あやとり

吉世大海(キッセイヒロミ)

文字の大きさ
上 下
81 / 126
六本の糸~プログラム編~

72.わからずや

しおりを挟む


 シンタロウとモーガンが訓練をすると言われ、呼び出された部屋にはジューロク、リオ、カカがいた。

 ドールの実験場なのか、防音設備も万全だ。



「やあ、お前には感謝しているんだ。」

 ジューロクはそう言うとシンタロウに手を差し出した。

「なかなかゆっくり話す時間もなかったですからね。」

 シンタロウはジューロクの握手に応じた。



「外したのはわざとではないだろ?」

 ジューロクは撃たれた場所を指差して言った。



「そうですね。全員仕留めるつもりでした。」

 シンタロウは胸と頭を指差して言った。



 シンタロウの顔を見てジューロクは笑い出した。



「怖い怖い怖い!!」

 モーガンは青い顔をして叫んだ。

 リオとカカは固まっていた。



「そういえば、そちらのお二人さんとは初めてだよな。俺はシンタロウ・コウノだ。」

 シンタロウはリオとカカの方を見て、自己紹介をした。



 リオとカカはお互いを見てから、シンタロウを見た。

「自分は衛生兵のリオです。」

「自分は機械整備士のカカです。」

 二人は固まりながらも自己紹介をした。



「そう固まるなよ。俺だってついこの前まで一般人だったんだから。」

 シンタロウはモーガンに同意を求めた。



「一般人だったな。・・・・そうだな。」

 モーガンは昔のシンタロウを思い出して少し寂しい気持ちになった。



「さて、二人には訓練をって聞いていると思う。実際に今のドールプログラムに対しての適合率と感知能力を把握したい。」

 ジューロクはそう言うと神経接続の設備を指差した。

 ドール接続をするようにということの様だ。



「俺、神経接続って苦手。」

 モーガンは苦い顔をして設備に腰かけた。



「お前の感性が鋭いってハンプス少佐が言っていた。期待しているぞ。モーガン君。」

 ジューロクは座ったモーガンの傍に行き、接続用のコードを渡した。



「俺はよく鈍いって言われるんだ。感性は期待しないでほしいな。」

 シンタロウはモーガンとは対照的に慣れたような様子で座り、コードを繋げ始めた。



 カカは適合率を映し出す端末の前に座っていた。その後ろにリオは立っていた。

 接続がだいたい終わったのかシンタロウはモーガンの様子を見てた。

「これって同時にやるのか?」



「いや、接続開始していいぞ。」

 ジューロクはシンタロウの質問に答えた。彼の手にはコードが握られている。どうやらモーガンが少し絡まらせてしまったようだ。



『接続開始・・・・』

 接続を開始し適合率が出始めた。



「適合率・・・・・・あ、二桁は超えました。大台突破ですね。」

 数値を見ているだけは楽しいのかカカは楽しそうな声を上げた。リオも同じような様子だった。



「・・・・68です。適合率は68%ですね。」

 カカは止まった数値を確認して言った。

「二桁ですら高いんですからかなりの数値ですよ。」

 リオも感心していた。



「もっと喜べばないのか?数値が高く出ると普通は喜ぶぞ。」

 ジューロクは特に表情に変化のないシンタロウを見て首を傾げた。



「適合率を計るのは・・・あまり好きじゃない。」

 シンタロウは手慣れた様子でコードを外した。



「そうか。後で色々聞かせろ。レーザーは80~90以上で使えるから、少し惜しいな。」

 ジューロクは淡々と説明した。



「まるで特別にしか兵器を与えないようなシステムですね。」

