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第8話 再会の丘で
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数年が過ぎた。
唐沢真司は、もう「未勝利ジョッキー」ではなかった。
あの日を境に、彼は少しずつ勝ち星を重ね、今では名の知れた地方騎手になっている。
ゼリーとの最後の勝利が、彼の人生を変えた。
風が頬をなでる。
牧場の丘の上には、あの日と同じような光が降り注いでいた。
「ここだよ」
隣を歩く愛美が、小さく笑った。真司は頷き、木製の柵を越えて進む。
そこには、穏やかな瞳の栗毛の馬がいた。
スターライトゼリー。
彼は少し年を取って、毛並みも柔らかくなっていた。けれど、その耳の動きも、鼻を鳴らす仕草も、あの頃と何ひとつ変わっていなかった。
「ゼリー……」
真司が声をかけると、ゼリーは柵のそばまでゆっくりと歩み寄った。彼の手の匂いを覚えていたのか、優しく頬を寄せてくる。
「覚えててくれたんだな」
「忘れるわけないよ。真司さんのこと、大好きだったんだもん」
愛美の声が震える。
ゼリーの背には、小さな子どもが乗っていた。観光客の女の子だ。
係員の手を借りながら、ゆっくりと馬の背を撫でている。
真司は静かに見つめた。
――走るための脚を失っても、ゼリーは今も人の笑顔を生んでいる。
「なぁ、愛美」
真司が言った。
「俺、この牧場に寄贈される記念碑の除幕式、頼まれててさ」
「記念碑?」
「“スターライトゼリー、25戦目 初勝利”って書かれてるんだ」
愛美は笑った。
「いいね。あの子にぴったりの言葉だね」
風が吹き抜ける。空の彼方に、雲の隙間から一筋の光が差した。ゼリーがその光の方を見上げ、軽く鼻を鳴らす。
その瞬間、真司は決心したように顔を上げた。
「愛美」
「ん?」
「俺……この場所で、もう一度やり直したいと思ってる」
「え?」
真司は、少し笑ってポケットを探った。
中から、小さな指輪の箱を取り出す。
「お前と、一緒に生きていきたい」
「……!」
愛美の目から、涙がこぼれた。
ゼリーがそっと二人の間に顔を寄せる。
真司は微笑みながら、その頭をなでた。
「お前がつないでくれたんだな」
夕陽が丘を包み、世界が金色に染まる。風が柔らかく、草の香りを運ぶ。
スターライトゼリーは、目を細めて空を見上げていた。そこに浮かぶ光は、かつて走り抜けたレース場のライトのようだった。
真司と愛美は、その隣で静かに手をつないだ。
もう言葉はいらなかった。
――夢は終わらない。
走る場所が変わっても、心が覚えている限り。
風の中で、ゼリーのたてがみが、まるで拍手のように揺れていた。
唐沢真司は、もう「未勝利ジョッキー」ではなかった。
あの日を境に、彼は少しずつ勝ち星を重ね、今では名の知れた地方騎手になっている。
ゼリーとの最後の勝利が、彼の人生を変えた。
風が頬をなでる。
牧場の丘の上には、あの日と同じような光が降り注いでいた。
「ここだよ」
隣を歩く愛美が、小さく笑った。真司は頷き、木製の柵を越えて進む。
そこには、穏やかな瞳の栗毛の馬がいた。
スターライトゼリー。
彼は少し年を取って、毛並みも柔らかくなっていた。けれど、その耳の動きも、鼻を鳴らす仕草も、あの頃と何ひとつ変わっていなかった。
「ゼリー……」
真司が声をかけると、ゼリーは柵のそばまでゆっくりと歩み寄った。彼の手の匂いを覚えていたのか、優しく頬を寄せてくる。
「覚えててくれたんだな」
「忘れるわけないよ。真司さんのこと、大好きだったんだもん」
愛美の声が震える。
ゼリーの背には、小さな子どもが乗っていた。観光客の女の子だ。
係員の手を借りながら、ゆっくりと馬の背を撫でている。
真司は静かに見つめた。
――走るための脚を失っても、ゼリーは今も人の笑顔を生んでいる。
「なぁ、愛美」
真司が言った。
「俺、この牧場に寄贈される記念碑の除幕式、頼まれててさ」
「記念碑?」
「“スターライトゼリー、25戦目 初勝利”って書かれてるんだ」
愛美は笑った。
「いいね。あの子にぴったりの言葉だね」
風が吹き抜ける。空の彼方に、雲の隙間から一筋の光が差した。ゼリーがその光の方を見上げ、軽く鼻を鳴らす。
その瞬間、真司は決心したように顔を上げた。
「愛美」
「ん?」
「俺……この場所で、もう一度やり直したいと思ってる」
「え?」
真司は、少し笑ってポケットを探った。
中から、小さな指輪の箱を取り出す。
「お前と、一緒に生きていきたい」
「……!」
愛美の目から、涙がこぼれた。
ゼリーがそっと二人の間に顔を寄せる。
真司は微笑みながら、その頭をなでた。
「お前がつないでくれたんだな」
夕陽が丘を包み、世界が金色に染まる。風が柔らかく、草の香りを運ぶ。
スターライトゼリーは、目を細めて空を見上げていた。そこに浮かぶ光は、かつて走り抜けたレース場のライトのようだった。
真司と愛美は、その隣で静かに手をつないだ。
もう言葉はいらなかった。
――夢は終わらない。
走る場所が変わっても、心が覚えている限り。
風の中で、ゼリーのたてがみが、まるで拍手のように揺れていた。
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