明治あやかし婚姻譚~八咫烏の花嫁~

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1巻

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「俺は八咫烏やたがらすのあやかしだ。黒い羽で空を飛ぶことができる」

 土方の言葉に、綾子は目を丸くする。
 昨日、夜空を羽ばたいていた彼の翼はやはり見間違いでも夢でもなかったのだと、納得した。
 あやかしという言葉は知ってはいたが、もちろん今まで目にしたことはない。
 幼い頃に夜更かしをしていた綾子に、母親が「早く寝ないと鬼さんが来ちゃうわよ」と言っていたぐらいだ。
 子供をしつけるための架空の存在だと思っていたのだが、まさか目の前に存在するとは。

「霊力の強いあやかしは人間と同じ姿で、ほとんどは人里離れて隠れて住んでいるが、ごく一部は人間たちに混じって生活をしている。俺も以前は山奥に隠れていたが、訳あって今はこの屋敷で悪霊退治をしている」

 土方は気怠けだるげに語る。

「俺たちあやかしは人間と違って歳を取らない。人間と共に住むと、なぜけないのか怪しまれるのが鬱陶うっとうしいからな」

 老いという普遍的な運命にある人間とは違い、けないあやかしは確かに異質だ。土方は見た目は二十代なかばの青年にしか見えないが、その落ち着いた語り口から、何百年と生きているのかもしれないと綾子は思った。
 それにしても、昨日の今日で頭が追いつかない。黒い羽で空を飛ぶ不老不死の八咫烏やたがらすのあやかしに助けられて、その屋敷に今いるなどと。 

「はいはーい、ちなみに僕はなんのあやかしでしょうか!」

 頭が混乱してきた綾子の思考を打ち消す、 明るい声。
 元気良く右手を挙げて、沖田が笑顔をこちらに向けてきた。
 当ててほしくてたまらない、という様子だ。

「ええと、私が知ってるあやかしは、河童かっぱとかぬらりひょんとかしか……」
「全っ然違うよ! じゃあ少し教えると、鼻が利く動物だよ」

 沖田は自分の鼻を指差しながら、綾子に回答を促してくる。
 薄茶色のふわふわした髪、大きな目に無邪気な性格。そして鼻がいいという特徴から、綾子は猫っぽいなと思った。

「鼻が利く? 猫……猫又のあやかし?」
「うわー惜しい! でもあんな気まぐれで適当な性格じゃないもん。俺は狛犬こまいぬだよ」

 沖田は額を押さえ、あちゃーとがっかりしていたが、問答形式のやり取りを楽しんだようだ。
 確かに言われてみれば、ころころと変わる表情や人懐っこい性格は、まるで犬のようだ。
 綾子が成程、と頷いていると、

「悪霊ってほんと、うざったくてさあ。噛みついたり引っ掻いたりして倒してたら、土方さんに見つかって、悪霊退治を手伝わないかって誘われたんだ。おかげでこんな広い屋敷で三食昼寝付き。土方さんには足向けて寝られないよね」

 沖田は手を合わせて土方にあざとく礼を言う。
 狛犬こまいぬの彼は一人で自由に過ごしていたところ、その退魔の力を土方に認められたということらしい。
 土方は片眉を上げ、呆れながら答える。

「調子のいい奴だ。……話を戻すぞ」

 すっかり沖田のおかげで緊張した雰囲気が緩んでしまった。
 置いてあった煙管きせるを長い指で掴み、ひと吸いして煙を縁側に向けて吐く土方。
 紫煙がゆらめく。

「悪霊の正体についてだ」

 低いけれどよく通る声。土方が目を伏せると、長いまつ毛が彼の頬に影を落とす。

「悪霊がなぜ生まれるのかは、まだ明らかになっていない。ただ、体や心が弱った人間に取りき、生気を吸い、取り殺してしまう悪しき存在だ」

 苦々しく言う土方の煙管きせるの煙が天井へとのぼり、綾子は昨晩納屋なやの中で見た悪霊を思い出した。
 甘い言葉をささやき、心をむしばむ黒いもや。生ぬるいきりに体を取り囲まれて、うまく頭が回らなかった。
 ぶる、と綾子は身震いをしてしまう。

