今宵、月あかりの下で

東 里胡

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15.いつか、月あかりの下で

15-2

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 テレビの効果は絶大だった。
 ランチタイムは満員御礼、連日予約でいっぱい。
 そのため、当分はディナータイムを取りやめることにした。

「まあ、昼間に人が来てくれるから、大丈夫だけどさ」

 売り上げを心配する私にマスターが安心させるように笑ってくれた。
 今日のランチタイム、最後のお客様が帰ってから、まかないを食べ、二人で明日の仕込みをしていた時だった。
 鍵をしめたはずのドアの外、コンコンと叩く人がいる。
 
「すみません、本日はもう閉店しました。当分、予約制となっておりまして」

 マスターがドアを開けて対応してくれている間に、パンの種を仕込んでいると。

「こちらに、吉野風花はいませんか? いますよね?」

 切羽詰まったような女の人の声が聞こえてきた。
 私の、知り合い?
 手を洗い、慌てて私もドアに向かってから、その人が誰であるか気づき足が止まってしまった。

「風花? やっぱり、風花よね? ああ、もう、どこに行ってしまったのかと」

 その人はマスターを押しのけて、私に駆け寄ってきて。

「探したの、ずっと探してたのよ、風花」

 声も出せずにいる私をぎゅうっと抱きしめてきた。

「……、叔母さん、どうして……、ここが」
「テレビよ、日曜日にやっていた。風花が映ってた。なんで、東京に? ビックリしたけど、元気そうで良かった。それに、こんなにキレイになって。あんたに会えなくなって、もう五年? 六年?」

 頷きながら、そっとマスターを見たら困ったような顔をしている。
 きっと私はそれ以上に困った顔をしているのかもしれない。
 マスターはそれに気づいてくれたようだった。

 向かい合って座る私たちの前には、マスターが淹れてくれた珈琲と、叔母さんには一つ売れ残ったシフォンケーキを出してくれた。

「このケーキ、風花さんが作ってくれてるんです。美味しいですよ」

 マスターの説明に、叔母さんは興味なさげにふうんとケーキを眺めてから、珈琲に砂糖をたっぷりと入れかき混ぜた。
 久しぶりに見る叔母さんは、記憶の中よりも大分年を取っていた。
 肩までの髪には幾筋も白いものが混じっている。
 好んでよく着ていたくすんだ色のブラウスと、同系色のタイトスカート。
 ほつれた袖口が年季を感じさせていた。
 裕福な家じゃなかった。
 叔父さんはあまり働かず、叔母さんのパートのお金で食べていたから。

「去年の夏にね、叔父さんが倒れたの」

 涙ぐむ叔母がズズっと珈琲をすする。

「今は家で介護してるんだけどね、私も仕事もあるし。日中は民間の介護の人を頼んだりもしているんだけどね」

 叔母さんが言うには、夜の介護をすると仕事に支障が出る。
 それで休んでしまえば叔母さんの給料が減ってしまう。
 せめて時折でも、夜の介護をしてくれる人がいれば、と。
 そこまで話して、真剣な顔で私の手をギュッと握った叔母さんが。

「ねえ、風花、一度叔父さんのお見舞いに来てくれない?」
「え?」
「あんただって、叔父さんには世話になったでしょ? もう長くはないかもしれないの。叔父さんは、あんたのことずっと心配してたのよ? せめて一度顔だけ見せに来てよ」
「あの、」
「ねえ、店長さん、明日この子休ませてもいいかしら? 一日だけでいいの、ね」

 いいともダメだとも言わないマスターの返事を待たずに、また私に向き合う。

「明日、七時に東京駅新幹線の南のりかえ口で待ってるから。それとね、ここまでの新幹線代と帰りの運賃、それから今夜の宿代を貸してくれないかしら? 明日会った時でいいから。風花を探さなきゃって家中のお金をあつめてきたの。お願い、来月のパート代が入ったら必ず返すわ。でなきゃ、叔父さんのオムツも買えなくなってしまうの」

 唇を噛みしめて、顔を見られないようにうつむきながら頷いた。

「あんたは私たちの娘だと思って育ててきたの。また会えて良かった。本当に」

 店の外まで見送ると叔母さんがまた私を抱きしめる。

「明日、必ず待ってるからね」

 念を押すような低い声に、ただただ頷くだけの私は一気にあの頃に戻ってしまう。
 逆らえない、逆らってはいけない。
 遠く小さくなってから店に戻った私にマスターは。

「明日、本当に行くの?」
「はい、すみません……、急にお休みになってしまって。こんな忙しい時に」
「そんなのはどうだっていいんだよ。でもさ、風花さんは本当に行きたいの?」

