今宵、月あかりの下で

東 里胡

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美咲と勇気

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「美咲ってさ、いつ?」
「うん?」
「いつ、俺の事好きになったの?」

 思わず飲んでいた紅茶を噴き出しかけた私の背中を、勇気がさすってくれた。

「なっ、なんなのよ、突然」
「なんでって聞いてみたかっただけ。多分、両想いだろうなあってのは思ってたけど、そういえばいつからだっけ? って」

 ニッと歯をこぼして笑うその顔、鈍感すぎて腹が立つ。
 いつって、あの時だよ!
 あの時――。


***

「あのさ、自分一人悲しいとか思うなよ、美咲さん」

 祥太朗の友達の、なんだっけ? 勇気くん?
 まだ学校にいるはずの時間だし、少なくともうちの祥太朗はそうだ。
 時計の針はまだ十時、三時間目くらいなはず。
 茶色い長めの前髪を結んで、玄関前で私を睨み上げてくる彼にため息をついた。

 二か月前、両親が亡くなった。
 クルージングディナーの最中、衝突事故にあい亡くなってしまったのだ。
 仲の良い二人だった。
 私を生んですぐ、体の弱かったママが亡くなり、男手一つで小学生まで育ててくれたパパは口数は少ないけどいつだって笑顔で優しい人。
 そんなパパが、祥太朗のママと再婚して、洸太朗が生まれ、私は弟二人を持つお姉ちゃんになった。
 私は、生んでくれたママのことを写真でしか、覚えていない。
 だから、祥太朗のママのことを本当のママのように慕って育った。
 多感な中学高校の頃も、あのおおらかなママのおかげで私はこの家でワガママ放題させてもらえて、大事に育ててもらえた。
 
 そんな二人の結婚記念日に、私が送ったクルージングディナーチケット。
 大学生になってアルバイトしてたのは、そのためで。
 たまには子供たちの世話から解放されて、二人でデートでもしてほしいなって、そう思ったのに。

「あんたがそんな顔してっから祥太朗が無理してんじゃん? わかってんの?」

 ハッと目の前の彼に現実に引き戻された。
 気付けばこの二ヶ月、ずっと同じことを考えている。

『私が、あんなチケットさえ送らなければ、パパもママもずっとこの家で笑顔で暮らせたのに』


「あ、今日って学校は?」
「あるよ、早退した。美咲さんに文句があって」
「そっか……、よくわかんないけど上がっていく?」
「いや、ここでいい」

 勇気くんは、頑なに玄関先から動こうとしない。
 文句を聞いてあげれば帰ってくれるのだろうか。

「祥太朗となにかあった?」
「あった!! バンド解散!」
「そうなの?」
「そうだよ、美咲さんのせいで」
「え?」
「何も知らなかったの? 祥太朗、学校終わったら真っすぐ家に帰ってきてただろ? 家事が忙しいんだってさ、だからバンドなんかやってらんないって」
「本当に? 本当にそれで辞めちゃったの?」

 だとしたら私のせいだ、私がずっと部屋に引き籠って、家事は全部祥太朗がしていて。
 まだ高校生なのに、洸太朗の面倒も見ててくれて。
 家事のために、バンド辞めちゃったっていうの?
 どうしようと俯く私に。

「まあ、そうは言ってなかったけど」
「へ?」
「ついててやりたいんだって、美咲さんに」

 私に……?

「家族だから、困ってるときに助けてやるのは当然だって、アイツはそう思ってるんだろ」

 祥太朗は、ママに似ておおらかで優しくて。
 だから甘えてた。
 何もしなくてもいいよ、って言ってくれたから。
 ゆっくりでいいから、部屋から出られるようになるまでは、休んでてって。

「美咲さんさ」
「ん……?」
「美人で明るくて、威勢がいいのだけが取柄じゃん?」
「……!?」
「今、いいとこ何もないよ? 髪もボッサボサだしスッピンはまだしも眉毛も繋がってそうだし、暗いしボソボソ喋ってるし」

 グサグサグサっと私の心に色んなものが突き刺さってきた。
 ショックすぎて涙も出ない。

「こんな姿毎日見てたら祥太朗だって心配で、付きっきりになるのはわかる。でもさ、それでアイツの時間奪うなよ、まだ高二だぞ、俺ら。ちょっと青春だってしたい年頃なんだぞ?」