「俺たちあやかしは霊力を持っているから、悪霊を撥ね返すことができる。それで俺たちには悪霊は取りかない。悪霊が狙うのは、人間だけだ」

 その言葉に綾子は驚く。
 あやかしの彼らが、恐ろしい存在に立ち向かうのは、悪霊に太刀打ちできる自信があるからなのだとわかった。

「きっと悪霊と僕らって、似たような存在なんだろうねぇ」

 霊もあやかしも妖怪ももののけも、全部同じさ、と沖田。
 実はそこかしこに密かに存在するけれども、人間からは見えない。理解し難い不思議な生き物。
 それがあやかしなのだろう。
 土方は再び煙管きせるを置くと、横に控えてあった刀を手に取った。
 黒塗りの鞘に、金細工のつばの立派な刀だ。
 両手でその刀を持ち、鞘から少しだけ抜き刃を見せる。
 その銀の刃は、青色に鈍く輝いていた。まるで宝石の瑠璃るり彷彿ほうふつとさせる美しさである。

「この退魔の刀は、研ぐ際に俺の霊力を注ぎ込んでいるため、青く光っている。悪霊を消し去るには、これで斬るのが一等効くからな」

 真っ暗な納屋なやの中、この青い刃が一閃いっせんし、悪霊を両断したことを思い出す。
 悪霊は戦慄わななき、苦しげに叫んだあと欠片も残さず消えてしまったのだ。

「だから帯刀していらっしゃるのですね」

 廃刀令が出て以降、民間人の帯刀は一切禁止されているはずだ。
 軍人や警察官のみが許され、武士などの士族はもはや所持することも許されていない。
 綾子も帯刀し戦う人を見るのは初めてだった。過去の偉人たちの戦や、切り開いてきた歴史を、なんとなく知ってはいたが。

「目立ちませんか。警察にとがめられたり」

 銃剣を持っている者は、違法だと罰せられるはずだ。
 綾子の不安げな様子に、沖田は笑って首を横に振り、土方は刀を鞘にしまう。

「十数年前、役所で流行病が蔓延まんえんした。たちの悪い悪霊が、大人数に一気に取りいたからだ」

 当時を思い出しているのか、悲惨なものだったと土方は眉をひそめる。

「隔離され死を待つ患者たちの病室で、俺はその悪霊を斬った。皆が眠りについた時を見計らったんだが、運悪く起きていた患者の一人に見られてな。翌朝、除霊されてすっかり回復した奴らに、英雄扱いされてしまった」

 大袈裟おおげさなもんだ、と土方は息をつく。

「俺が八咫烏やたがらすのあやかしだというのも、悪霊の存在も、役人たちは信じた。そしてそれ以降、いわくつきの事件や事故が頻発する場合は、悪霊の仕業じゃないかと俺に相談してくるようになった。討ちはらってくれ、とな」

 悪霊を見ることができない人間にとって、見つけ、退治できるあやかしの存在は貴重だったのだろう。彼らの助力が喉から手が出るほど欲しかったに違いない。

「その報酬に、この広い屋敷や食うに困らない賃金は保証してもらってるんだよねぇ。そんな僕たちの帯刀を怒る役人なんていないよ」

 沖田はぐるりと部屋を見回し、自慢げに笑う。
 豪勢な屋敷だ。江戸時代から何代も続く、由緒正しき名家の住むような家に彼らがいる理由がこれでわかった。
 どんなに金を積んでも、役人たちは彼らをそばに置いておきたいのだろう。
 不吉な悪霊を倒す義勇軍と、平和を維持するために彼らを囲い込むお偉いさんたち。

「本来ならば町の平和を守るはずの政府や役人たちが、得体の知れないあやかしに頼って悪霊を倒しているなど世間体せけんていが悪いから、ほとんどの一般人は俺たちの存在を知らない。だからお前があやかしの存在を知らなくても無理はない」

 唯一、悪霊にかれていた者だけがあやかしの能力を目にするが、瘴気しょうきを受けて記憶が曖昧あいまいだったりするしな、と土方が続けた。

「そう、僕たちは人知れず人間を救う、正義のあやかし新選組ってわけさ!」

 けらけらと笑う沖田と、腕を組み目を細める土方。
 綾子にとって、彼らはとても頼り甲斐がいがある存在に思え、頬が自然とほころぶ。
 しかし一方で、疑問も浮かぶ。 
 土方が語った悪霊とあやかしの説明の中で、唯一せなかった部分。

「あの」

 綾子は、つい言葉が出てしまったことに焦り、言おうか悩んだが、二人の視線が自分に向いたので、膝の上に置いた手をもじもじと動かしながら、尋ねてみた。

「悪霊はあやかしに取りくことはないのでしょう? ではなぜ土方様も沖田様も、退魔の刀を振るっているのですか」

 綾子の問いに、土方が怪訝けげんそうに聞き返す。

「どういう意味だ」
「人間が死ぬのなど、放っておけばいいではないですか」

 だってあなたたちは、あやかしなのだから。
 何百年も生きるあやかしたちにとって、数えきれないほど存在する人間が生きようが死のうが、どうでもいいはずだ。
 悪霊と戦い、自らが傷つく危険をおかしてまで、人助けをするなんてなぜなのだろう。
 綾子の台詞せりふに、土方と沖田は一瞬言葉を失って顔を見合わせていたが、

