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14-1
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「いってきます」
二泊三日の旅行の帰り、マスターに送られて帰ってきた私は、そのまま荷物をつめて玄関で待っていた皆に声をかける。
「いい? 涼真くん、風花ちゃんに無理やり変なことしたら許さないからね?」
「だから、そういうのじゃないんですってば」
もう言いわけは疲れたとばかりゲンナリしているマスター。
もしかして、付き合い始めたのか?
もしかして、同棲しようとしているのか?
も、もしかして、二人はとっくにそんな関係だったとか?
皆のあらぬ妄想質問に、私とマスターはただ苦笑して、首を振るばかり。
私が泣いた日、マスターが提案してくれたこと。
『そんなに祥太朗の側にいるのが、辛いなら少し離れてみたら?』
気持ちはすっかりバレてしまっていた。
祥太朗さんと高野さんが抱き合っていたのを見てしまったこと。
好きだと思った瞬間に、振られてしまったということ。
『明日には大丈夫です、きっと』
『そうは思えないけど? あの婚約者に裏切られた時だって、吉野さんこんなに辛そうじゃなかったよ』
赤ん坊をあやすみたいに、私の背中をトントンと優しくたたいてくれるマスターの手。
『家においで、風花さん。部屋なら一つ空いてるし、ゴールデンウィークは予約客でいっぱいで夜まで忙しくてさ。手伝ってくれない?』
どういうことか、と見上げた私の頬を撫でてくれたマスターは。
『風花さんは、大事な相棒だから。笑顔でいてほしい、笑えるようになるまで……、うん、おいでよ。嫌じゃなければ』
マスターの優しい提案に少しだけ考えて頷いく。
脳裏によぎるのは、祥太朗さんと高野さんの姿。
胸の奥がズキズキと痛くて苦しくなる。
逃げたい、逃げ出したい、心がそう叫んでいる気がして、ゴールデンウィークが終わるまで、お世話になることに決めたのだった。
「風花ちゃん、ゴールデンウィークが終わったら帰ってきてくれる?」
桃ちゃんが心配そうに荷物を手にした私を見つめる。
「帰ってくるよ」
大丈夫と頷いたら、ギュッと抱きしめられた。
「涼真、風ちゃんのことこき使うんじゃねえぞ」
「当たり前だろ、大事にしてるし」
「言い方がやらしいし、大事にされてるかどうかは、風ちゃんしかわかんねえだろ」
「あ、そっか」
勇気さんとマスターの会話に皆が苦笑している中、小さな声が聞こえた。
「体、気を付けて」
「はい」
祥太朗さんの声に目を見ずに返事をした。
今、どんな顔をしているんだろう。
あの日、私と交わした約束、果たせなかったこと、どう思っているんだろう?
待ち合わせ場所に行けなかった私。
待ち合わせ場所に他の人といた祥太朗さん。
高野さんより先に私が到着していたら、今頃なにか変わったのかな?
「じゃ、行こうか、風花さん」
「あ、はい、よろしくお願いします」
もう一度マスターの車の助手席に乗り込んで、見送る皆の顔に手を振る。
窓ガラス越し、電柱の灯りが乱反射してるから気づかれまいと祥太朗さんを見た。
なにか言いかけるように結んでいた唇が開いた祥太朗さんを残し、車は出発する。
あと少し、もう少し、あなたが思い出になるまで。
時間を下さい、距離を下さい。
北海道にいるご両親が泊まりに来た時に客間として使っている部屋を貸して下さった。
何から何まで至れり尽くせりで、お風呂から上がったらホットレモネードまで作って下さっているという。
本当にお客様のような持て成しに申し訳なくなるのと、時々目に入るフユさんの肖像画をまともに見れないのは、私なんかがここにいて申し訳ないからだ。
「いつから祥太朗のこと好きだったの?」
突如のマスターからの突っ込みに、レモネードが鼻の中に入りそうになり、むせこむ。
「大丈夫?」
焦るマスターにこそ聞いてみたい。
「いつから気づいてたんですか?」
「ん~、はっきり気づいたのは、高野さんが祥太朗に急接近してきた頃かな。どんどん、風花さんが落ち込んでいってたし」
マスターが気づいたのと、私が自覚したのとが同じくらいで何だか乾いた笑いが出た。
いつから? いつからだったんだろう?
