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赤の章

赤九話

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 その夜アキレスはデンファーレ王と枕を共にして眠った。旅の間は同じ部屋で眠っていた。王は寝つきが早かった。その横顔を見るのが、アキレスには楽しかった。王は起きるのも早い。
 朝になり、カトレアの邸宅で食事を済ますと、デンファーレ王はこれからの予定を告げた。
「今日は聖騎士銀行に顔を出そうと思っている。一緒に来てくれないか、アキレスよ?」
「私は王についていくつもりでこの町に来たが、何かあるのか?」
「まぁ、お茶を飲みに行くだけだ」
 それから王とアキレスは馬車に乗り、聖騎士銀行の本店にやって来た。石造りの堅牢な建物だった。銀行に入ると、エントランスにいた受付の紳士がデンファーレ王の顔を見て、丁寧に応対した。
「デンファーレ王様、お久しぶりでございます。こちらへどうぞ」
 王とアキレスは、二階の部屋へ案内された。窓から風が入ってきた。さらりとした風は町の匂いがした。待っている間、アキレスが王に問うた。
「ここにはよく来るのか?」
「そうだな。数年に一度くらいだ」
 そこに初老の男性が現れた。服装は僧侶のようなだぼっとした黒いローブで、胸元に金の糸で十字架の刺繍がしてあった。男性は小柄な花束を持っていた。
「初めまして、アキレス女王様。私はデンファーレ王家を担当しているマクレインと申します。
 この度はご結婚おめでとうございます、デンファーレ王様とアキレス女王様」
 そう挨拶すると、花束をアキレスに渡した。アキレスは思いもよらぬプレゼントに驚き、答えた。
「これはどうもありがとう。祝福を大事に受け取ろう」
「デンファーレ王家には長年お世話になっておりますから」
 マクレインは柔和な笑みで王とアキレスを見た。
「この町にもお噂は届いています。お似合いの夫婦だと」
「して、今は何か財を増やす話はあるか?」
「そうですね。……」
 王とマクレインは利殖の話をした。それはクエストに投資する話だったり、ベリの者の新しい建築の話だったりした。西大陸の中のニュースも語られ、金融業界に伝わる裏情報を教えてもらった。薄暗い話ではなかった。アキレスは話の中で、王が関わっている事業で知らないことがたくさんあることを知った。銀行の者は王家の資産をよく知り、親切に知恵を貸した。
 話が終わると、デンファーレ王は礼を言って銀行の者と別れた。
 銀行を出ると、王は呟くようにアキレスに言った。
「聖騎士銀行では大口客には頭取が挨拶する。私も見てみたいものだ」

 その後アキレスは王と町を歩いた。王と知らない町を歩くのは初めてであり、アキレスは心が弾んだ。大きな建物の前に新聞売りがいた。売り子は賑やかに歩行者に声を掛ける。その高い建物の窓には鳥が出入りしていた。まるで教会の屋根裏部屋のようだった。
「あれは?」
「新聞社は鳥を使って情報を得る。メリルの町から遠い場所は、あの鳥が現場に行って、見聞きしたものを記者は記事にするのだ。チェスでは教会の僧侶が使う伝書鳩の他に、新聞社が使う鳥も戦いの場を見ている」
「新聞作りの現場はこういうものなのだな」
 デンファーレ王はアキレスの感心する所を見て尋ねた。
「楽しいか?」
「遠いと分からないものが分かって私は楽しい」
「そうか」
 デンファーレ王は笑みをこぼした。
「あれは何だろう?」
 アキレスは一軒の店のショーウィンドウに近寄った。そこには様々な花模様のティーカップが並んでいた。その中からよく探すと、デンファーレの花模様のカップがあった。
 デンファーレ王が説明した。
「これは西大陸各地から収集した王家の者が使うカップだ。これは売り物ではない。この店は花のカップを揃えられる程の大きな店である。店の中は陶器でできた花などを売っているが、入ってみるか?」
「そうだな、いいだろうか?」
 デンファーレ王は軽く頷くと、店の中へ入った。
 花屋のようだった。小花から大輪の花、木の花から蔦の花まで様々な花の陶器があった。アキレスはデンファーレを探した。この花は、石に寄り添う姿で薄紫色の花弁を咲かせていた。
「気に入った。一つもらおう」
 アキレスは店主に言い、一つ買った。店の中には、他にも花の絵が描かれた絵皿があった。星空を眺めたスターチスの花畑、明るい森で木に寄り添うデンファーレの花畑が隣同士にあった。店のもっと奥へ行くと、指輪があった。指輪の石はよく見ると、花の飾り模様が透かして見えた。その中で、デンファーレの花の見える指輪があった。石の色は上品な薄い紫色だった。
「これを買おう」
 デンファーレ王は店主を呼んだ。
「サイズはどう致しますか?」
「アキレス、付けてみて欲しい」
「私か。分かった」
 アキレスは意外なプレゼントに心が温かくなった。サイズが決まると、店主は指輪をケースにしまい、デンファーレ王に渡した。王はその場でアキレスの左手の指に指輪を嵌めた。
「ありがとう、王よ」
 アキレスは贈り物を大事そうに眺めた。
「気に入った時だけつけたら良い」
 デンファーレ王はいつもの調子だった。その言葉の温かさをアキレスは心にしまった。

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