虹の向こうへ

もりえつりんご

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第2章

所変わりて異常は変わらず

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 聖光国には四つの州が存在する。
 大陸の南側に縦に並び、碧南へきなん州はそのうちの南西側に位置する。州の中では最も土地面積が広く、王都からの距離も州の中では最短。人口の多さと文化的に発展していたことから歴史的にも重要な位置を占めている。
 この州こそ、国の始まり。青家が最初に統治を果たした土地だ。
 気候は大陸の中でも穏やかな方。国の大半が二季で巡る中、この州には必ず四季が訪れた。他三つの州にも四季は訪れるものの、移ろい方は年によって異なり、風や山脈の影響もあって乾燥地域が多い。一定の周期で季節が変わる碧南州は、やはり特別だ。
 空、山、風、大地に愛される彩り溢れる場所。
 北の五地区に住まう誰もが共有するのは、羨望だ。
 厳しい冬もなく、備蓄に困ることも少ない。菜食に富み、蜂蜜や砂糖、香辛料の栽培も盛んで今もなお聖光国の食文化の発展と最先端を担う。王族派にとっても教会派にとっても重視される理由はそこにある。
 だからこそ、第二王子こと青琉玖が継承権を得、その州都を任されたことは様々憶測を呼んだ。
 紫亜からの期待は絶大と誰もが疑わなかったし、王都の移動を噂するほど民衆は色めき立った。
 そもそも、現在王都が北にあるのは、青家の統治する地区だったからに過ぎない。統合前の戦争で痛手を負った青家にとって、大規模な移動は避けざるを得なかったのだろうと言われている。
 統治者である紫亜は妻のロズに南地区と州の監視を任せ、自身の兄弟や配下だった貴族を州の統治者として派遣した。
 碧南州は紫亜の実弟が派遣された先だ。琉玖はその実子、基盤は十分過ぎるほどに整っていた。
 次期国王となるかもしれない若者に媚びを売る者は多い。今の内に良い関係を築いておけば、いずれ王族の一員となれるかもしれない。誰もがそう考え、多くは琉玖の下に就く道を選んだ。
 無論、配下としてではなく、あくまで対等な立場を彼らは望んだ。
 関係を結ぶ上で都合の良い手段は、交友と婚姻だ。
 琉玖は当時二十歳で、夜会にも数える程しか参加したことのない初心な若者だった。交友関係も都立の学園を出たきりで狭く、なにより学園にいたときから彼は女性との縁を全くと言って良いほど持ち合わせていなかった。
 外見も実力も、家柄も十分とくれば、貴族たちがこぞって娘を見合いに出すのも頷けるというもの。女性遍歴も無に等しいとなれば、先手を打つが勝ちだ。年齢も相まって、最初に射止めた女性が未来の王妃となる可能性が高い。
 故に、一年が経った今もなお、琉玖の手元には何十枚もの見合いの申し込みと贈り物が届くのだ。

「はあ……」

 もう何度目になるかもわからない。馬車に揺られながら見合いの手紙に目を通していた琉玖は、額を押さえて項垂れた。肩に垂らしていた髪飾りが動きに合わせて揺れる。

「どうなされた? 琉玖様」

 真向かいに座る彼よりも小柄の少女が、楽しそうに小首を傾げる。

「どうしたもこうしたもない」

 少女の問いに、彼は整えていた前髪を片手でくしゃりと崩す。
 見た目は、芝蘭と似ても似つかない。
 栗色の髪は眉にかかる程度で切りそろえられ、襟足は短い。両耳には瞳の色と同じ紫水晶のピアスをつけ、母親譲りの顔立ちを一層際立たせる。
 首元から覗く肌は健康的で、馬車の椅子に余りある長い脚から長身が窺えた。
 夜会のために繕った衣装は髪色に合わせて淡色で揃えられ、胸元を飾る宝珠は全て紅玉。髪留めの末端は瑠璃色の宝石で留められ、誰もが皆一目で彼が第二王子であることが分かるようになっていた。