朝のほんの少しの二人だけのコーヒータイム、隣を歩きながらの通勤。
時々買い物に付き合ってくれて、一緒にキッチンに立ってくれたり。
それがとっても幸せで、祥太朗さんの笑顔をいつだって探してた。
きっかけは、いつだった?
インフルエンザで祥太朗さんに看病してもらった時?
バレンタインデーで美咲さんのことを吹っ切ろうとしてた姿を見て?
ううん、もっと前だ。
クリスマスの時、お互いを月みたいだって思った時?
違う、そういうことじゃなくて。
私を、わかってくれたこと、だ。
言葉にできない助けてを気づいてくれた人。
消えてしまいたい私に手を差し伸べてくれた人。
もちろん、マスターや榛名家の皆、誰もが優しいのだけれど。
私の奥深いところにある寂しいを丸ごと救い上げてくれようとする、そんな人だから。
出会った時にはもう惹かれはじめてたのかもしれない……。
「マスター、私の気持ち、誰にも言わないでくださいね」
「それって、祥太朗にも言わないってこと?」
「はい」
「高野さんに遠慮して?」
「それも、あります」
だけど、それだけじゃない。
「祥太朗さんって、優しい人じゃないですか。マスターのこともずっと心配してたり、勇気さんや美咲さんのことも」
うんうん、とうなずいたマスターに微笑む。
「幸せになってほしいんです、誰よりも」
私ではない、朗らかな人と。
「他の人と?」
悲しそうな視線に耐え切れなくて、笑ってごまかした。
ずっと一途に美咲さんのことを思ってきた人。
自分の想いを抑えて勇気さんと美咲さんの幸せを考えてきた人。
家族のことを大切に、自分を慕ってくれる人のことを守ってきた。
「祥太朗さんは、ずっと自分以外の人を大切にしてきた人でしょう? いつも誰かを見守っている、私が知ってる祥太朗さんはそういう人ですけど、きっと昔からでしょう?」
月のように誰かを優しく見守り、照らす。
静かで、ともすればそこにいることすらも主張したりしなければ、ただ当たり前のように存在しているけれど。
榛名家にとっては、一番安らぐ人。
優しすぎるからこそ。
「だからこそ、祥太朗さんには、高野さんみたいな人がいいんじゃないかなって思ったんです」
明るくて、太陽みたいに笑う人で、お母さんがいて、あたりまえの温かい家庭を知っている高野さんなら。
今まで自分の想いを抑えてきた祥太朗さんの気持ちも解放させてあげられる、そんな気がする。
そして、あの夜、祥太朗さんもそんな高野さんに惹かれたのだろう。
頭の片隅から離れてくれない、二人が抱き合う残像がまたよぎって、心臓をぎゅうっと握りつぶされたみたいに苦しい。
でも、こんなのはただの私の一時の感情。
「似てるのにね」
「え?」
「祥太朗と風花さん、似てるなって思うとこ、いっぱいあるよ。自分のことより周りが幸せであればいい、とか。それは二人とも辛い経験をしてきたからこそ、そういった想いが強いんだろうけどさ」
テーブルの向こう側でマスターがまたさびしそうに笑う。
「側にいるのにあきらめちゃってもいいの?」
マスターの言葉にハッとした。
目の端にフユさんの肖像画が映り込む。
すぐ側に祥太朗さんがいるのに、会える距離にいるのに、あきらめてしまってもいいのか、そういうことだろう。
マスターの気持ちを思うと、自分って本当に……。
「私、自分で思ってたよりも自分勝手かもしれません」
「ん?」
「好きな人が幸せそうなのを見ているだけでいいなって」
「あのさ、それって結構、辛いんだよ?」
即答し一瞬怒っているみたいなマスターが、またあわてて首をふる。
「祥太朗の笑顔が、全部高野さんに向いてしまっても、風花さんはそれでいいんだよね?」
マスターの言葉の意味をしっかりとかみしめたら。
心の奥に大きな穴が開いてしまった気がした。
私が選ぼうとしているのは、そういうことなのか。
目が合うと、恥ずかしくなって、でも微笑まれたらうれしくて。
吉野さん、って祥太朗さんが私のことを読んでくれる声や、気が付けば側で見守ってくれた温もりや。
そういうの全部、全部、あきらめなきゃいけない、そういうことなんだ。
「きっと、ゴールデンウィーク明けには、笑っていられると思うんです」
「ごめん、風花さん」
マスターがあわてたように私にタオルを運んできてくれる。
想像した瞬間、止められなくなった涙。
祥太朗さんの手の温もり、抱きしめられた腕の中。
全部全部忘れるから。
二泊三日の旅行の帰り、マスターに送られて帰ってきた私は、そのまま荷物をつめて玄関で待っていた皆に声をかける。
「いい? 涼真くん、風花ちゃんに無理やり変なことしたら許さないからね?」
「だから、そういうのじゃないんですってば」
もう言いわけは疲れたとばかりゲンナリしているマスター。
もしかして、付き合い始めたのか?
