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第一部
1ー3 魔女、風とともに
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【旧倉庫八号/午前】
――風は、魔術を喚ぶ。
不意に、静寂が訪れた。
そしてその中、外から軽やかな足音が響いてくる。
「ふたりとも、お疲れさま」
その声は、どこか他人事のように優しく――そして背筋を撫でるように冷たかった。
俺とリュクスはほぼ同時に振り返った。
埃まみれの倉庫には場違いなほど清潔な、青のローブを纏った若い女が、いつの間にかそこに立っていた。音もなく。まるで風のように。
銀とも灰ともつかない、煤けたプラチナの髪が揺れている。伏し目がちのその瞳は、眠る直前の夢のようにおぼろげで――なのに、その奥に潜んだ気配は、ぞくりとするほど“異質”だった。
「……セイラ・フェアルーサ?」
俺の口が自然とその名を呟いていた。
「そう呼ばれること、最近は増えました。ごく限られた筋の中で、ですが」
彼女――セイラは、足元の粘液の残骸に目を落とし、ひとつため息をつく。
「やっぱり……間に合わなかった。もう、こんなになってる」
「なあ……こいつが、アンタの依頼か?」
問いかけると、彼女は小さく首を振った。
「依頼? いいえ。これは“片付け忘れ”――でしょうか」
片付け忘れ、だと?
さらりとしたその口ぶりに、俺より先にリュクスの眉がぴくっと跳ねた。
「え、ええと……つまり、これ、魔女さんの……ってこと?」
「いいえ、そういうものではありません。これは“結果”です」
セイラは倉庫の中央へ歩を進め、粘液の痕跡を足先でなぞるように踏みしめた。
すると、そこに残っていた瘴気が、風に巻かれるように霧散していく。
「……風が、動いてる……」
リュクスがぽつりと呟いた。
風そのものが、意志を持っているかのような気配。
セイラが振り返る。
その目元に、淡く紅の光が滲んでいた。
「見ていただいたとおり、“あれ”は既に《模倣》の段階に入っていました。普通の素材ではありません。……人間の意識断片を吸っています」
「つまり、放っておいたら……誰かの“真似”をして、人になる?」
俺が問うと、セイラはふわりと笑った――ように見えた。
「なるかもしれませんし、ならないかもしれません。ただ、“記憶”に関わる。もしあなたたちが引っかかっていたら――少し面倒でしたね」
(……なんなんだよ、それ)
「……これ、絶対、“搬出補助”じゃねぇよな」
「間違いなく、厄ネタですね」
リュクスの真面目なツッコミに、俺は思わず頭をかいた。
セイラは俺たちのやりとりをよそに、静かに、その場にしゃがみこむ。
「……さて。ここは私が封じておきます。ギルドには“安定した”とだけお伝えください」
その指先が空をすべり、ひとつ印を結ぶような仕草。
その仕草とともに、倉庫の空気がすうっと澄んでいく。
沈殿していた気配は、風に巻かれて、音もなく消えていった。
――風が吹いた。
どこからともなく、山の冷気を含んだ、異国の風。潮風じゃない、それは……この町にあるはずのない風だった。
そいつが俺の頬を撫でて、去っていく。
「じゃあ、あなたたちはギルドへ。アグネッタさんには“少し多め”に請求しても大丈夫です......多分」
「そういうの、あるんですか……?」
「ええ、“魔女案件”ってやつですから」
セイラは最後に一度だけ、俺たちを見た。
その瞳は、まるで“記録”しているかのようなーー観察者の眼。
そして、風とともに背を向ける。
その後ろ姿を見送るように、倉庫の扉が、音もなく閉じた。
