201 / 218
迂回
二百一.汚名の恒興
天正十二年三月十七日 卯の刻
昨日降った雨は、今朝の霧と化す。犬山城の天守で恒興が朝陽を拝むと、城下の霧を見下ろしながら、今日これから起こるであろう景色を頭の中で思い描く。
(さてぇっ、今日のうちに清洲まで辿り着けるかのぉっ。少なくとも小牧山まではいけるじゃろうっ。ふふふっ、慌てふためく清洲の町衆の姿が眼に浮かぶわぃ・・・。然すれば信雄様は使いの者を寄越すはずっ・・・。その後はどうするかのぉ・・・。)
にやつく恒興だったが、霧の中に俄な違和感を感じる。
(んっ、婿殿の陣の川向こうで何か動いたようなぁ・・・。気のせいかぁ・・・。)
すると突然階下からばたつく足音が聴こえ始める。そして何やら怒鳴り声が城内に響き渡るようになるが、壁で反響するせいで、何を騒いでいるのか分からない。
「何じゃぁっ、朝から騒がし・・・。」
恒興が階段の方を振り向くと、元助が慌ただしく階段を駆け上がり、驚愕の面持ちで恒興に向かって大声を張る。
「父上っ、大事じゃぁ・・・。徳川がぁっ、三河殿がぁっ、こちらに向かっとるぅっ。」
「なっ、何じゃとぉっ。三河殿がぁ・・・。」
「それだけではありませんぞぉっ・・・。報せによるとぉ、三河殿は既に小牧山に陣を敷きぃっ、着々と柵を立てぇ、堀を掘って、城構えを備えとるらしいっ。」
「っかぁっ、まさかこんなに早く三河殿が動くとはぁ・・・。見立てを間違えたわぃっ。」
すると今度は外から『どどぉぉっ』と凄まじい銃音が響き渡る。恒興は慌てて再び天守の板張に乗り出す。
「もっ、もしかして、先鋒はもうここまで来とるんかぁ・・・。」
二度、三度と銃音を確かめると、今度は少しずつ晴れる霧の中から押し出してくる鬨の声を肌で感じる。
「いっ、いかんっ、奇襲じゃぁっ。婿殿の隊が狙われとるぅっ・・・。婿殿は・・・、婿殿はぁ、気付いとらんかったようじゃぁ・・・。」
元助も恒興の側に立ち、南方に眼を向ける。徐々に五条川の河岸に徳川方の先鋒、酒井忠次隊が姿を顕す。敵勢が川を越え、押し寄せる一方で、虚を突かれた手前の森長可隊が屯しているあたりでは、旗指物が右に左に乱れ揺れているのが見て取れる。
「いっ、いつの間にぃ・・・。」
「徳川は動かんと、たかを括ったがわしの落ち度じゃぁ・・・。」
元助は居ても立っても居られない。
「こうしてはおられませぬ。早く援軍をぉ・・・。」
「ちっ、ちぃと待てぇっ、元助ぇっ・・・。」
恒興は何か考え込むように、右に左にと辺りに眼を見張る。しばらくの沈黙は元助を苛立たせるが、恒興は構わない。
(川を越えて攻めるとなると、相手に退く猶予を与えてまう。敵がそれを見越しておるとなるとぉ・・・。)
恒興が突然西の方向を指差す。
「元助ぇっ、あの辺りに既に川を越えた別働隊がおるっ。婿殿が退くを見計らって、横から襲うつもりじゃぁ。」
元助が恒興が指差す方向を凝視すると、何かが蠢いているのに気付く。
「確かにぃっ。鉄砲隊が忍び寄っておりますっ。これはまずいっ・・・。」
「元助ぇっ、今すぐ兵を出してあの別働隊を攻めよっ。わしもこれより出て、婿殿を支援するっ。急げぇ・・・。」
二人は急いで階段を降り、出陣の支度を始める。二人にとってはその時間が永遠に続くかのように長く感じる。こうしている間に森隊の陣形は崩れはじめ、逃亡者が現れ始める。長可は果敢に槍を振り回し、敵を薙ぎ倒す。しかししばらくすると今度は西の方から銃音が聞こえ始める。
「くそぉっ、別働隊かぁっ、やむを得ん。一旦退けぇ・・・。」
しかし既にこの頃には酒井隊の大半は川を渡りきっていた。逃げようにも次から次へと襲い掛かる敵を薙ぎ払いながら、馬上の長可は苦戦する。
(これでは義父上に合わせる顔がないっ・・・。)
もはや気を吐くは長可一人である。敵が押し寄せるも、長可は疲れを覚えない。長可が数えられないほど敵を倒していると、今度は後方から鬨の声が聞こえてくる。
(援軍っ・・・、義父上かぁ・・・。)
振り向くと恒興の軍勢四千が向かってくる。そして榊原康政率いる別働隊の方には元助の軍勢二千が向かって行く。
「よしっ、援軍じゃぁ・・・。盛り返すぞぉ・・・。」
しばらくは長可一人が熱り立っていたが、そのうち味方も声を上げはじめ、酒井隊を押し返し始める。すると一帯に法螺貝の音が響き渡る。
(何っ、撤退っ・・・。)
