82 / 126
六本の糸~プログラム編~
73.あの日
しおりを挟む異変が見えたのはいつからだ。
画面に映るゼウス共和国方面が怪しく歪む。
「こちらニシハラ大尉だ。様子がおかしい。」
ハクトは画面の歪みが機械の調子というものではないことがわかった。
歪みの正体がわかるまで時間はかからなかった。
無人機は集中を逸らすためのもの。こちらから見える面とは別方向で入念な準備をしていたようだ。
「こちらニシハラ大尉だ。ゼウス共和国側からの軍勢確認。」
交代まであと10数分。できるならこれを片付けてからクロスに引き渡したい。
『大尉。どうします?』
他の隊員はロッド中佐の存在を期待している。もちろん彼らはハクトのことも信用している。
「ロッド中佐に負担をかけたくない。事態のことは話さないと後で小言を言われるから報告はする。」
ハクトは報告をしなかったら揚げ足取り大好きな男が何も言わないはずがないと苦い表情をした。
『わかりました。どのような作戦で行きますか?』
隊員は声に怯えがあった。それもそうだろう。見えてくる軍勢は思いのほか大量だった。
「砲弾で弾幕を張る。俺の指示通りに撃て。」
これはハクトの得意分野だ。だが、いつも戦艦に乗って行う指示だ。
こちらが張っている電波が皮肉なことにハクトの感覚を妨害する。
「・・・・待機している戦艦で無人じゃないのはあるか?すべて通信を俺に繋げろ。あとは交代したら速やかに無人状態の戦艦に乗れ。そして俺に通信を繋げろ。」
ハクトは暗に自分は事態が収拾するまで交代しないと宣言した。
『それでは、大尉は?』
隊員はハクトのことを気遣っていた。ぶっ続けで戦いっぱなしだ。半日以上ドールに乗っている。
「・・・・なにかあったらロッド中佐とどうにかする。」
言いたくないが、これが一番隊員が落ち着くのだ。恐怖と畏怖の象徴だった男は、味方にいるだけで安心材料だ。
ハクトの思った通り、隊員はそうですね。と安心したような、嬉しそうな声をあげていた。
砲撃の射程内に軍勢が近づく。
通信を全て入れる。すべての戦艦と同時に通信を行う。ついでに本部にも入れておこう。
「ニシハラ大尉だ。指示方向に砲撃をしろ。それぞれ「天」から見て右から1と数字を振る。指示された戦艦は俺の指示から2秒以内に砲撃を実行するように。戦艦数字のあとに砲台の番号と移動の角度を言う。聞き洩らすな。本部は追加の戦艦が出せるときになったら連絡頼む。」
ざわめきが聞こえる。
自分の真骨頂は軍艦の砲撃指示だと自負している。
電波を張るために置いた戦艦の他に5隻出ている。余分に出しておいてよかったと思いながらそれぞれの砲台の向きを見る。
電波を張るために置いたものであるため砲撃機能等は凍結させているはずだが、そんなの関係ないだろう。向こうの電波が来てしまえばどうせ設定を変えられるのだからだ。それを主張し、砲撃機能を回復させていた。
自分が乗っている戦艦ではないから中々つかめない。思わずドールを操作し、戦艦の頭上にあたる位置を陣取った。
動かせるのは5隻。あと少しで射程内に入る。軍勢の輪郭が見えた。数秒後には・・・・
「4の3西に10度、5の5東に20度。3の1西に15度・・・・・4の2、4そのまま弾幕。1の5西に5度、2から5の北向き砲台弾幕。」
通信の向こうから歓声が聞こえる。景色を見ても、光が見える。だいたいは当たっているようだ。
目を凝らすわけでもない。息を潜めるように敵の軍勢を捕えるように耳を澄ませるように
「5の1北に40度、3の2、4、6、8で弾幕。」
面白いくらい様子がわかる。手に取るように戦艦の位置と砲撃のすべきところ。どこから進んでくるか。
立体的に浮かぶ、どこの様子なのか深くは考えない。だが、自分の感じているものが正しい。
「5の5上4度、2の5西12度、2の4東に5度。4の6上2度弾幕、4の4東1度に弾幕。」
仕留め損ねたのが少し進んできている。だいぶ多い。
本部ではモニターに映し出される画像と指示の音声が響く。最初は上がっていた歓声が今は指示の音声を聞き洩らさないように全員が息をするのも雑音というように息をひそめている。
ハクトの声と指示を聞き、手を震わせるものも出てきた。
視覚はモニター、聴覚はハクトの指示の声に集中されていた。