【旧倉庫群・その後】
風が、抜けていった。
“風の魔女”──セイラ・フェアルーサ。
その名を残して、まるで風そのもののように、静かに姿を消した。
痕跡なんて、どこにもない。
ただ異様に澄んだ空気と、倉庫の片隅に風が描いたような砂の文様だけが、残されていた。
「……行った、みたいですね」
リュクスがそう言って息を吐く。張り詰めていた顔がようやく緩み、安堵の気配が戻ってくる。
俺も、ふう、と大きく息を吸ってから、吐いた。
思っていた以上に、呼吸が浅くなっていたことに気づく。
「なんだったんだ、あの魔女……。いや、あれが“魔女”ってやつなのか……?」
現実感が、まだ肌に馴染まない。あの透明な声と、あの眼差し。
「一応、“契約者”という類らしいです。風の系統の精霊、あるいは神霊と契りを結んだ、特殊な魔術士……ってギルドの記録にはありましたけど」
「どっちにしろ、お近づきにはなりたくねぇな……」
強張った身体をほぐしながら、粘液だらけの外套を脱ぎ捨てる。
重く、ぬるりとした感触が気持ち悪い。
「“依頼人不在”ってだけで嫌な予感はしてたけど……まさか、魔女のお迎えイベントだったとはな」
軽口のつもりで言ったが、自分の声に混じる震えに気づく。
思い出しただけで、背中がぞわりと粟立つ。
リュクスが手帳を開いて、ぺらぺらと書き込みを確認している。
「それにしても、“なまもの”の進化体、やっぱり通常の再生種とは動きが違いましたね。反応も速くて、形状も安定してなかった」
「“何かを真似してる”って感じだった......」
俺はふと床に目を落とし、染みの跡を指先でなぞった。
黒い核が潰れたとき、“粘獣”は崩れ落ちた――だが、その最期の一瞬、確かに“ヒトの形”を模していた。……そんな気がしてならない。
「模倣……ですか。あの魔女の気配に反応したのかもしれませんね。魔術刻印に反応して動き出す、って記録もあります」
「俺たちは……“運悪く巻き込まれた”だけか」
胃の奥が、"きゅっ"と締めつけられる。
俺の言葉に、リュクスはふと黙り込んだ。そして、何かを言いかけて――言葉を飲み込むように口を閉じた。
「……なんだよ」
問い返すと、リュクスは曖昧に微笑んだ。
「いえ、なんでも。気のせいです……きっと」
「思わせぶりか。……ちょっと感じ悪ぃぞ」
「失礼しました。では、アグさんに報告しましょう。まだ“続きがある顔”してると思いますし」
「だろうな……」
外套の裾を握り直しながら、俺はため息をつく。
そうして、俺たちは倉庫を後にした。
倉庫を出る、そのとき。
背後で、かすかに風が鳴った。
──風鈴のような、ほとんど音とも呼べぬささやき。
振り返っても、誰の姿もない。
ただ、澄んだ空気の中に、名もなき気配がふわりと漂っていた。
……まだ、風はそこにいたのかもしれない。
【プレヴェザ支部/昼前】
港の空気は、昼前とは思えないほど、湿っていた。
日が高く昇っても、潮の匂いは古い血のように、どこか生臭さを残している。
プレヴェザ支部、ギルドホール。
帳簿室の奥では、アグネッタが羽ペンを手に、何やら面倒そうな顔で書類に向かっていた。
カウンター前には、泥と汗にまみれた二人組――つまり、俺とリュクスが並んで立っている。
「……で、“なまもの”の方は、最終的にどうなったの?」
アグが顔を上げ、眉根を寄せて問いかけてくる。
「殲滅は済んだ。火は使ってない。核の部分を潰したら、再生は止まったよ」
そう答えながら、脳裏にはあの“異物”の輪郭が、いまだ生々しくこびりついていた。
あの動き、あの匂い、そして――あの感覚。あれは本当に“生き物”だったのか?
