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雌(おんな)No.6
しおりを挟む6、
屋台は藤子が手伝いをするようになって増々繁盛した。訪れる客は貨物運送業、雑貨商、市場の仲買人、また港に近いこともあって貨物船の船員や漁師の客も多かった。
その誰もが、やたらと明るかった、会話は互いに貶し合い、喧嘩腰に云い合うが互いに大声で笑い、酒を酌み交わし、ホルモン焼きを噛み千切って食う、
客は金払いも良かった、釣り銭をわたそうとすると、
「とっとき、あんたら夫婦、家買うときの足しにしたらええ」
と云う。正式に夫婦でもないし家を買う予定もない、意味が解らずきょとんとする藤子に竜次が袖を引く、
「こんな時はな、おおきに、云うたらあかんのやで、こんなもんで足しになるかいや、と怒ったように云うんやで」
それでも意味が解らぬまま、
「こんなもんで家買う足しになるかいや」
と子供が教えられた台詞を棒読みするように云った、客はそれを待っていたかのように、すかさず云う、
「誰がその銭で家買え、云うた、買う時の“足し”にせえ、て云うたんや」
竜次が横から藤子の袖を引っ張って小声で教える通り、藤子はそれをそのまま口真似した、
「おおきに、ほな、これ、その時の足しにさせてもらいます」
客と、藤子と竜次のやり取りを聞いていた客が待ってましたとばかりに大爆笑、ホルモン焼きの仕込んだネタが切れて店閉めるまで店は毎夜、笑いの渦、商売は大いに繁盛した。
藤子は盥の湯で体を流し、さっぱりして一間だけの部屋に戻ると、卓袱台にはいつものように晩飯の用意が出来ていた。
ネタの仕入れ、仕込みで、朝は早く、夜は遅い、藤子以上にくたくたに疲れているだろうに、あれしろこれしろと怒鳴りもせず、こんなに優しい気遣いをしてくれる、有難かった、思うと、ふと涙が零れた、
「何、泣いてんね、里に残して来た亭主のことでも思い出したんか」
藤子は自分のことを何も竜次に喋っていなかった。また竜次も遠慮してか何も尋ねなかった、
「そやない、竜次があんまり優しいんで、うれしいなって、涙が出て来た、ありがとな、竜次」
「ありゃ、急に改まって、礼、云わないかんのはこっちの方や、藤ちゃんが来てくれてから屋台、大繁盛や、おおきに、な」
「うち、な、別に里に、亭主やら男やら居てないね、行かず後家やね」
「ほんま、か?男が藤ちゃん見て、放っとく訳ないやん、ほんまにな、男居てないんやったら俺と所帯持ってくれへんか、嫌や、やったら無理にとは云わへんけど、どないや?」
「こんなうちでもええ云うてくれるんやったら」
小さくてもちゃんとした店を構えることを夢に、二人は寝る間も惜しんで働いた、
或る夜、露天を囲む客を押しのけて、四人の、全身入れ墨だらけの男達が現れた。竜次の顔が引き攣っている。
「おう、ようやっと見つけたぜ、竜次、こんなとこで商売しとったとはな。お前、逃げてから、ワイら、お前探して組連れ戻すまで帰って来んな、て云われて、大阪中、毎晩、飯も食わんと、こないして探しまくってたんや。
お前な、落とし前つけなあかんやろ、来い、一緒に来い、事務所行って、落とし前付けてもらわなあかんのや」
竜次は、ホルモンを焼いていたコテを男達に投げつけると身を翻して、他の屋台の隙間を縫って逃げた、男達は兔を追う野良犬のように追った。
人が一塊に群れて騒いでいた、藤子は胸騒ぎがして今にもその場に座り込んでしまいそうだった、だが気を持ち直して、人だかりの中を押し退けて一番前に出た、真ん中に囲まれて、俯せに倒れた男の背中、その背中に一本のナイフが突き刺さっていた、男の背中は血に塗れて痙攣している。
藤子は駆け寄り、抱き起こした、男の口から血が吐き出された、
「竜次、竜次」
竜次は顔を起こし、何か云い掛けたが溢れる血に口を塞がれ、そして体をばね仕掛けのように反り返ると、その体は硬直して、動かなくなった、
「あいつら、谷川組の奴らやで、一人、顔知ってる奴がいた」
「谷川組に狙われたら終りや、この前も、イクタマの方で出入りがあって、4、5人死んだらしい」
