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1巻
1-3
「いや、うちのいとこもサッカーやってんの。だから」
「そうなんだ! 私は試合とかには行かないから、他校のサッカー部のこととか全然知らないんだけど。私の友達は朝陽のいとこと会ったことあるかもしれないね」
東京の高校生との小さな小さな接点。知り合いの知り合いになるのかもしれないなってお互いに気付いて笑った。
「朝陽はやらないの? サッカー」
「う~ん、やってたこともあるよ。もう辞めちゃった」
「なんで?」
「下手だったから」
私の質問に食い気味に返事をした朝陽。遠くの方を見下ろす横顔がほんの一瞬真顔になった気がする。
「わかった、毎日遊びたいからでしょ! 原宿とかで」
何となく話を変えなきゃと、必死に考えた冗談に。
「東京の高校生、全員が放課後、原宿にいるわけないでしょ? リッちゃん、酷い偏見!」
呆れたように笑うその顔がいつも通りで安心した。
四日目は元町周辺を巡る。家の近くだし、高校も近いから同級生に見つかったらどうしようかと目深に帽子をかぶってたけど、誰にも会わずに済んだ。
そうして最終日は市電で函館市内を見て回りたいとの朝陽からのリクエスト。
この四日間私は実によくその要望に応えてあげたと思う。もちろん人質に取られた手紙を取り返すため、あくまでそれだけのつもり! だった。
でも、朝陽と話をしていると、不思議と気持ちが軽くなるのに気が付いている。この数日、眠れずに手紙を書くことも、一人で思い悩むこともなかった。
もしかしたら朝陽は、少しでも私の心を母さんのことから逸らしたかったんじゃないだろうか。
朝陽との関係性が、私には楽だったんだ。最初から人に一番知られたくない自分を見せてしまったのと、彼がいずれ東京に戻っていってしまう人だから。
いなくなってしまう人の前では、自分の気持ちを考える暇もなく言葉に出せた。
『リッちゃん、生きてる~? 今日も楽しかったよ、ありがとう!! リッちゃんオススメのチーズスフレが美味しすぎて、いとこと取り合いになっちゃった! 明日もよろしくね』
朝陽のことを考えていたら、今夜も笑顔スタンプ満載のメッセージが届く。
『生きてるよ、明日の待ち合わせ場所と時間、どうしよう?』
朝陽がお世話になっているという、いとこの家。
市電のどつく駅に近い停車駅みたい。
歩いてそこまで行ってあげようかな。返事を待つ間にそんなことを考えていたら、急に電話が鳴り出した。
朝陽からだろうなと推測して、誰からの表示かも気にせずに出た瞬間。
『リツ? あんたの制服、洗濯から返ってきてるけど、どうすんの?』
不機嫌そうなその声に忘れかけていたものを思い出して、一瞬黙り込んでしまった。
『リツ? 聞こえてんの? リツ!』
母さんは何も答えない私にただ確認をしているだけなのに、矢継ぎ早に責め立てられているようで胸がざわざわとしてくる。
「聞こえてるよ、明日取りに行くね」
『何時頃来るの?』
早めに済ませてしまえば朝陽とも会えるかな。
「朝のうちに行くから」
『わかった。したら、待ってるわ』
電話を切った後、襲ってくる言い知れぬ不安感。
数日ぶりに感じた暗闇に落ちかけた瞬間、メッセージ音にビクッとした。
『何時にしよ? 朝から行っちゃおっか! 俺、リッちゃん家に近い停車駅まで行くから』
朝陽だったことにホッとした。あの笑顔を思い出したら落ちずに済む。
『あのね、明日――』
私の打った返事に、すぐに朝陽からの電話が鳴った。
「おはよう、リッちゃん!」
いつから待っててくれたんだろう。寒さで少し鼻が赤くなってる朝陽が、私の姿を見つけて笑顔で手を振っている。
「おはよ、早くから付き合わせてごめんね」
ポケットに手を突っ込み、寒そうなのに我慢して笑っているから。
「あげる」
朝陽のポケットにカイロを突っ込んだ。
「リッちゃんだって寒いでしょ?」
「道民なめんでないよ、全然平気だから」
遠慮する朝陽に、平気だと何の根拠もない見栄を張った。嘘だ、道民だって寒いもんは寒い。
◇◇◇
『あのね、明日、ごめん。急なんだけど、朝イチに実家に物を取りに行かなきゃなんなくてさ、待ち合わせは十時くらいでもいいかな?』
そう返信したらすぐに朝陽から電話がかかってきた。
『リッちゃん、何忘れたの?』
「制服……、洗濯に出してたままだったの。さすがにそれは取りに行かないと明日から学校行けない」
ため息と苦笑いを零したら。
『ならさ、九時に待ち合わせて一緒に行こう、リッちゃん家』
「ダメダメ、朝陽を連れてくのは」
『大丈夫、家にまでは行かないよ。お母さんと会った後のリッちゃんが心配なだけ』
「大丈夫だよ」
大丈夫、私は大丈夫。仮面モードの自分が顔を出す。
『嘘つき、全然大丈夫じゃないくせに』
朝陽は私の心を映す鏡でも持っているのじゃないだろうか?
