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10章【疾風に勁草を知る】
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しおりを挟む無機質な音が、スマホから鳴る。相手を通話に呼び出す音だ。
いっそ、相手が出ないでくれたら。電話をかけているくせに、山吹は思わずそんなことを考える。
山吹が連絡を取ろうとしている相手が、山吹からの着信を無視するはずがないのに。
『山吹? どうしたんだ、電話なんてかけてきて』
数回のコール音が鳴った後、相手──桃枝は案の定、通話に応じた。
大好きな桃枝の声が聞こえて胸が弾む反面、落胆に似た気持ちも湧いてくる。これも全て、黒法師と言う悪魔じみた男のせいなのだが。
「あの、課長。……ボク、今。黒法師さんと、一緒にいるのですが……」
言葉が、思うように出てこない。無論だ。言葉にしたくないのだから。
『水蓮と? なんでだよ』
「たまたま、ホントにたまたま会ってしまって」
隣で、黒法師が「嫌そうに言わんでよ」と言って笑っている。人に不快感を与えてなにが楽しいのか、山吹にはちっとも分からない。
「食事に、誘われてしまって。……だから、その……っ」
堪らず、言葉が詰まった。
これ以上を、言いたくない。こんなのは不貞行為だ。
どれだけ本意でないにしても、言葉にしたのが山吹であるのなら? 桃枝視点で考えれば、立派な裏切りになる。
桃枝に、愛情を疑われたくない。しかし、要求を呑まなかったらどうなるか……。山吹は板挟みに遭い、言葉にならない言葉をモソモソと紡ぐ。
すると──。
『──いい、それ以上はなにも言うな。今からそっちに向かうから、お前らがどこにいるのかだけ教えてくれ』
桃枝が、救いの手を差し伸べてくれた。
目の前に桃枝がいるわけでもないのに、山吹は思わず顔を上げてしまう。
「課長……っ」
『場所は? 電車……は、降りたよな。なら、駅前辺りか?』
「は、はい。駅前です、駅前に移動しますっ」
『そうか、分かった。待ってろ、すぐに向かう』
やはり、桃枝は優しい。いつだって山吹のことを想ってくれて、山吹が欲しい言葉をくれた。
今に始まったわけではない桃枝の好意に、どうしてこんな状況で惚れ直しているのだろう。山吹は堪らず、スマホを握り締めた。
「課長、大好きです……っ」
電話越しに伝わるか伝わらないか、微妙な声量。少なくとも、少し離れたところで二人の通話を眺めている黒法師には聞こえていないだろう。
しばしの、無言。既に通話が切れているのかと思い、山吹はハッとしてスマホの画面を見ようとして──。
『──悪い、いきなりの告白に絶句しちまった。その、なんだ。……あぁ。俺も、お前が大好きだぞ』
「──っ!」
まるで齧りつくかのような勢いで、山吹はスマホを耳に押し当てた。
照れくさそうな愛の言葉が放たれてすぐ、桃枝から通話が切られる。羞恥心に耐えられなくなったのか、若しくは『急いで山吹を助けに行こう』と思ったのだろう。
黙った山吹を眺める黒法師は、二人の会話が終わったと推察した。黒法師は楽し気に歩みを進め、ニコニコと笑みを浮かべて山吹の顔を覗き込む。
「で? 白菊はなんて?」
「……っ」
「──えっ。なんで君、顔が赤くなっとるの?」
いったい、通話先でなにが。分からないまま、黒法師は真っ赤になって俯く山吹を訝し気に眺め続けた。
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