「俺は女性が苦手だというのに、どうして誰も考慮しない」

 魔石を加工した指輪が四指の甲で光る。きらりと室内光に反射するそれを片手で覆うように手を組むと、琉玖は付き人である少女に愚痴を零した。脚組みをしないのは彼の真面目さ故だ。

「貴族の嫡男は結婚するものと、誰もが信じて疑わないからですな」

 これだけ目立つ第二王子が女性を苦手とするなど誰が言い漏らすというのか。事情を把握している彼女は、素知らぬ振りで応じる。

「面倒くさい仕来りだ……」
「そう言いなさるな」

 姉のようにゆるりと応じる仕草で、碧がかった黒髪が日に焼けた肌の上を滑る。法衣は琉玖に合わせて白を基調にし、飾り紐は紅に準ずる紫紺。耳朶を飾る宝珠は真珠で作られ、先端が髪に編み込まれている。
 見た目は十五・六の少女だが、彼女は少なくとも琉玖の三倍は生きていた。種族が、違うのだ。

「私が其方達と交わるようになって七十年経つが、どの種族の人間も、それ相応の年齢になると誰かを想い、愛を誓ったものじゃ」
「そうでないものも少なくはない。現に、青家の分家や騎士達は独身の者も多いと聞く」

 袖口に隠していた扇子を開き、少女は口元を隠す。
 その目は鋭く、どこか揶揄する色を帯びていた。

「彼らは誰かと出会った上でひとりを選んでいるのかもしれませんぞ」
「またお前は意地の悪いことを……。季翼キヨク、お前は誰の味方だ」

 耳に痛い思いで言い返せば、彼女は呵呵と笑う。
 今の所、琉玖にとってそういう人物は自分しかいないことを彼女はよく理解していた。

「琉玖様に恋は難しそうじゃの」
「構わん。そんなもの、俺には必要ない」
「ホホ、分かりませんぞ」

 頬杖をついて溜息をついた琉玖に、季翼は急に真面目な顔になって扇子を閉じた。
 横目で伺えば、妖艶な微笑みが返される。

「行先がどう転ぶかなど誰にも……況してや己にすら予測が立てられぬものよの」

 年の功か、確かな自信を持った言葉に琉玖はそれ以上の反論を控えた。
 馬車の揺れが少なくなる。貴族の敷地内に入ったのだろう、窓の外からもちらほらと光が見え始めた。
 新年になって初めて参加する夜会。企画者は顔見知りの友人で、連絡を受けた当時は参加しないと断った夜会だった。
 しかし、先週、第一王子が継承権を得たとの知らせが入った。一番に候補者となった琉玖としては、これ以上候補者が増えることは喜ばしくない。
 なにより、三番目にして第一王子が指定王位継承権を得たことが、彼を焦らせた。
 第一王子は紫亜の実子だ。これまで彼が蔑ろにされてきた経緯は、王族なら誰もが知っている事実。けれど、それすら紫亜のまやかしであったのではという疑いも出て来た。
 それに、不穏な話もある。他種族の集団による貴族を誘拐。王都にまでは噂が流れていないことは調査済みで、だからこそ今が琉玖にとって好機だった。
 先手を打って置けば、第一王子の話より琉玖への注目が高まり、評価も一層高くなるはず。
 焦りを次の一歩へ。他の候補者よりも先に進む。
 次期国王となるべく、琉玖は誰よりも目立つ必要があった。

「いずれにしろ、何事もないのが一番だな……」

 余計な詮索を避けつつ旧交を温め、かつ、情報を得る。
 目立つにしても、時と場を弁えて有効活用するというのが琉玖のやり方だ。女性が多く集まる場に長く居座るつもりもなし、用が終われば折を見て帰るつもりである。

