万華の咲く郷 ~番外編集~

四葩

文字の大きさ
5 / 36
SS

【大鳳⠀冠次】

しおりを挟む

 万華郷、上手かみて格子こうし太夫だゆう大鳳おおとり 冠次かんじは飾り気が無く、ツンとした雰囲気と素っ気ない口調が、俺様感があって良い、と女性客から大いに人気の娼妓だ。
 しかしこの男、接客業において致命的な短所がある。客の顔と名前が覚えられない。否、そもそも覚える気が無いのである。そのため、しょっちゅう名前を間違えたり、出てこなかったりして客を激怒させている。
 それでも根強い人気がある現状には、流石の黒蔓くろづるも首を捻るばかりだ。

「分かんねぇなぁ。なんでだ? 普通、あんなクズに大枚はたいて会いに来るか? 謎過ぎるぞ、女心ってやつは」
「さぁねー。よっぽどとこが巧いのか、手に入らないものほど欲しくなるっていう心理的リアクタンスかね」

 まったく関心が無さそうなくせに的確な返答をする朱理しゅりに、黒蔓は感嘆と共に紫煙を吐いた。

「はー、成程な。その発想は無かったわ。お前、実は遣手に向いてんじゃねぇの。よくそんな言葉知ってたな」
「いやいや、かいかぶりだよ。聞かれたから答えただけで、考えたことなかったもん」
「そりゃ単に興味無いからだろ。俺にとっちゃ、最高のコンサルだよ」
「ふふっ。俺の興味は、根こそぎ誰かさんに持ってかれてるからね」

 鬼の遣手をあっさり思考迷路から救い出し、仲睦まじくそんな会話をしている下手しもて太夫の朱理に、冠次が随分前から恋慕していることは客にすら周知である。何故なら呼び間違える時、必ず出る名だからだ。そのせいで朱理は冠次の客から恨みを買い、嫌がらせを受けるなど理不尽な苦労を強いられている。
 傍迷惑極まりない男だが、冠次を冠次たらしめているのは、その生い立ちが大きく関係している。

 冠次はこの吉原で、ある小見世こみせの遊女と間夫まぶとの間に産まれた。父親は間夫にしては律儀な男で、子が出来たと知るとすぐに身請みうけを申し出た。
 しかし、母親には借金があるうえになかなかの美人だったため、小見世と言えど簡単に請け出せる額ではなかった。結局、母親は見世に残ることになり、子も認知されるに留まったのだ。
 避妊具の使用が義務付けられた現在でも、こんなことはよくある話で、認知されただけマシと言える。遊女の子は私生児がほとんどなのだ。
 見世で育てられることになった冠次だが、面倒を見ていたのは楼主や遣手、お茶引きの遊女たちだった。母親は売れっ子だったことに加え、めっきり顔を見せなくなった間夫を思い出させる冠次を遠ざけていたのだ。
 物心ついた頃から周囲には女性しかおらず、歳の近い禿かむろも当然、女の子ばかりだったため、冠次の世界は想像しがたいほど狭かった。

(女、おんな、オンナ……どっちを向いても女ばかり。甲高い声。揺れる乳房。派手な口紅。安っぽい香水と化粧品の臭い。何処にも、誰にも差なんてありゃしない。ぜんぶ同じだ。こいつらみんな〝女〟の塊だ)