砲撃は恐ろしいほど的確だった。進軍の気配のある部分にすかさず砲弾。狙いを定めようとする戦艦の気配には砲弾と弾幕。
『・・・・チッ』
ハクトの舌打ちの音が聞こえた。
モニターに映るハクトの操るドールが移動し、構えた。
『4の1、3、7そのまま、1の8北4度弾幕・・・・』
ハクトの様子を見て何をするのかわかった本部のものは立ち上がりモニターに食い入るように見る者も出てきた。
間違いなくレーザー砲だ。見えてきている主力の戦艦めがけている。
光を溜まるように、束になり両手から発せられる。
『・・・・・ロッド中佐、西5度レーザー。』
レーザー砲を発しながらハクトは指示をした。
ハクトの指示で初めてロッド中佐が前線に戻ってきたと本部は思い出した。
『了解した。』
クロスの淡々とした声が響いた。
ハクトのレーザーが収まると同時にロッド中佐がレーザー砲を放つ。
靄の様に歪んで見えるほどの軍勢は気が付くと塵のような影しかなかった。数体のドールと煙を上げる数台の戦艦。
『ロッド中佐。そのまま西に移動しながら。』
ハクトの声が響く。
クロスの鼻で笑うような音が聞こえた。
『了解した。』
指示通りにレーザーを放ちながら移動する。残る軍勢へのとどめだ。
見えていた軍勢がほぼ消えた時、歓声が上がった。
熱狂するような声と涙を含んだ声。本部の部屋で見ている数少ない老兵は顔を青くし、震えていた。
信じられないほどの集中力だった。自分でも恐ろしいほど周りが見えた。
「・・・・は・・・・はあ、はあ・・・」
気が付いたら汗を大量にかいていた。本部にお願いした追加の戦艦は一向に来ないなと思っていたが、そんなことをチラリと考えているうちに見えていた軍勢は消えていた。
自分がやった。自分の指示で。
とても恐ろしいことだが、安心している。今はこの安心に浸っていよう。
「はあ・・・・・」
切れる集中力がバランスを崩した。
視界が安定しなくなった。映るモニターの景色も揺らいだ。
バランスを取れなくなったドールは宇宙に漂いかけた。
不意に景色の揺れが収まった。ドールは支えられた。
『集中力を切らすなと言っただろう。』
ハクトのドールはクロスの乗ったドールに支えられていた。
「・・・・助かった。ありがとう。」
『あの芸当は私にはできない。見事だった。』
クロスの言うことに嘘はなかった。
クロスは通信を本部に繋げた。
『ニシハラ大尉の疲労が激しい。迎えに戦艦を用意しろ。』
本部から嬉しそうな顔をした兵士が飛び出していくのが想像できる。
思わず笑った。
『何を笑っている。』
クロスは笑われたことに少し不満そうだった。
「無茶するなよ。」
ハクトの言葉にクロスは一瞬驚いて様だがすぐに声をあげて笑った。
『お前に言われたくない。』
「・・・・はは・・・・確かに無茶した。」
珍しく言葉を聞き入れた。
揺れるように避けるサブドール。
明確ではないが、動く寸前での何かの揺れを感じ取った。
単調な動きだったジューロクのドールが表情を変えた気がした。
後ろに引っ張られるような感覚があり、すぐさま下がった。
何かに導かれるように右足を見た。
動き出す前の揺れは感じ取っている。
今だ。
揺れの気配があり、すぐさま右足に蹴りを入れた。
左足で蹴り上げようとしていたため、バランスを崩しジューロクのサブドールは倒れこんだ。
『・・・・・上出来だ。』
息を切らしたジューロクの声が響いた。
「ありがとうございます。・・・・モーガンの指示が的確だったからいけました。」
シンタロウはそう言うと動かないでいる一体のサブドールを見た。
『・・・・受け取ってくれたんだ。』
モーガンは嬉しそうな声をあげていた。
「ああ、ありがとう。モーガン。」
シンタロウは汗を拭った。サブドール操作と感覚を冴えわたらせるのに集中力は、とてつもなく使うようだ。
『休憩にしよう。』
ジューロクはそう言うとシンタロウから離れ、サブドールから降り始めた。
ジューロクと同じようにシンタロウはサブドールから降りたが、すごい汗をかいていた。
「うわー汗やばいよ。」
モーガンが楽しそうに寄ってきた。そう言うモーガンも汗がすごかった。
「人のこと言えないぞ。」
大汗をかきながら寄ってくるモーガンに思わず笑った。
「シンタロウ君、いや、シンタロウ。適合率の高さといい、身体能力といい並みの強化でない。・・・誰の元で訓練した?」