「……また契約系の可能性、あるわね」
アグが呟きながら、さらさらと羽ペンを走らせていく。
「契約系……つまり、“何か”と魂や力を媒介に結んだ、人工的な魔法生命。そういう想定で処理記録つけとくわ」
彼女の言葉に、リュクスが肩を竦めるようにして言葉を継いだ。
「僕には分類まではわかりません。ただ、反応は確かにありました。痕跡も残ってましたし……微弱でしたが」
アグの筆が止まり、ふうと短くため息を吐いた。
「今月に入って、これで七件目よ。全部“再生系”で、しかも出所不明。妙に増えてるのよね」
「七件も?」
「ええ。見過ごせる数じゃないわ。上層部も、そろそろ調査班を回すか検討してる。正式決裁はまだだけど」
アグの声音はいつも通り平坦だが、その奥に、軽い緊張感がにじんでいた。
この町には、“潜ってる”何かがある――そんな実感が、胸の奥にずっしりと沈む。
「で、例の依頼人──セイラ・フェアルーサだったっけ? 何か掴めた?」
「......セイラ・フェアルーサだ。本人が、現場にいた」
俺が代わって答え、外套を机に置く。
「何もかも風まかせ、って感じだったけどな。“片付けの続き”だとか言って、例の個体を黙って見てた。こっちの説明には一言も反応せずに」
アグは呆れたように天を仰ぐ。
「……プレヴェザに来て、まだ日も浅いはずなのにね。さすが“魔女様”、ってことかしら」
「“依頼は終わってない”ってのが彼女の言い分だった。だから、正式にはこの一件……“続いてる”んじゃないか?」
「そこは、確認するわ」
アグは手早く台帳をめくり、該当案件を引き出す。
「アステリア荘 倉庫内搬出補助(要立会)」と題されたその依頼票の登録日は、つい先週。セイラが支部に“魔女登録”を済ませた翌日だ。
「依頼内容……ああ、あったあった。見て、ここ。『搬出補助』ってなってるけど、他にも、小さく書いてあるでしょ」
彼女が差し出した紙面には、こう記されていた。
『アステリア荘/倉庫・文書室 封印品の確認と搬出補助』
※搬出に際し、現地案内人・記録者の同行を必須とする
「はい、継続中。搬出補助ってあるけど、現地確認・物品対応含むって注釈付き。つまり今回の倉庫も“事前処理”扱いよ」
リュクスがちらりと俺を見る。
「……やっぱり。じゃあ次が“本命”ってやつですかね」
「鍵と地図の断片を預かった。それも、風まかせに置いていったんだがな」
俺は外套の内ポケットから、小さな封筒を取り出す。
中には古びた銀の鍵と、薄い羊皮紙に走り書きされた数行の文字。
『アステリア荘/倉庫・文書室』
その下に、潮のかかった印影と、風に吹かれたような筆致のサインが残されていた。
アグは無言でそれを見つめた後、肩をすくめる。
「まったく……好きにしてくれちゃって」
「そういう種族なんだろ。風の魔女、なんて呼ばれるくらいだし」
「風のせいにしときゃ何でも通るって思われてるの、腹立つわよね」
アグは苦笑混じりにそう言いながら、机の奥から新たな封筒を引き出した。
「はい。じゃあ“続行中”として報告まとめとく。あと、これ。明朝には連絡船を用意できるよう手配しておくから、それまでに準備済ませておいて」
ちょうどそのタイミングで、奥からニオビが姿を現した。
手には記録書類と、布に包まれた小さな連絡帳のようなものを抱えている。
「はい、これ。アステリア荘での通信記録用ね」
ニオビは、やや息を弾ませながら机にそれを置く。
「魔導干渉が出やすい区画だから、紙に残して。
なにかあれば、これに記録して戻ってきてください。魔女と関わる依頼は……記録が、後で証明してくれるから」
そう言って彼女は、そっと記録帳の留め具に触れる。
「……証明?」
リュクスが首をかしげる。
「“魔女案件”って、やっぱりギルドの中でも別枠なんですね?」
アグが苦笑して補足する。
「そうなるわね......。魔女が関与した案件は、口約束や証言だけじゃダメなの。だから、記録と符号、それに承認印――全部きちんと残しておくの。組合員を守るためにもね」
ニオビも頷く。
「ええ。セイラ・フェアルーサは、登録手続きも、形式どおり済ませてる。
彼女は“風の系統・精霊媒介者”として記載済みで、依頼発注者としての資格もある。けれど……」