「いやあしかし、これから楽しみだのう。ルーカス卿主催の夜会もあることじゃしの」

 馬車の速度が落ちていく。あと少しで到着だと分かっていて話を持ち出すのだから、彼女には困ったものだ。琉玖は吐息に感心の色を混ぜ、背凭れに深く上体を預けた。
 来週、ルーカス家の令嬢が夜会を開く。
 彼女はこれまで第一王子の従者を務めていたが、なにやらあの王子でも庇えないような事をしでかしたようで、女王の侍女に役職を変更されたらしい。適齢期でもあったことから、節目として婚約の話でも持ち上がったのだろう。今回の夜会は、婚約披露と出会いの場を提供することが目的と聞いている。
 ところが、噂によれば、最近評判の舞踊集団を招いて客人を持て成すらしい。
 差別化をはじめたことで生まれた、芸だけを仕込まれた他種族の集団。
 どういう経緯でその集団が生まれ、貴族の間で流行り出したのかは不明だが、要となった人物が現国王と懇意らしいとの情報があった。
 件の誘拐話は、舞踊集団が動き始めたのと時期を同じくしている。疑わないほうが難しいというもの、だが、舞踊集団は益々貴族の夜会に招かれるようになり人気を博している。
 事件と全く関係が無いとわかっているから、そのように出回るのかもしれない。けれど、確たる証拠が判明しているわけでもない。
 琉玖が探りをいれるうちにわかったことには、噂を知っている層と知らない層とで明確な区別がなされていることだ。主に噂を知るのは、上流貴族。中流以下の貴族達の耳にはそもそも噂が入らないよう情報操作が為されている。

「……嫌な話だ」

 考えられるのは、被害を受けた貴族達が表沙汰にできない理由を抱えていることだ。それを突いた誘拐なら、後ろ暗いことのない貴族達には話すら回らない。国王との話が本当ならば、非人道的な行為が正当化されていることと変わらない。
 それを正すために琉玖は動こうとしている。最も困るのが、彼の近親者である第一王子と王妃だとわかっていても。

「次期国王となるのはそなたじゃ。くれぐれも、ご容赦はなさらぬよう」

 念に念を押す彼女の言葉が、琉玖の覚悟を促す。

「分かっている。基音も誕生した今、内部を先に固めなければ」

 馬車が止まり、扉が開いたことを理由に琉玖は話を切り上げた。漆塗りの床を踏んで、用意された段を降りると従者から上着を肩に掛けられた。
 白い息が、途切れ途切れに夜空へ消える。
 寒さはまだ続くが、この土地に春が来ないわけではない。
 少なくとも、北よりは冬が早く終わる。

「……分かっている」

 邸を見上げ、静かに繰り返す。琉玖が動くことで誰かの努力が踏みにじられることは明白だった。それでも、憐れむ弱さを自分に認めてはならない。
 立候補を申し出た時から、分かっていたことだ。
 そして、夜明けを望むその瞳が閃光で焼かれたのは、ほんの一瞬のことだった。

「ッ何事だ!?」

 まともに光を直視したせいで、視界が眩む。
 背後に小さな手が触れ、平衡感覚を失った琉玖の体を支えた。

「馬車から離れるのじゃ!」

 季翼の叫びが響くと同時に、轟音が鳴り響いた。
 ぐらりと世界が傾く。視界ではない、体勢を崩したのだ。暗闇の中、膝を着けばどうやら地面が揺れているらしいとわかる。
 ざわざわと木々が悲鳴をあげ、馬が嘶く。

「地揺れだ!」

 誰かの叫びが聞こえるや、一層強い揺れが彼らを襲った。
 遠い場所で扉が開く。先に到着していた若者達だ。
 海沿い出身なら地震を知る者もいただろうに、生憎と今回呼ばれた貴族たちは山沿いに住む者がほとんどだ。彼らにとって、地が揺れることは天変地異に等しい。
 揺れの激しさも相まって、声が押し合い、埋もれ、悲鳴が連鎖する。

「琉玖様! こちらへ!」
「く、」

 チカチカと色が散乱する視界の中、季翼に導かれて道の端へ急ぐ。助けなければと思うのに、まだ動けない。
 永い時間に思われた地震は、ある一拍を置くとともに震えを止めた。
 空気の震えも止まり、若者たちの逃げ惑う声が大きくなる。馬の悲鳴と蹄の音が紛れて聞こえた。