 いつしか冠次は女性を集と認識するようになった。それが客の顔と名前を覚えない原因なのだ。
 成長して様々な事情を理解していくにつれ、女たちの自分を見る目が、同性や客へ向けるそれとは別物だと気付いた。媚びた視線が酷く不快で、吐き気がした。
 刺すように鋭い母の一瞥だけが集の中の個であり、冠次にとって蜘蛛の糸のような存在だった。
 もうひとつ、冠次のよすがとなっていたのは見世の裏手に現れる黒猫だ。ある日、ゴミ出しの時にたまたま見つけ、手を差し伸べると寄って来た。野良猫にしては珍しく、人懐こい猫だった。ごろごろ、と喉を鳴らして甘えてくる温もりが、狭い世界で唯一の癒しだった。
 しかし冠次が10歳になった年、母は帰らぬ人となった。首をくくっての自殺だった。
 発見したのは冠次で、垂れ下がった母の足元には、あの黒猫の遺骸いがいが転がっている。猫の首には、母がいつも挿していたかんざしが深々と突き立てられていた。しなやかで温かかった肢体は嘘の様に冷たく、硬い。見開かれた黄色い目が、じっとこちらを見つめている。
 その時、冠次の中の蜘蛛の糸は、ぶっつり切れてしまった。
 何故、首を吊ったのか。何故、猫まで殺したのか。理由など誰も教えてくれなかったし、興味も無いようだった。遊女の自害もまた、吉原では珍しい話ではないのだ。
 やがてそこらの男より美しく、立派に育った冠次を、見世の女たちが放っておく訳もなく。15歳を過ぎた頃から、夜な夜な寝所へ潜り込んでくる遊女らの慰みものになっていた。勃起しなければ殴られ、蹴られ、踏み付けにされてののしられる。
 そんな生活が厭で堪らず、一日も、一刻も早くここを出たかった。

 吉原にも保育所、小、中、高等学校がある。妓楼や商家の子、遊女の子、幼くして売られてきた子たちのために作られたのだ。
 吉原校には一般教養の他、商業や芸事に特化した科があり、吉原で働く上で必要な専門知識や技術を学ぶことが出来る。
 商家などを継ぐ者は高校まで吉原で学んだ後、経済大学等へ進む場合が多く、娼妓になる者は高校を卒業するとすぐ、見世で働き始めるのだ。
 冠次は妓夫ぎゆうとして見世を手伝いつつ吉原校へ通い、大学は通信制を選んだ。通信制なら働く時間が確保でき、自立する金が早く貯められると考えたのだ。
 しかし、母が亡くなってからの生活費や学費は見世が負担していたため、冠次はそれを返さねばならない。このままでは自分も一生、この見世と女たちに囚われることになる。そんな生活をするくらいなら、いっそ陰間になったほうがマシだと思った。
 丁度その頃、万華郷の新造募集が始まった。とはいえ、吉原に生きていればその門の狭さは嫌というほど耳にする。卑賤ひせんの身だが、駄目で元々と履歴書を送ったのだ。
 面接の際、紫笆しばの言葉に驚いたのを、よく覚えている。

「おやまぁ……随分、苦労してきたんですね。可哀想に」

(苦労? 可哀想? 俺が? この程度の話に同情できるほど、ここの奴らは悠長に暮らしてるのか? まぁ、それもそうか。望まれて産まれ、普通に生きて、普通に大学を出たエリートどもが、外から受けに来るような見世だ。もしここに入れたら、俺もようやく真面まともな生活が出来る。そうすればこのぶっ壊れた頭も、少しはマシになるのかもしれない)

 己の世界のいびつを自覚していた冠次は、採用が決まった時、そんな微かな希望を抱いていた。
 しかし結局、やることは無個性な女たちの相手で。昔と違うのは稼ぎの良さと、客の我儘が面倒なことくらいだった。それでも以前に比べると随分、自由が許されており、快適な生活環境が保証されている。
 冠次の兄太夫、宇昆うこんは規格外の自由人だったため、あれこれ言われることも無く、完全に放任されていた。元々、くるわ育ちの冠次は、特に教えをう必要も無かったのだ。
 期待したほどの劇的な変化は無かったが、これはこれで充分だと思えた。むしろ、遊女の子に産まれてここまでのし上がったのなら、上々と言えるだろう。
 そんな冠次の心が震盪しんとうするのは、入楼から2年後のことだった。