 わかってる? と下ら私の顔を覗き込んでくる勇気くんから目を逸らそうとしたら。
 勇気くんの両手が、私の頬を挟み込むようにして前を向かせられる。
 わかってる、私が高二の頃は好き勝手青春し放題だった、なのに、祥太朗は……。

「うちはさ? 出来のいい兄貴がいて、俺のことなんか眼中なくって、本命の私立落ちたら更に家では居場所が無くなって、まあそのおかげで祥太朗や涼真と出逢えて楽しい高校生活送れてっからいいんだけど。あ、話しズレたわ。でね?」
「う、うん」
「祥太朗の家に来るとさ、家族って本当はこういうんだろな、いいなっていつも憧れてたわけ! 仲良しの両親と美人の姉ちゃんと面白い弟がいて、楽しそうに笑ってて、皆助け合って暮らしてる感じがさ」

 そう言われて思い返す。
 日曜日には庭で大工仕事をするパパを手伝う祥太朗。
 洸太朗の宿題を見ながら、キッチンにいるママと一週間の出来事を話したり。
 もう戻れない日々に想いを馳せると。

「今、祥太朗だけに負担かけてない? 美咲さんは、それでいいの?」

 良くはない、良くはないんだけど。
 首を横に振るだけで、自分がすべきことがわからないでいる。
 祥太朗にだけ負担をかけたくはないのに――。

「まず着替えてきてよ、美咲さん。で、ビシッと化粧して俺の憧れてる美咲さんになってきて? そんで、俺と散歩でも行かない? あ、寒いからコートも着てきてよ?」
「寒い?」
「あ、ホラ、夏から時間止まってる。寒いの、もう秋なんだよね」
「そう、なんだ……」
「最近この近所に美味しいパン屋さん出来たの知ってる?」
「そうなの!?」
「行こ? 今から、一緒に。めっちゃ美味いからさ、んで明日の朝食用に美味しいの幾つか買って、祥太朗と洸太朗にも食わせてやれば?」
「……、それ、いいかも」

 二人が美味しいって笑ってくれるかもって想像したら嬉しくなって。
 嬉しいのに、涙がこぼれたら頬を挟んでいた勇気くんの手が拭うようにしてくれる。

「俺は祥太朗のことが心配で、同じくらい美咲さんのことも心配。どうしたらいいのかわかんないけど、二人が笑っていられるように、俺も考える。だから、寂しい時は祥太朗だけじゃなくて、俺にも甘えていいよ」

 よしよしと私の頭を撫でてくれてからニッと人懐こい笑顔をこぼした勇気くんに。

「生意気じゃん」

 鼻水をすすりながら笑ったら、抱きしめられた。
 ずっと誰かにこうして抱きしめられたかった。
 ママやパパにしてもらっていたように。
 

***

「逆に勇気は、私の事いつ好きになったのよ」

 思い出して恥ずかしくなって顔を背けたら。
 ツンツンと頬を突かれた。

「始めて会った日に、キレイなお姉さんに一目惚れ」
「え!?」

 それって多分、勇気が高校一年生の時だ。
 祥太朗の部屋から楽しそうな声が聞こえてきて。
 ああ、あの祥太朗にも友達が出来たんだ、そう思ったら嬉しくて姉として挨拶しなきゃって。
 一人は幼馴染みの涼真くん、そしてもう一人見知らぬ顔。
 チャラそうで人懐こい笑顔を浮かべていた、それが勇気との出会い。

「嘘、だ」
「嘘じゃないってば」

 ツンツンとしつこく頬を突くから、ふくれ面で振り返ったら。
 笑顔の勇気が私の頬を挟み込んで、頬の空気を抜かれてしまう。

「俺が教えたんだから美咲も教えてよ」
「……忘れた」
「ふざけんな!」

 ギュウーっと私の頬を押しつぶした後で。

「いつか絶対聞き出すんで」

 ニヤリと不敵な笑みを浮かべた勇気の瞳が細くなって、見つめ合うと距離が縮まる。
 どちらともなく近づいた私たちは、ついばむような軽いキスをした後で。
 もう一度笑い合って、二度目の少し長いキスをした。

『俺にも甘えていいよ』
 
 あの日の勇気の温もりが恋に落ちた瞬間だったなんて、きっと一生恥ずかしくて言えない。

――美咲と勇気――
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