万華の咲く郷 ~番外編集~

四葩

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番外編~日常小噺~

【紅玉姫】

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 万華郷の定休日には、いつもちょっとした騒ぎが起こる。
 とある休日。控え所にたむろしていた娼妓らの鼻孔を、甘い焼菓子の香りがくすぐった。

「なにコレ、すっごく美味しそうな匂いするぅ。台所からかなぁ?」
「誰かなんか作ってるっぽいな。ちょっと覗きに行こうぜ」

 香づきと荘紫そうしが言い出し、鶴城つるぎ棕櫚しゅろ一茶いっさ冠次かんじ、伊まり、けい菲が後に続く。
 ぞろぞろと台所へ向かい、中の様子を伺うと、ちょうど朱理しゅりが天板をオーブンから出した所だった。

「えっ!? 調理してたのって朱理様だったのぉ?」
「おー。って何だよ皆、そんな戸口で雁首揃えて」
「誰が何してんのか気になって見に来たんだけど、まさか朱理だとは思わなくてな。入って良いか?」
「どーぞー」

 鶴城が了承を得ると、皆いっせいにアイランドキッチンを取り囲む。

「うわ、すごっ! アップルパイだぁ! めちゃくちゃ美味しそー!」
「いやまじで凄いな。こんな綺麗に焼けてたら、売っていいレベルだぞ」
「しかも型無しで長方形ってのがプロ感ハンパないわ」
「朱理は何でも出来る子だねー。こんなの見せられたら、お嫁さんに来て欲しくなっちゃう」
「ほんまにすごいなぁ。フィリングも朱理の手作りなん?」

 棕櫚、荘紫、伊まり、一茶、けい菲から絶賛され、朱理はやや照れの混じる笑みを浮かべて頷いた。

「そうだよ。奈央なおからいっぱい林檎もらったから、こりゃアップルパイだなと思って。でも生地は市販の冷凍だから、全然すごくないけどね」
「いやいやいや、充分すごすぎる。って言うか、意外にも程がある。台所のイメージ皆無」
「それな。お前って米を食器用洗剤で洗う系だと思ってたわ。包丁持たせるとヒヤヒヤするやつ」
「まじで失礼よな、鶴城と荘紫は。まあ、言われ慣れてるから腹も立たねーけど」

 朱理が鶴城らとそんなやり取りをしている間に、香づきとけい菲は携帯で写真を撮りまくっている。

「やばーい、手作り出来たて感が映えるぅ。イムスタ上げちゃおっと」
「うちも香露巴ころはに送るわぁ。あの子、甘いもの好きやさかい、羨ましがるやろなぁ」
「あ、どっちかグループにも送っといてー。俺も写真欲しい」
「おっけー」

 ほのぼのわいわいしていた所へ、香づきの悲鳴じみた声が上がった。

「ちょっとぉ! 穴あけたの誰!? バランス崩れたじゃん! 最悪ぅ!」

 いつの間にか15個並んでいたはずのパイが、真ん中から1つ消えていたのだ。

「おいおい、ちゃんと皆に分けようと思って数作ってんのに……って、冠次てめぇコラ、丸見えじゃねーか。せめて隠れるフリくらいしろよ」

 犯人を探すまでもなく、冠次が堂々と手掴みで頬張っていた。

「美味い」
「そりゃ良かった。焼きたてだから気をつけろ。じゃあそれ、お前の分な。もう取るなよ、足りなくなるから」
「厭だ」

 再びパイに手を伸ばす冠次を、鶴城と荘紫が取り押さえる。

「辞めろっつの! 俺らも食いたいんだよ!」
「まじで! お前、食いもんの恨み舐めんなよ! これ食えなかったら末代まで呪うからな!」

 散々、失礼発言をしていた二人の必死な形相に、朱理は苦笑しながら煙草に火をつけた。

「そうムキになんなくてもたかがパイだし、すぐ作れるぞ。適当にやってっから、クオリティまちまちだけど」
「駄目! 俺たちは今、この瞬間を生きてんだよ!」
「そうだぞ! このパイとは二度と会えないくらいの気持ちでいろ!」
「何もそこまで……。明日も知れない勇者か、お前らは」

 嗚呼、と朱理は思い出したように冷蔵庫からタッパーを取り出した。

「ほれ、冠次。パイ取らないって約束するなら、余ったフィリング全部やるぞ」
「する。くれ」
「はいはい。甘いからいっぺんに食うなよ。うえってなるぞ」

 冠次の餌付けに成功した朱理がひと安心したのも束の間で。

「はー!? ちょっと朱理、我儘なやつにご褒美ってどういうこと!? それ、一番美味しいとこじゃん!」
「そうだよねぇ……おかしいよねぇ……? 俺もちょっと納得出来ないかなー……」