「うちの近くにね、美味しいお弁当が売っているお店があってね」
『うん』
「おごるね、なまら美味しいから朝陽に食べてほしい。函館でしか売ってないから」
後一日で朝陽とはサヨナラなんだ。たった五日間だったのに、今までの人生で関わった人の中で、一番私のことを理解してくれた人だ。
『リッちゃんのオススメなら絶対美味しいに決まってる! めっちゃ、楽しみ』
朝陽が明日ついてきてくれることが心強かったから、私はその言葉に甘えることにした。
朝陽は寒い中、実家に行ったままの私を二時間近くも吹きさらしの浜辺で待ってくれていた。
「ごめんね、遅くなった! 寒かったよね、朝陽。本当にごめん!」
大きな流木に腰かけて沖を眺めていた朝陽は、駆け寄った私に気付いて立ち上がる。
「リッちゃん、目腫れてるじゃん」
あーあ、と困った顔で私の頭を撫でてくれた。
「大丈夫」
「大丈夫じゃないでしょ」
気を抜いたらまた涙が落ちてきそうだから、優しくしないでほしい。
「朝陽、ハイ! 買ってきた! ハセガワストアのやきとり弁当、昨日言ってたやつ!!」
「あ! 俺の大好物、やったあ」
「え? 食べたことあんの?」
「うん、いとこも好きで食べさせてもらったことある」
「なんだ、残念、もう知ってたのか」
「リッちゃんの分は?」
「買おうと思ってたんだけどさ」
ハハッと笑ってみせて、制服の入った大きな紙バッグとは別に、手にした大きなエコバッグから弁当箱を取り出した。
「ん? 何それ?」
「うん、母さんお昼ご飯作って待ってたみたいでさ。それでケンカになったの」
「どういうこと?」
「夕方まで私が家にいると思ってたみたいでさ、私の好きなものたくさん作って待ってたんだわ」
母さんは珍しく機嫌がよくて、「ただいま」と玄関を開けた私を「おかえり」と笑顔で出迎えてくれた。
玄関ホールには制服の入った紙バッグが置かれている。
「これだよね? 母さんから電話なかったら明日慌ててたわ、ありがとう」
家に上がらずにそれを持とうとした私に母さんは。
「じっちゃんにおかず持ってってね、いっぱい作ったし」
と背中を向けてキッチンに入っていってしまったから、私も続いて家に上がることになる。
気温はそんなに高くないし、夕方までに帰るし持って歩いても平気だな、少し重いけれど。
「煮しめと、赤飯とさ。昆布巻き、後ザンギもあるから」
テーブルいっぱいに広がったおかずの数々は、私の好物ばかりだった。朝から作ってくれていたことに嬉しくなる。
「お昼も食べていくでしょ、こんなにあるんだし」
母の笑顔に私は返事をつまらせた。
「そっからもう、わや!」
「わや?」
「あ、えっと、わやってのは、すごかった? 修羅場?」
食べながらでいいよ、と朝陽の座ってた流木に並んで腰かけて膝の上に弁当を載せた。
「友達と約束があるから、すぐに帰らないと、って言ったらさ」
「うん」
「せっかく待ってたのに! 久しぶりに家に帰ってきたのに、そんなに母さんの顔見るの嫌なのかい? って」
「リッちゃんは何て答えたの?」
「違うよ、嫌なんじゃないよ、ただ今日は最初から用事があったんだよ、って。したらさ、嘘なんでしょ、どうせ来たくなかったけど、仕方なく来たんでしょ! さっさとじっちゃん家に帰れば? しばらく戻って来なくてもいいように忘れ物しないようにね、って」
泣きながらしばらく怒鳴っていた母さんは「あんたの顔、見てるのも疲れるわ」と自分の部屋に籠ってしまったんだ。
「夕飯の分と、お昼分の自分の弁当に詰めてもまだ余ってたわ、テーブルの上に。悪いことしたよね、最初からすぐ帰るって言っておけばよかったね」
話をじっと聞いていた朝陽は、私の膝の上に載っていたまだ蓋の開いていない弁当箱を取り上げた。
「リッちゃん、チェンジして? 函館の人の作るおかず大好き」
と、私の膝にやきとり弁当を載せた。
「めっちゃ美味しそう、いただきます!」
蓋を開けて昆布巻きに食らいついている。
「うまいっしょ?」
「うん、リッちゃんのお母さん料理上手! なまらうまい」
下手くそな北海道弁でふにゃりと笑って。
「リッちゃんも悪くないし、お母さんも悪くないよ」
「うん?」
「言っておけばよかったってリッちゃんは言うけれど。最初から『お昼作って待ってる』ってお母さんが言ってたらリッちゃんだってそのつもりで行ったでしょ? それにお母さんだって、リッちゃんと久しぶりに顔を合わせるの楽しみにしておかず作って待ってたんでしょ? だったらどっちも悪くないべさ」
「……イイコト言ってくれても、最後の下手くそなべさで全部消えるから!」
「北海道弁、難しい」
真面目に悩む朝陽に苦笑した。
わかってる、朝陽の言いたいことは正論だ。ただ正論が母さんには通用しないから諦めるしかないのだ。
でも今日の母さんの気持ちは何となくわかる。私に少しだけ優しくしたかったんだってことは、あのテーブルに広がったおかずの山でわかったから。それに応えてあげられなかったことに申し訳なくなる。
「なんで、焼き鳥なのに豚なんだろうね?」
「え? 焼き鳥は豚でしょ」
「それ函館とか、一部の地方だけみたいだよ?」
「嘘だ、んなわけないべさ」
焼き鳥を串から外そうとしていたら、朝陽は一本取って、代わりに母さんのザンギを載せてくれた。
「交換! 唐揚げ、なまらうまいよ?」
「唐揚げじゃありませーん、ザンギって言うんです!」
「あ、そうだった、忘れてた!」
「後、訛らないでよ! 標準語に北海道弁入って何か気持ち悪いから」
「気持ち悪いって、酷いよ、リッちゃん」
イジけた朝陽を尻目にザンギを噛みしめた。母さんの作るものは、なまらうまい。
なんでもうまいから、涙が出そうになる。
一緒にそれを味わってくれる朝陽がいてよかった。一人だったら、泣いてた。
「赤飯に甘納豆入れるのも北海道だけだって知ってた?」
