万華の咲く郷 ~番外編集~

四葩

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【白鳥 香月】

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 万華郷、下手しもて格子こうし太夫だゆう白鳥しらとり 香月かづきは、愛に飢えていた。
 恋人の景虎かげとらは驚くほど淡白で、愛を囁くどころか、こちらから迫らねば身体を繋ぐことすらない有様だ。
 今、見世で恋人が居る娼妓しょうぎは他に居らず、誰もが香づき達は幸せだと思っている。その実態は、完全なる仮面カップルだと言うのに。

 最初からそうだった。突き出し後、付き合おうと申し出ると、景虎は顔色ひとつ変えず「分かった」と言った。向こうに愛情など無いのは、一目瞭然だった。それは香づきも似たようなもので、選ぶ余地が無かったのだ。
 突き出し相手以外と関係を持つことを禁止する掟はない。しかし、倫理感に基づく暗黙のルールはある。当人同士できっちり話を付ければ良いのだろうが、そんなことを切り出す行為自体、かなり気不味い。
 冠次かんじのように最初から振り切っていれば別だが、香づきは見た目に反して常識人である。折角、狭き門を潜って就いた職場で、くだらない揉め事は起こしたくない。特にここは職種柄、ストレスの多い所だ。自分がそのひとつになるなど、絶対に厭だった。
 だからじっと耐えている。いくら相手が素っ気なくても、居るだけマシだと自分に言い聞かせているのだ。

 香づきはある意味、最も娼妓に向いていいる。
 誰かと肉体的な接触をしていないと、精神が酷く不安定になるのだ。軽度のセックス依存症と言っても良い。就職先に迷わず吉原を選んだのも、そんな性質ゆえだった。そのため、仕事を苦に思ったことは一度もない。淡白な景虎で我慢出来るのも仕事ありき、という常とは真逆まぎゃくな話なのだ。
 勿論、そんな内情は誰にも言えず、景虎でさえ香づきの本性は知らない。知っているのは元遣手の紫笆しばと現遣手の黒蔓くろづる、元兄太夫の日輪ひのわのみだ。

 万華郷で最も奇抜な趣向の香づきだが、それは学生時代から始まった。10代前半から髪を染め、美容に関する知識を集め、己を引き立てる努力を惜しまなかった。服や美容グッズを買うために売春をし、クラブやバーへ通いつめ、夜毎、遊び歩いては場当たり的なセックスを繰り返していた。そうでもしないと、正気でいられなかったのだ。
 母親はシングルマザーで、物心ついた頃から香づきを居ないものとして扱っていた。いわゆるネグレクトだ。最低限の食費や学費は出していたが、会話など一切なく、視線を交わした覚えもない。
 香づきはそのうち遊び相手の家を転々と泊まり歩くようになり、まったく家に帰らなくなった。
 滅茶苦茶な親だったが、大学の費用を出してくれた時には流石に感謝の念がわいた。そこからほんの少しだけ母との交流が出来たが、今でも精々、事務的なメール程度である。
 仮初かりそめでも愛されたいと願うのは、そんな生い立ちが関係しているのだ。

 苦も無く、むしろ楽しんで仕事が出来る香づきは、当然ながらとこの評判がすこぶる良い。番付で20位以下に落ちたことがないのは、吉原では非常に優秀な証だ。
 どんな売れっ子にも必ず波があり、陸奥むつ朱理しゅりらも落ちる時は落ちる。とは言え、陸奥は長期出張、朱理は囲われ等のイレギュラーな理由だが、問題を起こさないことも娼妓の大事な面目である。
 床では朱理をもしのぐ技量を持ちながら太夫格の評判が取れないのは、その奇抜さが原因だ。髪はピンクで着物はほぼ真紫、独特の間延びした口調は人を選ぶ。外見だけで指名されなかったり、性格が合わずに指名変えされる場合があるのだ。それでも根強い固定客が多いため、遣手から叱責されることはない。

「あの子は吉原ここでしか生きられないんです。彼の苦しみを、どうか分かってあげてください」

 紫笆から遣手の引き継ぎを受けた時、黒蔓は香づきについて、そう念を押されていた。派手な出で立ちも、独特な口調も、自己防衛の一種なのだ。根底にある自己否定と自己嫌悪に、呑まれてしまわないように。
 朱理にも似たような自己防衛癖があるせいか、香づきは相談相手によく彼を選ぶ。同時に、自分とは正反対の伊まりとも仲が良い。あっけらかんとして無頓着な伊まりは、共に居て気が楽なのだ。

「なーにシケたツラ晒しとんねん。また景虎となんかあったんか?」

 ある日、昼見世後の16時過ぎ。ぼんやり欄干に肘を付いていた香づきの背を、伊まりがバンバンと叩く。加減を知らないそれに、香づきは非難の声を上げた。

「ちょっ、いったぁー! 痛いってぇ。もー、すぐ叩く癖、どうにかならないのぉ?」
「ならん。慣れろ」
「えぇー、無理ぃー」

 きゃっきゃと笑い合った後、伊まりはたもとから何やら取り出して見せた。

「なぁ、暇なんやったら花札やろや。朱理んとこで」
「良いねぇ、やるやるぅ」

 二人は連れ立って朱理の座敷へ向かった。いつもの如く、伊まりが乱雑に襖を開けてずかずか踏み込むと、これまたいつものように朱理から苦い声が上がった。

「もー……そんな乱暴にすんなって言ってるだろ。いたむんだよ」
「花札やろーや」
「聞けよオイ」

 朱理と伊まりのやり取りに和みながら、香づきが襖を閉める。これもいつもの流れだ。

「朱理様もやろうよぉ、花札。懐かしいでしょ?」
「いや、俺やったことないし、全然ルール知らないよ。逆になんで二人は知ってるわけ?」
「はー? 吉原おって花札知らんってまじか。客とやったりするやろ」
「しないよ。トランプなら出来るぞ。ポーカーとかブラックジャックとか」
「欧米か」
「今から教えてると昼休憩終わっちゃうねぇ」