 全て知っているマスターの問いかけに、私は曖昧に笑って見せた。
 行きたくなんかない、だけど行かなくちゃいけないんだ……。





 すぐに戻るつもりだ。
 そう思うのに、足取りが重い。
 戻ってしまったなら、もしかして帰してもらえなくなるかもしれない。
 夜の介護が欲しい、叔母さんが言っていたのは介護を無料でしてくれる人手、つまり私のことだ。
 このまま榛名家に戻り、叔母さんのところには行かなければいいんじゃないかと何度も思いながら電車を乗り継ぐ。
 まだスーツ姿の人もまばらな時刻。
 そろそろ祥太朗さんが起きた頃だろうか?
 朝ごはんとテーブルの上に置いたメモ。
『一日だけ長野に戻ります。夜には帰ってきます』
 
 昨夜の夕飯のハンバーグは少しだけ焦げてしまった。
 考え事をしていた私のミスだ。
 謝る私に、少しぐらい焦げてても美味しいよ、と皆は笑ってくれたけれど。
『なんか、あった?』
 一緒に並んで片づけをしながら祥太朗さんが私を覗き込む。
 大丈夫、と悟られないように微笑んで見せたら、祥太朗さんは何だか納得のいかない顔をしていた。

 行きたくない、でも行かなければならないのだ。
 榛名家の笑顔を守るために。
 高校を卒業してすぐに味わった、あの悲しくて虚しくなった日のことを思い出す。

『吉野風花の叔母です』
 高校卒業後、寮つきの車の修理工場で事務員として働きだした。
 そこに叔母が現れたのは働いて三ヶ月ほどたった頃だ。
 叔母の存在を知らなかった社長は、どうぞと招き入れてしまう。
『私と夫は子供がいなくて、風花を本当の娘として育ててきたんです』
 叔母の言葉に、それはそれはと同情するように頷く社長。
 社長の態度に気をよくしたのか、いかに貧乏で育てるのが大変だったか、それでも可愛い娘だからできるだけのことはしてきた、と尚も話し続ける。
 それを聞きながら、一体誰のことを話しているのだろうかと思った。
 誰が叔母夫婦の可愛い娘? 
 おかしくて笑いたいのに、なぜだか油断すると涙が落ちてきそうになる。
『大変ご苦労されて育ててきたんですね』
『ええ……、風花もそれはわかってくれていて、約束をしてくれたはずですのに』
 チラリと私を一瞥した叔母に、社長は『約束とは?』と首をひねる。
 約束? どういうこと?
『高校を卒業して働きだしたら、私が叔母さんを楽にしてあげる。毎月送金してくれると言っていたんですよ。でも、この子ってば卒業してしまって家を出たら何の音沙汰もなくて』
 別にお金が欲しいわけじゃないの、何も連絡をくれないから叔母さんは悲しかったの、とオイオイと泣き出した。
『吉野さん、それはちょっとあんまりじゃないか』
 社長が眉間にしわを寄せて、私に対してため息をついて。
『もしね、吉野さんが送金を面倒くさいと思っているのなら、こうしないか? 月々、吉野さんの給料から五万円ほど天引きし、叔母さんの口座に直接私が振り込むというのはどうかね? 君の手元にはそれでも十万円残るし』
 そこから更に寮代に二万円引かれてしまうというのに……。
 短い期間でも一緒に働いてきた私よりも今日会ったばかりの叔母の嘘を信じてしまった社長に、裏切られた気がして悲しくなったけれど。
 わかりました、と頷いた。
 社長の後ろで笑う叔母に唇をかみしめながら。


 あの年の冬、必死に切り詰めて貯金をした私は、辞表を出して会社を立ち去った。
 社長にも誰にも次に働く場所は告げず、そうして叔母とはそれきり疎遠になったのだ。
 なった、というのに……。

 私が今逃げれば、何度でもムーンライトを訪れるだろう。
 そのうち榛名家にも叔母は出向くかもしれない。
 そうやってまた私の居場所を奪い、信用を失わせるだろう。
 叔母の話を榛名家の皆が信じるわけはないって思ってる。
 だけど、私のことで皆を不快にさせたくはないのだ。

 今日は叔母について長野に行く。
 話し合って、今日中に戻ってくる。
 鞄の中に入れた封筒を確認する。
 二十万円入ってる、この数か月貯めてきた今の私の全財産だ。
 来月からはまた五万円ずつ送金するから、そのお金で介護人を頼んでほしい。

「風花、遅いわよ」

 時計は七時一〇分、足取りの重さで遅れてしまった私を、待ち合わせ場所で叔母は冷たく睨んでいた。

「ごめんなさい」
「七時半の新幹線に乗りたいの。あんた、チケット二枚買ってきてよ。それからさ、新幹線の中で食べられる朝ごはんも買ってきて? 私、まだ食べてないのよ」
「……、はい」

 トボトボとみどりの券売機に向かい、大人二枚のチケットを押す。
 座席を指定して、お金を入れようとした時だった。

「ダメだって」

 私の手首を強く掴みとめる人。

「な、んで……?」

 その人の顔を見上げたら今まで堪えてた涙が落ちてきた。
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