「嘘だ!?」
私が常識だと信じて疑わなかった世界も、よその人から見たら常識じゃないってことが、たくさんあるのかもしれない。
「朝陽の学校は、明後日から始まるの?」
「多分ね?」
「大丈夫? ちゃんと確認しないと大変だよ?」
お弁当を食べ終えても尚、移動しないままで海辺にいた。指先がかじかむのに砂を掘り、湿った部分で山を作ってみたりして。
「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる、って知ってる?」
「石川啄木?」
「あれ函館の砂浜って言われてるんだよ。この近くに啄木の公園もある」
「へえ? 知らなかった!」
結局どこかに移動するわけでもなく、一日ここにいることになりそうだ。
この砂浜は昔、海水浴場だった。今は遊泳禁止になってしまったけれど、私が毎年、拓や父さんと泳いでいた場所だ。
「リッちゃんは親友とかいる?」
「多分、いる」
「多分って?」
「ん~、私は親友だと思ってるんだけど、あーちゃんはどうだろ? 友達多くて元気な子だからさ、私以外にも仲良い人いっぱいいるんだわ。したけど、私は大好き」
「あーちゃん?」
「うん、一番仲良くしてくれてる人」
「そっか、なら学校は楽しい?」
「……、うん」
楽しいかどうかはわからない。
だって朝陽のように本音で話せる人は誰もいない。あーちゃんにだって話せない、家のことだけは。
クラスでの私の存在は『いてもいなくてもいい人』な気がする。
「朝陽は友達いっぱいいそうだよね、いつも皆の中心にいそうな人」
「へ?」
「違うの?」
朝陽には賑やかなグループが似合う気がする。女の子からも男の子からも人気があっていつもワイワイしてて、クラスの中心的な子。
そう考えたら朝陽って、奏太くんぽいかもしれない。
あーちゃんの幼馴染で隣のクラスのかっこいい人。サッカーがうまくて明るい奏太くんのことを思い出した。きっと朝陽もあんな感じで人気者なんじゃないかなあ?
「どうだろ。あんまりモテないよ?」
朝陽は私から目を逸らし、砂山に棒を差しこんで一人棒倒しを始めた。
「彼女とかいっぱいいそう」
「いっぱいって何だよ、今はいません」
「今はってことは、前はいっぱいいたんだ」
「いっぱいじゃないってば。何なの? 俺の印象って」
クックックと陽気に笑う朝陽だけど、時々それが嘘に見えることがある。
「リッちゃんが新しい彼女になってくれる?」
「絶対やだ、軽い人無理」
振られちゃった、と笑うその目の奥が悲しそうに見えた。
夕方まで砂浜で遊び、市電の停車駅まで歩くのが面倒になり、目の前にあるバス停から駅までバスに乗って帰ることにする。
少し遅くなるけど、母さんからご飯もおかずも貰ってきたから作らないで待っててね、とバスに乗る前にじっちゃんには電話をしておいたから安心だ。
二人掛けの椅子、私の膝の上には制服の紙袋。朝陽はおかずの入ったエコバッグを膝に載せてくれる。厚手のコートも着ているし何だかギュウギュウだ。
「例えばさ、リッちゃん」
漁火通りの夕暮れ時、窓際に座り車窓から海沿いを眺めていた私は朝陽の声に我に返る。
「うん?」
「俺がずっと側にいたら楽しいだろうなって思う?」
朝陽が側にいたら? そんなこと考えたことがなかったから沈黙してしまうと。
「何かショック! リッちゃんは俺が帰っても寂しくないってこと?」
「や、そうじゃないよ? まあ、話し相手がいなくなって寂しくはなると思う」
「じゃあ、また会いに来てもいい?」
「えっ?」
「だって、リッちゃんは函館で初めて出来た友達だからさ。また会いたい」
「……、うん、いいよ」
私も、だ。朝陽に、また会いたい。
「やった! じゃあ、すぐ会いに来るから」
「なに? ゴールデンウィークに来るの?」
「内緒、連絡するし! 約束だよ?」
差し出された約束の小指、ためらいながら絡めたら朝陽はニッと笑って。
「ずっと側にいたら、リッちゃんは俺のこと好きになってくれるのかな?」
とんでもないことを真顔で呟いた。
「なんない! 絶対なんない、軽い人好きじゃないもん」
「軽くないってば!」
慌てて顔を背け窓の方を見たら、朝陽の顔が反射していて。その目が私をじっと見つめていたから、窓越しに視線が交差する。
困るよ、そんな目で見ないでよ。明日帰っちゃうくせに。
「朝陽とはずっと友達でいたい、何でも話せる」
小さく呟くと朝陽が苦笑した。
「仕方ない、友達でいいよ。本気で迫ったらリッちゃんに嫌われそうだもんね」
言葉とは裏腹に、朝陽は私の手をギュッと握った。
そのまま駅前でバスを降りて、市電に乗り継ぐため停車駅までの道のりも朝陽は手を離してくれない。
横目でじとっと睨んだら。
「だって、明日から会えなくなっちゃうんだよ?」
悪びれた様子もなく笑っている。
本当にこの人は明日からいなくなるのか? ってぐらいのいつも通りのふにゃりとした笑顔だ。
「あのねえ、誰かに見られたら困るんだってば! 恥ずかしいっしょや」
同じ学校の人はいないだろうか、と周囲をキョロキョロ見渡した。
四月とはいえ、それでも北国の日暮れは早く、十八時前だというのに薄暗くなっているから、私だとは気付かれないかもしれない。とはいえ困る、心臓がドキドキしているから困るのだ。
朝陽は慣れているかもしれない。だけど私は、こういったことに慣れてはいないのだ。男子と手を握るなんて運動会でのダンスぐらいのものだし、それだって小学生の頃だもん。
どうしたらいいものか、どんな顔をしたらいいものか。
「今日だけ」
それでもダメ? と問いかけるような視線は何だかズルイ。
朝陽は時々甘えた顔をする。まるで大型犬のようで、何となく私はそれに弱い。
「今日だけだからね? 今度会った時はもうダメだよ!」
念を押したら、ワーイとはしゃいでいる。
約束って知ってる? 守る気ある!?