ジューロクはシンタロウのタオルを渡しながら訊いた。
「・・・ある研究者です。」
シンタロウは礼をしてタオルを受け取った。
「研究者か・・・お前も大変だったな。」
ジューロクは同情的にシンタロウを見た。
「彼は・・・いい奴でしたよ。俺に、すごく良くしてくれた。・・・最後まで俺に利用されたままでした。」
シンタロウは自嘲的に笑った。
「・・・そうか。」
ジューロクはシンタロウの頭を軽く叩いた。
道行く人はいない。
いるのだろうけれど数少ない。皆が皆港に集中していた。
冷静に見ていた。当時の自分の行動を。
「・・・・・ユイ、ハクト、クロス、ディア、レイラ・・・・・」
辺りを見渡し親友を探した。
いるはずない。彼らはもうすでに避難した。
家を飛び出したのはいいが、寂しくなり再び家に入った。
懐かしい家のリビングだ。
母が亡くなってから生活感の無くなった部屋。
電話が点滅しているのが目に入って留守電を再生した。
『シンヤ。ギンジだ。まだ「希望」にいるのか?あれほど避難しろと言っただろ。せめてコウヤ君だけでも・・・・お前の紹介した人が船を出してくれるようだ。すぐに準備しろ。いいな。早く避難しろ。あと、あれは動かすなよ。お前の手に負えない。変なことを考えるな。』
ギンジという名の父の知り合いが怒鳴るような声で留守電を入れていた。
今思うとカワカミ博士だった。
留守電を聞いた俺は再び父親の元に向かおうとした。
ふと、嗅いだことのある匂いがした。
最近化粧が濃くなってきたキャメロンの匂いだ。研究に父が没頭するほどキャメロンは化粧が濃くなっていた。
幼心ながら父が彼女に見向きもしないことに安心もしたが、同時に彼女が可哀そうだった。
だが、キャメロンが来たということは寂しくなくなる。キャメロンはユイと一緒に避難していたはず。だが、彼女の匂いがした。
俺は父の研究室に再び向かった。
やめろ・・・・だめだ。
歩みを進める幼い俺は止まらない。
だめだ。行ったらだめだ。
自宅と研究所は繋がっている構造となっており、玄関はそれぞれ別であるが、建物は同一だ。
行ったらだめだ。
廊下に差し掛かり、研究所の玄関を通るときに気付いた。
土の付いた足跡がたくさんあった。
「キャメロン・・・・キャメロン。」
俺はキャメロンを呼んだ。
彼女とは母が生きていたころからの知り合いであり、頼れる医者と認識していた。
ドカン ドスン
なにやら騒がしい。何かが倒れる音と叩きつけられる音が聞こえた。
誰かがあの床に散乱しているコードに引っかかったのかと思った。
何も考えずに研究室を覗き込んだ。
だめだ。見るな。
幼い俺は俺の言うことを聞かない。
「キャメロン来ているの?」
覗き込むと椅子に座っていた白衣の背中が床に転がっていた。
「え・・・・」
床に面している白衣の生地が徐々に赤く染まる。じわじわと生地は赤く染まる。
「・・・・お・・・父さん?」
父の顔を覗き込もうとすると
「・・・ひっ・・・・・」
顔が見当たらなかった。いや、肩より上が見えなかった。
俺は後ずさり、床に尻もちをついた。
部屋の機械が騒がしく鳴っている。
部屋には鉄の匂いと煙の・・・・タバコの匂いがする。
「・・・・・捕まえなさい。」
顔は見えなかった。だが、よく聞いていた声だ。
確認せずに俺は走った。
走って、急いで外に出ようとした。
そうだ、父さんは避難したんだ。
あの留守電を聞いてもう、港に向かっている。
留守電を聞いた痕跡がなかったことなどわかっているくせにそう思うことにした。
走っていると、滲む涙が気化熱で顔のほてりを和らげる。涙があった場所は少しひりひりとした。
外に出て通りに行くと愕然とした。
皆で遊んだ公園、木登りをした小山、親友とはしゃぎ遊びながら通った通学路。
更地に近く、遊具が潰されたようにひしゃげて、何かが破裂したような凹みがあった。
木など全て茶色の薪みたくよく燃えている。長く燃えて真っ黒になっているのもある。
道に沿って建っていた家は色を無くし、境界線を主張していた塀は崩れていた。
かろうじてある道の痕跡は、表面のアスファルトがはがれ、ところどころ路盤の砕石、いや、その下の盛土まで見ていた。
悲鳴が聞こえる。銃声も、何かが揺れるような音と振動を含めた破裂音。