 ある晩秋の夜。黒蔓が連れて来た朱理と目が合った瞬間、久しく思い出していなかった母の眼差しと、最期に見た黒猫の瞳が、同時に脳裏を駆け抜けた。どういう訳か、朱理の眼差しにそれらを見たのだ。
 育った見世に居た時も、万華郷へ来てからも、向けられる視線に何かを感じた事は無かった。好機、侮蔑、情愛、執着……冠次にとっては等しく無意味だ。
 しかし、朱理の目つきはどれとも違った。目つきと言うより、全身から発せられる雰囲気と言ったほうが正確かもしれない。底が見えない闇のように暗く深く、その中にひと筋、鋭い光が走っている。それは子どもの頃に切れてしまった、蜘蛛の糸のようだった。まるで母と猫の面影をぜにしたような混沌に、冠次は魅入られたのだ。
 冠次自身でさえ、自分の内に湧き上がった情動が何なのか、今だに理解出来ていない。

「俺は頭良くねぇから、難しいこたぁ分かんねぇ。ただ、お前が好きだ」
「おおう……突然どうしたよ。お前の脈絡の無さ、重症だぞ」

 朱理がのんびり自室で煙草をくゆらせていた所へ挨拶も無しに入って来たかと思うと、そんなことをまくし立てられた。呆気に取られるやら面倒臭いやらで、朱理は引きった笑みを浮かべている。

「脈絡なんて、ハナからねぇよ。ひと目見た時から好きになった。今でも好きだ。それだけだ」
「えーと……うん。そうか、分かった」

 それは返事を求める告白なのか、単なる独白なのかと毎回、突っ込みたくなるが、ややこしくしたくない一心で我慢する。
 たまに、こうして発作的に想いを伝えてくる以外、特に何もしてこない。が、言ってくる言葉は自己完結の羅列なので、意味は分かるが対処に困る。
 朱理は万華郷で最もミステリアスな男は、冠次じゃないだろうかと考えている。じっと目を見つめてくる癖は昔からだが、一体、何を見出そうとしているのか。もしくは、既に何か見ているのか。いつか、冠次の年季が明ける時にでも聞いてみようと朱理は思った。

「俺は逃げたりしねぇからな、絶対に」
「逃げるってなにから? せめて前後に何か付けろよ。汲み取ることすら不可能だぞ」
「お前だけは死なせねぇ。俺からはもう、何も奪わせねぇ」
「ちょっと待て。まじで何なんだよ、怖いわ。言っとくけど、俺が死ぬとしたらお前の客に刺される確率が一番、高いからな。死なせたくなきゃ、いい加減で名前くらい覚えろよ」
「無理だ」
「……もう、あれな……お前ってそういう奴だよな……。言いたいことは全部言ったか?」
「言った」
「じゃあ出てけ。真面目に仕事しろ」
「……分かった。またな」

 おう、と答えると共に嘆息する。ふすまが閉まると、困惑と混乱が尾を引く部屋で朱理はやれやれと紫煙を吐く。
 ある日の深夜であった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

契約満了につき

makase
BL
仮初めの恋人として契約を結んだ二人の、最後の夜。

今日もBL営業カフェで働いています!?

卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ ※ 不定期更新です。

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。 無表情・無駄のない所作・隙のない資料―― 完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。 けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。 イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。 毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、 凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。 「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」 戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。 けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、 どこか“計算”を感じ始めていて……? 狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ 業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!

『定時後の偶然が多すぎる』

こさ
BL
定時後に残業をするたび、 なぜか必ず同じ上司が、同じフロアに残っている。 仕事ができて、無口で、社内でも一目置かれている存在。 必要以上に踏み込まず、距離を保つ人―― それが、彼の上司だった。 ただの偶然。 そう思っていたはずなのに、 声をかけられる回数が増え、 視線が重なる時間が長くなっていく。 「無理はするな」 それだけの言葉に、胸がざわつく理由を、 彼自身はまだ知らない。 これは、 気づかないふりをする上司と、 勘違いだと思い込もうとする部下が、 少しずつ“偶然”を積み重ねていく話。 静かで、逃げ場のない溺愛が、 定時後から始まる。

虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」 不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。 待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。 しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。 「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」 記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。 ----------------------------------------- 0時,6時,12時,18時に2話ずつ更新

処理中です...