白紙

横田碧翔

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8月31日

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 あーまずい。完全にやらかした。一回落ち着こう。よし。もう一回確認しよう。だめだ。やっぱりない。夏休み最終日、中3の翔太は、自室でめちゃめちゃ焦っていた。
「翔太ーー宿題全部終わったのーー?」
リビングから母の声がする。
「いやーもうちょいー」
明日提出の宿題のプリントが見つからないなんて言えるわけがない。しかも内申が大事なこの時期にである。さらに言えば提出物に1番うるさい真美子の担当する家庭科のプリントだ。下手したら2をつけられる。とりあえず、ダメ元でクラスのグループチャットにメッセージを送ろう。
「誰か家庭科終わってない人いませんか?いたらプリントコピーさせて下さい。」
5分後にはクラスの半分が既読したが返信はない。当然だ。現在の時刻、夏休み最終日の夜8時。この時点で終わってない人なんて、無くした人以外でいるはずがなかった。
「あーどーしよまじ。怒れるよなー親にも先生にも…」
翔太は一人、自分にも聞こえないくらいの声で呟いた。


 夏休みの宿題は全部終わったし、美容院にも行ってスッキリした。明日から学校っていうのは少し嫌な気もするけど、それを差し引いても清々しい気分だった。受験生の私には、リラックスしてベットの上でインスタをチェックする。こんな日はもうしばらくないだろうな。そんなことを思いながらストーリーを流し見していた。
「いいなーデート。」
友人が、ストーリーに受験前ラストデートの写真を上げていた。私だって好きな人はいる。だが、この恋はきっと実らない。だって、私への印象は最悪なはずだから。

 今年の5月、私には初めての彼氏ができた。中3になって初めて同じクラスになった彼に初めは全く興味もなかった。だが、彼が私に一目惚れして猛アピールしてくれた。毎日毎日LINEを返してるうちに、なんだかこっちも好きな気がしてきて付き合った。とにかく明るくて優しい人だった。彼にとっても私は初彼女だったのに、私が緊張して上手く話せなくても、笑顔で話を聞いてくれた。話が途切れないように頑張って会話も弾ませてくれていた。だが、私は1ヶ月で彼を振ってしまった。彼のことを嫌いになったわけではないし、彼が悪いわけでもない。悪いのは全部私だ。付き合ってからは、彼と彼の親友だった翔太くんと3人でいることが増えた。そのうちに、私は翔太くんに惹かれていってしまったのだ。その罪悪感に耐えられなくなった私は
「他に好きな人ができました。ごめんなさい。」
そう言って彼を振ってしまった。彼は私を最低な女だと思っているだろう。私だって自分で最低な女だと思ってる。そして、翔太くんだって…。

 嫌なことを思い出してしまった。今日はリラックスする日だと決めていたのに。あんなストーリーを見てしまったせいだ。お風呂でも入ってスッキリしてこよう。そう思ってスマホをベットの上に投げた。ボフッと鈍い音がなってスマホが無事ベットに着陸した。その直後、今度はブブと振動した。誰かからLINEでもきたのかと思って確認するとグループチャットだった。そして送り主は翔太くんだった。
「誰か家庭科終わってない人いませんか?いたらプリントコピーさせて下さい。」
なるほど。助けてあげたいが、私は宿題は全て終わっている。もちろん家庭科もだ。内容は難しくなかったが、書かなきゃいけない文字数が多くて結構めんどくさかったのを覚えている。かわいそうだとも思ったが、今日まで無くしたことにすら気づいていなかったことがまず問題だろう。勉強はできるくせに提出物にだらしなすぎる人だ。そこもまたかわいいと思ってしまう重傷者が私なのだが。まぁ私が助けなくても、男子でまだやっていない人は1人くらいいるだろう。大丈夫なはずだ。いや、そもそも翔太くんは私に助けて欲しいなんて思ってるはずもないか。そう考えるとなんだか惨めになって泣きそうだった。あーもう、今日はこんな気分にはなりたくないのに。いや、できるならいつもなりたくないが今日は自分へのサービスデーなのだ。翔太くんのことなんて忘れて、お気に入りの入浴剤を入れてお風呂にゆっくり入ろう。それがいい。そう決めて、スマホをもう一度ベッドに投げてお風呂に向かった。


