a letter from anywhere

もりえつりんご

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スイートバジルに旗を掲げて 中

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 大きな人間の名前は、フィリックスといった。姓はなく、幼い頃にこの街に移り住んできたという。
 フィリックスは街外れの農園で果実を育て、この街でそれらを売って生活を営んでいる。さっきも、全ての果物が売れた後、家に帰る途中だったんだ、とフィリックスははにかむ。
 掲示板から見て二つ目の角を右に曲がり、そこからさらに一つ左に曲がったところの黄緑色の家が、彼の家だと紹介された。
 白い傘を広げたようなカルミアの花が壁を彩り、通りの先に咲く桜の香りが三人を優しく迎える。

「どーぞどうぞ。父ちゃんも母ちゃんも居なくなって、広いくらいなんで」

 そう言って、フィリックスは棚からティーカップを二つ取り出し、茶を注ぐ。縁が少し、欠けていた。

「フィリックス。持て成されても、代わりに手紙は書かないよ」

 郵便屋は入り口に立ったまま、片手を挙げる。よくあることだ。
 郵便屋は、素直に依頼を受けない。
 フィリックスは苦笑いのまま、言葉を返さない。代わりに、手紙を届けたい相手のことを、話し始めた。
 フィリックスが手紙を届けたい相手は、隣町に引っ越してしまった妹・ゾーイ。
 彼女が引っ越した理由を、フィリックスは「嫁ぎにいった」と語っていた。商いの折に出会った青年に見初められて、その彼が隣町に住んでいたから。農園での仕事は彼女には大変そうだったから、ちょうど良いといって賛成して、フィリックスはゾーイと離れて生きる道を選んだ。
 郵便屋は何も言わず、縦枠に寄り掛かかるだけだった。

「妹が、手紙をくれたんだ。オレは学が無えから、なんて書いてあるのか読めないけど、誰かが代わりに書いてくれたんだと思う。そいつにも礼を言わなきゃと思って」

 経年劣化で角が丸くなったテーブルに、コトリコトンとカップを置き、フィリックスは短い髪を撫で付ける。しわくちゃになった紙切れを持ち上げて、フィリックスは郵便屋に押し付けた。

「なあ、頼めねえかな。ありがとな、元気に頑張れよ、って伝えてえだけなんだ」
「申し訳ないけど、手紙や渡すものがないなら、依頼は受けられない。誰かに頼んだ方がいい」

 フィリックスの手を離れ、郵便屋にも拾われなかった紙切れが、なににも引っ掛かることなく足下に落ちていく。
 呼吸のように文字を書くぼくたちと、同じ。
 伝えるために書かれた言葉が、路地裏に差し込む光を受ける。

『私にできる仕事を教わりました。にいさんも、どうかお元気で』

 綺麗なアルファベットが伝えたかったものが何かは分からなくても、文字は言葉として、僕たちに記憶される。
 言葉を紡がない郵便屋は、手紙には一目もくれず、フィリックスを見上げていた。
 怒っているように顔をしかめて、フィリックスは郵便屋の両肩を掴む。土で汚れた手が、擦り切れた紺色の上着に染みを付けた。

「困るんだ。なんとかして、やっとここまで来たのに」
「……フィリックス。郵便屋ができるのは、言葉を伝えることじゃない」

 まっすぐ視線を返して、郵便屋は淡々と告げる。

「運ぶだけだ。伝えるのも、考えるのも、受け止めるのも、誤魔化すのも、全部君しかできない」

 手を払い、背中を向ける。縋るように手を伸ばしたフィリックスは、少しの間、時を止めた。
 僕を見遣る。じっと見上げる。
 頭を抱えるかと思われた両手が、ぱん、とフィリックスの顔を叩いた。
 動き出す。

「オレが、手紙を書き上げるまで、待ってくれるか?」

 帽子の影になった瞳には、何が見えているのか。僕の見上げる先には空白しかない。

「……引き受けよう。隣街のゾーイに、君の手紙を届けると」

 声が文字に、詩が僕の中に生まれていく。
 僕には影、フィリックスには光が分かれるように、郵便屋は姿勢を正した。
 

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