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3章
32【時ならぬエリンジウム】
しおりを挟む阿久里のオフィスを訪ねると、途端に強く抱きすくめられた。
「阿久里、痛いって! 俺、さっき肩はめたばっか……」
「心配で死ぬかと思った……。良かった、無事で……」
珍しく切羽詰まった声音が耳元に落ちる。ここのユーバはよく心労で死にかけるな、と丹生は苦笑した。
「大丈夫だよ。ごめんね、迷惑かけて」
「お前が謝る必要ないだろ」
「まあ、一応バディの連帯責任ってことで。謝罪と事情説明しに来た」
阿久里は信じられないという表情で目を見開く。
「……まさか、まだバディでいる気か!?」
「うん。もう12年も組んでるしね」
「そんな次元じゃないだろ! 限界だ! このままじゃいつか壊されるぞ!」
「大袈裟だって。さすがにそこまでイカレてないよ、あの人も」
実際、かなりイカレているのだが、それはお互い様なので黙っておく。
それにしても、棗といい阿久里といい、馬鹿のひとつ覚えの台詞ばかりで退屈だった。
阿久里は丹生の肩を両側から捕まえ、まだご立腹だ。
「今回の件ではっきりした。あの人は危険だ。部長に報告するからな」
「もうナナちゃんが行ってる気がするけど」
「それでもだ。俺は班長として、お前達を守る義務と責任があるんだよ」
「……義務と責任、ね」
丹生は目を伏せ、声のトーンを落とした。
(あー、うざ。義務だの責任だの、くそ喰らえだ。お綺麗な大義を振り回す平和ボケどもめ。吐き気がするわ)
言葉を間違えたと気付いた阿久里は、慌てて訂正する。
「班長としての責務はある。でも、それ以上に仲間として、本気でお前を心配して……」
「分かってる。班長の手を煩わせるつもりは無いよ。部長への報告なら自分でする」
「違う! そうじゃなくて……聞けよ、璃津!」
身を捩って阿久里の腕から逃れようとする丹生を、強く引き戻す。
「もういいから、離して」
「良くない! こっちを見ろ!」
「うるさいな! いいって言ってるだろ! ほっとけよ! どうせ自分のメンツ以外、頭に無いくせに!」
と、鋭く叫んで抵抗する丹生を壁に押し付け、阿久里が強引に唇を重ねてきた。さすがの丹生も、突然の展開に驚いて目を見開く。
やがて、押し付けるだけだったそれは、唇の隙間から滑り込んできた阿久里の舌によって、深く確実なものへ変わった。掴まれた手首に力が込められるのを、頭の端で認識する。
(……なんだこれ。どういうメロドラ状況? なんで俺、阿久里にキスされてんだろ。黙らせるためだけにしては長いし、これはまさか……)
しばらくして、ようやく離れた互いの唇の間には、どちらとも付かぬ銀糸が引いた。荒く息を吐きながら、阿久里の低い声が囁く。
「……俺の本気、分かってくれた?」
「なに……どういう……」
「こんなことするつもりじゃなかったんだけど……全然聞いてくれないから、強行手段」
「強行って、お前……これは流石に違うだろ……」
「ハハ……。俺も朝夷さんのこと、とやかく言えないな……」
苦笑する阿久里を呆然と見つめる。椎奈ひと筋の阿久里がこんな真似をするとは、余りにも予想外だったのだ。
固まっている丹生から顔を逸らせ、阿久里は己の口元を手で覆った。
「ごめん……あんなことの直後に、無神経だったよな。うがいしておいで」
「……そうじゃなくて、ちょっと……いや、かなりびっくりして……」
「そう……だよな。なんだか最近、色々ありすぎて……冷静じゃなかった。驚かせてごめん」
丹生も恥ずかしそうな仕草で口元を覆う。ただし、その口角はまたも三日月型を造っていた。これは面白いことになった、と愉快で堪らないのだ。
背を向けてデスクに手をつく阿久里に近づき、そっとスーツの裾を掴む。気不味そうにこちらを向く阿久里に、眉尻を下げて微笑んだ。