「・・・あ・・・いやだ・・・・」
夢中で走った。いつもよりボコボコして悪い足場を一生懸命走った。
周りに人の気配がある。何か違う人の。
クロスやレイラがいた施設に人がいた。
複数人の怖い違う人が。
ギラギラ光る眼が怖い。コウヤを見る目は危害を加える気配はないが、血走った眼は純粋に怖かった。
周りを見渡すと同じような違う人が沢山いた。
みんな目がギラギラと浮かび上がりとても普通ではないと幼いながらもわかった。
『船が出ます。早く・・・・早く避難を・・・・・』
ドーム内の放送が入っていた。
港もこのような惨状になっているのだろう。声が途切れ途切れだった。
目の前の人たちは、ギラギラとした目だけが浮かび上がっているようだった。
一人がピクリと動いた。
「・・・・わかりました。」
誰に対して言ったのかわからないが、そいつはコウヤにじりじりと近寄ってきた。
「・・・・ひい・・・・来るな・・・・来るな!!」
コウヤは足が震えてその場で必死に叫ぶことしかできなかった。
無表情の中ギラギラ光る眼だけが人間であることを主張しているようだった。
青、黒、茶色、緑、灰色・・・それぞれの瞳が異様な輝きを放っていた。
「・・・・いやだ・・・・父さん・・・・・母さん。」
ひたすら怖くて両親を呼んだ。動かない足を動かそうともせずその場でへたり込んだ。
なんだよ・・・・キャメロン。どうして父さんを裏切ったんだよ。
幼い俺はその場でにじり寄ってくる奴らに震えていただけだった。
ドームが大きく揺れた。
揺れに驚き奴らは立ち止まった。
揺れというショックもあり、俺の足は動き出した。
どこかに行けるはずもない。ドームから最終の船は出たようだ。港方面から恐ろしい声が聞こえる気がした。
もうどこに行けるはずもない。足は家に向かっていた。
周りの景色に慣れたわけでもなく、悲しいや寂しいよりも家に帰りたかった。
ドーム内の屋敷は、貴族の屋敷のような内装であり、レンガ造りの暖炉とアンティーク調の家具。飾られた絵画とカーテンのフリルやレース部分。
ティーセットのカップの金箔は電子レンジで使えないことを主張する。
「いいのですか?」
イジーは出された紅茶をちびちびと飲みながらキラキラした目を向ける婦人を横目で見た。
「いいのよ。いいの。お菓子もいかが?」
形の綺麗な焼き菓子が出される。
「いただきます。」
久しぶりに食べるお菓子にイジーは思わず微笑んだ。
「ルーカス中尉はシンタロウ君とどこで会ったの?」
リリーはイジーとは対照的に遠慮なくお菓子を食べている。どうやらこのお茶会は初めてではないようだ。
イジー、リリー、マリー、ミヤコ、キョウコと居心地悪そうにしているリュウトがお茶会のメンバーだ。
「私は、ユッタのお墓の前で会ったのよ。彼女のお参りに行ったときに彼はその時はゼウス共和国の軍人で、レイラさんと一緒だったわ。あの時はコウヤさんが死んだと聞いていたみたいで・・・・・」
「あら、じゃあ、私と会った後ぐらいかしら?」
ミヤコはシンタロウに会った時のことを思い出した。
「そうかもしれません。彼は滞在場所についてすぐに脱走兵になっていると言っていたので。」
イジーは差し出したハンカチが使用済みで帰ってきたことを思い出し笑った。
「こんなかわいい子をね・・・・シンタロウ君もスミにおけないわね。」
ミヤコはイジーをじっと見てニヤニヤしていた。
イジーは咳ばらいをして照れを誤魔化した。
「ルーカス中尉・・・・ってロッド中佐のことが好きだったんじゃないの?」
リリーはずっと疑問に思っていたことを言った。
イジーはティーカップを置いて首を縦に振った。
「そうですね。あの人の傍に着いたのはクロスさんを探すためでした。私は幼いながらもあの人が好きでしたから。でも、あの人の傍にいるうちにロッド中佐が好きになっていたのは事実です。死んだと聞いたときは悲しくて仕方なかったです。結局私は同じ人を好きになっていただけなんですけどね。」
両手でティーカップを包み、いたわるように見つめてイジーは呟いた。
「そんなときにユッタの元に行ったんです。そこでレイラさんと会って、彼女に八つ当たりしちゃいました。・・・・彼女は私が思っている以上に大人でした。自分のことしか考えていない自分に気付いて、更にそこで自分を押さえつけて殺しながら行動するシンタロウと会いました。」
