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10章【疾風に勁草を知る】
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しおりを挟む桃枝が部屋にやってくるのを待って、どのくらい経っただろう。山吹は桃枝から貰ったパンダのぬいぐるみ──シロを抱きながら、ソワソワとスマホを眺めていた。
いつもより、時間の経過が遅く感じる。もっと早足になってくれてもいいのにと、スマホの中でデジタルに動く針を眺めながら、願ってしまう。
打ち合わせが、山吹の想像以上に難航しているのか。アパートに向かう途中で、事故にでも遭っていたらどうしよう。自分の容姿以外にはポジティブさをなかなか発揮できない山吹は、強いくらいにシロを抱き締めてしまった。
不安とシロを抱えて待つこと、数十分。ついに、山吹の鼓膜は素敵な振動をキャッチした。インターホンが鳴ったのだ。
すぐに山吹はシロを床に座らせた後、玄関へと向かう。そして、全面に『嬉しい』と描きながら扉を開けた。
「課長っ! いらっしゃいませっ!」
立っていたのは、桃枝だ。むしろ、桃枝以外にここを訪ねる者はいない。
嫌がらせを目的に向かってきそうな相手は二名ほど思い付くが、どちらも山吹が暮らすアパートを知らないのだから、杞憂にもなり得なかった。
扉を開け、すぐに桃枝を部屋へと招く。数時間前にも見ていた顔だが、比べるまでもなく二人きりの環境で見る顔の方が何倍も愛おしく──。
「あぁ。邪魔するぞ」
愛おしく感じる、はずなのに。玄関扉をくぐって靴を脱ぐ桃枝の表情は、どこか重たいものを引きずっているような。そんな暗さを、たたえていた。
「課長? なにかありましたか? お顔が、なんだか疲れているように見えますけど……」
「気にするな」
打ち合わせが難航したのか、部下のミスが見つかったのか。理由は分からないが、きっと山吹が帰った後に仕事でなにかあったのだろう。通路に通しながら、山吹は考える。
すぐにピコンと、山吹は閃いた。こんな時こそ、桃枝が好きなコーヒーを用意しよう、と。
桃枝を労わることができて、尚且つさり気なくお揃いの新品マグカップも見せられる。山吹としては一石二鳥だ。
「課長、座って待っていてください。すぐに飲み物を用意しますね」
「あぁ、悪いな──……って、ん?」
床に腰を下ろすと同時に、桃枝は気付いたらしい。
「なんだよ、このカップ。前までこんな物、部屋に置いてなかっただろ」
テーブルの上に並んでいる、色違いの寸胴マグカップ。どう見ても『二個でセットな商品です』と分かるカップを眺めて、桃枝は眉を寄せた。
確かに山吹は、指摘をしてもらいたくてわざとテーブルの上に置いておいたのだが……いざ訊ねられると、どうにも面映ゆい。
「あっ、これですか? これは、その。……お、お揃いとか、そんな感じで」
「お揃い?」
「そんな、まじまじと注目しなくたっていいじゃないですか。別に、あのっ、ひとつくらいお揃いのなにかがあったって、えっと……お、おかしくないと、思いますけど……っ」
気恥ずかしさから、山吹は白々しい態度を取ってしまう。まるで『前から置いてありませんでしたっけ?』と言いたげなほど、わざとらしい態度だ。
やはり箱を捨ててすぐさま使えるようにと置いておいたのは、あざとすぎたか。コーヒーを用意するために立っていた山吹は気恥ずかしさも理由に、テーブルに並べたマグカップを回収しようとする。
「……あぁ、なるほど。そういうことか」
だが山吹よりも先に、桃枝がマグカップに手を伸ばした。
桃枝はカップを手に持ち、ジッと見ている。柄にもないことをしただけに山吹は、緊張で心臓がバクバクと騒がしくて仕方なかった。
デザインなどが桃枝の趣味ではなかったら、どうしよう。そもそも【お揃い】が嫌いな可能性もある。今さらながらに、酷く不安な心持ちとなってしまう。
「えっと、そのっ。お揃いは、一先ずスルーでもいいのですが……今日は、あのっ、お話したいことがあって──」
なんとか話題をマグカップから逸らそうと、山吹は口を開く。
……しかし。山吹が抱く不安をさらに上回る反応を、桃枝は示した。
「──えっ?」
──桃枝はカップを、落としたのだ。……【わざと】と分かるよう、床に叩きつけて。
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