「ごめん……俺、阿久里を困らせてるって気付かなくて……。誰にも言わないから安心して。さっきのはただの事故だよ。忘れるから大丈夫。じゃあ、行くね……」
声を震わせ、顔を背けながら踵を返すと、その腕が掴まれた。かかった、と丹生は頬が緩むのを我慢できない。笑いを堪えて震える肩は、背後から見ればさぞ憐憫を誘う、嗚咽を噛み殺した姿に見えるだろう。
「待ってくれ、璃津……。俺は……そんなつもりじゃなかったんだ」
「気にしてないって、ほんと……。別に、勢いでしちゃうこともあるし……」
「だから、勢いじゃないんだよ!」
良い塩梅に涙を溜めてから、丹生は大きく息を吸い、阿久里へ顔を向けた。
「だったら何だって言うんだよ! お前には椎奈さんが居るだろ! こんな……ワケわかんないよ……っ」
語尾を掠らせながらポロポロと涙を零し、阿久里の胸を拳で打つ。当然、嘘泣きだ。自分でも寒気がする程あざとい演技だが、これが面白いほど効果的なのだ。
「……璃津ッ!」
案の定、感極まった声で名を呼ばれ、抱きすくめられた。逞しい胸にしがみ付いて目を閉じ、次の台詞を待った。
「璃津、俺は……お前が好きだ……」
まったくもって読み通り。イレギュラーな事態にしては好調である。
(ああ、まったく。なんて面白いんだろう。こいつに好かれてたなんて、全然気付かなかったぜ)
難攻不落の城が落ちる様は、かくも愉快だということを、丹生は久し振りに思い出した。
「お前を困らせるのは分かってる。でも、さっきのキスを無かったことになんて、俺には出来ない。したくないんだ」
「でもお前、椎奈さんと付き合ってるし……」
「俺の中では、もうとっくに終わってるんだ。そしていつの間にか、お前にどんどん惹かれてた。これでも散々悩んだし、墓まで持って行くつもりだったんだけどな」
(へぇ……。ま、心変わりなんて、よくある話だわな。でも、なんで俺なんだ?)
と、胸中では納得しつつも、表情には驚きと困惑を乗せて答える。
「まさか……だって凄く仲良いじゃん。終わってるようには見えなかったよ」
「そうするしか無いだろ。椎奈の性格じゃ、別れ話なんかしたらどんな騒ぎになるか……。仕事もやりにくくなるし、逃げたんだよ。軽蔑してくれて良い、俺は卑怯で矮小で、とても狡い人間なんだ」
(軽蔑どころか見直したよ。よくもまぁ、おくびにも出さずに12年もやってきたもんだ。班長を務めるだけはあるな)
「全然、知らなかった……」
「そりゃ必死で隠してたからね。お前と2人きりになるたび、俺はどんな任務より緊張してたんだぜ」
阿久里の弱々しい声音を聞いて、回された腕にそっと手を添える。
「班長を困らせる厄介者、ってことには変わりなかったな、俺は」
「本当に手が掛かるよ。だけど、そういう子ほど可愛くて仕方がないのさ」
「そう。それなら……」
丹生はするりと阿久里の腕から抜け出し、数歩離れて振り返ると無邪気に笑う。
「可愛い子には旅をさせろ、だろ?」
「旅なら充分、させたつもりなんだけどね」
「俺はまだ途中」
「やれやれ……お前は根っからの放蕩息子だな」
「でも嬉しかったよ、阿久里の気持ち。俺を驚かせるなんて、流石はエース班長サマだ」
「そうでもないさ。お前は人の好意に疎いからね」
「うっさいなー。阿久里の外面が良いだけだろ」
むう、と膨れ面を見せながら、良い素材は上手く活用しないとな、と丹生は内心でほくそ笑む。
「でも、今は答えられない。俺は椎奈さんを泣かせるつもりはないからね」
「そんな……生殺しじゃないか……」
「プラスに考えなよ。正室と仲のいい側室ができた、みたいな?」
「お前ね、俺はこれでも真剣に──」
すっと指を阿久里の唇に当て、切なげに眉を寄せて笑う。
「気持ちだけじゃどうにもならない。阿久里も分かってるから耐えてきたんでしょ?」
「それは……」
不服そうに言葉を濁す阿久里の手を取り、優しい声音で念を押す。