「けれど?」
「“あの人たち”の依頼って、ときどき“依頼になってない”のよ。
暗黙の了解とか、風任せの伝言とか......。帳簿に記録があるから、最低限、後で辿れる。そうじゃなきゃ、誰も受けようなんて思わないわ」
リュクスが連絡帳を手に取り、ぱらりと中をめくる。
「この帳簿も、渡す相手は“依頼人”ではなく、“事後の検証者”なんですね」
「そう。あくまで“証明用”よ。後で“あなたがそこにいた”ことを示す記録としてね」
そして話は、アステリア荘の前情報に及ぶ。
「一応、言っておくけど──あそこ、帝国時代の別荘跡よ」
アグが思い出すように言う。
「王都カリストポリスからの記録だと、黄昏期の貴族領。
地下には古い避難路が通じてたって話もある。いまは部分的に封鎖されてるけど、昔の倉庫や文書室は……まだ残ってるかもしれないわね」
「風の通りが不自然って、前に報告がありましたよね」
「そう。空気が回らない場所と、やけに涼しい区画が交互にあるって。
中の構造が“迷路状”に改修されたか、あるいは……最初からそういう造りだったのかもしれないけど」
俺はそのやり取りをぼんやりと眺めながら、手の中の鍵に視線を落とした。
──風が、鍵を置いた。
そうとしか思えない。誰もいないはずの空間に、そっと。
まるで、「次の扉を開けろ」とでも言うように。
……あるいは、「開けるな」という警告だったのかもしれないが。
――風は、魔術を喚ぶ。
不意に、静寂が訪れた。
そしてその中、外から軽やかな足音が響いてくる。
「ふたりとも、お疲れさま」
その声は、どこか他人事のように優しく――そして背筋を撫でるように冷たかった。
俺とリュクスはほぼ同時に振り返った。
埃まみれの倉庫には場違いなほど清潔な、青のローブを纏った若い女が、いつの間にかそこに立っていた。音もなく。まるで風のように。
銀とも灰ともつかない、煤けたプラチナの髪が揺れている。伏し目がちのその瞳は、眠る直前の夢のようにおぼろげで――なのに、その奥に潜んだ気配は、ぞくりとするほど“異質”だった。
「……セイラ・フェアルーサ?」
俺の口が自然とその名を呟いていた。
「そう呼ばれること、最近は増えました。ごく限られた筋の中で、ですが」
彼女――セイラは、足元の粘液の残骸に目を落とし、ひとつため息をつく。
「やっぱり……間に合わなかった。もう、こんなになってる」
「なあ……こいつが、アンタの依頼か?」
問いかけると、彼女は小さく首を振った。
「依頼? いいえ。これは“片付け忘れ”――でしょうか」
片付け忘れ、だと?
さらりとしたその口ぶりに、俺より先にリュクスの眉がぴくっと跳ねた。
「え、ええと……つまり、これ、魔女さんの……ってこと?」
「いいえ、そういうものではありません。これは“結果”です」
セイラは倉庫の中央へ歩を進め、粘液の痕跡を足先でなぞるように踏みしめた。
すると、そこに残っていた瘴気が、風に巻かれるように霧散していく。
「……風が、動いてる……」
リュクスがぽつりと呟いた。
風そのものが、意志を持っているかのような気配。
セイラが振り返る。
その目元に、淡く紅の光が滲んでいた。
「見ていただいたとおり、“あれ”は既に《模倣》の段階に入っていました。普通の素材ではありません。……人間の意識断片を吸っています」
「つまり、放っておいたら……誰かの“真似”をして、人になる?」
俺が問うと、セイラはふわりと笑った――ように見えた。
「なるかもしれませんし、ならないかもしれません。ただ、“記憶”に関わる。もしあなたたちが引っかかっていたら――少し面倒でしたね」
(……なんなんだよ、それ)
「……これ、絶対、“搬出補助”じゃねぇよな」
「間違いなく、厄ネタですね」
リュクスの真面目なツッコミに、俺は思わず頭をかいた。
セイラは俺たちのやりとりをよそに、静かに、その場にしゃがみこむ。
「……さて。ここは私が封じておきます。ギルドには“安定した”とだけお伝えください」
その指先が空をすべり、ひとつ印を結ぶような仕草。
その仕草とともに、倉庫の空気がすうっと澄んでいく。
沈殿していた気配は、風に巻かれて、音もなく消えていった。
――風が吹いた。