もしかして、同棲しようとしているのか?
も、もしかして、二人はとっくにそんな関係だったとか?
皆のあらぬ妄想質問に、私とマスターはただ苦笑して、首を振るばかり。
私が泣いた日、マスターが提案してくれたこと。
『そんなに祥太朗の側にいるのが、辛いなら少し離れてみたら?』
気持ちはすっかりバレてしまっていた。
祥太朗さんと高野さんが抱き合っていたのを見てしまったこと。
好きだと思った瞬間に、振られてしまったということ。
『明日には大丈夫です、きっと』
『そうは思えないけど? あの婚約者に裏切られた時だって、吉野さんこんなに辛そうじゃなかったよ』
赤ん坊をあやすみたいに、私の背中をトントンと優しくたたいてくれるマスターの手。
『家においで、風花さん。部屋なら一つ空いてるし、ゴールデンウィークは予約客でいっぱいで夜まで忙しくてさ。手伝ってくれない?』
どういうことか、と見上げた私の頬を撫でてくれたマスターは。
『風花さんは、大事な相棒だから。笑顔でいてほしい、笑えるようになるまで……、うん、おいでよ。嫌じゃなければ』
マスターの優しい提案に少しだけ考えて頷いく。
脳裏によぎるのは、祥太朗さんと高野さんの姿。
胸の奥がズキズキと痛くて苦しくなる。
逃げたい、逃げ出したい、心がそう叫んでいる気がして、ゴールデンウィークが終わるまで、お世話になることに決めたのだった。
「風花ちゃん、ゴールデンウィークが終わったら帰ってきてくれる?」
桃ちゃんが心配そうに荷物を手にした私を見つめる。
「帰ってくるよ」
大丈夫と頷いたら、ギュッと抱きしめられた。
「涼真、風ちゃんのことこき使うんじゃねえぞ」
「当たり前だろ、大事にしてるし」
「言い方がやらしいし、大事にされてるかどうかは、風ちゃんしかわかんねえだろ」
「あ、そっか」
勇気さんとマスターの会話に皆が苦笑している中、小さな声が聞こえた。
「体、気を付けて」
「はい」
祥太朗さんの声に目を見ずに返事をした。
今、どんな顔をしているんだろう。
あの日、私と交わした約束、果たせなかったこと、どう思っているんだろう?
待ち合わせ場所に行けなかった私。
待ち合わせ場所に他の人といた祥太朗さん。
高野さんより先に私が到着していたら、今頃なにか変わったのかな?
「じゃ、行こうか、風花さん」
「あ、はい、よろしくお願いします」
もう一度マスターの車の助手席に乗り込んで、見送る皆の顔に手を振る。
窓ガラス越し、電柱の灯りが乱反射してるから気づかれまいと祥太朗さんを見た。
なにか言いかけるように結んでいた唇が開いた祥太朗さんを残し、車は出発する。
あと少し、もう少し、あなたが思い出になるまで。
時間を下さい、距離を下さい。
北海道にいるご両親が泊まりに来た時に客間として使っている部屋を貸して下さった。
何から何まで至れり尽くせりで、お風呂から上がったらホットレモネードまで作って下さっているという。
本当にお客様のような持て成しに申し訳なくなるのと、時々目に入るフユさんの肖像画をまともに見れないのは、私なんかがここにいて申し訳ないからだ。
「いつから祥太朗のこと好きだったの?」
突如のマスターからの突っ込みに、レモネードが鼻の中に入りそうになり、むせこむ。
「大丈夫?」
焦るマスターにこそ聞いてみたい。
「いつから気づいてたんですか?」
「ん~、はっきり気づいたのは、高野さんが祥太朗に急接近してきた頃かな。どんどん、風花さんが落ち込んでいってたし」
マスターが気づいたのと、私が自覚したのとが同じくらいで何だか乾いた笑いが出た。
いつから? いつからだったんだろう?
