今宵、月あかりの下で

東 里胡

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14-5

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 月が高い位置で私を見下ろしている。
 ガラガラとスーツケースを引き摺るようにして辿り着いたのは、祥太朗さんと最初に会った公園のベンチだった。
 全てはここから始まったから、終わりにするのもここでいいと思う。
 あの日、祥太朗さんが座っていた場所で真上にあるお月さまを見上げたら、やっぱり霞んでいく。
 待ち合わせ、なんて嘘。
 スマホには祥太朗さんからの連絡なんか来ていなかった。
 私が、そんな嘘を言わなければマスターにあんなさびしい顔をさせずに済んだのに、と思ったら、本当に自分が許せなくなる。
 祥太朗さんが来てくれるのを待っているのが怖くなった。
 一時間待っても来ない、きっともう来ないだろうって、逃げ出した。
 私にはまた家も仕事も、そして信用も何もなくなってしまったと思う。
『仕事のパートナーとしては、これからもよろしくね』
 その優しさに甘えるわけにはいかない。
 桃ちゃんにはウソつきだって怒られるかな?
 皆の前から突然消えたら、美咲さんにもみずくさいってきっとまた怒られるかもしれない。
 ズルイ私は、店を出てすぐにスマホの電源を落とした。
 誰かの声を聞いてしまったら、私の決心が鈍ってしまいそうだから。
 終電にはまだ時間がある。
 最後に少しだけ、この場所に立ち寄りたかった。
 祥太朗さんに、必要とされたかったなあ……。
 推しなんだって思ったら楽になるかと思ったのに、無理だった。
 なんで? いつから? どうしてこんなにも祥太朗さんのこと好きになってしまってたんだろう?
 声も笑顔も、少しだけ不器用で、だけど誰よりも皆を大事にしてくれる人。
 その一人で良かったはずなのに、特別になってみたい、なんて思っちゃったのがダメだった。
 向いてない、本当に向いてない。
 私みたいな人間は誰かに恋をしたり、欲張ったりなんかしちゃダメだ。
 明日からまたイチからやり直し、どこかで一人で生きていく。
 一人がいい、……、一人で……。
 だけど、どうしてこんなに涙が止まらないんだろう?
 美咲さんと桃ちゃんと一緒に着物姿で並んで写真撮ったことずっと忘れない。
 いつも私の髪型をセットしてくれた桃ちゃん、メイクしてくれた美咲さん、二人と一緒にいるのが楽しくてしかたなかった。
 まるで本当の姉妹みたいに大事にしてくれた。
『俺の家族にひどいことするやつは許さない』、そう言って有栖川さんを探してくれた勇気さんには感謝しかない。
『片づけくらいやるから、少し休んで風花さん』、弟がいたらこんな感じなのかなって思った優しい洸太朗くん。
『風花さんのおかげで店がまた明るくなったんだ』、私はマスターがいたから楽しく働けただけ。
『あの時、吉野さん拾って帰るのって、俺の役目って決まってたのかも、と思ったりしてる』
 私は、あなたに拾われて本当に本当に幸せでした。
 また、元に戻るだけ、ううん。
 こんな幸せな思い出ばかりを貰えたんだもん。
 寂しくなったら思い出せばいいんだ。

 ズズッと鼻水をすすって手の甲で涙を拭き、立ち上がる。
 月に向かって差し伸べた手は最期の悪あがき。
 あの人に届く、そんな気がして。
 明日、朝イチの長距離バスに乗ろう。
 どこに着くかはわからない、そんな旅に出よう。
 その町で少しだけのんびりして気に入ったら住みついちゃったりして。
 不安しかない、不安でしかない、だけど前よりは強くなった。
 素敵な思い出が私にはあるから。
 意を決して歩き始めようとしたのに。

「吉野さん!!」

 一番聞きたかった声に振り返ったら、もう会えないって思ってた人がそこにいた。
 どうして?
 一番会いたくて、でも今は会いたくなかった……。

「どこ、行く気?」
「ちょっと里帰りに、あ、あの、墓参りです、母と祖母の」

 慌ててついた嘘なんかバレバレだろう。
 泣き腫らした顔を見られないように、背中を向けて顔をこすった。
 逃げるようにスーツケースを引きながら。

「本当に急ですみません、なのでまたしばらく榛名家に戻ることは」
「待って、吉野さん!」

 スーツケースがガタンと動かなくなってしまったのは、祥太朗さんが止めているからのよう。

「吉野さん……、教えて? あの日、吉野さんは俺との待ち合わせに来てくれた?」

 重なる二人のシルエットが脳裏に浮かび、背中を向けたまま、うなずいた。

「俺は、吉野さんが来なかったって思ってたんだ」

 回りこんできた祥太朗さんが、私を覗き込む。

「あの日、高野に告白された。だけど好きな人がいるからって高野には伝えたんだ。でも泣かれて抱きつかれて、それ見られちゃった、とか……?」

 多分、それ見ちゃいました。
 頷いたら大きなため息をついた祥太朗さんが、頭を抱えている。

「さっき、もう一度高野に会ってきた。いくら告白されても俺には好きな人がいるから、その人以外は無理だってこと。だから明日からは迎えに来なくていいってことも。また、泣かれたし、高野には申し訳ないって思うけど、俺が中途半端に期待を持たせてたのかもしれないから。謝ってきた」