「この辺で手を繋ぐ高校生なんか、皆付き合ってる人たちなんだからね? 東京は知らないけど」
「東京だって同じだよ? 友達とは繋がないよ」
「したら、なして手繋いでんのさ」
「俺がリッちゃんのこと好きだからに決まってるべさ」
「わざと訛るな! 本当にいい加減にしなよ?」
むうっとふくれて睨み上げたらペロっと舌を出して笑ってる。
朝陽といると振り回されてばっかり、ずっと自分らしくない気がしてる。
悔しい、何だか悔しいのに。
明日からは朝陽がいない、そう思うと胸の奥が錆びたオルゴールみたいにギシギシするのはなんでだろう?
目の前に止まった市電を三本見送る。だってこれに乗ってしまったら、十分ほどで朝陽とはバイバイなんだってわかってるから。
お互いに話もせず、ただ手を繋いだままで四本目にやってきた市電にようやく乗って。
「なして朝陽まで降りるのさ?」
「ん? 朝もここまで歩いてきたしね」
私の最寄りの停車駅で朝陽も降りてしまった。
バイバイ、と言うタイミングで当たり前のように一緒に降りたから驚く。
「悲しいことがあったら絶対すぐに俺に連絡してね?」
「たまにね」
「そうだね、悲しいことはあまりない方がいいもんね。でも、一日一回は俺のこと思い出して。夜寝る前に『オヤスミ朝陽』ってキススタンプ送ってね?」
「やだよ、気持ち悪い」
もう、リッちゃんってどうしていつもそうなの? と眉尻を落とす朝陽だけど。
逆に聞きたい、どうして朝陽はいつもそうなの?
私は朝陽のことを忘れたりしないし、明日からきっとしばらくは寂しいと思う。だから友達がいいんだよ。友達のままでいればまた今度会った時にふざけて笑い合える。こんな風に私の脳と口が直結して何か言える相手は朝陽だけだから、ずっと友達でいたいんだ。
だから、この手を離してほしい。また一人に慣れなくちゃいけないんだから。
振り解こうとしてまた強く握られて、本当は無理に逃げ出すことだってできるはずなのに。
さっきから、どれぐらいの時間が経ったんだろう。
「遅くなるから帰りなよ」
朝陽の背中を見送りたい。
「リッちゃんから先に帰りなよ」
ズルイな、きっと同じこと考えてる。
「したら、せえので歩き出そっか」
私は坂道を上り、朝陽はどつくの方に向かって歩き出すんだ。
「またね、リッちゃん」
「したっけね、朝陽」
離れた指先がすぐに朝陽の温もりを奪い去り冷たくなっていく。
襲ってくる孤独に不安になるのは、二人に慣れすぎてしまったからだ。
振り切るように笑顔で朝陽の口元を見つめて息を合わせた。
「「せえのっ」」
朝陽からおかずのバッグを受け取り右肩に、左肩には制服。クルリと背中を向けて歩き出す、一歩二歩三歩。
ああ、寒い、時期的にもうマフラーはいいか、なんて甘かった。
坂道を上る私の首筋に潮風が吹き付けてきて、背中が丸まって足取りが重たくなってくる。
心がわやだ。悲しい? 寂しい? 泣きたい? 切ない?
言いようのない感情が北風みたいに心の中に吹き荒れて、その答えが知りたくて振り返った。
そうしたら、さっき別れた場所で朝陽が立ち止まり私を見送っているんだもん。
「ズルイよ、朝陽!!」
声に出したら一緒に涙が落ちてきた。
何だ、これは!
