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9章【負うた子に教えられる】
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しおりを挟む人間とは、不思議な生き物だ。どれだけ強い欲求を抱こうと、時間が経てばまるで初めからそんな欲求が無かったかのように、落ち着いてしまうのだから。
つまり、どういうことかと言うと……。
「課長? 寝ちゃうんですか?」
散々体を弄ばれ、発情状態に陥っていたはずの桃枝は今、一周回って無の境地だった。
鍋を食べ終え、浴室を借りてシャワーを浴び、その他諸々の就寝準備を終えた、今現在。桃枝は、妙な達成感に包まれていた。
山吹が使うベッドに横たわったまま、桃枝は目を閉じている。その様子を、山吹は床に座って覗き込んでいるのだ。
「誰かさんのせいで、ほど良い倦怠感だからな。確かに、このまま寝るのもいいかもな」
「まさか、人の家の浴室で自慰行為を……?」
「なんなら次からはどんな時でも一緒にシャワーを浴びるか、このマセガキ」
「それは、もう少し裸を見られる耐性が付いてからお願いします……」
確かに倦怠感はあるが、それは【そういう意味の倦怠感】ではない。断じて違う。
桃枝はまぶたを開き、なかなかベッドに乗ってこない山吹を見た。
「どうした、山吹。さっきお前が『狭くてもいいから一緒に寝てほしい』って言ったんだろ。なのにまさか、言い出しっぺのお前が床で寝るつもりか?」
「……っ」
真ん中に寄りすぎているのかと思い、桃枝はいそいそと体を端へ詰める。しかし、それでも山吹がベッドに乗る素振りが感じられない。
やはりまだ、素直に甘えるのは抵抗があるのか。桃枝はあえて、山吹に背を向けてみた。
すると……。
「……や、だ。イヤ、です」
「山吹?」
「このまま寝ちゃうのは、イヤです」
様子が、おかしい。桃枝はすぐに、山吹を振り返り──。
「──きょ、今日はね? 緋花くん、お風呂で準備して、いい子で課長さんを待ってたんだよっ」
──前触れもなく奇行に走り始めた恋人に、言葉を失くしてしまった。
パンダのぬいぐるみ──命名【シロ】を抱いて、山吹は自らの顔を隠している。セリフからして、まるでシロが喋っているかのような様子だ。
「は? お前、パンダ抱いてなに言って──」
「──だ、だからっ、あのっ。ひ、緋花くんは、その。……課長さんと、エッチ。シたいん、だって……言ってた、よ……っ」
なんと言うことだろう。食事中に彼氏のペニスを弄び、挙句の果てに射精を寸止めしてきた男とは思えないしおらしさだ。
まさか、なにかしらの演技か? 疑ったが、どうやら違うらしい。山吹は、本気だ。
「でも、あの……浴室で抜いちゃったなら、いいです。課長が性欲をおひとり様で発散したなら、別に……」
「その方向で話を進めるのはやめような、山吹」
なにが悲しくて、恋人がそばに居ると言うのに自慰行為に耽らなくてはいけないのか。そこまで空しい関係性を山吹と築いた覚えはない。
桃枝は上体を起こし、床に座ったままシロを抱く山吹を見た。
「シたいのか?」
「……シたい、です」
素直だ。それはもう、愛おしいほどに。
桃枝はため息を吐きつつ、山吹に手を伸ばした。
「自分で蒔いた種なくせに、お前の方が発情してどうするんだよ」
「だって……課長のペニスが、スゴく立派だったから……っ。あんなにステキなペニスを触っちゃったら、誰だって挿れられることばっかり考えちゃいますよ……っ」
「いや『誰だって』は拡大解釈すぎねぇか?」
しかし、可愛い。困ったことに、桃枝は絶賛『俺の山吹が可愛い』という語彙しか生成できない状態に陥っていた。
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