「遅れてやってきた貴族がいたようですな」

 状況を説明しながら、季翼が魔法で琉玖の視界を回復させる。
 ようやっと開けた視界に立ち眩みを覚えながら、琉玖は大勢が音の先へ視線を向けた。
 紺色一色に染まった馬車が暴れている。教会所属の貴族だろう、白馬が二頭、先程の揺れに怯えたらしく馭者の誘導に反発している。
 このままでは集団に突入し兼ねない。

「落ち着いて、男性は女性を手伝って中へ!」

 主賓を探しながら近くの若者に言いつける。彼らは琉玖の顔を見てぎょっと姿勢を正し、あたふたと女性の支持に回っていった。
 揺れは収まっても、気の動転した者は多い。馭者が馬を落ち着かせようと声をかけるが、自然の脅威に晒され、大勢の人間を前にした馬は興奮が冷めず気が立っているようだ。

「馬車から離れろ。怪我人は近くの者に助けを頼むように」

 季翼に視線で合図し、邸までの動線を確保させる。
 琉玖が集団を抜けて進めば、ちょうど馬が向かってくるところに鉢合わせた。

「お下がりください!」
「しっかり手綱を握っていろ」

 琉玖の身を案じる馭者に声を掛け、宙に手を翳す。文字式が円形に現れ、馬の足下からも同様の魔法陣が光り始める。光に照らされるや、暴れていた馬が速度を落としていく。

「……いい子だ」

 琉玖の手前まで小走りに進むと、その手のひらに鼻筋を撫でられ、馬がゆっくりと膝を折っていく。次第に項垂れていく彼らの様子を見守って、琉玖は馭者を見上げる。

「眠らせた。うまく効いたらしい」

 忽ち、歓声と拍手が起こる。
 先ほどの魔法は、本来人間に影響するものだ。近くで魔法を眺めていた者が、落ち着きを取り戻して安堵の表情を浮かべる。
 歓声の中、馭者が台から降り、琉玖の前に膝をついた。

「感謝の言葉もございません!」
「構わない。それより、主人は無事か」
「はっ」

 思うより目立ったことを恥じて、琉玖は片手で馭者を促す。慌てて台を用意し、馭者は扉の向こうに話しかける。

「お嬢様、失礼します。……お嬢様!」

 悲鳴のような叫びに振り返る。慌てて中に入る馭者の後をつい追って、琉玖は馬車の中で倒れる影を見てしまった。
 時が止まったように、感じた。
 美しい女性だった。
 月明かりに照らされた透き通る白さの肌に、夜闇に溶けない髪が青白い影を乗せている。柔らかな絨毯の上で波打つ髪は、水色のせいで水面を彷彿とさせた。
 桃色のドレスに白のレースをあしらい、水晶と真珠の飾りがその上で柔らかく輝く。首元を緩めるように曲線を描く襟には灰色の刺繍が施され、肩を通り袖口まで真っ直ぐに繋がっている。身の丈のせいで少女とも見紛うが、彼女の体格に合わせて象られたドレスは女性らしい丸みを演出する。

「う……」

 か細い呻きは、雨の雫のように儚い。天へ向けて綺麗に上向いた睫毛が、光を受けて微かに震える。
 月下美人が開く瞬間を、見ているようだった。

「……る、」

 名前の一文字目を呼ばれて、ハッと我に返る。

「ひかり、が」
「光?」

 腕を伸ばし、彼女は空を仰いでいるようだった。

「琉玖様」

 背後に立った季翼が、常よりも低い声で名を呼ぶ。

「どうやら、思うほど時間はないようじゃ」

 振り仰いだ空は、琉玖がこれまで見たこともない表情をしていた。
 暗い空に、不気味に微笑む月と太陽。
 見下ろす舞台は暗く沈み、照明を浴びるように、人間だけに光が当たる。

「予言、です」

 少女のような可憐な声が、現象に名を与える。

「世界が穢れる、前触れです」

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