86の約束

仙道 神明

文字の大きさ
24 / 26

Lap 24 「決勝スタート」

しおりを挟む
 翌朝、岡山の空はどんよりと重たかった。
雲が垂れ込め、今にも泣き出しそうな空。予報では午後から雨──レース展開を大きく左右し かねない不確かな空模様だった。
 
 チーム“風馬レーシング”のパドックでは、朝から慌ただしい準備が進められていた。ピット裏ではメカニックたちが最終確認に追われ、モニターには各チームの戦略会議の気配が流れている。

 そんな中、スタートまでの限られた時間を使い、パドックでは恒例のピットウォークが始まった。

 色とりどりの傘をさしたファンが列をなし、各チームの前には長い行列。
 レースクイーンが笑顔でポーズを取り、マシンの前では子どもたちが目を輝かせていた。

 悟はサインに応じながら、照れくさそうに帽子を目深にかぶる。

「えーと、こっちにも並んでくださいね~……あ、はいはい、サイン書きますよ」

 一方、早矢の前にはさらに長い列ができていた。彼女のサインを求めるファンの多さに、スタッフが列整理に追われるほどだ。
 子供や学生、カメラを構えたファン、老若男女問わず多くの人が彼女の登場を待っていた。

「ありがとうございます、応援よろしくお願いします!」

 早矢は笑顔を絶やさず、一人ひとりに丁寧にサインをし、握手を交わしていた。

 その表情に疲れはなかった。いや、それ以上に──どこか凛とした覚悟がにじんでいた。

 そして、刻一刻とレースのスタートが迫っていた。空には再び、細かな雨粒が混じりはじめていた。

──スタート20分前。

 グリッド上にマシンが整列し、各チームのスタッフが最終確認に追われる中、風馬レーシングのマシンも静かにその時を待っていた。

 パラパラと細かな雨粒がバイザーを濡らす。
しかし、路面はまだドライコンディション。微妙な空模様のなか、決断の時が迫っていた。

 その傍らで、古川・早矢・悟の3人が最後の作戦会議を交わしていた。

 古川が口を開く。

「……悟、体調どうだ?」

 悟はヘルメットを抱えながら、少し肩をすくめた。

「まあな、ここまできたら“無理すんな”って言われても聞く気はねえよ」

「だろうな」

 古川が苦笑を浮かべると、すかさず早矢が口を挟んだ。

「最初のスティント、思い切って飛ばします。できるだけマージン稼いでおきますから!」

 その瞳には、迷いはなかった。悟はわずかに目を細め、うなずく。

「……頼むよ。でもさ、タイヤどうする? ドライで行けなくもないけど、ちょっと怪しい空だよな」

 古川が即座に答える。

「ドライで行こう。今回は早矢のスティントを長めにとるつもりだ。雨は後半に強くなるって予報だし、行けるとこまで引っ張りたい」

 悟は少し考え込んだが、最後にポンと早矢の肩を軽く叩いた。

「だったら、なおさら飛ばしすぎんなよ。しっかり繋げて、いい形で俺にバトン渡してくれ」

「了解です!」

 早矢がにこっと笑い、ヘルメットをかぶる。

 風が少し強くなり、空がまた暗くなった。

 レースは、もうすぐ始まる。

──

 スタートのシグナルがブラックアウト。

 早矢は、わずかに後輪を滑らせながらも、絶妙なクラッチミートで加速。ポールスタートの悠斗のアウト側をすくうように抜き去り、GT300の先頭に立った。

「よし……完璧!」

 ヘルメットの中で、早矢が小さく呟く。

 その後、早矢お得意の鬼ブロックを喰らわせながら、序盤は膠着状態が続く。
 後続との差を一定に保ち、淡々とラップを重ねていく早矢。

 だが20周目を過ぎたあたりから、GT500クラスがGT300をラップしはじめ、コースは急激に慌ただしくなる。

そして──

 給油とタイヤ交換、ドライバー交代のタイミングを見計らうピットの無線が飛び交う最中、悲劇が起きた。

「500が後ろから……! 危ないっ!」

 GT500の1台がGT300の集団を掻き分けようとしたその瞬間──
 アウトから早矢を抜きにかかったGT500車両が、早矢のリア左に軽く接触。

──スピン。

 砂埃が舞い、300トップを走っていた早矢は無念にも順位を落とした。


「ちっ……!」

 モニターを睨みつけた古川が怒声を上げる。

「このやろ!もっと上手く抜きやがれよ!」

 ピットの緊張が一気に跳ね上がる。

 モニターに目を向けた悟が呟いた。

「……次のスティント、ドライで行こう」

 その言葉に、古川が振り返る。

「おい、悟……無茶言うな。これから更に雨足が強まる、今もレコードライン以外は完全に濡れてるぞ!」

「いや、順位上げるにはそれしかねぇ。差を詰めるなら、賭けるしかないだろ」

 古川は数秒の沈黙ののち、渋々うなずいた。

「……よし、給油は予定通り、タイヤは無交換だ!このあと雨が強まり、セーフティーカーや赤旗の可能性がある、そのチャンスに賭けよう」

──そして早矢がピットイン。

 手際よく動くクルーが燃料を補給する。

ドライバー交代の瞬間──

 シートベルトを外した早矢が、ハァハァと肩で息をしながら悟に叫ぶ。

「悟さん……ごめんっ!」

 しかし悟はヘルメット越しにニッと笑い、

「気にすんな。それより──俺の走り、よく見てろ!」

 力強く言い残すと、ハンドルを握り、ドアを閉めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

思いを込めてあなたに贈る

あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。

あなたが決めたことよ

アーエル
恋愛
その日は私の誕生日パーティーの三日前のことでした。 前触れもなく「婚約の話は無かったことにしよう」と言われたのです。 ‪✰他社でも公開

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

【完結】どうか私を思い出さないで

miniko
恋愛
コーデリアとアルバートは相思相愛の婚約者同士だった。 一年後には学園を卒業し、正式に婚姻を結ぶはずだったのだが……。 ある事件が原因で、二人を取り巻く状況が大きく変化してしまう。 コーデリアはアルバートの足手まといになりたくなくて、身を切る思いで別れを決意した。 「貴方に触れるのは、きっとこれが最後になるのね」 それなのに、運命は二人を再び引き寄せる。 「たとえ記憶を失ったとしても、きっと僕は、何度でも君に恋をする」

「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」

歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。 「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは 泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析 能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り 続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。 婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」

処理中です...