グイグイと手の甲でそれを拭いていたら、目の前には駆け寄ってきた朝陽がいて。
柔らかな微笑みで私を見下ろして、それから。
「したっけね、リッちゃん」
また中途半端な北海道弁でふざけて笑った後で、朝陽は私の頬を両手で挟んで上を向かせて。
初めてのキスを落とされた。
「じっちゃん、行ってきまーす!」
「今日は、帰り何時だ?」
「始業式だから、そんなに遅くなんないけど友達とお昼食べてくるから少し遅くなるね」
「おお、小遣いやるか?」
「大丈夫だよ、ちゃんとやりくりしてっから」
見送ってくれるじっちゃんに手を振って赤い自転車を土間から出した。
結局、自転車の試運転する暇もなかったなあ、朝陽のせいで忙しくて。
「そうなんだ! 私は試合とかには行かないから、他校のサッカー部のこととか全然知らないんだけど。私の友達は朝陽のいとこと会ったことあるかもしれないね」
東京の高校生との小さな小さな接点。知り合いの知り合いになるのかもしれないなってお互いに気付いて笑った。
「朝陽はやらないの? サッカー」
「う~ん、やってたこともあるよ。もう辞めちゃった」
「なんで?」
「下手だったから」
私の質問に食い気味に返事をした朝陽。遠くの方を見下ろす横顔がほんの一瞬真顔になった気がする。
「わかった、毎日遊びたいからでしょ! 原宿とかで」
何となく話を変えなきゃと、必死に考えた冗談に。
「東京の高校生、全員が放課後、原宿にいるわけないでしょ? リッちゃん、酷い偏見!」
呆れたように笑うその顔がいつも通りで安心した。
四日目は元町周辺を巡る。家の近くだし、高校も近いから同級生に見つかったらどうしようかと目深に帽子をかぶってたけど、誰にも会わずに済んだ。
そうして最終日は市電で函館市内を見て回りたいとの朝陽からのリクエスト。
この四日間私は実によくその要望に応えてあげたと思う。もちろん人質に取られた手紙を取り返すため、あくまでそれだけのつもり! だった。
でも、朝陽と話をしていると、不思議と気持ちが軽くなるのに気が付いている。この数日、眠れずに手紙を書くことも、一人で思い悩むこともなかった。
もしかしたら朝陽は、少しでも私の心を母さんのことから逸らしたかったんじゃないだろうか。
朝陽との関係性が、私には楽だったんだ。最初から人に一番知られたくない自分を見せてしまったのと、彼がいずれ東京に戻っていってしまう人だから。
いなくなってしまう人の前では、自分の気持ちを考える暇もなく言葉に出せた。
『リッちゃん、生きてる~? 今日も楽しかったよ、ありがとう!! リッちゃんオススメのチーズスフレが美味しすぎて、いとこと取り合いになっちゃった! 明日もよろしくね』
朝陽のことを考えていたら、今夜も笑顔スタンプ満載のメッセージが届く。
『生きてるよ、明日の待ち合わせ場所と時間、どうしよう?』
朝陽がお世話になっているという、いとこの家。
市電のどつく駅に近い停車駅みたい。
歩いてそこまで行ってあげようかな。返事を待つ間にそんなことを考えていたら、急に電話が鳴り出した。
朝陽からだろうなと推測して、誰からの表示かも気にせずに出た瞬間。
『リツ? あんたの制服、洗濯から返ってきてるけど、どうすんの?』
不機嫌そうなその声に忘れかけていたものを思い出して、一瞬黙り込んでしまった。
『リツ? 聞こえてんの? リツ!』
母さんは何も答えない私にただ確認をしているだけなのに、矢継ぎ早に責め立てられているようで胸がざわざわとしてくる。
「聞こえてるよ、明日取りに行くね」
『何時頃来るの?』
早めに済ませてしまえば朝陽とも会えるかな。
「朝のうちに行くから」
『わかった。したら、待ってるわ』
電話を切った後、襲ってくる言い知れぬ不安感。
数日ぶりに感じた暗闇に落ちかけた瞬間、メッセージ音にビクッとした。
『何時にしよ? 朝から行っちゃおっか! 俺、リッちゃん家に近い停車駅まで行くから』
朝陽だったことにホッとした。あの笑顔を思い出したら落ちずに済む。
『あのね、明日――』
私の打った返事に、すぐに朝陽からの電話が鳴った。
「おはよう、リッちゃん!」
いつから待っててくれたんだろう。寒さで少し鼻が赤くなってる朝陽が、私の姿を見つけて笑顔で手を振っている。
「おはよ、早くから付き合わせてごめんね」
ポケットに手を突っ込み、寒そうなのに我慢して笑っているから。
「あげる」
朝陽のポケットにカイロを突っ込んだ。
「リッちゃんだって寒いでしょ?」
「道民なめんでないよ、全然平気だから」
遠慮する朝陽に、平気だと何の根拠もない見栄を張った。嘘だ、道民だって寒いもんは寒い。
◇◇◇
『あのね、明日、ごめん。急なんだけど、朝イチに実家に物を取りに行かなきゃなんなくてさ、待ち合わせは十時くらいでもいいかな?』
そう返信したらすぐに朝陽から電話がかかってきた。
『リッちゃん、何忘れたの?』
「制服……、洗濯に出してたままだったの。さすがにそれは取りに行かないと明日から学校行けない」
ため息と苦笑いを零したら。
『ならさ、九時に待ち合わせて一緒に行こう、リッちゃん家』
「ダメダメ、朝陽を連れてくのは」
『大丈夫、家にまでは行かないよ。お母さんと会った後のリッちゃんが心配なだけ』
「大丈夫だよ」
大丈夫、私は大丈夫。仮面モードの自分が顔を出す。
『嘘つき、全然大丈夫じゃないくせに』
朝陽は私の心を映す鏡でも持っているのじゃないだろうか?
