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スイートバジルに旗を掲げて 前
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その街は、クレヨンを縦に並べたような、細長い家と路で出来ていた。
住人の大半が店を開き、旅人や商人を相手に商いをする。住人同士の会話は少なく、肩が触れ合えば舌打ちが飛び、郵便屋が掲示板の前で立ち止まるまでに、一角で喧嘩が始まった。
街は綺麗なのに、皆が皆、相手を受け入れていない。
「刺々しい街だね」と郵便屋は呟いて、掲示板を見上げる。
郵便屋の配達はいつも、文字から始まる。
メモの一枚から片手で持てるものまで、文字を記したものがあればなんでも、片道一金に見合う対価で引き受ける。配達依頼は、直接、あるいは間接的に引き受ける。後者の例でいえば、街の掲示板に張り出された依頼がそうだ。お国の方針で統一されているところもあれば、必要に応じて住人が創り上げたところもあり、要するに、後者の方が依頼を見つけることが難しい。
郵便屋は、草臥れた外套を片腕に、紺色の帽子を被り直した。
黒髪が郵便屋の健康な肌に掛かる。
「ディセ。君は文字が読めるのだっけ?」
「はい」
手紙を運ぶから、郵便屋だ。送り主の住所や名前を、これまでにも沢山読み解いてきたというのに、郵便屋はおかしな事を聞く。
「掲示板の文字が読めませんか?」
「ううん。書いた方がね」
どうにも話が噛み合わない。頭二つ分は上の位置にある郵便屋の顔を見上げて、首を傾げた。
アルファベットで書かれた以来の中に、一つだけ、文字がヘンテコなものがある。
『ボクは テガミ 届ける 助けて』
主語と名詞ばかりの異様な張り紙を、郵便屋はピッと引き剥がした。手袋越しに紙をなぞり、顎に手を当てる。
こうなると、先は見えたも同然だ。
少しの間、郵便屋の横顔を見守っていると、案の定、にまりと微笑んだ顔がこちらを向いた。
「新しい詩が始まるよ。ディセ」
吟遊詩人の紡ぐ記録を、郵便屋はよくそう呼ぶ。
僕たち吟遊詩人は、白紙を束ねて出来た人形だ。
この世界には地図がなく、国も街も生き物も、全ての存在が曖昧で、僕たちはその曖昧を形にするために生み出された。
僕たちの見た目は、人間と似ている。ベレー帽に、マントに服に靴。金髪か銀髪か、瞳の宝石はどれにするかは妖精たちの気まぐれで、郵便屋を主人とする僕には、銀髪が与えられた。
僕たちが『何か』と旅する理由は、ただ一つ。
白紙ではない、書物となるためだけ。
「ディセ、見てごらん。風船が木に引っかかってる」
僕たち吟遊詩人に個性はないけれど、固有の名はある。ディセと呼ばれるその時だけ、『僕たち』から『僕』だけが切り離された。
郵便屋の人差し指の先に、赤い風船がある。ぷかぷかと空へ飛びたそうに浮かんでいた。
「風船」
「そう。誰かが飛ばしてしまったのかも……あの子かな」
郵便屋はよく、因果の糸を結ぶ。辺りを見渡して、通り過ぎる人間のどれかに目を付ける。生活用品と配達の荷を詰めた鞄をよいしょと背中側に回して、歩き出す。
「よっと」
その時だった。僕と郵便屋に、大きな影が被さる。
振り返った時には、大きくて骨のように細い人間が、片手で木にぶら下がっている。彼は空いた片手で風船の紐を外すと、ボールが弾むようにポンと地面に降り立った。
「おーい」
郵便屋が向かった方へ、彼も進む。さっきの郵便屋のように首を巡らせていた小さな人間に、風船を渡す。
「……どうやら、私の出番は必要なさそうだ」
不思議なことに、郵便屋は笑ってそう言った。
僕たちには、人間の喜怒哀楽はちょっと難しい。顔や目、口を見れば分かるわ、と妖精は教えてくれたけれど、それは叡智に満ちた妖精だからだと思う。
僕たちには、体が大きいかどうかや、どんな服を着ているかといった形でしか区別が付かない。
この大きな人間は、それで言うと薄茶色の、袋みたいな服を着ていた。汚れや痛み具合は郵便屋と並ぶ。果物の香りが、郵便屋との違いだ。
「さ、依頼人のところに行こうか」
「おーい! アンタら、さっき風船見つけてくれた人だろう?」
重なったのは、人間の声だ。騒がしい足音が、石畳の上に砂埃を撒き散らし、近付いて来る。
「ありがとなあ。オレも、アンタらが上を見なきゃ気付かなかった!」
「いやいや。君も、すごいジャンプ力だ」
「へへっ、そうかい。ありがとよ」
大きな口を三日月に歪ませて、彼は言った。鼻の下を擦ったせいで、顔が黒く汚れていく。指先が泥で汚れているようだ。
郵便屋が静かな人間なら、大きな人間は動く人間だ。ネズミが小刻みに動くような、そんな姿を彷彿とさせる。
「あっ、それ、オレの紙だ」
ひとしきり笑った後、その人間は郵便屋の手元に気付き、肩を揺らす。
「これは、君の依頼かい?」
「ああ! 郵便屋なら、頼めると思って!」
