籠中の鳥と陽の差す国〜訳アリ王子の受難〜

むらくも

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出立

07.港街

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 窓の外に、水平線以外のものがうっすらと見え始めた。
「さて、そろそろお召し物を替えましょうか」
 テネスの爽やかな顔と声に、グラキエ王子がよぼよぼとした動きで視線を向ける。
 乗船している間ずっとテネスからのネヴァルスト講義を受け続けていた事もあってか、彼は見るからにくたびれていた。今度は何だと小さく呟く顔は不服そうな気配を隠そうともしない。
 まぁ、無理もない。
 ネヴァルスト出身のラズリウでも共に聴いていて結構な詰め込みだと思った程である。何も知らないグラキエ王子にとっては、ありったけの物事を無理やり流し込まれている状態のはずだ。
 それでも話についていけていたのは、物事を学び慣れている人だからなのだろう。

 そこに話がくるりと変わって着替えを勧められているのだ。確かに大切な事だけれど、脈絡が無さすぎて話が繋がりにくい。
「服なんて謁見の前に着替えればいいじゃないか。まさか正装だなんて言わないよな。あれは室内ですら動きにくいのに」
 すっかりへそを曲げている婚約者は、堰を切ったように不満を漏らす。けれど慣れた様子の教育係は軽く笑って気にする素振りもない。
「アルブレアと同じ格好では倒れてしまわれますぞ。ネヴァルストは温暖な国ゆえ、勝手が違いますからな」
 テネスの言葉にはたと目を丸くして、それもそうかと呟きをこぼす。
 客船である船の中は快適な気温に空調が調整されているけれど、外に出ればそうもいかない。ラズリウ達がアルブレアに着いて寒さに驚いたのと逆の状態になる訳だ。
 そういえばアルブレアに来たばかりの頃、スルトフェンはくしゃみを連発したり毛布にくるまってガタガタ震えていた。流石にもう慣れてきたみたいだけれど。
 少し前の醜態を思い出すラズリウの視線に気付いたのか、スルトフェンはなんだよと小さな声と共に睨んできて。その渋い表情に思わず笑いをこぼしてしまった。


 有能な教育係兼執事にぬかりはない。
 グラキエ王子だけではなく、今回の同行者全員分の衣服を持って来ていた。大きな荷物を持ち歩いていると思っていたけれど、大半が衣装であれば嵩張るのも必然だ。
「王族の二人は別ですけど、俺は現地調達で良かったんじゃないんすか」
 スルトフェンが袖や裾を鬱陶しそうに捲り上げながらテネスに話しかける。
 それもそのはず、ネヴァルスト男性の上半身は基本的に薄着である。それは騎士であっても同じ。熱砂地帯の様な極端に日光の強い場所でない限りは、半袖くらいの上着しか着ていない。民間人は半裸の時すらある。
 多分、祖国なら楽な格好が出来ると思っていたのだろう。
「何を言うか! 護衛として同行する以上は隊服以外を着せる訳にはいかぬ!」
 片眉をつり上げるテネスに、スルトフェンはすぐさまゲンナリとした顔を浮かべる。どうやらその態度が見事にスイッチを踏んでしまったらしい。
 眉を更につり上げたテネスの背後で、ゴングの鳴る音が聞こえた気がした。

 一方、初めてネヴァルストの衣装を着たグラキエ王子も落ち着かない様子だ。しきりに袖を引っ張っては気にしている。
「…………すかすかする」
「アルブレアの服は袖を絞るもんね」
 冷気が入らないようピタリとした下衣に、袖を絞った形の服を重ねて着るのがアルブレアである。ネヴァルストの様な風通しを重視した衣服着ていたら、北風がひと吹きすればたちまち凍えてしまうだろう。
「いっそ布がない方が楽なんだが」
 そう言って上着を脱ごうとする腕を、グノールトが真顔で引き留めた。
「熱傷を負います」
「太陽光を浴びるだけだろう。大袈裟な」
「甘く見てはなりません。ネヴァルストの日光は火傷を負います。水の揺らぎにすら痛みを感じる羽目になりますよ」
 静かだがどこか迫力のあるグノールトの顔と声は、さすがにグラキエ王子に響いたらしい。無言でそっと上着を元通りに着直していた。
  

 乗っていた客船が着いたのはネヴァルストで最大と言われている港街。他国と繋がる航路は全てこの港を起点に結ばれ、対外的な玄関口でもある。
 各国の人々が行き交う活気のある空気に、船から降り立ったグラキエ王子はキラキラと目を輝かせていた。
「すごい人波だな……! 露店も山ほどある!」
 アルブレアに来るのは近隣の国とネヴァルストの商人くらいだという。それも広場でささやかに数件出るのがいつもの風景で、それが当たり前の人間からすれば何かの祭りにも思えるらしい。
「はしゃぐのはまだ早いですよ~王都はこの街よりもずっと大きいですから」
「へぇ!」
 目に見えて期待に満ちた表情を浮かべるグラキエ王子に、ラズリウは少しばかり不安を覚えた。
 ネヴァルストは広い国土を持つ国だ。それだけ様々な人が出入りをするし、それは法に則って入ってきた人間だけではない。
 
 国を挙げて自然と戦う環境で、見知った人々に見守られていたアルブレアの城下町とは違う。船の中で何度もその話はあったけれど、ただの脅しだと思っているように見えて仕方ないのだ。
 ちらりと見たテネスもスルトフェンも、やはりどこか渋い顔をしている。きっと一度痛い目を見ないと分からない。けれど痛い目になど遭わせたくはない。
 ――何としても自分が守らないと。
 婚約者よりもこの国を知っているのは王子として育った己である。そう心に据え直し、ラズリウは護身用にと渡された懐刀を強く握りしめた。
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