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【和泉 奈央人】
しおりを挟む「なー、奈央」
「飲み物なら冷蔵庫だ。勝手に開けろ」
「いや、違くて。奈央はさぁ、夢ってあった? てか、ある?」
「またお前は……。藪から棒になんだよ、夢って」
「だからぁ、子どもの頃なりたかったモンとか、年季明けたらやりたいこととか、そーゆうの」
下手太夫、和泉 奈央人は、同じく下手太夫の朱理から唐突にそんなことを聞かれた。
ある日の昼見世後、和泉の自室でのことである。ふらりと入ってきた朱理は煙草に火を点けて床に寝転び、ぼんやり天井に向かって紫煙を吐いている。
文机に肘をつき、同じく煙草を咥える和泉は、クールビューティー以外の表現法が無い娼妓だ。切れ長の目に通った鼻筋、陶器さながらの滑らかな白肌で、絹糸のような黒髪を背に流している。仲間内では〝絶対零度の和泉〟と呼ばれるほど常に冷静沈着でぴしゃりと物を言う。冷徹だと思われているが、その実、非常に繊細で情が深く、思い遣りのある優しい男だ。
感情表現が苦手で溜め込み性の不器用な和泉と、まるで正反対の朱理は互いに親友と呼び合う仲である。和泉はこの見世で唯一、朱理と過ごす時間は自然体で居られるのだ。故に、たまにこうして踏み込んだ話になることがある。
「夢か……」
ぽつりと反芻し、記憶を辿ってみる。
子どもの頃から和洋問わず、古美術や伝統品などには興味があった。ぼんやりと、将来はそういう物に携わる仕事がしてみたいと思っていた。
中学を卒業すると迷わず美術高校へ通い、様々なことを学ぶうち、和裁に強く惹かれた。吉原や島原があるお陰で、今も昔ながらの和裁や和小物の需要は高い。繊細な刺繍や金細工の精巧さは、見ているだけで心が浮き立つ。
美術大学へ進み、専門知識や技術を学びながら、週末は美術館や博物館を巡るのが趣味だった。
ある日。ふと和の本場、吉原へは一度も行っていないと気付き、足を向けてみることにした。吉原と言えば色街という固定観念があり、無意識に美術鑑賞で行く場所ではないと思い込んでいたのだ。
夜は混みそうだし、それこそ色目的の人間でひしめき合うだろう。行くなら昼間にしようと決め、翌週末の正午過ぎに吉原大門を潜った。
そこまで思い出した和泉は、「嗚呼」と小さく声を上げた。
「思い当たった? 夢」
「いや……あれ黒蔓さんだったのか、と」
「なにが?」
「実はな──」
和泉の人生を左右した出来事は、その思い付きで行った吉原で見た花魁道中だったのだ。
人混みを避けて昼にしたつもりだったが、通りは路地まで人で埋まり、混雑を極めていた。
まだ昼見世も始まっていない時間なのに何事かと思っていると、遠くから鈴や太鼓の音が聞こえてきた。にわかに人々がざわつき始め、和泉も皆が見つめる前方へ視線を向けて、それが来るのを待った。
なんて美しい光景だと思った。提灯持ちの後ろから外八文字を踏み来る太夫は、紫紺の二重に、裾の黒からグラデーションが掛かった錫色の打掛。錫色に向かって、下から黒い観世水が描かれている。
正面の帯は鮮やかな江戸紫で、金糸と銀糸で迫力のある般若と流れるような組紐が刺繍されていた。
太夫の頭上に開く長柄傘は少しくすんだ芥子色で、巧みな差し色がコントラストを引き立てている。
着物や帯の見事なことは勿論、全体的な色使いや和楽器の演奏、付き従う者たちの衣装にまで、洗練された美への拘りが見て取れた。
和泉は初めて見た道中の総合的な迫力に圧倒され、主役である太夫の顔にまで気が行かなかったのだ。
それを聞いた朱理は、可笑しそうに笑った。
「嘘でしょ? 奈央らしいっちゃらしいけど、普通なら太夫にばっかり目がいくと思うけどね」
「人には興味がないからな。着物の刺繍や柄を見るほうがよっぽど楽しい。ま、あんな怖ぇ般若帯を着こなしてたのは、あの人で間違いないだろう」
「えー、良いなー! 俺も黒蔓さんの道中、見てみたかったなー。めちゃくちゃ格好良かったろうなぁ」
「確かに、道中に箔が付くかは太夫で決まる。あの人はいつも凄かった」
朱理は駄々っ子のように床で手足をばたつかせ、「良いなー」と連呼する。
考えてみれば、朱理は黒蔓と網代の年季明け後に入楼したため、先代の御職2人の道中を見ていないのだ。映像や写真に残らない万華郷の道中は、太夫が年季明けしてしまったが最後、二度と見ることは叶わない。
勿体無いなと和泉は思ったが、朱理の傷を抉る必要もないので黙っておく。
「で? その道中見て吉原行こーってなったの?」
「……そんなに軽く言われると癪だが、まぁそうだ」
「でもなんで陰間? 和裁とか習ってたんなら、仕立て屋とかで良かったんじゃねーの?」
「仕事に出来るほどの腕じゃなかったからな。趣味で楽しむには良いが、それで食ってくとなると、技能的にも精神的にも無理があると思った」
「あー、確かに。好きを仕事にするなって言うもんね。せっつかれたり、文句つけられたりしたら厭になりそうだわ」
「だろ。俺は俺の好きな物を嫌いになりたくなかったんだよ。好きな物に囲まれてがっつり稼げるなら、文句はねぇよ」