 香づきが困った顔で首を傾げていると、伊まりが再び袂をごそごそと探る。取り出したるは湯呑みとさいころである。

「しゃーないなー。やったら丁半でどや。壺割ってもーたから、湯呑みで代用な」
「どやって……なんでそんなもん持ち歩いてんだよ、びっくりしたわ。つか、持ち歩くから割るんじゃね? 辞めろよ、危ないから」
「わぁー、丁半なんて何年振りだろぉ」
「ちょ……待って。だからなんで妙に古い博打ばっかり知ってんの? そんなもん時代劇でしか見たことないわ」
「なんや、まさか丁半も知らんのか? 嘘やろ」
「知らねぇよ! なに、この俺だけ常識外れみたいな感じ、やだ!」
「あー、朱理様ってギャンブル大嫌いだもんねぇ。賭博師とばくしとかNGだし、知らなくても仕方ないんじゃない?」
「その割にしょっちゅう上手かみてらぁと麻雀しよるやんか」
「あれは賭け麻雀じゃないっての。だからお前、誘っても来ないんじゃん」
「ああ、せやったな。賭け無しやなんて有り得んし。つまらんことしよるな、ほんま」
「まじで伊まりは聞いたそばから忘れてくよな」

 朱理はげっそりして嘆息と共に紫煙を吐く。
 と、いきなり座敷の襖ががらりと開いた。のこっと顔を出したのは黒蔓だ。

「やっば……」

 黒蔓を視認した瞬間、光の速さで朱理の背に隠れた伊まりに、朱理と香づきは事態を察した。

「こんな所に隠れてやがったのか。昼見世後に来いと言っておいたろうが、伊まり」
「あ、あははー、うっかりしてましたわぁ。まー、もうこんな時間やし? 夜見世の支度もあるんで、明日でええんとちゃいますかね?」
「ほーお、すっぽかしといて意見するとは立派な度胸だなぁ、おい。たっぷり褒めてやるから、さっさと来い」
「くっそ、最悪や……。死んだわコレ……」

 今度は何をしたのか知らないが、相当、絞られるであろう伊まりに、朱理と香づきは両手を合わせて冥福を祈った。

「どうぞ安らかに」
「成仏してね」
「拝むな! 縁起悪いわ!」

 伊まりが出て行き、二人きりになった座敷には静かな空気が流れる。香づきの華奢で長い指先が、そっと朱理の膝頭へ触れた。朱理が微笑わらって頷くと、香づきは朱理の膝へ頭を乗せる。
 香づきの求める肉体的な接触は、必ずしも性行為という訳ではない。手を繋いだり、抱き合ったり、触れ合う行為全般に安堵するのだ。程度の差はあれど、それは恐らく全人類の欲求だろう。
 優しく髪をいていると、朱理より僅かに大きな香づきの手が重なる。ぽつりと香づきが呟いた。

「俺と景虎、もう別れたほうが良いのかな……」
「どうだろう、急ぐこと無いと思うけど」
「そう……? 何の意味があるのか、もう分かんなくなったよ……」
「何だろうね。意味が欲しい?」
「俺は愛されたい……。愛されないのにしがみつくのって、すごく疲れる……」
「分かるよ。でも、それが恋愛なんじゃないの。愛したから愛される訳じゃない」
「それは……そうだね……」

 朱理の意見は至極真っ当で、ゆえに厳しい。香づきはそこが好きなのだ。立前無しに真っ直ぐ意見を言ってくれる。悪いものは悪い、間違っていると叱ってくれる相手は、大人になればなるほど少なくなっていくものだ。

ずるい意見だけど、俺は年季明けまで待つべきだと思う。向こうが言い出さない限りはね」
「どうして?」
「補強材があっても良いと思うから。香づきにとって、景虎はある意味、支えになってるんじゃないかな。隙間を埋めるパテみたいに」

 あんまりな例えに、香づきは思わず笑い声を漏らす。「ごめん」と同じく笑みを含んだ声が降ってきた。

「ちょっとうまい例え出てこなかったから、大目に見てよ」
「……いや、凄く良い……。しっくりきた」
「疲れるのも分かるけど、それも張りって言うか、刺激のひとつではあると思うんだ。この単調な生活に、害の無い刺激は少ないからさ」

 香づきはぎゅっと朱理の手を握り締め、「本当にね」と囁いた。

「真摯に向き合わなくて良い関係もあると思うよ。別れるのはいつでも出来る。でも、離れるのは難しい。この見世に居る限り」

 香づきは、嗚呼、だから待てと言ったのか、と納得した。
 詳しくは知らないが、以前、朱理は黒蔓と疎遠になっていた時期があった。周りが引くほど仲が良い二人だ。何があったにせよ、辛い思いをしただろう。
 何となく似た苦しみを抱えている朱理だからこそ、他人が言わない助言をくれ、自分もまた、その言葉を素直に聞けるのだ。

「……有難う。俺、朱理様が大好き……」
「うん。俺も香づきが大好きだし、大事だよ」
「朱理様たちに会えて、本当に良かった……」

 香づきの心から出たひと言に、朱理は再び優しく「うん」と答えた。
 他者から理解されない苦悩を抱える者同士、傷を舐め合って何が悪い、と香づきは思う。

(だって仕方ないじゃないか。届かない所にある傷は、自分じゃ舐められない。誰かに舐めてもらうしかないんだから……)

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