 非難がましい声を上げる棕櫚と、殺気を放つ一茶に詰められる。

「えっ……いや、待って。アレはパイ生地と食べるから美味しいのであってだね……」
「これだけでも美味いぞ」
「……だってさ。あーあ、俺も食べたかったなぁー。残念だなー。悲しいなー」
「俺も泣きそぉー……。しばらくやる気でなーい……」
「ま、また作るから! 辞めてよ、あにぃ達に責められると心が痛い!」

 たじたじとなっている朱理を横目に、伊まりは愉快そうに携帯を掲げる。

「うは、珍しく棕櫚と一茶が駄々こねよるで。動画撮っとこ」
「ちょっと伊まりぃ……撮るもの違くない?」
「そやよぉ。そないな事するのんは趣味良うないでぇ」
「はー? 菓子なんて撮ったって、なんもおもろないやろ。どうせやったら、こんなん撮らなな」

 と、そこへ眉間に深く皺を刻んだ黒蔓くろづるが顔を出した。

「うるせぇんだよ、てめぇら。大玄関まで響いてるぞ。なに騒いでやがんだ」
「げっ……い、いやぁ、別に何ということは……ハハ……。すみません……静かにします……」

 鶴城がいち早く謝罪し、秒で凍りついた空気に朱理だけはホッとしている。一見して状況を察した黒蔓は、苛ついた声を上げて娼妓らをせき立て始めた。

「おら、さっさと出てけ。せめぇ台所にうじゃうじゃ湧くな」
「そんな……Gみたいな言い方しなくても……」
「あ?」
「何でもないです、すぐ出ます、はい」

 ぼそっと零した鶴城を隻眼で睨み、微動だにせずフィリングをむさぼっている冠次の尻を蹴る。

「お前も出ろ。部屋で食え」
「……」
「冠次、また作ってやるから素直に聞いとけ」
「分かった」

 朱理に促され、ぶすっとしつつ冠次も出て行き、やれやれと嘆息する。

「ありがとー、助かったぁ……。なんかどっと疲れた……」
「お前は何かしら起こさなきゃ過ごせないのか? 店休に休まないで、いつ休むんだよ」
「いやほんと、自分でも驚き……。たかがパイ作ってただけでこの騒ぎとはね……」

 はは、と乾いた笑いを漏らす朱理の頭を、黒蔓はくしゃりと撫でた。

「俺の恋人は人気者すぎて参るぜ。おちおち目が離せん。部屋に居ないから探しに来たが、正解だったな」
「助かります……いつもすいません……。お詫びと言っちゃなんだけど、これ志紀さんの分。ちょっと甘さ控えめにして、レモンの酸味とスパイス効かせてあるんだ」

 朱理は隠し置いていたアルミホイルに包んだパイを差し出す。早速、頬張った黒蔓は、絶対に他人には見せない満足そうな笑みを浮かべた。

「美味い。お前は相変わらず、俺の胃袋を鷲づかんで離さねぇな」
「なんせ愛が込もってますから」

 二人は戸口を確認し、口付け合う。黒蔓からパイ生地の香ばしい匂いとフィリングの甘酸っぱさが移り、我ながら巧く作れたなと思った。

「ね、部屋戻ろ。もっとフードプレイしたい」
「戻るのは良いが、フードプレイってなんだよ」
「んー、口移し的な? 食べながら的な?」
「はー? お前の発想、たまについていけねぇんだけど……」
「駄目かぁ。やっぱり変態なのかな、俺」
「変態なのは確実だが、まぁ……一度くらい、付き合ってやらんこともない……」

 目を逸らせながら言う黒蔓に、朱理は昂ぶる高揚感のまま再び軽く口付けて笑った。

「はやく行こ。ここで始めちゃいそうだから」
「分かったよ」

 そうして、いつもより少し甘い恋人の休日が始まる。
 因みに作ったアップルパイはその後、ちゃんと全員に配った。

「はい、これ奈央のぶん。お前好みのシナモン増し増しだぜ」
「忘れてなかったんだな、アップルパイの話」
「当然。あ、でもクッキーは無理だった。色々とハプニングが起きまして……」
「そんなの、いつものことだろ。予測して対応しろ。いい加減、学習装置搭載しとけよ」
「ごもっともです……」
「しかし、やっぱり美味いな。お前の作る菓子は俺の精神安定剤なんだから、クッキーも忘れんなよ」
「ふふっ、りょーかい」

 和泉いずみに届けた際、手厳しい指摘を受けたものの、友人の笑顔に満足する朱理なのであった。

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