いつの間にか忠次は鉄砲隊を突撃方向から少しずれた川向こうの西側に移動させており、そこから威嚇射撃を始める。忠次の騎馬隊・歩兵は一斉に撤退を開始するが、長可らは鉄砲隊に阻まれて後を追えない。康政隊の方も、元助隊と刀を交えることなく方向転換し、戦場から姿を消す。
「婿殿ぉっ・・・、無事かぁっ・・・。」
息荒く馬上から敵の動向を睨む長可の元へ恒興が駆け付ける。
「婿殿ぉっ、こちらも撤退じゃぁ。犬山まで戻るぞぃっ・・・。」
酒井隊が向こう岸に戻ると、隊は川に沿って立ちはだかる。その様を確かめた長可は唇を噛みしめながら屈辱の念を心に放ち、犬山へ退く。
(この汚名は次こそ返すぞぉっ・・・。)
昨日降った雨は、今朝の霧と化す。犬山城の天守で恒興が朝陽を拝むと、城下の霧を見下ろしながら、今日これから起こるであろう景色を頭の中で思い描く。
(さてぇっ、今日のうちに清洲まで辿り着けるかのぉっ。少なくとも小牧山まではいけるじゃろうっ。ふふふっ、慌てふためく清洲の町衆の姿が眼に浮かぶわぃ・・・。然すれば信雄様は使いの者を寄越すはずっ・・・。その後はどうするかのぉ・・・。)
にやつく恒興だったが、霧の中に俄な違和感を感じる。
(んっ、婿殿の陣の川向こうで何か動いたようなぁ・・・。気のせいかぁ・・・。)
すると突然階下からばたつく足音が聴こえ始める。そして何やら怒鳴り声が城内に響き渡るようになるが、壁で反響するせいで、何を騒いでいるのか分からない。
「何じゃぁっ、朝から騒がし・・・。」
恒興が階段の方を振り向くと、元助が慌ただしく階段を駆け上がり、驚愕の面持ちで恒興に向かって大声を張る。
「父上っ、大事じゃぁ・・・。徳川がぁっ、三河殿がぁっ、こちらに向かっとるぅっ。」
「なっ、何じゃとぉっ。三河殿がぁ・・・。」
「それだけではありませんぞぉっ・・・。報せによるとぉ、三河殿は既に小牧山に陣を敷きぃっ、着々と柵を立てぇ、堀を掘って、城構えを備えとるらしいっ。」
「っかぁっ、まさかこんなに早く三河殿が動くとはぁ・・・。見立てを間違えたわぃっ。」
すると今度は外から『どどぉぉっ』と凄まじい銃音が響き渡る。恒興は慌てて再び天守の板張に乗り出す。
「もっ、もしかして、先鋒はもうここまで来とるんかぁ・・・。」
二度、三度と銃音を確かめると、今度は少しずつ晴れる霧の中から押し出してくる鬨の声を肌で感じる。
「いっ、いかんっ、奇襲じゃぁっ。婿殿の隊が狙われとるぅっ・・・。婿殿は・・・、婿殿はぁ、気付いとらんかったようじゃぁ・・・。」
元助も恒興の側に立ち、南方に眼を向ける。徐々に五条川の河岸に徳川方の先鋒、酒井忠次隊が姿を顕す。敵勢が川を越え、押し寄せる一方で、虚を突かれた手前の森長可隊が屯しているあたりでは、旗指物が右に左に乱れ揺れているのが見て取れる。
「いっ、いつの間にぃ・・・。」
「徳川は動かんと、たかを括ったがわしの落ち度じゃぁ・・・。」
元助は居ても立っても居られない。
「こうしてはおられませぬ。早く援軍をぉ・・・。」
「ちっ、ちぃと待てぇっ、元助ぇっ・・・。」
恒興は何か考え込むように、右に左にと辺りに眼を見張る。しばらくの沈黙は元助を苛立たせるが、恒興は構わない。
(川を越えて攻めるとなると、相手に退く猶予を与えてまう。敵がそれを見越しておるとなるとぉ・・・。)
恒興が突然西の方向を指差す。
「元助ぇっ、あの辺りに既に川を越えた別働隊がおるっ。婿殿が退くを見計らって、横から襲うつもりじゃぁ。」
元助が恒興が指差す方向を凝視すると、何かが蠢いているのに気付く。
「確かにぃっ。鉄砲隊が忍び寄っておりますっ。これはまずいっ・・・。」
「元助ぇっ、今すぐ兵を出してあの別働隊を攻めよっ。わしもこれより出て、婿殿を支援するっ。急げぇ・・・。」
二人は急いで階段を降り、出陣の支度を始める。二人にとってはその時間が永遠に続くかのように長く感じる。こうしている間に森隊の陣形は崩れはじめ、逃亡者が現れ始める。長可は果敢に槍を振り回し、敵を薙ぎ倒す。しかししばらくすると今度は西の方から銃音が聞こえ始める。
「くそぉっ、別働隊かぁっ、やむを得ん。一旦退けぇ・・・。」
しかし既にこの頃には酒井隊の大半は川を渡りきっていた。逃げようにも次から次へと襲い掛かる敵を薙ぎ払いながら、馬上の長可は苦戦する。
(これでは義父上に合わせる顔がないっ・・・。)
もはや気を吐くは長可一人である。敵が押し寄せるも、長可は疲れを覚えない。長可が数えられないほど敵を倒していると、今度は後方から鬨の声が聞こえてくる。
