7 / 44
出立
07.港街
しおりを挟む
窓の外に、水平線以外のものがうっすらと見え始めた。
「さて、そろそろお召し物を替えましょうか」
テネスの爽やかな顔と声に、グラキエ王子がよぼよぼとした動きで視線を向ける。
乗船している間ずっとテネスからのネヴァルスト講義を受け続けていた事もあってか、彼は見るからにくたびれていた。今度は何だと小さく呟く顔は不服そうな気配を隠そうともしない。
まぁ、無理もない。
ネヴァルスト出身のラズリウでも共に聴いていて結構な詰め込みだと思った程である。何も知らないグラキエ王子にとっては、ありったけの物事を無理やり流し込まれている状態のはずだ。
それでも話についていけていたのは、物事を学び慣れている人だからなのだろう。
そこに話がくるりと変わって着替えを勧められているのだ。確かに大切な事だけれど、脈絡が無さすぎて話が繋がりにくい。
「服なんて謁見の前に着替えればいいじゃないか。まさか正装だなんて言わないよな。あれは室内ですら動きにくいのに」
すっかりへそを曲げている婚約者は、堰を切ったように不満を漏らす。けれど慣れた様子の教育係は軽く笑って気にする素振りもない。
「アルブレアと同じ格好では倒れてしまわれますぞ。ネヴァルストは温暖な国ゆえ、勝手が違いますからな」
テネスの言葉にはたと目を丸くして、それもそうかと呟きをこぼす。
客船である船の中は快適な気温に空調が調整されているけれど、外に出ればそうもいかない。ラズリウ達がアルブレアに着いて寒さに驚いたのと逆の状態になる訳だ。
そういえばアルブレアに来たばかりの頃、スルトフェンはくしゃみを連発したり毛布にくるまってガタガタ震えていた。流石にもう慣れてきたみたいだけれど。
少し前の醜態を思い出すラズリウの視線に気付いたのか、スルトフェンはなんだよと小さな声と共に睨んできて。その渋い表情に思わず笑いをこぼしてしまった。
有能な教育係兼執事にぬかりはない。
グラキエ王子だけではなく、今回の同行者全員分の衣服を持って来ていた。大きな荷物を持ち歩いていると思っていたけれど、大半が衣装であれば嵩張るのも必然だ。
「王族の二人は別ですけど、俺は現地調達で良かったんじゃないんすか」
スルトフェンが袖や裾を鬱陶しそうに捲り上げながらテネスに話しかける。
それもそのはず、ネヴァルスト男性の上半身は基本的に薄着である。それは騎士であっても同じ。熱砂地帯の様な極端に日光の強い場所でない限りは、半袖くらいの上着しか着ていない。民間人は半裸の時すらある。
多分、祖国なら楽な格好が出来ると思っていたのだろう。
「何を言うか! 護衛として同行する以上は隊服以外を着せる訳にはいかぬ!」
片眉をつり上げるテネスに、スルトフェンはすぐさまゲンナリとした顔を浮かべる。どうやらその態度が見事にスイッチを踏んでしまったらしい。
眉を更につり上げたテネスの背後で、ゴングの鳴る音が聞こえた気がした。
一方、初めてネヴァルストの衣装を着たグラキエ王子も落ち着かない様子だ。しきりに袖を引っ張っては気にしている。
「…………すかすかする」
「アルブレアの服は袖を絞るもんね」
冷気が入らないようピタリとした下衣に、袖を絞った形の服を重ねて着るのがアルブレアである。ネヴァルストの様な風通しを重視した衣服着ていたら、北風がひと吹きすればたちまち凍えてしまうだろう。
「いっそ布がない方が楽なんだが」
そう言って上着を脱ごうとする腕を、グノールトが真顔で引き留めた。
「熱傷を負います」
「太陽光を浴びるだけだろう。大袈裟な」
「甘く見てはなりません。ネヴァルストの日光は火傷を負います。水の揺らぎにすら痛みを感じる羽目になりますよ」
静かだがどこか迫力のあるグノールトの顔と声は、さすがにグラキエ王子に響いたらしい。無言でそっと上着を元通りに着直していた。
乗っていた客船が着いたのはネヴァルストで最大と言われている港街。他国と繋がる航路は全てこの港を起点に結ばれ、対外的な玄関口でもある。
各国の人々が行き交う活気のある空気に、船から降り立ったグラキエ王子はキラキラと目を輝かせていた。
「すごい人波だな……! 露店も山ほどある!」
アルブレアに来るのは近隣の国とネヴァルストの商人くらいだという。それも広場でささやかに数件出るのがいつもの風景で、それが当たり前の人間からすれば何かの祭りにも思えるらしい。
「はしゃぐのはまだ早いですよ~王都はこの街よりもずっと大きいですから」
「へぇ!」
目に見えて期待に満ちた表情を浮かべるグラキエ王子に、ラズリウは少しばかり不安を覚えた。
ネヴァルストは広い国土を持つ国だ。それだけ様々な人が出入りをするし、それは法に則って入ってきた人間だけではない。
国を挙げて自然と戦う環境で、見知った人々に見守られていたアルブレアの城下町とは違う。船の中で何度もその話はあったけれど、ただの脅しだと思っているように見えて仕方ないのだ。
ちらりと見たテネスもスルトフェンも、やはりどこか渋い顔をしている。きっと一度痛い目を見ないと分からない。けれど痛い目になど遭わせたくはない。