「あはは、確かに!」

 たまらず噴き出した沖田が、けらけらと笑い声をあげた。
 素晴らしい行いだと褒めるわけでもなく、人間を助けてくれてありがとうと感謝するわけでもなく。
 自分と違う存在を、どうして救うのかを不思議に思う、綾子のある種の冷静さに驚いたようだった。
 親族にしいたげられ、納屋なやで暮らし、自分が生き抜くために他人など構っていられない生活を送ってきた綾子にとっては、人のために善行を重ねる彼らが遠く感じられたのだった。
 綾子のまっすぐな疑問に、沖田はいとも簡単に答える。

「単純な理由さ。優しいんだよ、土方さんは」

 ひとしきり笑い終わった沖田が愉快そうに言い、土方の肩を小突いた。
 ばつが悪そうな土方は口をへの字に曲げて腕を組む。

「……揶揄からかうなよ」

 土方は頭を掻き呟いた。もしかしたら照れ隠しなのかもしれない。
 そんな彼を見て、きっと心根の優しい人なのだろうと、綾子はほっと唇を緩めた。
 この人たちなら信じられるかも、と胸を撫で下ろす。

「おやぁ、お嬢さんがいてはりますなぁ」

 三人の会話が落ち着いた時、新たな声が聞こえてきた。
 ふすまを開けて立っている青年は、普段男だらけの屋敷に女がいることに驚いたらしい。
 色白で細目、細身ですらりと背が高く、藍色あいいろの羽織にはかまを着ている。
 そしてその腰には土方や沖田と同じく刀を差しているので、彼も特別に帯刀を許されている、この「あやかし新選組」の一味なのかもしれない。
 その男はずんずんと遠慮なく和室に足を踏み入れると、無造作にしゃがみ込み、正座している綾子の顔をまじまじと眺める。

「へぇ」

 気の抜けた声をあげ、綾子の髪や目、うなじや肩回りを見たあと、にこりと笑う。

「可愛らしいねぇ。お兄さんと遊んでくれません?」
「えっ?」

 このあたりでは珍しい京言葉を使う青年になんと返事をしていいかわからず、綾子が慌てていると、土方がため息をついた。

「気をつけろ。そいつは大層な女たらしだ」

 座椅子に肘をつき、しっし、と手を払う。

「ひどいなぁ土方さん。そないなことないですよ」
「どうせ昨晩も花街にでも行っていたんでしょ、斎藤さいとうさん。白粉おしろいの匂いが服についてるよ」

 土方に愛想笑いをしていたが、沖田の鼻は誤魔化せなかったようだ。
 男はどうやら朝帰りらしい。沖田が口を尖らしているが、どこ吹く風だ。

「いけずな狛犬こまいぬちゃんやなぁ。ほんま鼻だけはいいんやから。鼻だけは」

 斎藤と呼ばれた男は、笑みを浮かべたまま沖田の鼻を摘んでひねる。

「いててて! やめろよ!」

 大きい声をあげる沖田と、意地悪な笑みを浮かべる斎藤。
 二人はどうやら仲が良いようで、このようなじゃれ合いを普段からしているのが窺えた。

「あれ、綾子ちゃんが笑ってる!」

 摘まれて赤くなった鼻をさすっていた沖田が、綾子のことを指差したので三人の視線がこちらへ向いた。

「あ……」

 自分でも笑ったことに気がつかなかった。仲睦なかむつまじい様子を見て、思わず笑みがこぼれてしまったのだ。
 ずっと真剣な顔をしていた綾子の不意の笑顔に、土方も興味深そうにしていた。
 沖田と向き合っていた斎藤は綾子の方を向き、照れている彼女に微笑みかける。

「ほんまに愛らしいお嬢さんやな。僕は斎藤と呼ばれております。ひとつよしなに」

 斎藤と名乗った細目の青年は、笑うと目がなくなるのが特徴的だった。

「よろしくお願いします。新選組の斎藤はじめ様からとって呼ばれているんですか?」

 綾子が挨拶をして尋ねる。

「そやねん。飄々ひょうひょうとしているところが似てるねんて。それより僕らのことよう知ってはりますな。彼女、土方さんのこれですか?」

 斎藤は小指を立てて土方にかざすが、土方は首を横に振る。恋仲なのかと聞いたのだろう。

「僕は妖狐のあやかしやねん。人に化けるのがうまいんやで。よろしゅうね」

 あやかしだということを隠しもせず、斎藤はにんまりと笑う。

「お腹減りましたなぁ。お客さんもいることやし、蕎麦そばの出前頼みましょや、土方さん」

 朝食を食べ損ねたと、斎藤は帰ってきて早々に昼飯の算段をしてるようだ。

「勝手にしろ」

 土方も蕎麦そばは嫌いではないのか、任せるようだ。

「はーい、じゃあ俺ひとっ走りして注文してくるよ」
「僕きつね蕎麦そばにしてや。冷やしで天かすもたくさんつけてもろて」
「注文が細かいな、きつね蕎麦そばって共食いじゃん」