どこからともなく、山の冷気を含んだ、異国の風。潮風じゃない、それは……この町にあるはずのない風だった。
そいつが俺の頬を撫でて、去っていく。
「じゃあ、あなたたちはギルドへ。アグネッタさんには“少し多め”に請求しても大丈夫です......多分」
「そういうの、あるんですか……?」
「ええ、“魔女案件”ってやつですから」
セイラは最後に一度だけ、俺たちを見た。
その瞳は、まるで“記録”しているかのようなーー観察者の眼。
そして、風とともに背を向ける。
その後ろ姿を見送るように、倉庫の扉が、音もなく閉じた。
【旧倉庫群・その後】
風が、抜けていった。
“風の魔女”──セイラ・フェアルーサ。
その名を残して、まるで風そのもののように、静かに姿を消した。
痕跡なんて、どこにもない。
ただ異様に澄んだ空気と、倉庫の片隅に風が描いたような砂の文様だけが、残されていた。
「……行った、みたいですね」
リュクスがそう言って息を吐く。張り詰めていた顔がようやく緩み、安堵の気配が戻ってくる。
俺も、ふう、と大きく息を吸ってから、吐いた。
思っていた以上に、呼吸が浅くなっていたことに気づく。
「なんだったんだ、あの魔女……。いや、あれが“魔女”ってやつなのか……?」
現実感が、まだ肌に馴染まない。あの透明な声と、あの眼差し。
「一応、“契約者”という類らしいです。風の系統の精霊、あるいは神霊と契りを結んだ、特殊な魔術士……ってギルドの記録にはありましたけど」
「どっちにしろ、お近づきにはなりたくねぇな……」
強張った身体をほぐしながら、粘液だらけの外套を脱ぎ捨てる。
重く、ぬるりとした感触が気持ち悪い。
「“依頼人不在”ってだけで嫌な予感はしてたけど……まさか、魔女のお迎えイベントだったとはな」
軽口のつもりで言ったが、自分の声に混じる震えに気づく。
思い出しただけで、背中がぞわりと粟立つ。
リュクスが手帳を開いて、ぺらぺらと書き込みを確認している。
「それにしても、“なまもの”の進化体、やっぱり通常の再生種とは動きが違いましたね。反応も速くて、形状も安定してなかった」
「“何かを真似してる”って感じだった......」
俺はふと床に目を落とし、染みの跡を指先でなぞった。
黒い核が潰れたとき、“粘獣”は崩れ落ちた――だが、その最期の一瞬、確かに“ヒトの形”を模していた。……そんな気がしてならない。
「模倣……ですか。あの魔女の気配に反応したのかもしれませんね。魔術刻印に反応して動き出す、って記録もあります」
「俺たちは……“運悪く巻き込まれた”だけか」
胃の奥が、"きゅっ"と締めつけられる。
俺の言葉に、リュクスはふと黙り込んだ。そして、何かを言いかけて――言葉を飲み込むように口を閉じた。
「……なんだよ」
問い返すと、リュクスは曖昧に微笑んだ。
「いえ、なんでも。気のせいです……きっと」
「思わせぶりか。……ちょっと感じ悪ぃぞ」
「失礼しました。では、アグさんに報告しましょう。まだ“続きがある顔”してると思いますし」
「だろうな……」
外套の裾を握り直しながら、俺はため息をつく。
そうして、俺たちは倉庫を後にした。
倉庫を出る、そのとき。
背後で、かすかに風が鳴った。
──風鈴のような、ほとんど音とも呼べぬささやき。
振り返っても、誰の姿もない。
ただ、澄んだ空気の中に、名もなき気配がふわりと漂っていた。
……まだ、風はそこにいたのかもしれない。
【プレヴェザ支部/昼前】
港の空気は、昼前とは思えないほど、湿っていた。
日が高く昇っても、潮の匂いは古い血のように、どこか生臭さを残している。
プレヴェザ支部、ギルドホール。
帳簿室の奥では、アグネッタが羽ペンを手に、何やら面倒そうな顔で書類に向かっていた。
カウンター前には、泥と汗にまみれた二人組――つまり、俺とリュクスが並んで立っている。
「……で、“なまもの”の方は、最終的にどうなったの?」
アグが顔を上げ、眉根を寄せて問いかけてくる。
「殲滅は済んだ。火は使ってない。核の部分を潰したら、再生は止まったよ」
そう答えながら、脳裏にはあの“異物”の輪郭が、いまだ生々しくこびりついていた。
あの動き、あの匂い、そして――あの感覚。あれは本当に“生き物”だったのか?