 すーっと息を吸って、何かを探るように夜空を見上げた祥太朗さんの目に月が映っていた。
 それから、私の顔をまた見下ろして。

「俺が好きなのは、吉野さんです。あの日、伝えようって、そう思ってた」

 おどろき、首を横に振る私に、ウソじゃないと祥太朗さんも首を振る。
 涙が溢れ出る前に、それは祥太朗さんの胸に吸い込まれた。

「ごめん、遅くなって。ムーンライトに迎えに行ったら、もう吉野さんはいなくて。お前が待たせすぎるからだろ、って涼真に怒られた。吉野さん、俺たちの前から、消える気だったでしょ? また一人になろうとしてるでしょ?」

 ああ、いつも祥太朗さんにはお見通しだ。

「俺、毎朝、起きるのが楽しみで。ほら、朝まだ誰も起きてこない時間に二人で珈琲淹れて飲むの。そういう時、吉野さんと一緒だと時間が全部優しくなってて」
「違います、違う」
「え?」
「それ、祥太朗さんが優しいからです。私じゃない」

 腕の中で祥太朗さんを見上げたら、首を振って微笑んでる。

「一緒に通勤するのも、楽しかったんだ。時間が短いのが癪だけど」

 朝のたった十分弱、並んで歩く二人の時間。
 私も、とっても楽しい時間だった。
 今日も頑張ろうって前向きな気持ちになれるから。

「週末の買いだしも楽しかったし、吉野さんの作るご飯は美味しいし、なんだかいつも家がピカピカで、帰ってくると『おかえりなさい』って出迎えてくれるでしょ? ああ、今日も吉野さん笑ってるなあってすごく安心した」

 だって、それは祥太朗さんだから。
 『ただいま』って祥太朗さんが笑っていたら、自然と私も笑顔になれる。
 美味しいって言ってくれたら、明日はもっと美味しいの作りたくなってしまう。
 買い出しが楽しいのは私だけだと思ってたのに。
 同じだったの?
 同じ、気持ち?

「それ、全部無くなるの、嫌だなって。吉野さんの笑顔、見れなくなるの、無理だわ、俺」

 ああ、それは全部全部、まるっきり私の想いだ。
 
「……、私だって、嫌、です。やっぱり、嫌です。祥太朗さんの笑顔、見れなくなるの」

 見上げた祥太朗さんは驚いたように目を丸くしてから、笑ってくれた。
 
「吉野さん、俺と一緒に帰ってくれませんか?」

 いいの? いいのかな?
 私に伸ばされた手を、おそるおそる握り返す。
 あの日と同じ月あかりの下で。
 あの時と同じ温かい手、見上げれば穏やかな笑顔にホッとしてしまう。
 少しだけかがみこんだ祥太朗さんの顔が少しずつ近づいてくる。
 吐息すらかかりそうな距離で、そっと目を閉じたら。

「美咲ちゃん、いた! 風花ちゃん、いたよ!」
「もう、なんで心配させんのよ~!」

 聞き覚えのある声に焦り、慌てて二人とも顔を背け合った。

「マスターから連絡もらって探し回ったんだからね! 帰ってくるって言ったくせに、風花ちゃんの嘘つき!」

 走ってきた桃ちゃんが、祥太朗さんをドンッと突き飛ばして、私の首をしめるみたいにギュッと抱きついてきた。

「風花ちゃんが悪いわけじゃない。うちのバカ弟のせいって涼真くんに聞いた。祥太朗がなんかしたっていうなら、姉として代わりに私が謝るし。もしそれでも祥太朗のことが許せないなら。仕方ないからアイツを追い出すし」
「ちょ、美咲!!」

 祥太朗さんのつっ込みには返事もせずに、私と桃ちゃんを抱きしめる美咲さん。

「風ちゃん、なんでそんな水くさいわけ? 俺に一言相談あっても良くない? 家族のつもりで見守ってますけど?」
「そうだよ、この半年俺の血肉を作ってくれたのは、風花さんなわけ! 今更、何も言わずに消えるとか、ホント無理。困るから」

 いつの間にか勇気さんと洸太朗くんも側にいた。
 マスターもホッとしたように微笑んでいる。

「風花さん? 明日からも働いてくれるって約束したはずだよね?」

 少しイジワルな笑顔に、泣き笑いでうなずいた。
 いいんですか? 働いても?
 一人でいい、って思ったはずなのに。
 皆の笑顔が嬉しすぎて、また涙が止まらなくなる。

「祥太朗、なにか皆に言うことないの?」

 マスターからのフリのような投げかけに言葉に詰まる祥太朗さん。

「なに? 祥太朗、あんたなんか隠してることでもあるの?」
「べ、べつに」
「言っちゃえばいいじゃん? 覚悟決めて風花さんのこと探しに来て引き留めたんだろ?」

 祥太朗さんはマスターをじっと見つめ返して、小さくうなずいて。

「俺には吉野さんが必要なんで、連れて帰るから」

 真っ赤な顔でこちらに近寄ってきた祥太朗さんが、私の手を握りもう片方の手でスーツケースを持ち歩き出す。

「え? 待って? どういうこと?」
「そういうこと? そうなの?」

 スタスタと早歩きをして皆の輪から距離を置こうとしている祥太朗さんが困ったように私を見下ろして苦笑い。
 私も、なんだか楽しくなって笑い返す。

「ねえ、ちょっと待ってって! ちゃんと話し聞かせなさいよ~!」
「つうか、祥太朗で大丈夫なわけ? 涼真の方がよっぽど、うぐっ。ってえな、なにすんだよ、涼真!」

 後ろから聞こえてくる声に後押しされるように、家まで手を繋いで歩いたこの日を私は一生忘れないだろう。
 幸せって、こんなにも優しくて温かいものから生まれてくるんだ。
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