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SS
【天沢⠀露李】
「ったく……何度目だ、つゆ李」
「……申し訳ございません……」
ある日。執務室で黒蔓に嘆息されているのは下手格子太夫、天沢 露李だ。
下手の中でも指折りの美貌を持ち、女性と間違われることも屡々だ。まつ毛は影を落とすほど濃く長く、くっきりした二重の大きな瞳はしっとり艶気を帯びている。芍薬のように華やかな顔立ちながら番付は振るわず、30位前後をうろうろし、時には50位以下まで落ちることもあった。その原因が、見境のない身上がり癖である。
つゆ李は真面目な常識人で、本来なら問題など起こす性格ではない。しかし、異常なほど押しに弱いのだ。どうしてもと頼み込まれると、大抵のことは引き受けてしまう。
その結果、馴染み客たちに身上がりを繰り返し、こうして遣手や楼主から度々、注意を受けているのだ。何度説教しても一向に治らないつゆ李の悪癖に、黒蔓も頭を悩ませているわけだ。
「間夫の1人や2人くらいなら目を瞑る。だが顧客の半分以上に身上がりするってのは、いくら何でもやり過ぎだろ。誓約書があると言っても、人の口に戸は立てられねぇもんだ。一度で良いから、すっぱり断ってみせろ」
「……はい」
そんなことは分かっている。損をしているのは自分だということも、見世の評判に傷を付けかねないということも、分かってはいるのだ。
自分でもどうにかしたいと思っている。しかし、未だに何も変えられていない。
「なんか最近、新規の客にちょいちょい身上がり臭わされんだけど、なに? 不景気?」
「え、朱理様も? 俺もあるぅ。急に増えたよねー、気分悪いわぁ」
「そら、つゆ李の噂聞いた輩やな。自分らもワンチャンあると思てんねん。アホ過ぎやろ」
「はー? 無い無い、有り得ない。身上がりなんかしたらクレカ止まる。口座の残高ゼロになる」
「朱理様、また後先考えずに買い物したの? それもちょっと、どうかと思うよぉ」
「買い物じゃないもん。イベランのための必要経費だよ」
「相変わらずやな。ソシャゲに何百万もつぎ込むとか、ドブに捨てるも同然やんけ。俺に投資したら倍にして返したるで」
「ヤダよ。どうせ裏賭場にお布施するだけだろ。俺のゲームも伊まりのギャンブルも大して変わんねーよ」
執務室からの帰り、通り掛かった控え所から漏れ聞こえた会話に胸が痛む。既に風評被害は同僚たちに降り掛かってしまっている。
ふう、と無意識に溜め息が出た。つゆ李がここまで押しに弱い性格になったのは、母親の影響だ。
つゆ李の母は、いわゆる毒親である。父は地方公務員、母は専業主婦で、中流より少し下ほどの家庭だった。公務員と言っても手取りは少なく、おまけに父の両親との二世帯家族で、暮らしは楽ではなかった。
母はパートに出ても人間関係で揉めるなどして続かず、家では義父母の世話にストレスをかかえ、幼いつゆ李に当たっていた。
産まれ付き大人しい性格のつゆ李は、家庭に無関心な父と激情型の母とに抑え付けられ、我慢に我慢を重ねる幼少期を過ごした。
やがてつゆ李が成人を迎えると、母はすぐに父と離婚し、つゆ李と2人で暮らし始めた。生活はますます苦しくなっていったが、奨学金を貰いつつ必死にアルバイトをし、切り詰めながら大学へ通った。
そんなつゆ李に、いつしか母は金の無心を始めた。育ててやったのだから当然だ、と言って。
母は食べていくにも苦しい状況だというのに、欲しいと思った物は何でも買い漁り、次々と愛人を作っては貢ぐ悪癖があった。男や物に依存し、自立心が無く、自尊心ばかり強い女だった。
酷い母だが親は親。確かに育てられたのは事実で、恩はある。情に厚く、家族や絆を重んじる思想が強かったつゆ李は、厭だと思いながらも母の頼みを断れなかった。一度聞いてしまうと徐々に頻度が多くなり、額も大きくなっていった。
そんな日々が続き、母の微々たる内職とつゆ李のバイト代では生活もままならなくなり、消費者金融で借りることすらあった。このままでは将来、どうなるのかと不安を募らせていた頃、友人から勧められたのが万華郷だった。