「うちの近くにね、美味しいお弁当が売っているお店があってね」
『うん』
「おごるね、なまら美味しいから朝陽に食べてほしい。函館でしか売ってないから」
後一日で朝陽とはサヨナラなんだ。たった五日間だったのに、今までの人生で関わった人の中で、一番私のことを理解してくれた人だ。
『リッちゃんのオススメなら絶対美味しいに決まってる! めっちゃ、楽しみ』
朝陽が明日ついてきてくれることが心強かったから、私はその言葉に甘えることにした。
朝陽は寒い中、実家に行ったままの私を二時間近くも吹きさらしの浜辺で待ってくれていた。
「ごめんね、遅くなった! 寒かったよね、朝陽。本当にごめん!」
大きな流木に腰かけて沖を眺めていた朝陽は、駆け寄った私に気付いて立ち上がる。
「リッちゃん、目腫れてるじゃん」
あーあ、と困った顔で私の頭を撫でてくれた。
「大丈夫」
「大丈夫じゃないでしょ」
気を抜いたらまた涙が落ちてきそうだから、優しくしないでほしい。
「朝陽、ハイ! 買ってきた! ハセガワストアのやきとり弁当、昨日言ってたやつ!!」
「あ! 俺の大好物、やったあ」
「え? 食べたことあんの?」
「うん、いとこも好きで食べさせてもらったことある」
「なんだ、残念、もう知ってたのか」
「リッちゃんの分は?」
「買おうと思ってたんだけどさ」
ハハッと笑ってみせて、制服の入った大きな紙バッグとは別に、手にした大きなエコバッグから弁当箱を取り出した。
「ん? 何それ?」
「うん、母さんお昼ご飯作って待ってたみたいでさ。それでケンカになったの」
「どういうこと?」
「夕方まで私が家にいると思ってたみたいでさ、私の好きなものたくさん作って待ってたんだわ」
母さんは珍しく機嫌がよくて、「ただいま」と玄関を開けた私を「おかえり」と笑顔で出迎えてくれた。
玄関ホールには制服の入った紙バッグが置かれている。
「これだよね? 母さんから電話なかったら明日慌ててたわ、ありがとう」
家に上がらずにそれを持とうとした私に母さんは。
「じっちゃんにおかず持ってってね、いっぱい作ったし」
と背中を向けてキッチンに入っていってしまったから、私も続いて家に上がることになる。
気温はそんなに高くないし、夕方までに帰るし持って歩いても平気だな、少し重いけれど。
「煮しめと、赤飯とさ。昆布巻き、後ザンギもあるから」
テーブルいっぱいに広がったおかずの数々は、私の好物ばかりだった。朝から作ってくれていたことに嬉しくなる。
「お昼も食べていくでしょ、こんなにあるんだし」
母の笑顔に私は返事をつまらせた。
「そっからもう、わや!」
「わや?」
「あ、えっと、わやってのは、すごかった? 修羅場?」
食べながらでいいよ、と朝陽の座ってた流木に並んで腰かけて膝の上に弁当を載せた。
「友達と約束があるから、すぐに帰らないと、って言ったらさ」
「うん」
「せっかく待ってたのに! 久しぶりに家に帰ってきたのに、そんなに母さんの顔見るの嫌なのかい? って」
「リッちゃんは何て答えたの?」
「違うよ、嫌なんじゃないよ、ただ今日は最初から用事があったんだよ、って。したらさ、嘘なんでしょ、どうせ来たくなかったけど、仕方なく来たんでしょ! さっさとじっちゃん家に帰れば? しばらく戻って来なくてもいいように忘れ物しないようにね、って」
泣きながらしばらく怒鳴っていた母さんは「あんたの顔、見てるのも疲れるわ」と自分の部屋に籠ってしまったんだ。
「夕飯の分と、お昼分の自分の弁当に詰めてもまだ余ってたわ、テーブルの上に。悪いことしたよね、最初からすぐ帰るって言っておけばよかったね」
話をじっと聞いていた朝陽は、私の膝の上に載っていたまだ蓋の開いていない弁当箱を取り上げた。
「リッちゃん、チェンジして? 函館の人の作るおかず大好き」
と、私の膝にやきとり弁当を載せた。
「めっちゃ美味しそう、いただきます!」
蓋を開けて昆布巻きに食らいついている。
「うまいっしょ?」
「うん、リッちゃんのお母さん料理上手! なまらうまい」
下手くそな北海道弁でふにゃりと笑って。
「リッちゃんも悪くないし、お母さんも悪くないよ」
「うん?」
「言っておけばよかったってリッちゃんは言うけれど。最初から『お昼作って待ってる』ってお母さんが言ってたらリッちゃんだってそのつもりで行ったでしょ? それにお母さんだって、リッちゃんと久しぶりに顔を合わせるの楽しみにしておかず作って待ってたんでしょ? だったらどっちも悪くないべさ」
「……イイコト言ってくれても、最後の下手くそなべさで全部消えるから!」
「北海道弁、難しい」
真面目に悩む朝陽に苦笑した。
わかってる、朝陽の言いたいことは正論だ。ただ正論が母さんには通用しないから諦めるしかないのだ。
でも今日の母さんの気持ちは何となくわかる。私に少しだけ優しくしたかったんだってことは、あのテーブルに広がったおかずの山でわかったから。それに応えてあげられなかったことに申し訳なくなる。
「なんで、焼き鳥なのに豚なんだろうね?」
「え? 焼き鳥は豚でしょ」
「それ函館とか、一部の地方だけみたいだよ?」
「嘘だ、んなわけないべさ」
焼き鳥を串から外そうとしていたら、朝陽は一本取って、代わりに母さんのザンギを載せてくれた。
「交換! 唐揚げ、なまらうまいよ?」
「唐揚げじゃありませーん、ザンギって言うんです!」
「あ、そうだった、忘れてた!」
「後、訛らないでよ! 標準語に北海道弁入って何か気持ち悪いから」
「気持ち悪いって、酷いよ、リッちゃん」
イジけた朝陽を尻目にザンギを噛みしめた。母さんの作るものは、なまらうまい。
なんでもうまいから、涙が出そうになる。
一緒にそれを味わってくれる朝陽がいてよかった。一人だったら、泣いてた。
「赤飯に甘納豆入れるのも北海道だけだって知ってた?」