(援軍っ・・・、義父上かぁ・・・。)
振り向くと恒興の軍勢四千が向かってくる。そして榊原康政率いる別働隊の方には元助の軍勢二千が向かって行く。
「よしっ、援軍じゃぁ・・・。盛り返すぞぉ・・・。」
しばらくは長可一人が熱り立っていたが、そのうち味方も声を上げはじめ、酒井隊を押し返し始める。すると一帯に法螺貝の音が響き渡る。
(何っ、撤退っ・・・。)
いつの間にか忠次は鉄砲隊を突撃方向から少しずれた川向こうの西側に移動させており、そこから威嚇射撃を始める。忠次の騎馬隊・歩兵は一斉に撤退を開始するが、長可らは鉄砲隊に阻まれて後を追えない。康政隊の方も、元助隊と刀を交えることなく方向転換し、戦場から姿を消す。
「婿殿ぉっ・・・、無事かぁっ・・・。」
息荒く馬上から敵の動向を睨む長可の元へ恒興が駆け付ける。
「婿殿ぉっ、こちらも撤退じゃぁ。犬山まで戻るぞぃっ・・・。」
酒井隊が向こう岸に戻ると、隊は川に沿って立ちはだかる。その様を確かめた長可は唇を噛みしめながら屈辱の念を心に放ち、犬山へ退く。
(この汚名は次こそ返すぞぉっ・・・。)
あなたにおすすめの小説
マルチバース豊臣家の人々
かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月
後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。
ーーこんなはずちゃうやろ?
それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。
果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?
そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?
未来を見た山本五十六、帝国を勝利へ導く
たか
歴史・時代
1928年12月10日の空母赤城艦長の就任式終了後、赤城の甲板に立ち夕暮れを見てた時だった。ふと立ちくらみのような眩暈が起きた瞬間、山本五十六「それ」を見た。 燃え上がる広島と長崎、硫黄島で散る歩兵、ミッドウェーで沈む空母、そして1943年ブーゲンビル島上空で戦死した事…… あまりに酷い光景に五十六は倒れそうになった、「これは夢ではない……現実、いやこれは未来か」 その夜、山本五十六は日記に記した。 【我、帝国の敗北を見たり。未来を変えねば、祖国は滅ぶ】
局地戦闘機 飛電の栄光と終焉
みにみ
歴史・時代
十四試局戦 後の三菱雷電J2Mとして知られるこの戦闘機は爆撃機用の火星エンジンを搭載したため胴体直径の増加、前方視界不良などが続いたいわば少し残念な機体である この十四試局戦計画に地方の無名メーカーが参加、雷電を超える高性能機が誕生し、零戦の後継として太平洋戦線を駆ける これは設計者、搭乗員の熱く短い6年間を描いた物語だ
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
小日本帝国
ypaaaaaaa
歴史・時代
日露戦争で判定勝ちを得た日本は韓国などを併合することなく独立させ経済的な植民地とした。これは直接的な併合を主張した大日本主義の対局であるから小日本主義と呼称された。
大日本帝国ならぬ小日本帝国はこうして経済を盤石としてさらなる高みを目指していく…
戦線拡大が甚だしいですが、何卒!
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
強いられる賭け~脇坂安治軍記~
恩地玖
歴史・時代
浅井家の配下である脇坂家は、永禄11年に勃発した観音寺合戦に、織田・浅井連合軍の一隊として参戦する。この戦を何とか生き延びた安治は、浅井家を見限り、織田方につくことを決めた。そんな折、羽柴秀吉が人を集めているという話を聞きつけ、早速、秀吉の元に向かい、秀吉から温かく迎えられる。
こうして、秀吉の家臣となった安治は、幾多の困難を乗り越えて、ついには淡路三万石の大名にまで出世する。
しかし、秀吉亡き後、石田三成と徳川家康の対立が決定的となった。秀吉からの恩に報い、石田方につくか、秀吉子飼いの武将が従った徳川方につくか、安治は決断を迫られることになる。