉明日香は、昔から何かを演じるということが大好きだった。ほら、朝のアニメあるじゃない? あれって男の子向けと女の子向けがあったと思うんだけど、私、女の子なのにいつも男の子向けのやつばっかり見てたんだ。何とかレンジャーとか、何とかライダーとかね。それで、その真似ばっかりやってた」
「……」
「その興味は、年を重ねるごとにドラマや映画に変わっていった。好きなジャンルはずっとアクションものだったけど、それ以外もどんどん見るようになって、演じるということに大きな憧れを抱くようになった。ストーリーとか演出よりも、役者のセリフの言い方とか表情とか、そういうのばっかり見るような、変な子供だったと思うよ」
ふふっと彼女はおかしそうに笑う。懐かしむようなその表情。それはまるで、自分の体験した過去を思い出しているような姿。
「そんな私が、演劇部に入ることは当然のことだった。中学にはなかったから、高校に入ってからだけどね。私が入ったばかりの頃は、部員も少なくて、その誰も明らかにやる気がなかった。顧問ももちろん素人だったし、他の生徒も劇に興味なんてないから、いつまで経ってもモチベーションが上がらなかったんだって。公演回数も、せいぜい文化祭で年に一回やるくらい。本当に、いきなり廃部寸前! って感じだったなあ」
難しそうな顔をしている村雨だが、口を挟もうとする様子はない。まずは明日葉明日香の話をすべて聞き終えた上で状況を理解するのが早いと悟ったようだ。
「私は、そんな状況を変えたいと思ったの。せっかく演劇を存分にやれる環境が揃っているのに、それを潰しちゃうなんて、どう考えてもおかしいよ。だから私は入った年に、近くの大ホールで公演をすることを提案した。みんな、もうすぐ廃部なのにわざわざそんなことする必要なんかないって言って、最初は猛反対だった。説得するのには骨が折れたなあ。結局、当時の部長さんをなんとか味方につけて、付け焼刃の台本と、数日の練習で、とりあえずって感じでやってみてさ、もうボロボロだったよー。来てくれたお客さんも、ご近所のお爺さんとお婆さんが数人だけ。本当に、あれは今思い出しても酷かったなあ」
彼女は明日葉明日香だ。僕はそう頭で認識する。それでも、心ではそれはおかしいと叫んでいる。違和感、不一致、不自然。
これは誰だ?
「――でもね、公演のあと、そのお客さんがこう言ってくれたんだ。『ありがとう。とっても楽しかったよ』って。ありがちで簡単な言葉だったけど、でも、その時のみんなにはそれだけで十分だった。結局みんな、誰かに認められたかったし、誰かに褒めてもらいたかったんだよ。活動が内に籠っていく中で、その大事さと嬉しさを忘れてた。それをきっかけに、部も活気を取り戻していったし、みんなもやる気になってくれたんだ。私も主に役者として活動して、全員で一つの作品を作り上げていって、本当に楽しかった。あの頃は、本当に……」
「……で、それが結局何なのよ。あんたのその演劇部の話は、そのお墓とどう繋がるわけ?」
流石に我慢出来なくなったのか、村雨が眉をひそめてそう尋ねた。急かす村雨をなだめる様に、明日葉明日香は両手を広げ、空を眺める。どこまでも優雅で余裕を持ったその仕草。彼女には、全く焦りがない。
そのまま、彼女は静かに、その真実を紡いだ。
「それから二年後の、三年生の夏。私、明日葉明日香は、死んじゃったの」
「あれ、雫も一緒だったんだ。相変わらず仲いいんだね」
「あ、明日葉明日香……? 何であんたがこんなところにいるのよ」
隣で村雨が混乱気味に呟いている。彼女はまだ何にも気づいてはいないらしい。当たり前だろう、いるはずだと思っていた人物とはまったく別の人がそこにいたのだから。
現れたのは桐島園加ではなく、明日葉明日香。それがどういう意味なのかは、もはや疑うまでもない。
それでも僕は一歩踏み出し、尋ねずにはいられなかった。
「君は――誰、なんだ?」
「……」
彼女は答えない。ただその優しい目を僕に注ぎ、口角を上げて首を傾げる。魅力的で魅惑的な、その姿。あの日街で出会った時と、少しも変わってはいない。
その場に響いているのはセミの声だけ。しかし、僕には心地よいリズム音だ。今の逸る心を落ち着かせてくれる。
「……ちょっと、どういうことなの二人とも。いい加減、説明してくれないかしら」
無言を破ったのは村雨だった。痺れを切らしたようなイラついた声で、僕と明日葉明日香を睨んだ。
それを見た明日葉明日香が、くすっと笑う。まるで、我が儘な妹を見つめる姉のように、その表情は穏やかである。