その人間は、そうかあ、と首や顎をしきりに触り、顔を赤らめた。
「オレの代わりに、手紙を書いて、届けてくれねえかな?」
住人の大半が店を開き、旅人や商人を相手に商いをする。住人同士の会話は少なく、肩が触れ合えば舌打ちが飛び、郵便屋が掲示板の前で立ち止まるまでに、一角で喧嘩が始まった。
街は綺麗なのに、皆が皆、相手を受け入れていない。
「刺々しい街だね」と郵便屋は呟いて、掲示板を見上げる。
郵便屋の配達はいつも、文字から始まる。
メモの一枚から片手で持てるものまで、文字を記したものがあればなんでも、片道一金に見合う対価で引き受ける。配達依頼は、直接、あるいは間接的に引き受ける。後者の例でいえば、街の掲示板に張り出された依頼がそうだ。お国の方針で統一されているところもあれば、必要に応じて住人が創り上げたところもあり、要するに、後者の方が依頼を見つけることが難しい。
郵便屋は、草臥れた外套を片腕に、紺色の帽子を被り直した。
黒髪が郵便屋の健康な肌に掛かる。
「ディセ。君は文字が読めるのだっけ?」
「はい」
手紙を運ぶから、郵便屋だ。送り主の住所や名前を、これまでにも沢山読み解いてきたというのに、郵便屋はおかしな事を聞く。
「掲示板の文字が読めませんか?」
「ううん。書いた方がね」
どうにも話が噛み合わない。頭二つ分は上の位置にある郵便屋の顔を見上げて、首を傾げた。
アルファベットで書かれた以来の中に、一つだけ、文字がヘンテコなものがある。
『ボクは テガミ 届ける 助けて』
主語と名詞ばかりの異様な張り紙を、郵便屋はピッと引き剥がした。手袋越しに紙をなぞり、顎に手を当てる。
こうなると、先は見えたも同然だ。
少しの間、郵便屋の横顔を見守っていると、案の定、にまりと微笑んだ顔がこちらを向いた。
「新しい詩が始まるよ。ディセ」
吟遊詩人の紡ぐ記録を、郵便屋はよくそう呼ぶ。
僕たち吟遊詩人は、白紙を束ねて出来た人形だ。
この世界には地図がなく、国も街も生き物も、全ての存在が曖昧で、僕たちはその曖昧を形にするために生み出された。
僕たちの見た目は、人間と似ている。ベレー帽に、マントに服に靴。金髪か銀髪か、瞳の宝石はどれにするかは妖精たちの気まぐれで、郵便屋を主人とする僕には、銀髪が与えられた。
僕たちが『何か』と旅する理由は、ただ一つ。
白紙ではない、書物となるためだけ。
「ディセ、見てごらん。風船が木に引っかかってる」
僕たち吟遊詩人に個性はないけれど、固有の名はある。ディセと呼ばれるその時だけ、『僕たち』から『僕』だけが切り離された。
郵便屋の人差し指の先に、赤い風船がある。ぷかぷかと空へ飛びたそうに浮かんでいた。
「風船」
「そう。誰かが飛ばしてしまったのかも……あの子かな」
郵便屋はよく、因果の糸を結ぶ。辺りを見渡して、通り過ぎる人間のどれかに目を付ける。生活用品と配達の荷を詰めた鞄をよいしょと背中側に回して、歩き出す。
「よっと」
その時だった。僕と郵便屋に、大きな影が被さる。
振り返った時には、大きくて骨のように細い人間が、片手で木にぶら下がっている。彼は空いた片手で風船の紐を外すと、ボールが弾むようにポンと地面に降り立った。
「おーい」
郵便屋が向かった方へ、彼も進む。さっきの郵便屋のように首を巡らせていた小さな人間に、風船を渡す。
「……どうやら、私の出番は必要なさそうだ」
不思議なことに、郵便屋は笑ってそう言った。
僕たちには、人間の喜怒哀楽はちょっと難しい。顔や目、口を見れば分かるわ、と妖精は教えてくれたけれど、それは叡智に満ちた妖精だからだと思う。
僕たちには、体が大きいかどうかや、どんな服を着ているかといった形でしか区別が付かない。
この大きな人間は、それで言うと薄茶色の、袋みたいな服を着ていた。汚れや痛み具合は郵便屋と並ぶ。果物の香りが、郵便屋との違いだ。
「さ、依頼人のところに行こうか」
「おーい! アンタら、さっき風船見つけてくれた人だろう?」
重なったのは、人間の声だ。騒がしい足音が、石畳の上に砂埃を撒き散らし、近付いて来る。
「ありがとなあ。オレも、アンタらが上を見なきゃ気付かなかった!」
「いやいや。君も、すごいジャンプ力だ」
「へへっ、そうかい。ありがとよ」
大きな口を三日月に歪ませて、彼は言った。鼻の下を擦ったせいで、顔が黒く汚れていく。指先が泥で汚れているようだ。
郵便屋が静かな人間なら、大きな人間は動く人間だ。ネズミが小刻みに動くような、そんな姿を彷彿とさせる。
「あっ、それ、オレの紙だ」
ひとしきり笑った後、その人間は郵便屋の手元に気付き、肩を揺らす。
「これは、君の依頼かい?」
「ああ! 郵便屋なら、頼めると思って!」
その人間は、そうかあ、と首や顎をしきりに触り、顔を赤らめた。
「オレの代わりに、手紙を書いて、届けてくれねえかな?」
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