 LINEを送ってから2時間、誰からも返信はない。グループチャットの方はダメでもと思って、他クラスの仲のいいやつらにもLINEしたが全員やっていた。他の紙に同じ内容を書けばいいと気付いて見せてくれと頼んだが、送ってもらった写真の右下には「この形式以外での提出は認めません。無くさないように。」と注意書きがされていた。よりにもよってなんでこれを無くしんたんだ俺。これ以外ならなんとかなっただろうに。クラスのグループチャットで既読していないのはあと10人。この10人の中にやってない人はいるだろうか。いないだろうが諦められない。ダメ元でもう一度メッセージを送る。
「あの、本当にまじで誰かいませんか?お願いします。」
自分でも笑ってしまうくらい滑稽だった。とりあえず明日の支度をしよう。家庭科以外の宿題は、忘れないようにバックに入れてしまおう。他の宿題が終わっていることを確認しながら順番にファイルに入れていく。よし。大丈夫だ。家庭科以外は。そのチェックが終わったとき、スマホが鳴った。きた!誰だろう!助かった!そう思って机の上のスマホに飛びつく。急いで通知を確認すると、友達から写真が送られてきていた。これはと思って確認すると、グループチャットのスクショだった。
「必死すぎwまじうけるw」
そうコメントを添えて送られてきた。スマホを壁にぶん投げそうだった。送ってきたやつの気持ちもわかる。俺も逆ならめちゃめちゃ面白いと思う。でも当人だけは1ミリも面白くないのだ。笑い事ではないのだ。とりあえず既読無視だな。何も返さずにトークを削除する。そしてスマホを閉じると、明日の準備の続きに取り掛かった。



 お風呂に入ってスッキリした私は、キッチンでキンキンに冷えたアイスを取って部屋に戻ってきた。バニラのカップアイスだったので、少し溶かしている間に化粧水を塗ったり髪を乾かしたりする。美容院に行ったばかりの髪はさらさらで、手で梳かすのが心地よかった。そろそろアイスがいい頃合いだろうと思ってカップの蓋を取ると、予想通りのいいと 溶け具合だった。この時間にアイスを食べるのはちょっと罪悪感もあったが今日はいいのだ。そう思って食べようとするとスマホが鳴った。
「あの、本当にまじで誰かいませんか?お願いします。」
翔太くんだった。まだ見つかっていないのか。これはもう誰もいないだろうな。きっと、既読していない人はまだ塾で受験勉強をしてる人達だ。そんな人達が宿題が終わっていないとは思えなかった。私はちょっと後悔した。宿題やらないでおけばよかった。そしたら、こんなに充実した一日を送ることはできなかったが、翔太の力になれるならそれでもよかったかもと思った。そして私は気付く。まだ力になれるじゃないかと。すでにやってあるからなんだ。ちょっと長い、いや、結構長い文章をシャーペンで書いただけのプリントではないか。そう、シャーペンで。いやいや、いくらなんでもそこまでしてやる義理はない。アホすぎる。第一、翔太くんは私となんて関わりたくないだろう。こんな最低な女となんて話したくもないだろう。そう思って、取り出しかけたプリントをファイルに戻す。でも、もし喜んでくれたら?これをきっかけにまた話せるようになったら?付き合える可能性も出てくるのではないのか?自分の中でポジティブな天使が囁きかけてくる。でも、いらないと言われたら?LINEすら返ってこなかったら?今からまたこの量の文章を書くのか?今度はネガティブな悪魔が囁きかけてくる。迷う。どうしよう。やっぱりやめようか。
心の中の天使が言った。
「でも、好きなんでしょ?」
この言葉が全てだった。
そうと決まればやることは1つだ。プリントを机に置いて筆箱を開く。消しゴムを力強く握ってひたらすら消していく。書くのは大変だったが消すのは一瞬だった。私は筆圧も弱いからあっという間に紙は白紙に戻った。完全には消しきれなかった線もいくつかあるが、コピーすれば汚れに見えるだろう。リビングで、お母さんにバレないようにコピーした。好きな人のために宿題を全部消してコピーしたなんて知られたら恥ずかしすぎて生きていけない。なんとかバレずに部屋に戻ってくると、あとは翔太くんにLINEで連絡をするだけだった。文字を打つ手が震える。やっぱりやめようか。一文字打つ度にそう考えしまう。だが、その度に翔太くんの好きなところを思い浮かべて次の文字を打つ。文字は打ち終わった。あとは送信するだけ。なかなか押せない。緊張する。せっかくお風呂入ったのに汗が止まらない。それもこれも翔太くんのせいだ。でも好きだ。大好きだ。顔も、性格も、頭がいいところも、ちょっと抜けてるところも、足が速いところも、そして、クシャッとした笑顔で話しかけてくれるところも。心が決まった私は送信ボタンを押す。シュポ。送ってしまった。返信はくるだろうか。気持ち悪がられないだろうか。そんなことを心配する前に既読がついた。