「嘘だ!?」
私が常識だと信じて疑わなかった世界も、よその人から見たら常識じゃないってことが、たくさんあるのかもしれない。
「朝陽の学校は、明後日から始まるの?」
「多分ね?」
「大丈夫? ちゃんと確認しないと大変だよ?」
お弁当を食べ終えても尚、移動しないままで海辺にいた。指先がかじかむのに砂を掘り、湿った部分で山を作ってみたりして。
「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる、って知ってる?」
「石川啄木?」
「あれ函館の砂浜って言われてるんだよ。この近くに啄木の公園もある」
「へえ? 知らなかった!」
結局どこかに移動するわけでもなく、一日ここにいることになりそうだ。
この砂浜は昔、海水浴場だった。今は遊泳禁止になってしまったけれど、私が毎年、拓や父さんと泳いでいた場所だ。
「リッちゃんは親友とかいる?」
「多分、いる」
「多分って?」
「ん~、私は親友だと思ってるんだけど、あーちゃんはどうだろ? 友達多くて元気な子だからさ、私以外にも仲良い人いっぱいいるんだわ。したけど、私は大好き」
「あーちゃん?」
「うん、一番仲良くしてくれてる人」
「そっか、なら学校は楽しい?」
「……、うん」
楽しいかどうかはわからない。
だって朝陽のように本音で話せる人は誰もいない。あーちゃんにだって話せない、家のことだけは。
クラスでの私の存在は『いてもいなくてもいい人』な気がする。
「朝陽は友達いっぱいいそうだよね、いつも皆の中心にいそうな人」
「へ?」
「違うの?」
朝陽には賑やかなグループが似合う気がする。女の子からも男の子からも人気があっていつもワイワイしてて、クラスの中心的な子。
そう考えたら朝陽って、奏太くんぽいかもしれない。
あーちゃんの幼馴染で隣のクラスのかっこいい人。サッカーがうまくて明るい奏太くんのことを思い出した。きっと朝陽もあんな感じで人気者なんじゃないかなあ?
「どうだろ。あんまりモテないよ?」
朝陽は私から目を逸らし、砂山に棒を差しこんで一人棒倒しを始めた。
「彼女とかいっぱいいそう」
「いっぱいって何だよ、今はいません」
「今はってことは、前はいっぱいいたんだ」
「いっぱいじゃないってば。何なの? 俺の印象って」
クックックと陽気に笑う朝陽だけど、時々それが嘘に見えることがある。
「リッちゃんが新しい彼女になってくれる?」
「絶対やだ、軽い人無理」
振られちゃった、と笑うその目の奥が悲しそうに見えた。
夕方まで砂浜で遊び、市電の停車駅まで歩くのが面倒になり、目の前にあるバス停から駅までバスに乗って帰ることにする。
少し遅くなるけど、母さんからご飯もおかずも貰ってきたから作らないで待っててね、とバスに乗る前にじっちゃんには電話をしておいたから安心だ。
二人掛けの椅子、私の膝の上には制服の紙袋。朝陽はおかずの入ったエコバッグを膝に載せてくれる。厚手のコートも着ているし何だかギュウギュウだ。
「例えばさ、リッちゃん」
漁火通りの夕暮れ時、窓際に座り車窓から海沿いを眺めていた私は朝陽の声に我に返る。
「うん?」
「俺がずっと側にいたら楽しいだろうなって思う?」
朝陽が側にいたら? そんなこと考えたことがなかったから沈黙してしまうと。
「何かショック! リッちゃんは俺が帰っても寂しくないってこと?」
「や、そうじゃないよ? まあ、話し相手がいなくなって寂しくはなると思う」
「じゃあ、また会いに来てもいい?」
「えっ?」
「だって、リッちゃんは函館で初めて出来た友達だからさ。また会いたい」
「……、うん、いいよ」
私も、だ。朝陽に、また会いたい。
「やった! じゃあ、すぐ会いに来るから」
「なに? ゴールデンウィークに来るの?」
「内緒、連絡するし! 約束だよ?」
差し出された約束の小指、ためらいながら絡めたら朝陽はニッと笑って。
「ずっと側にいたら、リッちゃんは俺のこと好きになってくれるのかな?」
とんでもないことを真顔で呟いた。
「なんない! 絶対なんない、軽い人好きじゃないもん」
「軽くないってば!」
慌てて顔を背け窓の方を見たら、朝陽の顔が反射していて。その目が私をじっと見つめていたから、窓越しに視線が交差する。
困るよ、そんな目で見ないでよ。明日帰っちゃうくせに。
「朝陽とはずっと友達でいたい、何でも話せる」
小さく呟くと朝陽が苦笑した。
「仕方ない、友達でいいよ。本気で迫ったらリッちゃんに嫌われそうだもんね」
言葉とは裏腹に、朝陽は私の手をギュッと握った。
そのまま駅前でバスを降りて、市電に乗り継ぐため停車駅までの道のりも朝陽は手を離してくれない。
横目でじとっと睨んだら。
「だって、明日から会えなくなっちゃうんだよ?」
悪びれた様子もなく笑っている。
本当にこの人は明日からいなくなるのか? ってぐらいのいつも通りのふにゃりとした笑顔だ。
「あのねえ、誰かに見られたら困るんだってば! 恥ずかしいっしょや」
同じ学校の人はいないだろうか、と周囲をキョロキョロ見渡した。
四月とはいえ、それでも北国の日暮れは早く、十八時前だというのに薄暗くなっているから、私だとは気付かれないかもしれない。とはいえ困る、心臓がドキドキしているから困るのだ。
朝陽は慣れているかもしれない。だけど私は、こういったことに慣れてはいないのだ。男子と手を握るなんて運動会でのダンスぐらいのものだし、それだって小学生の頃だもん。
どうしたらいいものか、どんな顔をしたらいいものか。
「今日だけ」
それでもダメ? と問いかけるような視線は何だかズルイ。
朝陽は時々甘えた顔をする。まるで大型犬のようで、何となく私はそれに弱い。
「今日だけだからね? 今度会った時はもうダメだよ!」
念を押したら、ワーイとはしゃいでいる。
約束って知ってる? 守る気ある!?