 シンタロウは特に低いとか高いとかは気にしていないようだ。





「そうなのだろうな。実際は。さて、モーガン君は?」

 やっと接続が終わったのかジューロクはモーガンから離れリオとカカの方に寄った。



『接続開始・・・・』

 接続が開始された。



「訓練だけでなく、この前の戦いを通して特化されている能力があるはずだ。シンタロウ君は射撃上手いよな。ドールに銃火器が付けられればいいが・・・・」

 ジューロクは残念そうに言った。



「え・・・高い高い・・・・高いですよ。」

 カカとリオが歓声を交えて叫んだ。

 二人の言う通り端末に映し出される数値はどんどん上がっていた。



「40・・・48・・・55・・・・62、おいおい・・・・74・・・・80・・・・88・・・・92・・・・・92だ。」

 ジューロクは思わず笑顔がこぼれていた。



「え・・・っと、俺、レーザー砲が使えるってこと?」

 モーガンはキョトンとしていた。



「事態が違ったらモーガン君も取り合いになるだろうな。この世でレーザー砲を使えるのは君以外だと6人だけなんだからな。」

 予想よりはるかに適合率が高かったようでジューロクは笑顔で何度も頷いていた。



「・・・・売らないでくださいね。」

 モーガンは疑いを含めた目でジューロクを見た。

「売らない売らない。安心しろ。君たちの味方だから。」



 ジューロクは、今度はシンタロウの傍に寄った。

 ジューロクが傍に来てシンタロウは身構えた。

 対面する形で足を運ぶ。2、3歩ぐらいの間隔を開けて目線はジューロクの目を見ていた。



 その様子を見てジューロクは満足そうに笑った。



 笑ってすぐにシンタロウに拳を向けた。

 距離を詰めて右手でシンタロウのみぞおち部分を狙う。



 目を見ていたシンタロウだが、視界の中心以外も捕えており、詰められた距離と差し出された腕に対し、半歩引き下がり左半身から肩をひねり、腰を落とす。

 狙われたみぞおちを左腕で守りながら右手はジューロクの腕に合わせて動き、横から握りかかった。



 パシン

 シンタロウがジューロクの腕を掴んでいた。



「・・・敵だったら・・・腕を捻り潰している感じか・・・」

 ジューロクは首を傾けて笑っていた。

「敵じゃないですから。」



「反応速度も動き出しも人間離れしているな。そして、目がいいな。動体視力か。視野が広いのも魅力だ。どんな訓練をした?機械を埋め込まれているわけじゃないだろ?」

 ジューロクはシンタロウの腕を振りほどき楽しそうに笑った。



「俺はいわゆる強化人間だ。薬物投与と人体実験もどきで強くなった。後は経験だ。」

 ほどかれた腕を振りながらシンタロウは淡々と答えた。



「そうか。そんなところだと思っていた。しかし、予想以上だ。モーガン君も。」



「待って?今のどういうこと?シンタロウの話流しすぎだよ。」

 モーガンはドールの接続を解いて立って青い顔をしていた。



 シンタロウは首を傾げてモーガンに笑った。



「シンタロウ君はサブドールで最初は戦おう。俺とだ。通信機器は使わない。モーガン君はサブドールに乗った状態でそれを見る。通信機器は勿論使わない。俺はある一定の動きをする。それを解析してシンタロウ君に伝えてみろ。」

 ジューロクは自分の頭をつつきながら言った。

 モーガンは青い顔をして首を振っていた。



「俺が最初に動きのルールを掴んだらどうするんですか?」

 シンタロウはモーガンとは対照的に不敵に笑っていた。



 ジューロクはシンタロウの問いに笑った。

「そんな余裕があるならやってみろ。」

 









 妨害電波のガードは効いているのかは分からないが、今のところ電波を発しているライン以上に攻撃が来ていない。

 視界にゼウス共和国がある火星を捕え、ハクトはいつ来るかわからない攻撃に身を固くしていた。



 攻撃はたまに来た。それもハクトが対処する必要のあるレベルではなく、軍艦の砲撃で撃ち落とせるレベルだ。



「・・・・無人機だ。」

 ハクトは先ほどから撃ち落としているものに人の気配がないことが気にかかっていた。

「・・・・中佐と連絡取れるか?休んでいるところ悪いが取りたいんだが?」

 ハクトは作戦本部に連絡をした。



『え・・・・中佐はもう本部にはいませんよ。』

 作戦本部は慌てていた。交代まであと1時間ある。



 あの疲労具合だとギリギリまで休んだ方がいいだろうに時間を早めに動いているのか。

「無茶はするなと言っているのに・・・・・」

 ハクトはため息交じりに呟いた。



 通信を切ろうとしたとき



『悪かったな。ニシハラ大尉。』

 急に入った通信にハクトは背筋を伸ばした。どうやら移動中の様だ。通信に割り込む形で入ってきた。



「これはこれはロッド中佐。聞いていらしたのですね。」

『私に連絡したいことがあるのだろう?ゼウス共和国側から来るのが無人機であることか?』

 クロスはハクトが連絡したいことを知っていた。ハクトは盛大に舌打ちをした。



「知っていたのですか?人が悪い。」

『態度が悪いが、まあ、いいだろう。無人機に関しては、向こうが人命を尊重してそのようにしているようには思えない。温存しているのかもしれない。・・・・向こうの考えていることがわかればいいが・・・・ニシハラ大尉。連絡していないことがあった。』

 クロスは出し渋るように呟き始めた。



「情報の独占はよくないです。早く言ってください。」

 ハクトは少し苛立っているようだ。



『怒るな。』



「隠し事は無しだろ。」



『作戦に関してはだな。』



「いちいち引っかかるな。さっさと言え。」

 ハクトは本格的に暴言を吐きそうになった。が、落ち着いて通信を単独のものに切り替えた。



『やっと気づいたか、通信が本部に筒抜け状態で言えることではない。信じてもらえるものではないが、ドールプログラムについてだが、人の意識を吸収するようだ。』



「意識の吸収?そんな感覚ないが?」



『生きているものじゃない。・・・・死んだ人間だ。』

 クロスは言いづらそうだった。



「死んだ・・・・?」

 ハクトは意味を分かっているが、頭が追い付いていないようだ。



『ムラサメ博士が求めた機能がプログラムを進化させたようだ。この機能については開発した当人たちも把握していないだろう。だが、ムラサメ博士がプログラム内で存在していることと私たちが意識を泳がせることができることを考えるとできてもおかしくない。事実・・・・私はプログラム内で死者に会った。』

 クロスは言いにくそうだった。その気配を察知してハクトはわかった。



「・・・・お前が作戦を変更したのは、精神を摩耗したからか。死者との交流で」



『・・・・そうだ。』



「恨まれていたか?そんなので精神摩耗するタマじゃないと認識していたが、俺の認識違いか?」

 ハクトは軽口を交えていたが、心配をしていることは伝わる。



『敬語を使え。ニシハラ大尉。』

 クロスはやっとハクトの言葉遣いを咎めた。



「誰だ?お前が摩耗する相手・・・・・ユッタちゃんか?」

 ハクトは言葉遣いを改める様子はなかった。



 クロスは呆れたようにため息をついた。

『・・・・・俺が殺した男だ。』

 とても言いにくそうであった。名前も特定できないようにしていた。

 だが、付き合いの長さというべきか、勘の鋭さというべきか。



「ヘッセ総統か?恨み言でも言われたのか?・・・・・そんなことで摩耗するとは・・・」

 ハクトはクロスの言葉ですぐに人物を特定した。



 これにはクロスは苦笑いした。諦めたように鼻で笑い

『ヘッセ総統は僕の父親だ。』



「は?」



『レイラではなく僕とユッタがヘッセ総統の子供だ。事実、研究用ドームには血縁関係が証明され扉のロックを解除できた。』

 クロスは淡々と説明していくが、ハクトがいなかったときに出来事だったのでハクトはついていけない。



「何でそんなこと黙っていた!!」

 ハクトは怒鳴った。



『君以外はみんな知っている。』

 クロスはハクトが怒っていることを気にする様子もなく言った。

 だが、その様子は何かを隠すような空元気に近いものだった。

 クロスの様子にハクトは怒りが鎮火された様な気分になった。



「知っていても、言えてないことはあるんだろ。・・・・レイラに相談できる話じゃないからな。」

 諭すようにハクトは言った。

 クロスはしばらく何か考えるように黙った。



『私を甘く見るな。一つや二つの抱え事でもう揺らぎはしない。交代まで集中切らすなよ。』

 黙った末に出た言葉だった。



「はい。ロッド中佐。」

 ハクトはただ返事をした。



 通信を切りハクトは拳を振り上げ下ろした。衝撃がコックピットを揺らす。

「この・・・・わからずやが・・・・」














 戦艦の機材を触りながらラッシュ博士はカワカミ博士を横目で見た。

 カワカミ博士の横顔はいつしか、非道のマッドサイエンティストと呼ばれた時のものに被っていた。目にはもう消えていたと思われる好奇心と探求心がギラギラ光っているが、それに対抗するように優しい父親としての愛情、友人への罪悪感が光を濁らせているように見えた。



「・・・・・いつ実行するの?宙であの坊やたちが戦っているときは無理でしょうに。」

 ラッシュ博士はカワカミ博士を楽しそうに見ていた。



「ゼウスプログラムが開き、全員が宙に揃ったときに生じる隙を狙います。母体プログラムの権限を少し利用させてもらいます。そのためにはニシハラ大尉、クロス様、コウヤ様がそろっている環境が必要です。」

 淡々と語るカワカミ博士は、ユイに優しさを向けていた時や執事であった時からは想像もできないほど機械的だった。



「あなたが設定したレーザー砲の安全装置って、6人以外に使わせないっていう意志が見えるんだけど。何か企んでいた?・・・・ああもう。」

 ラッシュ博士はポケットから煙草の箱を出して吸おうとした。だが、箱が空だったようで舌打ちをして箱を握りつぶしポケットに戻した。



「別に何もないですよ。ただ、彼らの存在価値が上がり、殺されにくくするためですね。6人が欠けると今のムラサメ博士を止めることは不可能ですから。」

 カワカミ博士はポケットから小袋を取り出し、ラッシュ博士に投げた。



「・・・・私は子供じゃないのよ。」

 受け取った小袋は飴であった。それを見てラッシュ博士は眉を顰めた。



「タバコよりは体にいいと思います。」



「・・・・母体プログラムの該当者ってどう選択したの?」

 ラッシュ博士はしぶしぶといった形で小袋を開け、中の飴を口に入れた。



「あの6人の特別体質は後天的です。実験中に偶然発してしまった光を浴びたことで体の中の機能にある回路が形成され、年月を経てその回路が成熟しつつある。神経が体を巡るように別の感覚回路も巡っているのですよ。それに関してはあなたも知っているでしょう。」

 カワカミ博士は冷たい目でラッシュ博士を見た。どうやらユイを使っていた実験を連想しているのだろう。



「その光は・・・・?」



「残念ながらもう二度と発することはできない。あの時の光は、ドーム外の天体の状態、埃や塵、コウヤ様達が忍び込んだことでズレた設定が重なり、天文学的確率で生まれたもの。あの6人以外特別は生まれない。近いものが存在できてもプログラム該当者に設定できる者はもう存在しない。」

 カワカミ博士は残念そうだった。その感情は父親としてか、研究者としてか、どの部分から生まれるのか判別できなかった。



「天才のあなたをもってしても無理なのね。試さなかったの?」



「試さないはずがないです。試して・・・・もう再現できないという結論にたどり着きました。」

 カワカミ博士はラッシュ博士の問いに即答した。



「光を浴びた時に、無意識にクロス様、ハクト様、コウヤ様は女性陣を庇いました。そのことが影響しています。あの3人はドールプログラム上では完全なるトップレベルの人物なのです。なにより、あの時にリーダー格で5人の精神的支柱だったコウヤ様が今も5人に慕われているのは、友情もありますが、その時の感覚が埋めこまれているというのもあると思います。あの5人がコウヤ様を裏切ることは決してないです。」