朝のほんの少しの二人だけのコーヒータイム、隣を歩きながらの通勤。
時々買い物に付き合ってくれて、一緒にキッチンに立ってくれたり。
それがとっても幸せで、祥太朗さんの笑顔をいつだって探してた。
きっかけは、いつだった?
インフルエンザで祥太朗さんに看病してもらった時?
バレンタインデーで美咲さんのことを吹っ切ろうとしてた姿を見て?
ううん、もっと前だ。
クリスマスの時、お互いを月みたいだって思った時?
違う、そういうことじゃなくて。
私を、わかってくれたこと、だ。
言葉にできない助けてを気づいてくれた人。
消えてしまいたい私に手を差し伸べてくれた人。
もちろん、マスターや榛名家の皆、誰もが優しいのだけれど。
私の奥深いところにある寂しいを丸ごと救い上げてくれようとする、そんな人だから。
出会った時にはもう惹かれはじめてたのかもしれない……。
「マスター、私の気持ち、誰にも言わないでくださいね」
「それって、祥太朗にも言わないってこと?」
「はい」
「高野さんに遠慮して?」
「それも、あります」
だけど、それだけじゃない。
「祥太朗さんって、優しい人じゃないですか。マスターのこともずっと心配してたり、勇気さんや美咲さんのことも」
うんうん、とうなずいたマスターに微笑む。
「幸せになってほしいんです、誰よりも」
私ではない、朗らかな人と。
「他の人と?」
悲しそうな視線に耐え切れなくて、笑ってごまかした。
ずっと一途に美咲さんのことを思ってきた人。
自分の想いを抑えて勇気さんと美咲さんの幸せを考えてきた人。
家族のことを大切に、自分を慕ってくれる人のことを守ってきた。
「祥太朗さんは、ずっと自分以外の人を大切にしてきた人でしょう? いつも誰かを見守っている、私が知ってる祥太朗さんはそういう人ですけど、きっと昔からでしょう?」
月のように誰かを優しく見守り、照らす。
静かで、ともすればそこにいることすらも主張したりしなければ、ただ当たり前のように存在しているけれど。
榛名家にとっては、一番安らぐ人。
優しすぎるからこそ。
「だからこそ、祥太朗さんには、高野さんみたいな人がいいんじゃないかなって思ったんです」
明るくて、太陽みたいに笑う人で、お母さんがいて、あたりまえの温かい家庭を知っている高野さんなら。
今まで自分の想いを抑えてきた祥太朗さんの気持ちも解放させてあげられる、そんな気がする。
そして、あの夜、祥太朗さんもそんな高野さんに惹かれたのだろう。
頭の片隅から離れてくれない、二人が抱き合う残像がまたよぎって、心臓をぎゅうっと握りつぶされたみたいに苦しい。
でも、こんなのはただの私の一時の感情。
「似てるのにね」
「え?」
「祥太朗と風花さん、似てるなって思うとこ、いっぱいあるよ。自分のことより周りが幸せであればいい、とか。それは二人とも辛い経験をしてきたからこそ、そういった想いが強いんだろうけどさ」
テーブルの向こう側でマスターがまたさびしそうに笑う。
「側にいるのにあきらめちゃってもいいの?」
マスターの言葉にハッとした。
目の端にフユさんの肖像画が映り込む。
すぐ側に祥太朗さんがいるのに、会える距離にいるのに、あきらめてしまってもいいのか、そういうことだろう。
マスターの気持ちを思うと、自分って本当に……。
「私、自分で思ってたよりも自分勝手かもしれません」
「ん?」
「好きな人が幸せそうなのを見ているだけでいいなって」
「あのさ、それって結構、辛いんだよ?」
即答し一瞬怒っているみたいなマスターが、またあわてて首をふる。
「祥太朗の笑顔が、全部高野さんに向いてしまっても、風花さんはそれでいいんだよね?」
マスターの言葉の意味をしっかりとかみしめたら。
心の奥に大きな穴が開いてしまった気がした。
私が選ぼうとしているのは、そういうことなのか。
目が合うと、恥ずかしくなって、でも微笑まれたらうれしくて。
吉野さん、って祥太朗さんが私のことを読んでくれる声や、気が付けば側で見守ってくれた温もりや。
そういうの全部、全部、あきらめなきゃいけない、そういうことなんだ。
「きっと、ゴールデンウィーク明けには、笑っていられると思うんです」
「ごめん、風花さん」
マスターがあわてたように私にタオルを運んできてくれる。
想像した瞬間、止められなくなった涙。
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全部全部忘れるから。
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