「この辺で手を繋ぐ高校生なんか、皆付き合ってる人たちなんだからね? 東京は知らないけど」
「東京だって同じだよ? 友達とは繋がないよ」
「したら、なして手繋いでんのさ」
「俺がリッちゃんのこと好きだからに決まってるべさ」
「わざと訛るな! 本当にいい加減にしなよ?」
むうっとふくれて睨み上げたらペロっと舌を出して笑ってる。
朝陽といると振り回されてばっかり、ずっと自分らしくない気がしてる。
悔しい、何だか悔しいのに。
明日からは朝陽がいない、そう思うと胸の奥が錆びたオルゴールみたいにギシギシするのはなんでだろう?
目の前に止まった市電を三本見送る。だってこれに乗ってしまったら、十分ほどで朝陽とはバイバイなんだってわかってるから。
お互いに話もせず、ただ手を繋いだままで四本目にやってきた市電にようやく乗って。
「なして朝陽まで降りるのさ?」
「ん? 朝もここまで歩いてきたしね」
私の最寄りの停車駅で朝陽も降りてしまった。
バイバイ、と言うタイミングで当たり前のように一緒に降りたから驚く。
「悲しいことがあったら絶対すぐに俺に連絡してね?」
「たまにね」
「そうだね、悲しいことはあまりない方がいいもんね。でも、一日一回は俺のこと思い出して。夜寝る前に『オヤスミ朝陽』ってキススタンプ送ってね?」
「やだよ、気持ち悪い」
もう、リッちゃんってどうしていつもそうなの? と眉尻を落とす朝陽だけど。
逆に聞きたい、どうして朝陽はいつもそうなの?
私は朝陽のことを忘れたりしないし、明日からきっとしばらくは寂しいと思う。だから友達がいいんだよ。友達のままでいればまた今度会った時にふざけて笑い合える。こんな風に私の脳と口が直結して何か言える相手は朝陽だけだから、ずっと友達でいたいんだ。
だから、この手を離してほしい。また一人に慣れなくちゃいけないんだから。
振り解こうとしてまた強く握られて、本当は無理に逃げ出すことだってできるはずなのに。
さっきから、どれぐらいの時間が経ったんだろう。
「遅くなるから帰りなよ」
朝陽の背中を見送りたい。
「リッちゃんから先に帰りなよ」
ズルイな、きっと同じこと考えてる。
「したら、せえので歩き出そっか」
私は坂道を上り、朝陽はどつくの方に向かって歩き出すんだ。
「またね、リッちゃん」
「したっけね、朝陽」
離れた指先がすぐに朝陽の温もりを奪い去り冷たくなっていく。
襲ってくる孤独に不安になるのは、二人に慣れすぎてしまったからだ。
振り切るように笑顔で朝陽の口元を見つめて息を合わせた。
「「せえのっ」」
朝陽からおかずのバッグを受け取り右肩に、左肩には制服。クルリと背中を向けて歩き出す、一歩二歩三歩。
ああ、寒い、時期的にもうマフラーはいいか、なんて甘かった。
坂道を上る私の首筋に潮風が吹き付けてきて、背中が丸まって足取りが重たくなってくる。
心がわやだ。悲しい? 寂しい? 泣きたい? 切ない?
言いようのない感情が北風みたいに心の中に吹き荒れて、その答えが知りたくて振り返った。
そうしたら、さっき別れた場所で朝陽が立ち止まり私を見送っているんだもん。
「ズルイよ、朝陽!!」
声に出したら一緒に涙が落ちてきた。
何だ、これは!
グイグイと手の甲でそれを拭いていたら、目の前には駆け寄ってきた朝陽がいて。
柔らかな微笑みで私を見下ろして、それから。
「したっけね、リッちゃん」
また中途半端な北海道弁でふざけて笑った後で、朝陽は私の頬を両手で挟んで上を向かせて。
初めてのキスを落とされた。
「じっちゃん、行ってきまーす!」
「今日は、帰り何時だ?」
「始業式だから、そんなに遅くなんないけど友達とお昼食べてくるから少し遅くなるね」
「おお、小遣いやるか?」
「大丈夫だよ、ちゃんとやりくりしてっから」
見送ってくれるじっちゃんに手を振って赤い自転車を土間から出した。
結局、自転車の試運転する暇もなかったなあ、朝陽のせいで忙しくて。
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