リリーやミヤコはイジーを冷やかすような目で見ず、真面目な顔をしていた。
キョウコもマリーもイジーを見て優しく微笑んでいた。
イジーの話の続きを期待する彼女たち
廊下からドタドタと騒がしい音が聞こえてきた。
「マリーさん!!飲み物ある!?」
勢いよく入ってきたのはモーガンだった。その後に続くように
「急には失礼だろ。あ・・・・・すいません。」
シンタロウが入ってきた。
やっと来た男性にリュウトの肩の力は抜けたが、女性陣は内心舌打ちをしていた。
家に戻っても誰かがいるわけでもない。
誰もいない家。
だが、とにかく家族の傍にいたくて研究所に走り出した。
荒らされた室内なんか気にする場合じゃない。
「・・・・父さん、母さん。」
もういないのにひたすら二人の存在を求めた。
廊下にある血痕が何を語るのか今は知らない。
今までのことが夢で、研究室に行けば父が代わらず白衣の背を向けたままでも、パソコンしか見なくてもいるんだと信じていたかった。
足元に血痕ではなく血だまりがいくつか見えた。だが、その意味を知らない。
キャメロンの香水の匂いもタバコの匂いも全て鉄の匂いに消されていた。
漂う鉄の、血の匂い。
部屋に入ると変わらず横たわった白衣の背中が見える。
「あ・・・・あはは・・・・あ・・・・ああああああ!!!」
訳が分からず叫んで周りの機械に当たり散らした。
誰もいなかった。
「なんだよなんだよ・・・なんだよ!!どうしてだよ。どうして・・・・」
訳が分からない。もう誰もいないことしかわからない。
暴れても手が痛くなって疲れるだけなのに幼い俺はどうやって現実を見ればいいのかわからない。
俺も現実を見てどうすればいいのかわからない。
「父さん・・・母さん・・・・・」
何度も床を殴りつけて手が痛くなっていた。
床を殴りつけたからというわけではないが、本格的に地面が揺れ始めた。
絶え間なく流れていたテレビの音が消える。電源が落ちたのだろう。
部屋の明かりも消える。真っ暗になった。
ああ、この時に自分は死ぬんだと思ったんだ。
手探りで何かを探り当てる。
父が座っていた椅子に腰かけて見ていたパソコンの画面を指でなぞる。
見えないのに何度も指で撫でるようになぞった。
カチリ
何かが動く音がした。
だが、それも振動の中に消えていった。
皆に会いたいと思った。
床が割れる音が聞こえる。真っ暗だから分からない。
もういいだけ叫んで喉もガラガラだった。今更叫ぶこともない。
椅子が揺れ、何かがコウヤの体を包んだ。
ガラガラと部屋が崩れる音がする。だが、不思議とコウヤには瓦礫どころ埃すら当たらない。
『・・・・コウヤ・・・・』
優しい声が聞こえた。この声はずっと会いたがっていた、会いたかった。
「母さん。」
母親の気配に包まれコウヤは幸せだった。体に感じる無重力さも振動も気にならないほど幸せだった。
自分のいる場所からは宙が見えた。爆発を少しずつ起こし、徐々に分解されていく構造物。爆発に巻き込まれる船。宙に吸い出される人影。
周りに見える景色が怖くてコウヤは目を強く瞑った。これは夢で幻だ。恐怖心を和らげるにはそれしかない。
コウヤのそんな気持ちを助長するように母親の気配は優しかった。
狭い空間に横たわり胎児のような体勢で眠っていた。
衝撃も大きな音も全てが幻のようだった。
そう、幻だった。
機械音が響き何かが開かれた。
むせ返るような汚い空気。
肺を一気に汚すような空気。
体が持ち上げられゆっくりと床に下ろされた。いや、床ではない。
公園で遊んだ砂場のような感覚だ。乾燥していてパラパラの砂。
その上に傷つけないように下ろされた。
目を開こうとしても目が痛くて痒くてだめだった。
近くにいた母親の気配が消えていく。振動と音を立てて遠ざかる。
「行かないで・・・・母さん。」
手を伸ばしても何もなかった。
昔、握ってくれた手も握ってもらえなかった。
薄目で見上げた空には飛ぶ鳥のような影が見えた。
あの時、孤独に負け、記憶を放棄した。
「これが・・・・真実。いや、知っていたんだよな。俺は。」
力なく手を伸ばす自分を見下ろしてコウヤは自嘲的に笑った。
「はは・・・・」
その先は知っている。
「ふざけんなよ・・・・ふざけんな!!」
口から出た言葉はひたすら文句だった。