「……また契約系の可能性、あるわね」
アグが呟きながら、さらさらと羽ペンを走らせていく。
「契約系……つまり、“何か”と魂や力を媒介に結んだ、人工的な魔法生命。そういう想定で処理記録つけとくわ」
彼女の言葉に、リュクスが肩を竦めるようにして言葉を継いだ。
「僕には分類まではわかりません。ただ、反応は確かにありました。痕跡も残ってましたし……微弱でしたが」
アグの筆が止まり、ふうと短くため息を吐いた。
「今月に入って、これで七件目よ。全部“再生系”で、しかも出所不明。妙に増えてるのよね」
「七件も?」
「ええ。見過ごせる数じゃないわ。上層部も、そろそろ調査班を回すか検討してる。正式決裁はまだだけど」
アグの声音はいつも通り平坦だが、その奥に、軽い緊張感がにじんでいた。
この町には、“潜ってる”何かがある――そんな実感が、胸の奥にずっしりと沈む。
「で、例の依頼人──セイラ・フェアルーサだったっけ? 何か掴めた?」
「......セイラ・フェアルーサだ。本人が、現場にいた」
俺が代わって答え、外套を机に置く。
「何もかも風まかせ、って感じだったけどな。“片付けの続き”だとか言って、例の個体を黙って見てた。こっちの説明には一言も反応せずに」
アグは呆れたように天を仰ぐ。
「……プレヴェザに来て、まだ日も浅いはずなのにね。さすが“魔女様”、ってことかしら」
「“依頼は終わってない”ってのが彼女の言い分だった。だから、正式にはこの一件……“続いてる”んじゃないか?」
「そこは、確認するわ」
アグは手早く台帳をめくり、該当案件を引き出す。
「アステリア荘 倉庫内搬出補助(要立会)」と題されたその依頼票の登録日は、つい先週。セイラが支部に“魔女登録”を済ませた翌日だ。
「依頼内容……ああ、あったあった。見て、ここ。『搬出補助』ってなってるけど、他にも、小さく書いてあるでしょ」
彼女が差し出した紙面には、こう記されていた。
『アステリア荘/倉庫・文書室 封印品の確認と搬出補助』
※搬出に際し、現地案内人・記録者の同行を必須とする
「はい、継続中。搬出補助ってあるけど、現地確認・物品対応含むって注釈付き。つまり今回の倉庫も“事前処理”扱いよ」
リュクスがちらりと俺を見る。
「……やっぱり。じゃあ次が“本命”ってやつですかね」
「鍵と地図の断片を預かった。それも、風まかせに置いていったんだがな」
俺は外套の内ポケットから、小さな封筒を取り出す。
中には古びた銀の鍵と、薄い羊皮紙に走り書きされた数行の文字。
『アステリア荘/倉庫・文書室』
その下に、潮のかかった印影と、風に吹かれたような筆致のサインが残されていた。
アグは無言でそれを見つめた後、肩をすくめる。
「まったく……好きにしてくれちゃって」
「そういう種族なんだろ。風の魔女、なんて呼ばれるくらいだし」
「風のせいにしときゃ何でも通るって思われてるの、腹立つわよね」
アグは苦笑混じりにそう言いながら、机の奥から新たな封筒を引き出した。
「はい。じゃあ“続行中”として報告まとめとく。あと、これ。明朝には連絡船を用意できるよう手配しておくから、それまでに準備済ませておいて」
ちょうどそのタイミングで、奥からニオビが姿を現した。
手には記録書類と、布に包まれた小さな連絡帳のようなものを抱えている。
「はい、これ。アステリア荘での通信記録用ね」
ニオビは、やや息を弾ませながら机にそれを置く。
「魔導干渉が出やすい区画だから、紙に残して。
なにかあれば、これに記録して戻ってきてください。魔女と関わる依頼は……記録が、後で証明してくれるから」
そう言って彼女は、そっと記録帳の留め具に触れる。
「……証明?」
リュクスが首をかしげる。
「“魔女案件”って、やっぱりギルドの中でも別枠なんですね?」
アグが苦笑して補足する。
「そうなるわね......。魔女が関与した案件は、口約束や証言だけじゃダメなの。だから、記録と符号、それに承認印――全部きちんと残しておくの。組合員を守るためにもね」
ニオビも頷く。
「ええ。セイラ・フェアルーサは、登録手続きも、形式どおり済ませてる。
彼女は“風の系統・精霊媒介者”として記載済みで、依頼発注者としての資格もある。けれど……」
「けれど?」
「“あの人たち”の依頼って、ときどき“依頼になってない”のよ。
暗黙の了解とか、風任せの伝言とか......。帳簿に記録があるから、最低限、後で辿れる。そうじゃなきゃ、誰も受けようなんて思わないわ」
リュクスが連絡帳を手に取り、ぱらりと中をめくる。
「この帳簿も、渡す相手は“依頼人”ではなく、“事後の検証者”なんですね」
「そう。あくまで“証明用”よ。後で“あなたがそこにいた”ことを示す記録としてね」
