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5.それぞれの事情・祥太朗の場合
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カフェ・ムーンライトの一日の始まりは、午前九時ではなく午前八時に変更となった。
朝食の後片付けを洸太朗くんにお任せして、会社へと出かける祥太朗さんと一緒に家を出る。
「お店には慣れた?」
「大分慣れました」
同じように、お店までの道を祥太朗さんと歩くのも、ここ数日でようやく慣れた気がする。
「昨日、洸太朗くんと桃ちゃんがランチに来てくれたんです。桃ちゃんの美容学校の創立記念日だとかで」
「うん、自慢された。吉野さんのシフォンケーキがめっちゃ美味いんだって! いいでしょー、だってさ」
「あ、よければ家で作りましょうか? 日曜日にでも」
「ううん、いらない」
一瞬拒否されたみたいで、驚き俯いてしまったら。
「あ、そういう意味じゃなくて。明日、土曜日でしょ? 美咲とランチ食べに行くから、その時にいただきます」
そういうことか、とホッとした私に祥太朗さんは。
「美味しいのよろしく」
「美咲さんは、なに味のシフォンが好きでしょうか?」
「う~ん? なんでも好きだと思うよ? 吉野さんが作るもの全部美味いし。榛名兄弟も居候たちも胃袋掴まれてるからさ」
「ありがとう、ございます」
誰かに必要とされること、その嬉しさに自然と笑みが込み上げる。
「じゃ、今日も頑張って」
「祥太朗さんも! いってらっしゃいませ」
手をふり、駅に向かう祥太朗さんを見送ってからお店に入る。
「おはようございます」
「おはよ、風花さん」
キッチンでは既に、マスターが今日のランチの仕込みを始めている。
エプロンをつけて、私もキッチンへと入る。
入店時間が一時間早まった。その理由は、仕込みの時間があるからだ。
きっかけはバイト初日の朝のこと。
店内を掃除する私に、マスターが訊ねてきた。
「風花さんって、パンケーキ意外にもお菓子とか作れたり?」
「はい、実はお菓子作りが大好きで」
「んじゃ、ケーキとか」
「凝ったのはできないですが、作れます」
「パンとか」
「簡単なのでしたら」
「ちょっと、明日試しに作ってみない?」
「へ!?」
使われていなかったパンを焼くマシン、立派なオーブン。
それから、使い手のいなかったマシンたちを私が使わせてもらえることとなった。
本日は丸パン。こねて発酵させる合間にベイクドチーズケーキとシフォンケーキを作る。
シフォンケーキの味、今日はアールグレイ。
作っている間中、紅茶のいい匂いが漂ってきて、幸せな気分になる。
使い始めてからわかる、このマシンたちはほとんど新品だ。
そして、使われなくなってから数年時間が経っているようだった。
『確かに昔、あのカフェにはパンやケーキが作れる子が働いてたんだけどさ、事情があってもういないの。だから、それ思い出させるようなことだけは涼真には言わないでやって』
勇気さんの言葉を思い出す。
なにか事情があるのだろう。
チラリと覗く横顔は今日もイケメンで、きっとランチにはまたたくさんのマダムが訪れるのだと思う。
最初は女性店員? と敵視されるような態度だった常連マダムたちだったけれど、ケーキやパンを作ったのが私だとわかって。
『美味しかったわよ』『また来るわ』『あんたは真面目に仕事してるから、好きよ』と言ってくれるように。
そういえば店長が言っていた。
前のバイトの子は、マダムたちのあたりがキツくて辞めてしまったと。
でも、マダムたちに言わせれば、仕事もできないのにマスターにベッタリで、だそうだ。
真相はわからないけれど、できれば私は嫌われないようにしようと思う。敵に回してはいけない方々なんじゃないなかと悟った。
「風花さん、味見してくれる?」
黄金のコンソメスープを一口。
「今日も最高に美味しいです」
美味しさに頬が緩むとマスターも良かったと笑う。
「あと、これ。今日のランチのビーフシチュー、どうだろ?」
湯気が立ったスプーンに掬ったビーフシチューを私に差し出す。
え、っと、これは食べさせてくれる、ということだろうか?
恥ずかしいけど、口を開けてスプーンごとパクリ。
「お、おいひい、けど、アツ」
大きなお肉がゴロリと入っていて、アツアツの塊が口の中を転げた。
「ああ、お水飲んで。はい」
慌ててマスターが、私に冷えたお水を手渡してくれて涙目でそれを流し込む。
「ごめん、風花さん、口の中火傷してない? もうちょい冷ませばよかった」
「大丈夫です、美味しそうすぎてかぶりついちゃいました、あ、美味しそうじゃなくて、本当に美味しかったです」
マスターが、首を傾げて私を覗き込み、唇の横に伸びてきた親指が触れた。
「シチューついてた」
クスリと笑って、その親指を……、舐めた。
見てられずにクルリと背中を向けた私にマスターのクスクス笑う声が聞こえる。
「わ、私、そろそろお店の前、掃除してきます」
「よろしくね、フユ」
フユ!? 振り向いた時には既にマスターはまた下ごしらえに戻っていた。
聞き間違い、かなあ?
