万華の咲く郷 ~番外編集~

四葩

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【東雲⠀煜】

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 下手しもて太夫だゆうから番頭ばんとう新造しんぞうとなった東雲しののめ ひかる
 鈴蘭を連想させる清楚で可憐な容姿、誰に対しても敬語で接する生真面目さ、楚々とした立ち振る舞い。
 大人しく、やや引っ込み思案ではあるが、芯の強い所もある。正に大和撫子やまとなでしこを体現する人物だ。
 そんな東雲が、突き出し相手だった上手かみて太夫だゆう鶴城つるぎに長い間、片想いをしていることは、鶴城以外の全従業員が知っている。
 誰が見ても分かるほど好きアピールをし続ける東雲に反して、少女漫画でもそう居ないくらい鈍感な鶴城を、皆がやきもきしながら見守る膠着こうちゃく状態は、鶴城の年季明けまで続いた。

 事態が動き出したのは黒蔓くろづる網代あじろの引退と、陸奥むつの年季明けが決まった頃だった。
 東雲を遣手に、陸奥を楼主にという話になった時、陸奥がきっぱり拒んだからだ。

「厭です。朱理しゅりが遣手じゃないのなら、絶対、お断りです。もし無理に押し付けたら、ひと月以内にこの見世を潰します」

 清々しい笑顔でそう言い放たれ、折れざるを得なかった黒蔓らが次期楼主に指名したのが鶴城だった。

「えっ!? 俺ですか!? いやいや、無理ですよ! 責任が重過ぎますって!」
「頼む、鶴城。お前は仕事振りも真面目だし常識もある。陸奥がああ言って聞かない以上、お前しか居ないんだよ」
「これも良い機会じゃねぇか。東雲に手取り足取り教えてもらえ。俺がきっちり仕込んどいたから、お前が困ることはねぇよ」

 網代と黒蔓に頼み込まれた上、同僚たちにも背を押された鶴城は、渋々六割、満更でもない四割で引き受けた。

「これからよろしく、番新ばんしん──じゃなかった、遣手さん」
「よ、よろしくお願いします、鶴城楼主」
「ははっ、なんか堅苦しいな。呼び捨てで良いよ。また同僚になったようなもんだし」

 〝同僚〟の言葉に気分が沈む。これからも鶴城の傍に居続けられる喜びと、片想いが続く拷問の苦痛とが、同じ質量でもって東雲の心にのしかかる。
 ふと、数年前、朱理に言われた言葉が脳裏に蘇った。

「もう辞めたら?」

 ある日、ふらりと番頭台へ寄ってきた朱理は、気怠げに紫煙を吐きながらこんな話をしてきた。

「あいつ、ただのクズだよ。煜さんが想い続けるほどの男じゃない」
「そっ……そんなことはありません……! あの人は、少し誤解され易いだけで……」
「いーや、誤解でも何でもないと思う。あんま他人ひとの想い人を悪く言いたかないけどさ、アレは駄目だ」

 これまで何だかんだで応援してくれていたはずの朱理が、あまりにはっきり言い切るので、東雲は恐る恐る理由わけを問うた。

「な、何故、突然そんなことを……? 何が駄目なんです?」
「なんつーか、小さい。男としても、人としても。ああなったのにも訳があるんだろうけど、それを話す度胸も無いくせに自尊心だけは一丁前なんだよな。俺、そういう奴って好きじゃない」
「……それは、私には関係の無い話です。貴方に彼がどう見えていたとしても、私には彼だけなんです」
「何でそこまで……。ああ、もう……っ!」

 朱理は苛立ちを隠す気も無く、髪をがしがしやりながら東雲を見上げた。

「あいつこの前、キレて俺のこと犯そうとしたんだぜ。どこまで本気だったか知らねぇけど、少なくともキスはしてきた」

 その瞬間、手足の先がすっと冷たくなるのを自覚した。きっと顔も青ざめていただろうことは、朱理の苦い表情で判る。手が震え始め、やがてそれは全身に広がった。
 そんなことを仕出かした彼が憎らしくて、辛くて、悲しい。でも、彼に触れられた朱理が羨ましくて、そんな自分に嫌気がさした。何故、貴方ばかりが、と思ってしまう。
 漁火のようにじりじりと東雲を焦がす嫉妬の始まりは、兄太夫だった。

 鶴城を追いかけて受けた面接に合格した東雲は、当時の下手御職だった黒蔓へ付いた。諸事情により、同期入楼の和泉いずみと共に弟分となったのだ。
 太夫の中でも特に気性が激しく、完璧を求める黒蔓の教育は非常に厳しい物だった。少しでもついて行けないことや失敗があると数日に渡って無視されたり、悪質な客の名代みょうだいへ回される等、精神的な折檻せっかんを受ける。必死で稽古や雑務をこなす苦難の日々も、全ては鶴城の傍に居たい一心だった。
 鶴城は鶴城で常識外れの兄太夫、蝶二ちょうじに振り回され、苦労しているようだった。そんな鶴城の姿を見ては、何度も折れそうになる心を鼓舞した。
 そして1年後、待ちに待った突き出しの日を迎えた。組み分けを聞いた時、これまでの艱難辛苦はこの日のためだったのだと、やはり運命だったのだと、心の底から喜びが溢れた。