そして話は、アステリア荘の前情報に及ぶ。
「一応、言っておくけど──あそこ、帝国時代の別荘跡よ」
アグが思い出すように言う。
「王都カリストポリスからの記録だと、黄昏期の貴族領。
地下には古い避難路が通じてたって話もある。いまは部分的に封鎖されてるけど、昔の倉庫や文書室は……まだ残ってるかもしれないわね」
「風の通りが不自然って、前に報告がありましたよね」
「そう。空気が回らない場所と、やけに涼しい区画が交互にあるって。
中の構造が“迷路状”に改修されたか、あるいは……最初からそういう造りだったのかもしれないけど」
俺はそのやり取りをぼんやりと眺めながら、手の中の鍵に視線を落とした。
──風が、鍵を置いた。
そうとしか思えない。誰もいないはずの空間に、そっと。
まるで、「次の扉を開けろ」とでも言うように。
……あるいは、「開けるな」という警告だったのかもしれないが。
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「別の世界から勇者を召喚する卑怯な手口」に業を煮やした堕天使・ルシファーにより、異世界へ魔王として転生させられた大学生・左丹龍之介。
先代・魔王が勇者により討伐されて100年――。
龍之介が見たものは、人魔戦争に敗れた魔族が、辺境の森で厳しい生活を余儀なくされている姿だった。
魔族の生活向上を目指し、龍之介は元魔王軍の四天王、悪魔公のリリス、フェンリルのロキア、妖狐の緋魅狐、古代龍のアモンを次々に配下に収めていく。
バラバラだった魔族を再び一つにした龍之介は、転生前の知識と異世界の人間の暮らしを参考に、森の中へ楽園を作るべく奔走するのだが……
この聖水、泥の味がする ~まずいと追放された俺の作るポーションが、実は神々も欲しがる奇跡の霊薬だった件~
夏見ナイ
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「泥水神官」と蔑まれる下級神官ルーク。彼が作る聖水はなぜか茶色く濁り、ひどい泥の味がした。そのせいで無能扱いされ、ある日、無実の罪で神殿から追放されてしまう。
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ルークは小さなポーション屋を開き、まずいけどすごい聖水で村人たちを救っていく。その噂は広まり、呪われた女騎士やエルフの薬師など、訳ありな仲間たちが次々と集結。辺境の村はいつしか「癒しの郷」へと発展していく。
一方、ルークを追放した王都では聖女が謎の病に倒れ……。
落ちこぼれ神官の、痛快な逆転スローライフ、ここに開幕!
スキルで最強神を召喚して、無双してしまうんだが〜パーティーを追放された勇者は、召喚した神達と共に無双する。神達が強すぎて困ってます〜
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勇者に選ばれたライ・サーベルズは、他にも選ばれた五人の勇者とパーティーを組んでいた。
ところが、勇者達の実略は凄まじく、ライでは到底敵う相手ではなかった。
「おい雑魚、これを持っていけ」
ライがそう言われるのは日常茶飯事であり、荷物持ちや雑用などをさせられる始末だ。
ある日、洞窟に六人でいると、ライがきっかけで他の勇者の怒りを買ってしまう。
怒りが頂点に達した他の勇者は、胸ぐらを掴まれた後壁に投げつけた。
いつものことだと、流して終わりにしようと思っていた。
だがなんと、邪魔なライを始末してしまおうと話が進んでしまい、次々に攻撃を仕掛けられることとなった。
ハーシュはライを守ろうとするが、他の勇者に気絶させられてしまう。
勇者達は、ただ痛ぶるように攻撃を加えていき、瀕死の状態で洞窟に置いていってしまった。
自分の弱さを呪い、本当に死を覚悟した瞬間、視界に突如文字が現れてスキル《神族召喚》と書かれていた。
今頃そんなスキル手を入れてどうするんだと、心の中でつぶやくライ。
だが、死ぬ記念に使ってやろうじゃないかと考え、スキルを発動した。
その時だった。
目の前が眩く光り出し、気付けば一人の女が立っていた。
その女は、瀕死状態のライを最も簡単に回復させ、ライの命を救って。
ライはそのあと、その女が神達を統一する三大神の一人であることを知った。
そして、このスキルを発動すれば神を自由に召喚出来るらしく、他の三大神も召喚するがうまく進むわけもなく......。
これは、雑魚と呼ばれ続けた勇者が、強き勇者へとなる物語である。
※小説家になろうにて掲載中
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