 じゃあお前もついてこいとか、天ぷらもつけようかとか、狛犬こまいぬの沖田と妖狐の斎藤は二人でまた仲良くめ出した。
 土方はやれやれ、とため息をつくと立ち上がる。
 縁側に向かい、よく手入れのされた庭を眺めながら、その広い背中を柱に預けて腕を組んでいた。
 寡黙な彼はそこが定位置だとでもいうように落ち着き払っていて、庭の新緑も相まってとても風情ふぜいがある。
 綾子も立ち上がり、そっと縁側へと向かう。
 悪霊とあやかしの正体。役人から命じられてかたきを討つ新選組のこと。
 多くの情報が頭の中に流れ込み、綾子は落ち着くために庭を見ながら大きく息を吸った。
 新緑の香りが心をいやしてくれるようだった。

「素敵なお庭ですね」

 ありふれた何の変哲もない庭なのだが、屋敷では下働きをし、薄汚い納屋なやで長年過ごしてきた綾子にとっては、葉をらす朝露も、小鳥のさえずりも、全てが特別美しく感じる。
 土方は、ああ、と小さく相槌あいづちを打ち、しばらく綾子と共に庭の石畳や松の木を見ていた。

「悪霊の障気に当てられて、まだ体がしんどいだろう。気にせず、ここで数日休養していけばいい。本調子に戻ったら家まで送ろう」

 土方の一つに結った長い黒髪が、風に揺れる。
 綾子の体を一番に考えてくれている土方に感謝を感じるも、

「……私に、帰る家など」

 ぽつり、と本音がれてしまった。
 しまった、と思い綾子は慌てて口をつぐむけれど、庭を見ていた土方の目がこちらを向いた。
 罵声ばせいを浴びせられ、恐れられ、自分の居場所などない家に、もはや戻りたくはない。
 しかし命を助けてもらった恩人に、これ以上の負担をかけるわけにもいかない。
 ここにいさせてくださいなんて、みすぼらしく、みっともないことを言ってはいけないのだ。
 綾子は気持ちを抑えるため、両手の拳を握り締めた。
 土方は綾子の気持ちを推し量るように横顔を見つめていたが、しばらくして一歩近づいてきた。
 ぎし、と床の間がきしむ。

「昨日言ったが」

 切れ長の目は、綾子の瞳を射貫くように見つめてくる。

「お前のその目は、『月光の瞳』。悪霊を見つけ、呼び寄せることができる稀有けうなものだ」

 普通の人間には悪霊は見ることはできない。
 だというのに、綾子は幼い頃から黒い影を見ることができた。
 疫病神と呼ばれさげすまれる原因となったこの目に、そんな美しい名前がついているなんて、皮肉なものだ。

「俺は長年生きてきて、その目を持っている者を一人しか知らない。お前が二人目だ。俺たちはその力を持つ者を『月光の神子みこ』と呼んでいる。神から与えられた特別な瞳だ」

 確かに、黒い影を見ることができる者など周りに誰一人としていなかった。

「ずっと探していた。月光の神子みこよ」

 土方のりんとした低い声は、すさんだ心によく通る。
 自分が特別な存在だと言われたのが、少なからず嬉しかった。

「なぜ、探していたのですか」

 綾子の問いに、土方は珍しくふっと笑みをらした。

「俺は悪霊を斬るのは得意だが、探すのが苦手でな」

 脇に差した刀の柄に手を添えながら、自虐的に笑う。

「病魔におかされている人の元に行っても、本当にただの病の場合もある。そしてそこで足止めされている間に、違う村では悪霊にかれひっそりと死人が出ていたりする」

 確かに、死は人間として生まれた以上は普遍的に訪れるもので、全てが悪霊の仕業というわけはないだろう。寿命や老衰で天命をまっとうする人の方が、本来は多いはずだ。
 悪霊を討つ依頼をされても、肩透かしを食らうこともあるのかもしれない。

「ずっと探していたが、まさか下働きをさせられていたなんてな。どおりで長年見つからないわけだ」

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