 カワカミ博士は淡々と事実だけを述べるように言った。



「コウヤ様の生存を確認し事態が動き始めたのが何よりです。無意識に彼らの感情はコウヤ様を中心に動き始めたのです。・・・・もしかしたらドールプログラムの元であるナツエ様の意識が働いているのかもしれません。」



「だから彼を利用するしかないのね。義理の息子になるかもしれないのに非道ね。他の子にしても、あなたの娘もいるし、娘の親友よ。」

 ラッシュ博士はカワカミ博士に初めて冷たい目を向けた。



 カワカミ博士はラッシュ博士の視線を咎めることもせず微笑んだ。

「あなたは彼を可愛がっていましたから、私のやり方が気に食わないのかもしれない。」

 カワカミ博士がラッシュ博士に向ける目には憐憫があった。



 ラッシュ博士はカワカミ博士の視線が気に食わなかったようだ。

「そんな目で見ないで。私の何がわかるの?」



 咎められてもカワカミ博士は気にする様子はなく、口元には笑みを浮かべたままだった。

「わかりませんよ。あなたに私がわからないように。」










 

 外気用のマスクを着けてコウヤは地上に降りた。降りた地点はドールで着地したときも感じたが、水を含み、ぐにゃりと土が衝撃を吸収する感触があった。

 辺りの草木の色はドームの外だから茶色っぽく生命の気配は薄いが、今まで見てきたドームの外とは違った。



「・・・・・意外だな。」



「意外でもないわ。ここには人がいないんだもの。人間の手が加えられることがなければ・・・・」

 レイラは皮肉るように笑った。



「今は自然環境について論議する時ではない。湖の水が張っている以上近くに行ってどうするべきか考えるべきだ。船は無いだろうな。」

 ディアはマスクごと頭を抱えた。



「・・・・近くに行こう。ドールを呼び寄せたみたいに呼べるんじゃないかな?」

 ユイはコウヤの腕を掴み、湖の方へ走り出した。



 コウヤはユイに引っ張られるように走り出した。



 走って行く二人を見てディアとレイラは呆れたように顔を見合わせた。

「お互い、理屈っぽくなったな。」

 ディアはレイラを見て笑った。



「直感型だったのになー。私は。」

 レイラはだらしなく語尾を伸ばし、幼い口調で言った。



 湖にはやはり水が張っていた。

 だが、元の深さはもっと深かったのだろう。広いクレーターのような窪みの中に10m少しの深さで水が張っている。湖面は直径およそ200mほどだ。対岸も見える。

 水面の奥深くに苔の付いた機械が見える。おそらく探しているプログラムを搭載したものだろう。揺らめく水面がコウヤからプログラムを阻む壁となっている。



「大丈夫。コウ。」

 ユイがコウヤの肩を支えるように触れた。



「私は、コウが助けられた。第1ドームで会った時も、第7ドームで助けようとしてくれた時も、砲撃から守ってくれた時も、私を孤独から救ってくれた時も・・・・・・初めて会った時も・・・・・」