――何としても自分が守らないと。
婚約者よりもこの国を知っているのは王子として育った己である。そう心に据え直し、ラズリウは護身用にと渡された懐刀を強く握りしめた。
「さて、そろそろお召し物を替えましょうか」
テネスの爽やかな顔と声に、グラキエ王子がよぼよぼとした動きで視線を向ける。
乗船している間ずっとテネスからのネヴァルスト講義を受け続けていた事もあってか、彼は見るからにくたびれていた。今度は何だと小さく呟く顔は不服そうな気配を隠そうともしない。
まぁ、無理もない。
ネヴァルスト出身のラズリウでも共に聴いていて結構な詰め込みだと思った程である。何も知らないグラキエ王子にとっては、ありったけの物事を無理やり流し込まれている状態のはずだ。
それでも話についていけていたのは、物事を学び慣れている人だからなのだろう。
そこに話がくるりと変わって着替えを勧められているのだ。確かに大切な事だけれど、脈絡が無さすぎて話が繋がりにくい。
「服なんて謁見の前に着替えればいいじゃないか。まさか正装だなんて言わないよな。あれは室内ですら動きにくいのに」
すっかりへそを曲げている婚約者は、堰を切ったように不満を漏らす。けれど慣れた様子の教育係は軽く笑って気にする素振りもない。
「アルブレアと同じ格好では倒れてしまわれますぞ。ネヴァルストは温暖な国ゆえ、勝手が違いますからな」
テネスの言葉にはたと目を丸くして、それもそうかと呟きをこぼす。
客船である船の中は快適な気温に空調が調整されているけれど、外に出ればそうもいかない。ラズリウ達がアルブレアに着いて寒さに驚いたのと逆の状態になる訳だ。
そういえばアルブレアに来たばかりの頃、スルトフェンはくしゃみを連発したり毛布にくるまってガタガタ震えていた。流石にもう慣れてきたみたいだけれど。
少し前の醜態を思い出すラズリウの視線に気付いたのか、スルトフェンはなんだよと小さな声と共に睨んできて。その渋い表情に思わず笑いをこぼしてしまった。
有能な教育係兼執事にぬかりはない。
グラキエ王子だけではなく、今回の同行者全員分の衣服を持って来ていた。大きな荷物を持ち歩いていると思っていたけれど、大半が衣装であれば嵩張るのも必然だ。
「王族の二人は別ですけど、俺は現地調達で良かったんじゃないんすか」
スルトフェンが袖や裾を鬱陶しそうに捲り上げながらテネスに話しかける。
それもそのはず、ネヴァルスト男性の上半身は基本的に薄着である。それは騎士であっても同じ。熱砂地帯の様な極端に日光の強い場所でない限りは、半袖くらいの上着しか着ていない。民間人は半裸の時すらある。
多分、祖国なら楽な格好が出来ると思っていたのだろう。
「何を言うか! 護衛として同行する以上は隊服以外を着せる訳にはいかぬ!」
片眉をつり上げるテネスに、スルトフェンはすぐさまゲンナリとした顔を浮かべる。どうやらその態度が見事にスイッチを踏んでしまったらしい。
眉を更につり上げたテネスの背後で、ゴングの鳴る音が聞こえた気がした。
一方、初めてネヴァルストの衣装を着たグラキエ王子も落ち着かない様子だ。しきりに袖を引っ張っては気にしている。
「…………すかすかする」
「アルブレアの服は袖を絞るもんね」
冷気が入らないようピタリとした下衣に、袖を絞った形の服を重ねて着るのがアルブレアである。ネヴァルストの様な風通しを重視した衣服着ていたら、北風がひと吹きすればたちまち凍えてしまうだろう。
「いっそ布がない方が楽なんだが」
そう言って上着を脱ごうとする腕を、グノールトが真顔で引き留めた。
「熱傷を負います」
「太陽光を浴びるだけだろう。大袈裟な」
「甘く見てはなりません。ネヴァルストの日光は火傷を負います。水の揺らぎにすら痛みを感じる羽目になりますよ」
静かだがどこか迫力のあるグノールトの顔と声は、さすがにグラキエ王子に響いたらしい。無言でそっと上着を元通りに着直していた。
乗っていた客船が着いたのはネヴァルストで最大と言われている港街。他国と繋がる航路は全てこの港を起点に結ばれ、対外的な玄関口でもある。
各国の人々が行き交う活気のある空気に、船から降り立ったグラキエ王子はキラキラと目を輝かせていた。
「すごい人波だな……! 露店も山ほどある!」
アルブレアに来るのは近隣の国とネヴァルストの商人くらいだという。それも広場でささやかに数件出るのがいつもの風景で、それが当たり前の人間からすれば何かの祭りにも思えるらしい。
「はしゃぐのはまだ早いですよ~王都はこの街よりもずっと大きいですから」
「へぇ!」
目に見えて期待に満ちた表情を浮かべるグラキエ王子に、ラズリウは少しばかり不安を覚えた。
ネヴァルストは広い国土を持つ国だ。それだけ様々な人が出入りをするし、それは法に則って入ってきた人間だけではない。
国を挙げて自然と戦う環境で、見知った人々に見守られていたアルブレアの城下町とは違う。船の中で何度もその話はあったけれど、ただの脅しだと思っているように見えて仕方ないのだ。
