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第五章 社畜と本当に大切なもの
6.社畜と銀座のバー
しおりを挟む伏見に先導されて、銀座のバーに着いた。
カウンターのある典型的なバーで、伏見が店員と話したあと、奥にあるソファの席に通された。一人がけソファが二つ、小さな丸テーブルの間に向かい合っている。
「バーはよく使いますか?」
「いや。最近は安い居酒屋ばかりですよ。羽振りのいい業界じゃないんで、接待の時でもそのへんの居酒屋です」
「私も、上司と一緒でなければこんな店には来れませんよ」
オーセンティックバーだが、調度品やグラス、ずらりと並べられた酒の瓶など、いかにも高級な店だった。俺の財力では話にならないだろう。
じきに店員がやってきて、注文の時間になった。
「何にしますか? 普通にビールとかでも大丈夫ですよ。私はおすすめのシャンパンでお願いします」
「じゃあ、俺はおすすめのスコッチ、ニートで。ダブルでお願いします」
「へっ?」
伏見の顔が凍りついた。
「あれ、ニートって知りませんか? 常温のストレートで飲むってことですよ」
「あっ、いや、知ってます。いきなりそんなもの飲んで大丈夫ですか?」
「ウイスキー飲む時はいつもこうですよ。ギムレットを飲むには早すぎますし」
俺はレイモンド・チャンドラーの名作「ロング・グッドバイ」のセリフを引用してカッコつけたが、伏見には通じなかったらしく、首をかしげていた。
多分、伏見は俺の酒量を見誤っていたのだろう。九十八度のスピリタスでなければ酔っ払わないことは、伏見には隠しておく。
古川の金で酒を飲むのは、相手の策略にはまっているようで正直、気が引ける。しかし、理瀬を取り戻すにあたって突破口となり得るのは、口の硬そうな古川よりも、同年代でまだ気を許してくれそうな伏見の方が、可能性が高い。
だから伏見とほどほどに酒を飲んで、古川が何を考えているのか、理瀬をこの先どうしようとしているのか、あるいは俺をどう処理しようとしているのか、聞き出そうと考えている。
もちろん、出会ってすぐに何でも話せる訳ではない。今日は前哨戦というところだ。最近色々なことを考えているせいか疲れているし、たまには濃い酒でリラックスするのもいい。
「宮本さん、音楽はどんなのを聞くんですか?」
「ああ、俺、音楽はあまり聞かないんですよ。最近の歌手とかほとんどわかりません。伏見さんはどうですか?」
「意外と思われるかもしれませんけど、私、YAKUOHJIの曲が好きで」
俺は飲みかけたウイスキーを吹き出しそうになった。驚いたのを悟られないように、一呼吸置いてウイスキーを全部飲んだ。ちょうど通りかかった店員に、新しいものを注文する。
「同じやつください。ダブルで」
「あっ、私も同じシャンパン、もう一杯」
「まだ半分残ってますよ。俺と合わせなくていいですから」
「いや、でも」
「シャンパンは炭酸が効いてるから、そんなすぐ飲めないでしょう」
この女、負けず嫌いなのだろうか。男と酒量を合わせる必要なんか全くないのに。
「YAKUOHJIのどんな曲が好きなんですか?」
「えーと、基本全部好きなんですけど、半年前くらいに新井賢が歌ってた曲とか、知ってますか?」
知ってるぞ、作るの手伝ったからな。
とは言えず、俺は伏見の話を聞くことにした。伏見はかなりのYAKUOHJIファンで、ほぼすべての曲のCDを持っている、という。照子の曲は中毒性があるからなあ、という話をしたらものすごい勢いで同意していた。これまで俺の話を聞き出そうとしていた伏見だったが、YAKUOHJIの話をしている時だけは、特に何も考えず、好きなことを話しているようだった。
その間に、酒がどんどん進んだ。伏見は明らかに俺とペースを合わせていたので、心配になった俺はペースをかなり落とした。おかげで伏見のYAKUOHJIに対する持論を延々と、酒もなしに聞く羽目になった。伏見の曲に対する考察はエリートらしく理知的で的を得ていたが、照子の曲に関しては、俺が一番よく知っている。どんなに伏見の話を聞いても、その内容に感銘することはなかった。照子の曲が色々な人に愛されているとわかって、やはりあいつは天才なんだな、と再確認する機会になった。
話しながら伏見を見ていると、理瀬と似ているが、やはり細かいところは違っていた。伏見は年相応の雰囲気を身につけていた。伏見が理瀬に比べて老けている、ということではない。伏見は年相応に大人なのだ。大人というのはつまり、直感よりもこれまでの経験を大事にして、誰に対しても棘がなく、腹を探りながら近づく能力を持っている、ということだ。理瀬には、初対面の時からそういう打算的な動きがなかった。いきなり伏見と一緒にデートしろ、と言われて最初は困ったが、同年代の大人と話すだけなので、古川と話す時ほど苦労はしなかった。
あと、外見上理瀬とぜんぜん違うところがあった。胸の大きさだ。理瀬はシャツを着るとふくらみがほとんどないような胸だが、伏見の胸はかなり主張するタイプの大きさだった。途中でスーツの上着を脱ぎ、カッターシャツになった時あらためて感じた。俺はバカなので、YAKUOHJI談義に飽きると、そのきれいな胸をちらちら見ることに喜びを覚えていた。それを近くで見られるだけでも今日のデートはプラスだった。
「ちょっとお手洗い行ってきますね」
伏見がいちど席を外した。かなり飲んでいるから大丈夫かな、と俺は心配したが、一応まっすぐ歩いていた。酒を飲むとすぐダメダメになる俺の周りの女性陣とはえらい違いだ。
俺はゆっくり高級なギムレットを楽しんでいたが、伏見はなかなか帰ってこなかった。トイレまで見に行こうかと思ったが、こんな高級店で女子トイレには入れない。大学生の酔っぱらい処理ではないのだ。
伏見は一人で戻ってきた。足取りも普通だった。しかし、自分の椅子ではなく、俺の椅子に無理やり座ってきた。
急に伏見の体が迫ってきて、俺はのけぞる。伏見のカッターシャツの第一ボタンが開いていて、きれいな鎖骨が見えていた。
もう九時を回っていたので、そろそろ古川の刺客らしく、色仕掛けを始めたのだろうか?
「宮本、さん……」
「お、おう」
「……」
伏見は、寝ていた。
こいつ、酔ったら寝落ちするタイプか。
「お、おい、起きろよ」
「うーん……?」
「俺、この店の支払い、できる気がしないんだけど」
「あっ、はい」
伏見は鞄から財布を取り出し、俺に渡して、また寝始めた。
俺は悩んだ。ここに放っていく訳にはいかない。かと言ってホテルに連れ込んだら、仮に俺が何もしなくても、何かあったと思われるに違いない。酔って意識のない伏見に手を出した、なんてことが古川にバレたら最高にまずい。まさかの伏見と結婚エンドで、理瀬は取り戻せなくなってしまう。
ここから一番近いのは豊洲のタワーマンションだが、そこでも俺と伏見の二人きりなので、嫌疑はかけられる。千葉の俺のアパートは遠いし、やはり二人きり。伏見の家は、どこにあるのかわからない。
ふと俺は、肉体的な関係を疑われることなく伏見に恩を売るため、最適な方法を思いついた。悪魔的発想だったが、酒で気分が変化していることもあってか、俺はそのアイデアを実行することにした。
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