朝食の後片付けを洸太朗くんにお任せして、会社へと出かける祥太朗さんと一緒に家を出る。
「お店には慣れた?」
「大分慣れました」
同じように、お店までの道を祥太朗さんと歩くのも、ここ数日でようやく慣れた気がする。
「昨日、洸太朗くんと桃ちゃんがランチに来てくれたんです。桃ちゃんの美容学校の創立記念日だとかで」
「うん、自慢された。吉野さんのシフォンケーキがめっちゃ美味いんだって! いいでしょー、だってさ」
「あ、よければ家で作りましょうか? 日曜日にでも」
「ううん、いらない」
一瞬拒否されたみたいで、驚き俯いてしまったら。
「あ、そういう意味じゃなくて。明日、土曜日でしょ? 美咲とランチ食べに行くから、その時にいただきます」
そういうことか、とホッとした私に祥太朗さんは。
「美味しいのよろしく」
「美咲さんは、なに味のシフォンが好きでしょうか?」
「う~ん? なんでも好きだと思うよ? 吉野さんが作るもの全部美味いし。榛名兄弟も居候たちも胃袋掴まれてるからさ」
「ありがとう、ございます」
誰かに必要とされること、その嬉しさに自然と笑みが込み上げる。
「じゃ、今日も頑張って」
「祥太朗さんも! いってらっしゃいませ」
手をふり、駅に向かう祥太朗さんを見送ってからお店に入る。
「おはようございます」
「おはよ、風花さん」
キッチンでは既に、マスターが今日のランチの仕込みを始めている。
エプロンをつけて、私もキッチンへと入る。
入店時間が一時間早まった。その理由は、仕込みの時間があるからだ。
きっかけはバイト初日の朝のこと。
店内を掃除する私に、マスターが訊ねてきた。
「風花さんって、パンケーキ意外にもお菓子とか作れたり?」
「はい、実はお菓子作りが大好きで」
「んじゃ、ケーキとか」
「凝ったのはできないですが、作れます」
「パンとか」
「簡単なのでしたら」
「ちょっと、明日試しに作ってみない?」
「へ!?」
使われていなかったパンを焼くマシン、立派なオーブン。
それから、使い手のいなかったマシンたちを私が使わせてもらえることとなった。
本日は丸パン。こねて発酵させる合間にベイクドチーズケーキとシフォンケーキを作る。
シフォンケーキの味、今日はアールグレイ。
作っている間中、紅茶のいい匂いが漂ってきて、幸せな気分になる。
使い始めてからわかる、このマシンたちはほとんど新品だ。
そして、使われなくなってから数年時間が経っているようだった。
『確かに昔、あのカフェにはパンやケーキが作れる子が働いてたんだけどさ、事情があってもういないの。だから、それ思い出させるようなことだけは涼真には言わないでやって』
勇気さんの言葉を思い出す。
なにか事情があるのだろう。
チラリと覗く横顔は今日もイケメンで、きっとランチにはまたたくさんのマダムが訪れるのだと思う。
最初は女性店員? と敵視されるような態度だった常連マダムたちだったけれど、ケーキやパンを作ったのが私だとわかって。
『美味しかったわよ』『また来るわ』『あんたは真面目に仕事してるから、好きよ』と言ってくれるように。
そういえば店長が言っていた。
前のバイトの子は、マダムたちのあたりがキツくて辞めてしまったと。
でも、マダムたちに言わせれば、仕事もできないのにマスターにベッタリで、だそうだ。
真相はわからないけれど、できれば私は嫌われないようにしようと思う。敵に回してはいけない方々なんじゃないなかと悟った。
「風花さん、味見してくれる?」
黄金のコンソメスープを一口。
「今日も最高に美味しいです」
美味しさに頬が緩むとマスターも良かったと笑う。
「あと、これ。今日のランチのビーフシチュー、どうだろ?」
湯気が立ったスプーンに掬ったビーフシチューを私に差し出す。
え、っと、これは食べさせてくれる、ということだろうか?
恥ずかしいけど、口を開けてスプーンごとパクリ。
「お、おいひい、けど、アツ」
大きなお肉がゴロリと入っていて、アツアツの塊が口の中を転げた。
「ああ、お水飲んで。はい」
慌ててマスターが、私に冷えたお水を手渡してくれて涙目でそれを流し込む。
「ごめん、風花さん、口の中火傷してない? もうちょい冷ませばよかった」
「大丈夫です、美味しそうすぎてかぶりついちゃいました、あ、美味しそうじゃなくて、本当に美味しかったです」
マスターが、首を傾げて私を覗き込み、唇の横に伸びてきた親指が触れた。
「シチューついてた」
クスリと笑って、その親指を……、舐めた。
見てられずにクルリと背中を向けた私にマスターのクスクス笑う声が聞こえる。
「わ、私、そろそろお店の前、掃除してきます」
「よろしくね、フユ」
フユ!? 振り向いた時には既にマスターはまた下ごしらえに戻っていた。
聞き間違い、かなあ?
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