「東雲、もしかして初めて?」
「……は、はい……」
「光栄だよ。無理しなくていいから、辛かったら言ってくれ」

 開始直後、甘い声でそんなことを囁かれ、優しい手付きで触れられると、もう正気ではいられなかった。
 東雲にとって、これは仕事の一環でも、ただの儀式でもない。愛する人との契りだ。夢中で彼を感じ、しがみつき、全身でその幸福を享受する。「おやまぁ」と意外そうに零す紫笆しばと、僅かに眉をひそめる令法りょうぶの姿など、東雲の眼中には無かった。
 そうして鶴城との交わりと、一人立ちという二重の喜びを噛み締めていた東雲に冷や水が浴びせられたのは、更に1年後のことだ。

 突き出しから一切、触れてこない鶴城に焦れていた頃、黒蔓が朱理を連れて来た。ぼわり、と東雲の心に小さな火が起こったのは、その時だった。
 既に引退し、遣手となっていた黒蔓が手ずから育成すると聞き、最初は同情した。しかし自分たちの時とはまったく違う愛に溢れた教育を見るにつけ、小さな火は少しずつ範囲を広げ始めたのだ。
 芸事や作法においての厳しさはあるものの、折檻などは微塵もなく、むしろ上等な着物や小物が惜しみなく与えられ、目に入れても痛くないと言わんばかりの寵愛を受けている。
 こんな物は教育ではない、ただの猫可愛がりだ、と東雲は思った。きっと和泉も同じ気持ちだろうと思っていると、いつの間にかすっかり打ち解け、東雲よりも親しくなっていた。旧知のように笑い合う朱理と和泉の姿に、またじりじりと火が伸びる。

(何なんだ、一体。こんなのおかしいじゃないか。鶴城はまったく私を見てくれないし、兄弟は末っ子ばかりを甘やかす。私はあの子より、ずっと前から皆と共に頑張って来たというのに……。彼の何がそんなに特別だと言うのか)

 この見世において絶対的御法度タブーである嫉妬に呑まれかけた時、細く冷たい手が東雲の手を包み込んだ。

「蝶二さんが飴くれたよ! ほら、こんなにいっぱい! 煜さんには檸檬味が似合うと思うんだ。はい、どーぞ!」
「あ、飴……? 大きいですね……。何故、こんな物を?」
「パチの景品だってさ。懐かしいよね、大玉。周りのザラメで、口ん中ゴリゴリ削られんの。でも美味しいんだよなぁ」

 頬をリスのように膨らませて笑う朱理に、嗚呼、こういうことかと思った。下心の欠片も無く、好意的に接してくる相手に悪意を向けるのは、本能的に難しい。飴を含むと、あの日の初恋と同じ味がした。
 無邪気な笑みと檸檬の香りで、今にも火炎になりかけていた漁火が、ゆるゆると揺らぐ不知火に変わった。

 遠い蜃気楼となっていた嫉妬と焦燥が再びはっきりと現像し、東雲の心を端から焦がす。何故、よりにもよって貴方なんだ。何故、私じゃ駄目なんだと目頭が熱くなった。

「もう辞めたら? 煜さんは強いから、壊れることは無いんだろうけど。俺は辛くて堪らないよ」
「……それが出来れば、どれほど楽か……。きっと貴方には一生、解らないでしょうね……」

 東雲が漏らした本音に、朱理は暫し沈黙した後、すべてを諦めた声音で言った。

「何かを変えたいなら、もう煜さんが動くしかない。頑張ってね」

 ふい、と打掛を翻して去って行った朱理はそれきり、二度とこの恋に口を出してくることは無かった。
 辞めるか、動くか。決めるのは今しかない。自分しか居ない。

「……つ、鶴城……ッ」
「なに?」
「す……好きです、貴方のことが……っ」
「え……」
「ずっと、ずっと前から……出逢った時から、貴方を愛しています」

 長い沈黙の後、鶴城の絶叫が大玄関の外まで響き渡った。口をぱくぱくさせて驚愕している鶴城を見つめる東雲は、予想外に晴れやかな気持ちになっていた。
 言ってしまえば、なんてことは無かった。これで断られたとしても、きっと自分は大丈夫だと思える。20年近くも悩んでいたなんて馬鹿みたいだと思う反面、月日が経ったからこそ、こんなにも清々しい気持ちになれたのかもしれない。
 暫く呆然としていた鶴城は、顔を手で覆いながら深く嘆息した。

「……早く言ってよ……。俺、すげぇ間抜けじゃん……」

 指の隙間から覗いた鶴城の目元は赤く、その表情が何よりの答えだった。東雲は思い切り鶴城の胸に飛び込み、強くしがみついて言った。

「結婚して下さい!」

 たくましい腕に抱き返され、優しい声が降ってきた。

「こんな俺で良ければ、喜んで」

 そこからはとんとん拍子だった。吉原特区では同性婚が認められているため、二人は吉日を選んですぐ役所へ婚姻届を出した。
 万華郷では盛大な祝宴が開かれ、縁のある妓楼の楼主や遣手が駆け付けて二人を祝福した。宴の席で皆から祝杯を受ける鶴城と東雲を見遣りながら、和泉はぷかりと紫煙を吐き、朱理へ問う。

「展開が急すぎて理解が追い付かんのだが、お前、何した?」
「何もしてないよ。俺のこと、魔法使いかなんかだと思ってる?」
「まあ、ある意味ではな。結局、鶴城は東雲を好きだったのか?」
「そうなんじゃないの。相手の好意にも気付かなけりゃ、自分の好意にさえ気付かなかったどんだってことだろ」
「底無しの阿呆だな。東雲の奴、よくあんなのに惚れたもんだ。俺にはさっぱり解らん」
「同感。たで食う虫の極みだわ」

 冷えきった和泉らはさておき、こうして東雲の長過ぎる片想いは無事、実を結んだのであった。

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