 ユイが触れる場所から人の温かさが広がる。



「私がここにいるから、だから・・・・・行ってきて。そして、帰って来てね。」

 ユイはコウヤの頭を自身の頭に寄せた。

 外気用のマスクが触れ合い、カチンという固い音がする。



 自分は幸せだな。

 コウヤは思わず笑顔になった。



「・・・・行ってきます。」

 コウヤは吸い込まれるように水面に意識を向けた。



 壁だと思っていた水面は思いのほか容易くコウヤを受け入れた。

 視界が暗転する。体の力が抜ける感覚と、横に寄り添う存在にもたれかかる感覚のあと、コウヤの意識は途切れた。










 以前は言ったプログラムは白い光だった。

 それとは対照的に真っ暗だった。

 意識があるのか、眠っているのかわからない暗さだ。声も響かず自身すらも見えない。

 自分は死んで、今まで夢を見ていたのではないかと錯覚してしまうほど暗さは濃く、漆黒というのだろう。闇というには何もなさすぎる。無と言うべきであるのか。



 歩いているのか、止まっているのか、生きているのか、死んでいたのかわからなくなる。

 進もうと足を動かしているのだろうが、景色も変わらず、足を動かしている感覚も夢なのではないかと思った。



 だが、肩には先ほどのユイの温もりがあった。

「・・・・俺は、生きている。」



 確信して歩きだした。走り出した。息が切れることがないプログラム内は便利なのかわからないが、どこまで進んだかわからなくなるのは欠点だ。



 目の前に質量感のある闇が見えた。

 手を伸ばすと確かに空気に湿度を含めたような重さ、人混みの中の空気のような不快な淀みを感じた。

 淀みをかき分けるようにコウヤは飛び込んだ。



『・・・・・・ゼウスプログラム・・・・・・該当者確認』

 機械音が響いた。







 淀みだけだった空気に鉄の臭い、煙の臭い、埃の臭いが広がった。

 手には懐かしい暖かさと骨ばった頼りない優しい手の感覚。



 目には涙があった。涙で視界が滲んでいると思もうと、滲みの中から浮かび上がるように白衣の背中が見えた。



「・・・・・父さん。」

 呟くと、白衣の背中を中心とし、闇が晴れていく。





 徐々に露わに風景。

 無機質な部屋。大げさな機械。床を覆うコードの群れ。

 白衣の背中は椅子に座ったままパソコンを見ている。

 部屋の壁に設置されたモニターには宙が広がっていた。宙には船がたくさんあった。



 モニターはテレビなのか、機械を通した人の声が響く。

『避難船が続々出港しております。デマではないかと思われる襲撃ですが、市民は安全が保障されるまで「希望」を離れ、「天」か地球に避難する指示が出ています。』

 テレビの放送音声は聞き覚えがあった。



 あの時は何と言ったのだろう。不意に口が動いた。

「お父さん・・・・俺たちも逃げよう。」

 そうだ、自分は父親に避難するように言った。



 父の白衣の背中はパソコンの前から動くことはなかった。

 返事をしない父の背中には慣れていた。だが、親友たちが全て去り、一人になったこの時は耐えられなかった。



「お父さん!!」

 俺は父の腕を引き、無理やりこちらを向かせようとした。

 父の腕を掴んだ俺の手を父が掴んだ。



「・・・・コウヤ。あと少しだから。あと少しなんだよ。」

 父は縋るような目と、何かを期待するような目、誰かを憎むような目をギラギラさせて俺を見た。



「あと少しで・・・・・母さんに、ナツエに会える。」

 父はそう言った。いつも言っていた。いつもいつも言っていた。



「父さん・・・・母さんは、病気で・・・・・」

 いつも俺はこう返すのだった。そして決まって父親は復讐心だろうか、憎しみが大半を占める目で俺を見た。



「ナツエは殺されたんだ。ゼウス共和国に。病気は治るはずだったんだ。コウヤ。」

 いつも言う。何度も聞いた。ゼウス共和国への呪詛のような言葉。自分がもっと早く対処していればという自責の言葉。俺を責めることを全く言わなかったのは優しさだろうか、それとも興味がなかったのか。



 あの日も同じだった。

 ただ、違ったのは俺が孤独に耐えられなかっただけだ。



 部屋を飛び出し、廊下を走り、外に出る。

 いつもは親友がいた。だが、みんないない。



 いつも見える外の風景は人が全くいないこと以外変わらなかった。



『落ち着いて避難してください。避難船は順番です。』

 スピーカーから響く声。



 そうだ、今日は、この日は「希望」が破壊された日だ。

しおりを挟む

処理中です...