「極端だねぇ」
ぷかり、と紫煙を吐いて笑う朱理に、和泉は部屋の隅に置いてあった箱から林檎を取り出し、投げて寄越した。
「お、今年も来たんだ。奈央んとこのは蜜入りで美味いんだよなぁ」
「山ほどあるから、好きなだけ持ってけ」
「それは嬉しいんだけど、なんせ剥くのが面倒くせーんだよなぁ。皮ごといくと、後からめっちゃ胃が痛くなる謎」
「皮は消化しにくいからな。お前、食が細いから負担がかかるんだろ」
「なにその林檎トリビア。流石は名産地の人」
「その言い方やめろよ、腹立つ。これくらい常識だ」
和泉の実家から送られてくる林檎は大変に美味で、朱理のお気に入りだ。手の中で林檎を転がしながら、朱理は思いついたように声を上げた。
「あ、そうだ! お互い方言で喋ってみねぇ? 地方人ならではの遊びだろ、楽しそうじゃん」
「はー? 厭だわ、くだらねぇ」
「お願いー、奈央の方言聞いてみたいー。俺もちゃんと方言で話すからさぁー」
言い出したらなかなか引かない性格を熟知している和泉は、抵抗を諦めて深く嘆息する。
「分かった、分かった。少しだけだぞ」
「やった! じゃ、和泉パイセンからどーぞ!」
「あー……くだねうえにはずがすいはんではえぐやめで」
「んっ? ふふっ……ちょ、ネイティブなめてたわ。もっかい、ゆっくり言って?」
「だはんで、くだねすはずがすいはんで、はえぐやめでの」
「……ごめん、辞めよう。ひと言も分からん。なんかもう、異世界語すぎてびっくりした」
「だから厭だっつったろ! 無駄な恥かかせやがって、くそが!」
和泉はやや頬を染め、箱から林檎を取り出しては投げ付ける。朱理はそれをキャッチしつつ、ひと頻り笑い転げた。笑い疲れて再び床に大の字になり、朱理はまた思い付きを口にする。
「あー、アップルパイ食いたくなってきたな。作ろうかな」
「お前、無駄に焼き菓子上手いもんな。作るんならついでにクッキー焼いてくれ。チョコチップ多め、柔らかめ」
「ええ……アップルパイとクッキーって、調理過程の共通点ゼロだよ。時間的にも同時にやんのは無理だって。そもそも俺、冷凍のパイ生地でしか作れねーし」
「同時にやれとは言ってないだろ。ついでにだよ」
「言ってること同じじゃん! 俺パイ作るから、奈央はクッキー焼けば良いだろ」
「厭だ、めんどくせぇ」
「おおぅ……。まぁ、ツヤ出しで卵余るし、今度の休みにでも作るよ」
「おー」
どうせ明日には気が変わっているか、忘れているだろうな、と和泉は思った。
「で、結局なんだったんだよ。夢がどうとかって話」
「ん? 嗚呼、してたな、そんな話。いや別に、何となく聞いてみたかっただけ」
「あっそ。お前は夢あったのか?」
「んー……色々あったけど、全部、親に反対されたわ。ま、今考えると馬鹿みたいな夢ばっかだったから、反対されて当然だけどな」
「例えば?」
「美容師とか、心理学者とか、弁護士とか」
「なんか振り幅すげぇけど、立派な夢じゃねーか。なんで反対されたんだよ」
「潰しが効かないし、向いてないって。弁護士は頭悪ぃから無理だなって自分でも思った。堅実で子ども思いだったのよ、うちの母さんは」
「……お前がそう思ってんなら良いわ。つか、そんだけ堅実な人なら、ここに居るの猛反対されるだろ」
「だねぇ。だから陰間になったとは言ってない。見世で働いてるとだけ言ってる。それでも帰ってこいコールがすげーけど」
「そりゃそうだろ。吉原で働いてるなんて聞きゃ、心配して当然だろうな」
「奈央んとこは? 帰ってこいって言われない?」
「いや。自分のことだけ考えて生きろって言われてる」
「うはっ、かっけー。流石、奈央の親御さんって感じだわ」
「ま、心配かけてんのは多分、俺もお前も同じだろ。親ってのは、幾つになっても子どもの心配するって言うし」
そうだね、と手元の林檎へ視線を落として答えた朱理の声音は哀愁を帯びていて、しんみりした空気が部屋に流れる。きっとここへ来る前、何かあったのだろうと和泉は思った。わしゃわしゃと頭を撫でてやると、朱理は少し困ったように笑った。
しばらく互いに黙ったまま煙草を燻らせて過ごし、和泉は端末で時間を確認すると腰を上げた。
「そろそろ支度しようぜ。厭なお仕事の始まりだ」
「んー。あ、林檎ありがと。いつも貰ってばっかで悪いね」
「良いんだよ、気にすんな。大丈夫か?」
「大丈夫よー。じゃ、お互いほどほどに頑張ろーなー」
「おう」
そうして不思議な友情は長い間、互いを癒しつつ支え合っている。
人付き合いが苦手な自分に、ここまで気を許せる友人が出来るとは思っていなかった。他人に誤解されてばかりの自分を理解し、受け入れ、手放しで好きだと言ってくれる。
きっと奔放な朱理だからこそなのだろう。彼は彼なりに誤解され、苦労し、悩んできたのかもしれない。
夢見た仕事ではないが、かけがえの無い友に出逢えたなら、やはり悪い選択ではなかったと改めて思う。
ある日の、穏やかな夕暮れであった。
終
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