籠中の鳥と陽の差す国〜訳アリ王子の受難〜

むらくも

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出立

03.港町

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 どこまでも広がる、雲ひとつなく青い空。
 
 グラキエは夢中で頭上を覆う空を見上げながら歩いていた。
 青空自体はアルブレアでも見かける事はある。けれど記憶の中にあるのはどれも霞んだような青色ばかりで、ここまで雲ひとつなく抜けるような青空は初めてだ。
 祖国から一度も外に出た事のない世間知らずの王子にとって、まるで絵本の世界が目の前に飛び出してきたようにすら思える光景。嗅いだ事のない潮の香りとやらも相まって、沸き立つ心は今にも走り出しそうな衝動を生み出す。
 ……隣を歩くラズリウ王子が少し強めに袖を引いてくれたお陰で、何とか現実に立ち返ることができたけれど。
 目の前に開けた視界で巨大な水面が広がり、一度は押さえた高揚感が瞬く間に最高潮へ達してしまった。
 
「これは凄いな! 大きな国は湖も巨大だ!」
 子供のようにはしゃぎながら声を上げるグラキエの耳にくすくすと笑う婚約者の声が届く。はたと再び我に返ってラズリウ王子を見ると、どこか楽しそうな笑顔がグラキエを見つめていた。
「これは湖じゃなくて、海だよ」
「海……!? こ、これが噂に聞く海なのか!」
 アルブレアは周囲を山に囲まれた地形だ。おまけに三方を隣国と接していて、海は国内の何処へ行っても見る事など出来ない。
 北の端はもしかしたら見えるのかもしれないが……吹雪を呼ぶ険しい山は、山頂どころかその麓にすら人間を寄せつけてはくれない、未到の地である。
「内海は凪いでると分からないよね」
「ウチウミ……? ナギ……?」
 微笑むラズリウ王子によると、この海は大陸の内側にある海らしい。凪とよばれる状態の内海は湖に近く、外海と呼ばれる大陸の外と接する海とは全く荒々しさが違うのだとか。
 
 何故そんなに詳しいのかと首を傾げると、ネヴァルストは広い国土ゆえにあちこちで海に接しているのだという。船の使用も比較的日常的な事なんだそうだ。
 海を知らないグラキエは、本で見かけた知識とラズリウ王子の説明を照らし合わせながら目を輝かせていた。それに飽きることもなく婚約者はひとつひとつ丁寧に答えてくれる。
「と、という、ことは……あの水を舐めたら塩辛いのか……?」
 ふと絵本か何かで見かけた記述を思い出し、そわそわとした気持ちで海を見る。
「うん、塩辛いと思うよ。ソルフェールという国では海水から作った塩が特産品になっているし」
 次々と出てくる話にグラキエの興奮はますます強くなっていく。テネスの溜息が耳に届きはしたが、もうこうなったら立ち止まる事など出来なくて。
「塩が作れるほどの濃度なのか! 少し汲んでくる!」
 好奇心に操られるまま、少し前まで水が入っていたボトルを手に海へ足を向けた。

 ――が。
 
「ちょっと待って! グラキエって泳げるの?」
 慌てた声と共に服を引っ張られて、後ろに二、三歩たたらを踏んだ。
「自慢じゃないが一度も泳いだ事はない。泳げる状態の湖はそうそうお目にかかれないからな」
 アルブレアは一年の半分以上を暴風雪に囲まれた環境が支配する。短い夏はその半分ほどが残雪の季節だし、残りの夏も気温こそ上がるが水温は低い。
 地下水を汲み上げて足がつく程度に張る浴場も街にはあるが……ラズリウ王子が問うているのは、恐らくそういう事ではないだろう。
「じゃあ駄目! 絶対ダメ! 僕が汲んでくるから待ってて!!」
 顔色をさっと変えた婚約者に、手に持った瓶を引ったくるようにして取り上げられてしまった。
「そんな大袈裟な……おわっ!?」
「危なっかしくて見てらんね。ラズが戻ってくるまでじっとしてろ……ください」
 急に体が浮いて後ろを見ると、スルトフェンに抱え上げられている。まるで子供のようだ。

 じたばたと暴れて抵抗してみるけれど、向こうの方が背も高いし騎士を志しているだけに力も強い。テネスの静止もこういう時だけは入らず、軽く羽交締めにされただけで終わってしまった。
「むぅ……それを言うならラズリウだって危険だろう」
 幼馴染だからなのか、彼のラズリウ王子への扱いは雑だ。国が違うとはいえ王族に変わりはないのに。
 抵抗を諦めて視線で訴えると、スルトフェンは目を細めて意地悪く笑った。
「アイツは並以上に泳げますよ。行軍訓練の項目にありましたからね」
「………………」
 そうだった。
 彼はかつて騎士を目指して修行をしていた人だった。
 対して己は基礎的な訓練こそすれど、王城でのほほんと暮らしていた身。同じ王子という肩書きを持っていても積んできた研鑽が全く違う。
 食い下がりたいけれど、返す言葉がどこにも見つからない。
 大人しくスルトフェンに羽交締めにされたまま、グラキエは海へ向かう背中をただただ見つめるのだった。


 海岸線へ降りたラズリウ王子は波打ち際に入って腰を屈めた。瓶に海水を汲んでいるのだろう。
「……あれなら俺でも大丈夫じゃないのか?」
 海岸線の向こうの方では子供も足を浸けて遊んでいる。とうに成年しているグラキエに対してあまりにも過保護すぎるのではないか。
 むすりとするグラキエの耳にアスルヤの少し抑えた笑い声が届く。
「足首まで水の流れが来ると溺れる人間も居るんですよ。グラキエ殿下は潮の流れに気付いても、あえて乗っていきそうですし」
「潮の流れ?」
 聞き慣れない単語に、不服も忘れて思わず食いついていた。アスルヤは雄弁に海を巡る水の流れについて語りだす。
 水の対流や波は巨大な湖でも起こりうる。けれど海はその比ではない程に遠くまでつながっていて、潮の流れを見極める事が海を行く上では大切なのだそうだ。
 そしてそれは海岸線にも影響をしており、波が寄せてくるのと反対に遥か沖合いへ引いていく流れもあるらしい。
「なるほど……それはぜひ見てみたいな」
 何か浮かせてみれば、その流れが可視化できるだろうか。
 そんな事を考えていると。
 
「これはアウトかなぁー」
「……スルトフェン、逃がすなよ」
「もちろんですよ。ガキより危ねぇ」
「まったく……早う心身ともに大人になって頂きたいものですな」

 ほぼ同時に四人の声が聞こえて、グラキエを捕まえているスルトフェンの腕に力が入った。
「な、何なんだ皆揃って!」
「殿下を海で遊ばせるのはリスキーだという話です。危ないという話をしてるのに。見てみたい、じゃないでしょう」
 眉をハの字に曲げるアスルヤの言葉に周囲が一糸乱れず頷く気配がして。結局その状態のまま解放して貰えず、戻ってくるラズリウ王子を出迎える事になってしまったのだった。
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