 明日の準備も終わって、ついにやることがなくなった。さすがにいなかったか。まぁ中3だしな、みんなちゃんとやるよな普通。こーゆー日もあるよな、うん、そうだ、悩んだって仕方がない。提出物の分は次回のテストでカバーしよう。というわけでもう寝よう。でも最後に一回だけLINEを確認しよう。もしかしたら誰かから返信があるかもしれない。そう思ってLINEを開く。トークの通知は0。まぁそうだよな分かってた。だってスマホ一回も鳴ってないしね、うん。ちなみに既読いくつだろ。最後にそれだけ確認して寝よう。クラスのグループチャットを開く。だが、開いた画面に俺が送ったメッセージはなかった。代わりに
「家庭科の宿題のやつ誰か見つかった?私まだやってなくてプリントあるけどコピーいる?」
というメッセージが表示されていた。グループチャットを開く寸前に通知が来て、1番上が入れ替わったのだ。来た瞬間に既読してしまった。これは恥ずいやつだ。だが、それよりも問題は送り主だ。送ってきたのは同じクラスの黒井だった。黒井千佳。こないだまで親友のタツと付き合ってた人だ。タツが、紹介するよとか言って何回か3人で遊んだことがある。LINEはその時に交換した気がする。落ち着いていて、優しい雰囲気の人だった。そして、大人っぽい雰囲気とは対照的に顔は可愛らしかった。タツの彼女じゃなかったら間違いなく好きになっていた。ドストライクだった。だからタツが振られたと聞いた時、ほんの少しだけ、いや少しだけ、いや結構嬉しかった。だが、理由が、他に好きな人ができたからだと聞いて落胆した。なんだか、まとめて俺まで振られた気分だった。それからは話すこともなくなっていたからLINEがきて驚いた。とにかく嬉しかった。プリントがゲットできることもそうだが、黒井さんからLINEがきたことが。とにかく返信しなければ。
「欲しいです!助かります!ありがとう!」
既読はすぐについた
「コピーしたら家まで持って行くから待ってて!」
さすがに同じマンションとはいえ申し訳ないと思い
「俺が取りに行くよ!」
「んー家まで来るとお母さんとかいて恥ずかしいから、じゃあエントランスで!」
「分かった!すぐ行くね!」
「うん!」
待たせるわけにはいかないからすぐにサンダルを履いて家を出る。エレベーターを待つ時間も惜しくて階段を駆け降りて行く。途中でパジャマのまま来たことを心底後悔したが、もう戻る余裕はなかった。エントランスに到着すると、まだ黒井さんは来ていなかった。ドキドキが止まらなかった。夏休み中は会っていなかったから1ヶ月以上ぶりだ。翔太の中では、もうプリントをもらうのはついでになっていた。




 LINEを送った瞬間に既読がついて驚いた。心の準備をさせてくれ。ドキドキして画面を眺めていると返信が来た。
 そしてエントランスに持って行くことになった。パジャマだった私は急いで着替える。1番お気に入りのかわいいワンピースに着替えて、お母さんの大人っぽいサンダルを借りる。本当は髪も可愛くして行きたかったが、待たせるのは申し訳ないので一回だけ櫛で梳かしてバレないように家を出る。まさか久しぶりに翔太くんに会えるとは。嬉しくてスキップしそうだったけど音を立てると家族にバレそうだったからガッツポーズで我慢した。エレベーターに乗ってエントランスに向かう。エレベーターのドアが開くと、パジャマ姿の翔太くんが立っていた。いつもサッカーのジャージしか着てるのを見たことなかったから新鮮だった。やっぱりかっこいいなぁ。思わずニヤつきそうなのを抑えて声をかける。
「おまたせ。待たせてごめんね」
「いや、ちょうど来たところだから大丈夫。それよりプリントありがとうね」
「いいのいいの。私もまだやってなかったらさ」
「今からやるのやばいよねー頑張らなきゃね」
「ほんとにそれね。寝ちゃわないようにLINEしてもいい?」
思わず欲が出た。攻めすぎだ私のバカ。
「全然いいよ!むしろ俺もお願いしますって感じ!」
飛び跳ねて喜びたかったがグッと堪える。わざわざ全部消してまでコピーした甲斐があった。欲を言えばこのまま話していたかったが、これ以上話していると頬が緩んで変な顔になりそうだったから
「じゃあさっそく帰って頑張らなきゃね!」
本当は帰りたくないけど仕方がない。
「うん、そうだね!」
2人でエレベーターに乗る。
「本当にありがとうね黒井さん」
「千佳でいいよ」
さっきの勢いでさらに攻める。
「じゃあ俺も翔太で」
「うん!わかった!」
「じゃあまたLINEでね!千佳。」
「頑張ろうね!翔太!」
彼が降りてエレベーターの扉が閉まった後、恥ずかしさと嬉しさで涙が出てきた。人生で、自分の名前を呼ばれてこんなに嬉しかったことは初めてだった。



 エレベーターを降りてから、緊張とか喜びとか恥ずかしさとかいろいろ詰まった汗がどっと噴き出した。見た目も動きも言葉もかわいすぎる。完全に恋に落ちてしまった。こうなってくると彼女の好きな人が知りたかった。自分かななんてバカな期待もしてしまいそうだった。
 部屋に戻って、もらったプリントを見ると汚れていた。それはよく見ると字のようだった。そこで気づいた。真面目な千佳がまだ白紙だった理由が。翔太は決意した。
「今度は俺が勇気出さなきゃな」
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