「……じゃあ、そろそろ話そうか。せっかく、こんなところまで来てもらったんだもんね。話せることは、全部話さないと」
くるりと僕らに背を向けた彼女は、そのまま墓の後ろへと回り、再びこちらを向く。刻まれた名前が、僕らの目に飛び込んでくる。隣の村雨が息を飲むのが分かった。
「私が誰なのか……そうだね、まずは自己紹介からしないとね。私の名前は、明日葉明日香だよ。漢字はここに書いてある通り。珍しいと思うけど、結構気に入ってる名前なんだ」
その屈託のない笑顔の裏には、何の悪意も感じられない。ここにいるのは明日葉明日香という一人の人間であり、自分は明日葉明日香であるということをごく当たり前の事実として受け止めている、一人の少女、ただそれだけの光景。
だがそれは、あまりにも矛盾に満ち溢れている。
「うーん、それじゃあ次は、私の昔話でも話そうかな」
彼女は墓石を中心に軽やかに歩き回りながら、無邪気な口調で話し続けた。
「私、明日葉明日香は、昔から何かを演じるということが大好きだった。ほら、朝のアニメあるじゃない? あれって男の子向けと女の子向けがあったと思うんだけど、私、女の子なのにいつも男の子向けのやつばっかり見てたんだ。何とかレンジャーとか、何とかライダーとかね。それで、その真似ばっかりやってた」
「……」
「その興味は、年を重ねるごとにドラマや映画に変わっていった。好きなジャンルはずっとアクションものだったけど、それ以外もどんどん見るようになって、演じるということに大きな憧れを抱くようになった。ストーリーとか演出よりも、役者のセリフの言い方とか表情とか、そういうのばっかり見るような、変な子供だったと思うよ」
ふふっと彼女はおかしそうに笑う。懐かしむようなその表情。それはまるで、自分の体験した過去を思い出しているような姿。
「そんな私が、演劇部に入ることは当然のことだった。中学にはなかったから、高校に入ってからだけどね。私が入ったばかりの頃は、部員も少なくて、その誰も明らかにやる気がなかった。顧問ももちろん素人だったし、他の生徒も劇に興味なんてないから、いつまで経ってもモチベーションが上がらなかったんだって。公演回数も、せいぜい文化祭で年に一回やるくらい。本当に、いきなり廃部寸前! って感じだったなあ」
難しそうな顔をしている村雨だが、口を挟もうとする様子はない。まずは明日葉明日香の話をすべて聞き終えた上で状況を理解するのが早いと悟ったようだ。
「私は、そんな状況を変えたいと思ったの。せっかく演劇を存分にやれる環境が揃っているのに、それを潰しちゃうなんて、どう考えてもおかしいよ。だから私は入った年に、近くの大ホールで公演をすることを提案した。みんな、もうすぐ廃部なのにわざわざそんなことする必要なんかないって言って、最初は猛反対だった。説得するのには骨が折れたなあ。結局、当時の部長さんをなんとか味方につけて、付け焼刃の台本と、数日の練習で、とりあえずって感じでやってみてさ、もうボロボロだったよー。来てくれたお客さんも、ご近所のお爺さんとお婆さんが数人だけ。本当に、あれは今思い出しても酷かったなあ」
彼女は明日葉明日香だ。僕はそう頭で認識する。それでも、心ではそれはおかしいと叫んでいる。違和感、不一致、不自然。
これは誰だ?
「――でもね、公演のあと、そのお客さんがこう言ってくれたんだ。『ありがとう。とっても楽しかったよ』って。ありがちで簡単な言葉だったけど、でも、その時のみんなにはそれだけで十分だった。結局みんな、誰かに認められたかったし、誰かに褒めてもらいたかったんだよ。活動が内に籠っていく中で、その大事さと嬉しさを忘れてた。それをきっかけに、部も活気を取り戻していったし、みんなもやる気になってくれたんだ。私も主に役者として活動して、全員で一つの作品を作り上げていって、本当に楽しかった。あの頃は、本当に……」
「……で、それが結局何なのよ。あんたのその演劇部の話は、そのお墓とどう繋がるわけ?」
流石に我慢出来なくなったのか、村雨が眉をひそめてそう尋ねた。急かす村雨をなだめる様に、明日葉明日香は両手を広げ、空を眺める。どこまでも優雅で余裕を持ったその仕草。彼女には、全く焦りがない。
そのまま、彼女は静かに、その真実を紡いだ。
「それから二年後の、三年生の夏。私、明日葉明日香は、死んじゃったの」
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