「進駐軍の物資横流しで儲けてるらしい、ま、今は触らぬ神に祟りなしや」
何処ででも喧嘩沙汰が起こり、何処ででも人が刺され、撃たれ、そして殺されていた。人は流れた、昨日の夜はあそこが栄えた、今夜はここが、しかし明日は何処に人が群れるか分からない。
藤子は毎夜、同じ場所に、竜次が殺された翌日も屋台の店を出した。鉄板でホルモンを焼いて客を待った。ひとはこの空き地に寄り付かなくなった。人が殺されたことを怖れたのではない、人の死を忌むのでもない、ただ、あれだけの人が理由もなく何処かへ流れて行ってしまったのだ、藤子は都会のひとの気移りの速さを身をもって知った。工員風の男た数人が、港湾関係の男ら数人が、仕事から帰る道すがらに立ち寄り、一杯飲んで、一口ホルモン咬んで、僅かな金を払って帰るだけだった、それでも屋台の不景気を案じてくれる客の一人が云って呉れた、
「…の焼け跡が今、よう客来とる、みたいやで、こんなとこ、もう諦めて、そこへ行ったらええね、姉さん、あんたみたいな器量やったら、客、なんぼでも付きよんで」
そんなしけた客を相手にしていて、藤子は或る夜、ふと一人の男の姿に気が付いた。確か昨日の夜も、いや、その前の夜も…そう云えば、竜次が殺されて、次の夜から、同じ姿があった…
閑散とした空き地、歯が抜けたように一軒、二軒と屋台が消えて、その空いた狭い所にその男の影が見えていた。ここは客の殆どが肉体労働者、そこにカッターシャツ姿の会社員ふう、気付いてしまえば、つい、その姿を捜してしまう。
その男が、時々藤子の方にちらっと視線を向けてくる、それは素人のものとは違う、刺すような目つき、竜次を殺したやくざ者の一人かと思ったが、そんな粗暴な様子はない、藤子は思った、もう何でもええ、殺すなら早よ殺せ、死んだ方がよっぽどましや、と無視した。
藤子は、客の、他の場所なら客、仰山来とる、あんたやったら、客なんぼでも付くわ、の一言につられ、露店が繁盛しているらしいその空き地を見に行った、だが、開店準備中の女たちが、藤子の姿を目敏く見つけて、中には手に包丁をぶら下げた女もいて藤子を囲んで云った、
「姐さん、わてらな、ここで商売させて貰う迄、何日掛けたと思うてんね、タダやないんやで、一日二日の話やないんや、それをな、いきなり、今のとこ、商売ならへんよって、こっちで商売したい、て勝手に、いきなり店出されたらわてら困るねんや、殺された竜次かて、わてら竜次、よう知ってんね、その竜次が、あそこで商売出来るようなるまでどない苦労したか、あんた聞いてないんか?あんなに苦労して、皆に筋通して商売しても、あないに、義理欠いたて殺されてまうんや、
ええか、この辺り、物欲しそうにうろちょろせんといてくれるか、今度見掛けたら、承知せえへんぞ、その折角の別嬪の顔、割れたガラスで、ギザギザに切り刻んでまうで、このどスベタが」
やはり店を続ける気力が次第と萎え、それに気力があっても商売を続けるにも金が乏しくなった、隠し持った金も、数度の新券発行と朝鮮戦争の影響で物が高騰して、忽ちに底をついてしまった、仕入れにも事欠き、一日、何もしないで過ごす日が多くなった。
あの日、大阪に着いて以来、藤子はこの築港界隈から離れたことがなかった、歩いてみた、この大都会に土地勘はまるでない、角々の家の、黒焦げた表札で今、何んという名の町に居るのか知ったが、果たしてそれが、焼け跡だらけのこの大都会の、どの辺りなのか判らなかった。
大きな門構えの家、寺が大きな通りを挟んで並んでいた、焼けて土壁だけになった寺や半分だけ焼け残った家もある。
門の立て札に、難しそうな漢字、何んとか山、何んとか寺と、山と寺の文字だけ藤子に読めた、通りすがりに、ここ何処ですね?と尋ねると、てらまっちや、と教えてくれた。
暫く歩くと、通りの裏に、石造りの大きな鳥居を見つけ、鳥居のすぐそばに、藤子には読めぬが深く彫って墨で大書した慰霊碑らしきものが建っていた、藤子は慣れぬ長時間の歩きで足が痛み、丁度その石碑が座り心地が良さそうに見えて、そこにへたるように座り込んだ。
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