「住み込みらしいし、あんな毒親からも離れられる良い機会だと思うぞ」
「吉原か……。しかし、ここはかなり採用率が低いだろう。俺なんかには到底、勤まらないと思うが……」
「その顔ならきっと受かるさ。お前は頭も良いしな。ま、応募だけでもしてみろよ。損は無いだろ」
「……そうだな、やれるだけやってみるよ。有難う」
そうして合格を果たし、つゆ李は万華郷へ就職することとなったのだ。
見目の良さから将来を期待され、性格的にも似た下手太夫の千萱に付き、しばらくは何の問題も無かった。千萱は冷静沈着な娼妓で、つゆ李はその凛とした佇まいに憧れ、尊敬していた。
つゆ李を芍薬に例えるなら、千萱は花菖蒲のごとき美しさだった。2人が揃うと場が華やぎ、客からも大変、評判が良かった。
「お前んとこの、まだ客も取らないうちから凄い人気じゃねーか。良かったな、手の掛からない弟で」
「ああ、つゆ李は真面目で美人だからな。放っておいても売れるから楽だ。黒蔓こそ、面倒臭いのは嫌うくせに2人も抱えるとは意外だった。流石、般若太夫と言ったところか」
「五月蝿ぇな。楼主に無理矢理、押し付けられたんだよ。涼しい顔して的確に精神えぐってきやがる。つくづく厭な男だぜ」
「確かに、令法さんはそういう人だ。まあ、お前の我儘が過ぎるのも問題だと思うぞ。それでも目こぼしされているほうだ、自覚しろ」
「何が目こぼしだ。俺のは我儘じゃなくて道理だっつーの。お前まで小言なんて勘弁しろよ」
下手太夫のツートップ、黒蔓と千萱のそんなやり取りに憧憬を抱きながら、つゆ李は自分も励まねばと思ったものだった。
突き出しを終え、つつがなく新造としての仕事をこなし、そろそろ兄太夫の年季明けかという頃。順調に進んでいたつゆ李の行く末に影が差した。早くからその美貌で獲得していた顧客の1人が、こんなことを言い出したのだ。
「なぁ、つゆ李……言い難いんだが、今月はちょっと懐が寂しくてな……。お前に会いたい一心で来てしまったが、支払いが心許ないんだよ……」
「え……」
つゆ李はすぐに厭な予感がした。その客の表情と声音が、母親が金をせびる時とそっくりだったのだ。甘えるような阿るような、媚びた顔と声に胃の辺りがぞわりとした。
「もうすぐお前の格上げだって時に、こんな話ですまないな……。お前に迷惑を掛けるつもりは無いんだ。俺はしばらく登楼を控えるよ」
物悲しげに告げられ、つゆ李は驚いて顔を上げた。てっきり金銭か身上がりを要求されるものと思っていたが、客は寂しそうに笑っている。
「これでお前の顔も見納めかと思うと悲しいが、仕方がない……。不甲斐ない俺を許してくれな……」
「……っ、ま、待って下さい……!」
名残惜しそうに言って腰を上げた客に、つゆ李は思わず声をかけてしまった。1年以上、頻りに通い続けてくれた馴染みの辛そうな姿に、耐えられなかったのだ。それが折角、断ち切った悪習の再始だった。
自分でも馬鹿だと思う。何故そんなことをしてしまったのかと自責する。戻れるものならあの瞬間に戻り、何も言わずに帰らせるのに。何より、ほとんど取り柄の無い自分に期待してくれた楼主や遣手、千萱に申し訳なかった。
毎日、毎日、今日こそは断ろうと心に決める。それでも、いざ客を目の前にすると、どうしても拒絶できなくなるのだ。長年、抑圧された自我と、搾取されることに慣れてしまった諦念とが、強い意思表示を妨げる。
結局、格上げは格子太夫に留まった。そこには朱理の格上げ固辞やら、東雲とつゆ李のどちらを太夫にするかで揉めた等の諸事情があったのだが、本人らには知らされていない。従って、つゆ李にとっては己の力量不足以外の、何物でもなかったのだ。
この格付けはただでさえ自己否定感の強いつゆ李に追い討ちをかけ、自分に縋ってくる客たちへの同情をより深い物へ変えてしまう。そんな悪循環はこの後、数年、続く事になる。
つゆ李の人生が明るい物になるのは、まだまだ先の話であった。
終
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