「忘れんなよ。何で忘れていたんだよ。」
誰もいないドーム。いや、いた。いた人は皆死んだ。
死んでいないじゃないか。
「キャメロン・・・・・」
コウヤは香水とタバコの匂いを思い出した。
「なんで裏切ったんだよ。なんで・・・・父さんを」
確かに父は狂っていた。
「誰が狂わせたんだよ。」
コウヤの自問に呪詛のような父の言葉が蘇る。
「ゼウス共和国・・・・なんで、なんでなんだよ。」
あの時、植え付けられた偽りの記憶。それによって振るった力。
「なんだよ・・・・俺、間違っていなかったじゃないか。」
あの時暴れたのは間違いじゃない。あの時敵兵を屠ったのは間違いじゃなかった。
皆何を言っていたんだ。俺はクロスを止めなくてよかったんだ。
あれ、でもユイは助けた。
ユイは大切だけどおかしい、ゼウス共和国のドールに乗っていた。
レイラもだ。ハクトを傷つけて、あれおかしい。レイラは親友だ。
アリアが正しいじゃないか。どうして止めたんだ?ディア。
あれ?
シンタロウどうして復讐するのを辞めたんだ?
ハクトはどうして俺を止めたんだ?
「違う・・・俺は後悔をした。」
首を振り、頭によぎる考えを必死に振り払った。
「俺は・・・・みんなと戦うんだ。邪魔しないでくれよ。」
俺、間違っていなかったよな。
「・・・・正解不正解はない・・・・・起きたことはそれが事実になる・・・・」
いつかキースさんが言っていた言葉。
「不正解が無くても・・・・・後悔したんだ。」
拳を握り頭を叩く。
『該当者接続。ゼウスプログラム起動。』
父さんは正しいんだ。
『そうだぞ。コウヤ。お前はあれを動かせた。それが証拠だ。』
白衣の背中が浮かび上がり、久しぶりに振り向いた。
「違う・・・・俺は・・・・」
父さん。「あれ」って何?
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
女帝の遺志(第二部)-篠崎沙也加と女子プロレスラーたちの物語
kazu106
大衆娯楽
勢いを増す、ブレバリーズ女子部と、直美。
率いる沙也加は、自信の夢であった帝プロマット参戦を直美に託し、本格的に動き出す。
一方、不振にあえぐ男子部にあって唯一、気を吐こうとする修平。
己を見つめ直すために、女子部への入部を決意する。
が、そこでは現実を知らされ、苦難の道を歩むことになる。
志桜里らの励ましを受けつつ、ひたすら練習をつづける。
遂に直美の帝プロ参戦が、現実なものとなる。
その壮行試合、沙也加はなんと、直美の相手に修平を選んだのであった。
しかし同時に、ブレバリーズには暗い影もまた、歩み寄って来ていた。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
サイレント・サブマリン ―虚構の海―
来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。
科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。
電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。
小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。
「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」
しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。
謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か——
そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。
記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える——
これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。
【全17話完結】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる