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策謀
九十六.死際の老人
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秀吉は三人の従者を連れて、山上宗二を先導にして、今井宗久の屋敷を出る。堺の街は相変わらず賑やかである。本能寺の事件の折は流石に街中は混乱したが、大きな火災などはなく、港の一部が少々破壊された程度であった。それも宗久はじめ、堺の会合衆がさっさと修理し、今は何事もなかったような日々が続いている。秀吉はとっつきにくい宗二と少し間をとりながら、彼の跡をついていく。一町ほど歩いたところで、宗二が振り向く。
「ここでございます。」
そこは比較的大きめの宿屋のようである。秀吉は寺社を想像していたので意外である。宗二は臆面なく宿屋の暖簾を潜り、秀吉も後に続く。するとその宿屋の主人とその娘らしき人物が駆け寄り、秀吉の前で正座する。
「この宿屋の主人でございます。後はかの者にお尋ねください。それではわたくしはこれにて失礼仕ります。」
「おいおいっ、宗二殿は中に入らんのかぇ。」
「わたくしの役目はここまででございます。仕事がありますので、御免っ・・・。」
「ならばぁっ・・・。」
秀吉が一人の従者に眼を向けると、従者は懐から銭袋を取り出すが、宗二は遮る。
「結構でございます。」
「駄賃ぐらいぃ・・・。」
秀吉が云い終わる前に宗二は宿屋から出ていく。
「堅ぇ奴じゃのぉ、全く商人らしくねぇわぃ・・・。ところで主人よぉ。例の御客人はほんにここに居るんかぇ。」
「はいっ、奥で横になっておられます。早速御案内致します。」
秀吉は宿屋の玄関で草履を脱ぎ、従者たちを玄関に残して、主人と共に奥へ入る。
「主人は御客人の名を御存知なのかぁ。」
「はいっ、日頃からこの宿を贔屓にしていただいておりました。二月ほど前、わたくしが河内での仕入れから戻ってくる途中で、道の端に倒れておられるのを見つけ、ここへ運んでまいりました。誼にしている薬師を呼んで手当てしてもらいましたが、左の眼は潰れ、右の脚も切り落とさざるを得ませんでした。一月前に御目覚めになられましたが、薬師は生きてるのが奇跡じゃぁと仰っててぇ・・・。」
「何故、河内に伝えなんだんじゃ。」
「はぁっ、外へ漏らすなと申し付けられておりましてぇ・・・。このままどうしたもんかと悩んでおりましたら、先ほどの商いの方がしつこく尋ねるもんで、ついぞぉ・・・。」
「そぉっかぁ。安心せぃ。妙なことは起こさんっ。よぉ報せてくれたわぃ。」
宿屋の一番奥まで着くと、主人は無言で部屋を指し示す。
「しばらく二人にしてくんろ。」
そう云って秀吉は静かに襖を開け、その部屋に忍び入る。そこには左目の眼帯を包帯で括りつけられた白い長髪の老人が寝ている。布団が掛けられているが、布団の外からでも右脚がないのが分かる。秀吉がゆっくりと老人の側に座すと、老人が次第と目覚める。老人は秀吉に気づくと、起きあがろうとするが、秀吉が制する。
「そんままでえぇ、康長殿ぉっ・・・。」
その老人こそ、行方不明だった三好康長である。康長が再び枕に頭を乗せ、肩の力を抜くと、じわと涙を滲ませる。
「お恥ずかしい様でござる。申し訳ござらんっ・・・。」
「何のぉ、戦の傷じゃ。御苦労でござるぅ・・・。」
「阿波はっ、河内はっ、どぉなりましたぁ・・・。」
「阿波は十河殿が踏ん張っちょる。河内は孫七郎が整え直したわぃ。近々筒井殿らと根来討ちをするそうじゃ。」
「然様ですかぁ。信吉殿が河内をぉ・・・。」
秀吉は康長に顔を近づけ、優しく声を掛ける。
「孫七郎ももう立派な武将じゃ。三好の御家来衆を引っ張って、土地の者と一緒に荒れた河内を復興させとるわぃ。康長殿は心配せんと、早う傷を治したらえぇ。」
「有難き御言葉ぁっ・・・。筑前殿にはなんと感謝を申せばよいかぁ・・・。」
「そんにしても何故、迎えを寄越させなんだぁ。皆心配しちょるんにぃ・・・。」
「康俊が討たれたのを目の前にしたとき、ついぞ頭に血が昇りましてのぉ・・・。後先考えずに『仇討じゃぁっ』っつうて引き返したものの、落武者狩りに遭い、家臣をみぃんな失うてしまいましたわぃ。斯様な無様な姿、逃げ戻っても皆に見せられませんわぃ。」
「何のぉっ、えぇ父親でねぇかぁっ。」
秀吉のその言葉に康長の涙は止まらない。
「倅とはよく喧嘩もしましたが、最後に武人として共に暴れることができて本望でござる。本当は倅に三好を継いでもらいたかったんじゃが、三好をこうしてしまったのはわしのせいじゃ。あの世で倅に謝らないといけませんわぃ。」
秀吉の眼も潤ってくる。
「そぉ自分を責めんなやぁ、康長殿ぉっ・・・。」
康長は泣きながらも、徐々に笑みを浮かべる。
「信吉殿には辛い思いをさせてしまいましたぁ。弥助殿や奥方にもじゃぁ。わが三好を潰さんようにするためとはいえ、三好では暮らしにくかったじゃろうにぃ・・・。」
康長は顔を左に向け、必死に布団から左手を出し、部屋の隅に置いてある脇差を指差す。
「筑前殿ぉっ、もはやわしにはあれしか残っとらんがぁっ・・・、河内に戻ったらわしは死んだと皆に伝えて下さいませ。そして三好の家督は信吉殿に継がせて下さいませ。それがわしの遺言ですわぃ。」
「ほんに、それでえぇんかぇ。」
康長がこれ以上喋ることはなかったが、悔いがないかのような笑顔で天井を仰ぐ。
三好康長がいつどこで逝去したのか・・・、それを知る者は誰一人としていない。
「ここでございます。」
そこは比較的大きめの宿屋のようである。秀吉は寺社を想像していたので意外である。宗二は臆面なく宿屋の暖簾を潜り、秀吉も後に続く。するとその宿屋の主人とその娘らしき人物が駆け寄り、秀吉の前で正座する。
「この宿屋の主人でございます。後はかの者にお尋ねください。それではわたくしはこれにて失礼仕ります。」
「おいおいっ、宗二殿は中に入らんのかぇ。」
「わたくしの役目はここまででございます。仕事がありますので、御免っ・・・。」
「ならばぁっ・・・。」
秀吉が一人の従者に眼を向けると、従者は懐から銭袋を取り出すが、宗二は遮る。
「結構でございます。」
「駄賃ぐらいぃ・・・。」
秀吉が云い終わる前に宗二は宿屋から出ていく。
「堅ぇ奴じゃのぉ、全く商人らしくねぇわぃ・・・。ところで主人よぉ。例の御客人はほんにここに居るんかぇ。」
「はいっ、奥で横になっておられます。早速御案内致します。」
秀吉は宿屋の玄関で草履を脱ぎ、従者たちを玄関に残して、主人と共に奥へ入る。
「主人は御客人の名を御存知なのかぁ。」
「はいっ、日頃からこの宿を贔屓にしていただいておりました。二月ほど前、わたくしが河内での仕入れから戻ってくる途中で、道の端に倒れておられるのを見つけ、ここへ運んでまいりました。誼にしている薬師を呼んで手当てしてもらいましたが、左の眼は潰れ、右の脚も切り落とさざるを得ませんでした。一月前に御目覚めになられましたが、薬師は生きてるのが奇跡じゃぁと仰っててぇ・・・。」
「何故、河内に伝えなんだんじゃ。」
「はぁっ、外へ漏らすなと申し付けられておりましてぇ・・・。このままどうしたもんかと悩んでおりましたら、先ほどの商いの方がしつこく尋ねるもんで、ついぞぉ・・・。」
「そぉっかぁ。安心せぃ。妙なことは起こさんっ。よぉ報せてくれたわぃ。」
宿屋の一番奥まで着くと、主人は無言で部屋を指し示す。
「しばらく二人にしてくんろ。」
そう云って秀吉は静かに襖を開け、その部屋に忍び入る。そこには左目の眼帯を包帯で括りつけられた白い長髪の老人が寝ている。布団が掛けられているが、布団の外からでも右脚がないのが分かる。秀吉がゆっくりと老人の側に座すと、老人が次第と目覚める。老人は秀吉に気づくと、起きあがろうとするが、秀吉が制する。
「そんままでえぇ、康長殿ぉっ・・・。」
その老人こそ、行方不明だった三好康長である。康長が再び枕に頭を乗せ、肩の力を抜くと、じわと涙を滲ませる。
「お恥ずかしい様でござる。申し訳ござらんっ・・・。」
「何のぉ、戦の傷じゃ。御苦労でござるぅ・・・。」
「阿波はっ、河内はっ、どぉなりましたぁ・・・。」
「阿波は十河殿が踏ん張っちょる。河内は孫七郎が整え直したわぃ。近々筒井殿らと根来討ちをするそうじゃ。」
「然様ですかぁ。信吉殿が河内をぉ・・・。」
秀吉は康長に顔を近づけ、優しく声を掛ける。
「孫七郎ももう立派な武将じゃ。三好の御家来衆を引っ張って、土地の者と一緒に荒れた河内を復興させとるわぃ。康長殿は心配せんと、早う傷を治したらえぇ。」
「有難き御言葉ぁっ・・・。筑前殿にはなんと感謝を申せばよいかぁ・・・。」
「そんにしても何故、迎えを寄越させなんだぁ。皆心配しちょるんにぃ・・・。」
「康俊が討たれたのを目の前にしたとき、ついぞ頭に血が昇りましてのぉ・・・。後先考えずに『仇討じゃぁっ』っつうて引き返したものの、落武者狩りに遭い、家臣をみぃんな失うてしまいましたわぃ。斯様な無様な姿、逃げ戻っても皆に見せられませんわぃ。」
「何のぉっ、えぇ父親でねぇかぁっ。」
秀吉のその言葉に康長の涙は止まらない。
「倅とはよく喧嘩もしましたが、最後に武人として共に暴れることができて本望でござる。本当は倅に三好を継いでもらいたかったんじゃが、三好をこうしてしまったのはわしのせいじゃ。あの世で倅に謝らないといけませんわぃ。」
秀吉の眼も潤ってくる。
「そぉ自分を責めんなやぁ、康長殿ぉっ・・・。」
康長は泣きながらも、徐々に笑みを浮かべる。
「信吉殿には辛い思いをさせてしまいましたぁ。弥助殿や奥方にもじゃぁ。わが三好を潰さんようにするためとはいえ、三好では暮らしにくかったじゃろうにぃ・・・。」
康長は顔を左に向け、必死に布団から左手を出し、部屋の隅に置いてある脇差を指差す。
「筑前殿ぉっ、もはやわしにはあれしか残っとらんがぁっ・・・、河内に戻ったらわしは死んだと皆に伝えて下さいませ。そして三好の家督は信吉殿に継がせて下さいませ。それがわしの遺言ですわぃ。」
「ほんに、それでえぇんかぇ。」
康長がこれ以上喋ることはなかったが、悔いがないかのような笑顔で天井を仰ぐ。
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