「俺たちなら上手くやれるよ、きっと」
「……そうだな。お前が言うと、そんな気がしてくるから不思議だよ」
丹生は極上の笑顔を返しながら、内心でほっと息を吐いた。
阿久里とまで関係するつもりは無い。班内で三角関係などまっぴらだった。手駒は多いほうが良いとはいえ、後先を考えねばリスクをばらまくことになる。
「で、真面目なお話なんだけど」
「あ、ああ……忘れてた。うん、説明して」
やおら居住まいを正した丹生につられ、阿久里も仕事モードに戻る。
「最初はただ戯れてただけなんだけど、あっちが本気になりかけたから抵抗したの。そしたら長門が、そうだ、強姦対策しよう、ってなってさ」
「何その〝そうだ、京都へ行こう〟みたいなノリ……。お前ら、いつもそうなの?」
「そうだよ。急にスイッチ入るから、俺にも制御不能。ま、今回はちょっとイレギュラーだったけど」
「はあ……もう聞きたくない……。思い出したらイライラしてきた……」
阿久里はこめかみを押さえて、頭痛をこらえるような顔をする。
「まぁ、顛末はそんな感じ。長門もかなり参ってたみたいだから、見逃してやってよ」
「お前は正に値千金だ。今回だけは不問にするけど、また同じようなことがあったら、問答無用で部長に報告するから。そのつもりでね」
「さすが阿久里! いつも優しくて頼りになるよ」
悪戯っぽく笑う丹生に、阿久里はその顔だけですべて許してしまえるのだった。
◇
12年前。椎奈と恋人になった時は、確かに嬉しかった。気は強いが、一途に想ってくれる姿は可愛く、愛おしく感じた。
しかし甘い期間は長くは続かず、時を経るにつれ、どんどん重くなっていく愛情に辟易し始めた。
お互いクロスとユーバなのだから、任務には理解があるものと思っていた。ところが、椎奈は阿久里が好成績を出せば出すほど不機嫌になった。
押しかけ女房よろしく同棲生活が始まり、任務を終えて家に帰ると、行動詳細を事細かに聞いてくる。椎奈が納得しなければ、尋問は翌朝に及ぶこともあった。
激しい嫉妬、強い束縛と執着。主導権を握っていないと気が済まない椎奈の性格は、徐々に阿久里を疲弊させ、愛も薄れていった。
付き合いが5年を過ぎた頃からは、嫌わないように必死だった。仕事でも私生活でも嘘をつき続けるのは、尋常ではない精神力を要する。
限界を迎えそうになる度、ふらりと丹生が現れては、邪気の無い笑顔で接してくれた。彼と過ごすひと時は嘘をつかずに済み、阿久里にとっての癒しとなっていた。
そうして何年も救われ続け、丹生の何気ないひと言や仕草が段々と目に付き、気付けば姿を目で追っていた。はっきり恋心を自覚したのは、朝夷の任務行為の相談を受けた時だった。
阿久里は不幸中の幸いだと思った。なぜなら丹生は、最初から手の届くところには居ないからだ。ならばこの気持ちは胸にしまっておいて、変わらぬ日常を大事にしようと思った。
だから椎奈だけを見ている──フリをする。自分の気持ちをすり替え、塗り替え、また嘘を重ねて固めていく。
丹生には、幸せになってくれればそれで良い。笑っていてくれれば良いと、落とし所をつけた矢先の今日だった。
乱暴に扱われ、苦痛に歪んだ顔を見た瞬間、視界が真っ赤になった。棗が殴っていなければ、きっと自分が殴っていただろう。何としてもあの男から丹生を引き離し、守らねばならないと思った。
しかし、今なおバディの解消を言い出さない丹生に、阿久里の中の不満や憤りが堰を切ったように溢れ、告白するに至ったわけだ。
正室と側室とは言い得て妙だな、と内心、苦笑する。丹生は状況を大局的に見る達人だと、阿久里は常から思っていた。なるべく物事を穏便に収め、自身の犠牲は厭わない。
底知れぬ丹生の魅力に、阿久里はただ魅了され、敬服するのだった。
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