ちらりと見たテネスもスルトフェンも、やはりどこか渋い顔をしている。きっと一度痛い目を見ないと分からない。けれど痛い目になど遭わせたくはない。
――何としても自分が守らないと。
婚約者よりもこの国を知っているのは王子として育った己である。そう心に据え直し、ラズリウは護身用にと渡された懐刀を強く握りしめた。
12
あなたにおすすめの小説
黄色い水仙を君に贈る
えんがわ
BL
──────────
「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」
「ああ、そうだな」
「っ……ばいばい……」
俺は……ただっ……
「うわああああああああ!」
君に愛して欲しかっただけなのに……
流れる星、どうかお願い
ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる)
オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年
高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼
そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ
”要が幸せになりますように”
オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ
王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに!
一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので
ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが
お付き合いください!
ずっと、貴方が欲しかったんだ
一ノ瀬麻紀
BL
高校時代の事故をきっかけに、地元を離れていた悠生。
10年ぶりに戻った街で、結婚を控えた彼の前に現れたのは、かつての幼馴染の弟だった。
✤
後天性オメガバース作品です。
ビッチング描写はありません。
ツイノベで書いたものを改稿しました。
【if/番外編】昔「結婚しよう」と言ってくれた幼馴染は今日、夢の中で僕と結婚する
子犬一 はぁて
BL
※本作は「昔『結婚しよう』と言ってくれた幼馴染は今日、僕以外の人と結婚する」のif(番外編)です。
僕と幼馴染が結婚した「夢」を見た受けの話。
ずっと好きだった幼馴染が女性と結婚した夜に見た僕の夢──それは幼馴染と僕が結婚するもしもの世界。
想うだけなら許されるかな。
夢の中でだけでも救われたかった僕の話。
出戻り王子が幸せになるまで
あきたいぬ大好き(深凪雪花)
BL
初恋の相手と政略結婚した主人公セフィラだが、相手には愛人ながら本命がいたことを知る。追及した結果、離縁されることになり、母国に出戻ることに。けれど、バツイチになったせいか父王に厄介払いされ、後宮から追い出されてしまう。王都の下町で暮らし始めるが、ふと訪れた先の母校で幼馴染であるフレンシスと再会。事情を話すと、突然求婚される。
一途な幼馴染×強がり出戻り王子のお話です。
※他サイトにも掲載しております。
勘違いへたれアルファと一途つよかわオメガ──ずっと好きだったのは、自分だけだと思ってた
星群ネオン
BL
幼い頃に結婚の約束をした──成長とともにだんだん疎遠になったアルファとオメガのお話。
美しい池のほとりで出会ったアルファとオメガはその後…。
強くてへたれなアルファと、可愛くて一途なオメガ。
ありがちなオメガバース設定です。Rシーンはありません。
実のところ勘違いなのは二人共とも言えます。
α視点を2話、Ω視点を2話の後、その後を2話の全6話完結。
勘違いへたれアルファ 新井裕吾(あらい・ゆうご) 23歳
一途つよかわオメガ 御門翠(みがと・すい) 23歳
アルファポリス初投稿です。
※本作は作者の別作品「きらきらオメガは子種が欲しい!~」や「一生分の恋のあと~」と同じ世界、共通の人物が登場します。
それぞれ独立した作品なので、他の作品を未読でも問題なくお読みいただけます。
転生場所は嫌われ所
あぎ
BL
会社員の千鶴(ちずる)は、今日も今日とて残業で、疲れていた
そんな時、男子高校生が、きらりと光る穴へ吸い込まれたのを見た。
※
※
最近かなり頻繁に起こる、これを皆『ホワイトルーム現象』と読んでいた。
とある解析者が、『ホワイトルーム現象が起きた時、その場にいると私たちの住む現実世界から望む仮想世界へ行くことが出来ます。』と、発表したが、それ以降、ホワイトルーム現象は起きなくなった
※
※
そんな中、千鶴が見たのは何年も前に消息したはずのホワイトルーム現象。可愛らしい男の子が吸い込まれていて。
彼を助けたら、解析者の言う通りの異世界で。
16:00更新
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる