九段の郭公

四葩

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6章

62【赤い鳥は蜥蜴を喰らう】

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 細長く薄暗い非常用廊下を抜け、外へ出てようやくここが例の豪華客船だったと知り、思わず笑みが漏れる。ワンルイという男は、どこまでもロマンチストで粋な人物だったな、と丹生たんしょうは憎めない心持ちになった。
 日差しの降り注ぐ甲板では、特殊部隊らしき日本人の中にちらほら華国軍が混ざっているのが分かった。おそらくファンという男性の部隊だろう。
 そして四之宮しのみやに誘導された先では、更科さらしな朝夷あさひなが待ち受けていた。丹生の頭を、更科がくしゃりと撫でて笑う。朝夷は困ったような笑みを浮かべ、掠れた声で囁いた。

「おかえり、璃津りつ
「ただいま、長門ながと

 涙声で答えた丹生に、更科も「おかえり」と呟き、真っ青な空と海の狭間はざまで感動の再会が果たされたのだった。



 特殊任務課が船内の鎮圧と調査を終え、港へ向けて船を出してから数十分経った頃。甲板の端で煙草を吸っていた四之宮と斑鳩いかるがの元へ、更科たちがやってきた。

「世話になったな、四之宮2佐。感謝する」
「いえいえ。無事にお返しできて良かったですよ、更科部長」

 2人が握手と挨拶を交わすと、朝夷も微笑を浮かべて手を差し出した。

「初めまして、朝夷 長門です。私からも改めて御礼申し上げます」
「ああ、貴方が茴香ういきょうさんの御令弟ごれいていですね。四之宮 明紗あかしゃです。お姉様には、いつもお世話になっております」

 名乗りを聞くとぱっと顔を明るくし、愛らしく笑う四之宮を見て、朝夷は想像とまったく違う姿に驚いていた。
 今回、特殊任務課が出張ってきたのは異母姉、朝夷 茴香の指示だ。茴香は防衛省、防衛事務次官を務める大幹部である。
 公安庁が特別局を抱えているように、防衛省も極秘の直轄組織を持っている。国内外のあらゆる場所に潜伏し、おおやけにできない武力工作や暗殺任務を請け負い、秩序と安寧を守っている。それが四之宮の所属する特殊任務課だ。
 彼らは通称『籠の鳥』と呼ばれ、目的のためには手段を選ばない、非情で危険な殺人集団だという噂と通り名だけが独り歩きし、官界の都市伝説と化している。中でも四之宮は〝赤鳥せきちょう〟というふたつ名が付いており、敵の返り血で真っ赤になる凶暴性が由来だと聞いていたのだ。

(本当にこの人が赤鳥なのか? さっきの通信もこの社交性も、凶暴どころか、むしろ気遣いの細やかな可愛らしい人じゃないか。てっきりなつめの女性版みたいなものを想像していたが、やはり噂は噂に過ぎないということか。それほど実態を知られていない証拠とも言えるな)

 そんなこと考えていると、更科が笑みを含む声をかけた。

「どうした、朝夷。呆けたツラして」
「ああ、すみません。特殊任務課の方とお会いするのは初めてだったので、つい見入ってしまいました」
「私も特別局の方々とお会いできて嬉しいです。流石は色仕掛け専門と言われるだけに、驚くほどの美形さんばかりですね」
「そっちもな。とても自衛官には見えないぞ」
「またまたぁ。お上手ですね、更科部長」
「いえ、うちの部長はお世辞が言えないんです」
「言えないってなんだ。言わないだけだ」
「仲がよろしくて羨ましいです」

 珍しく上機嫌な更科に朝夷が茶々を入れ、耳障りのいい四之宮の笑声が響く。初対面とは思えないほど打ち解けていると、黙って煙草をふかしていた斑鳩が四之宮の肩に腕を回して割って入った。

「ちょっとあーちゃん、羨ましいってなんだよ。まるで俺らが仲悪いみたいじゃん!」
「こーら、任務中は班長って呼ぶ約束でしょ。それに、まずちゃんと挨拶しなさい」
「あ、すんません。どーも初めまして、斑鳩でーす」

 四之宮に窘められ、斑鳩はポケットに手を突っ込んだまま気だるそうに頭を下げた。更科、朝夷、丹生は胸中で(なんだこのバカ丸出しのチャラ男は。特殊任務課、人選間違えてないか?)と思ったが、そこは特別調査官。一切、顔にも態度にも出さず、和やかに挨拶を交わした。
 しばらくすると、四之宮らの元へ華国の軍服に身を包んだ男が歩み寄ってきた。すらりと背が高く、切れ長の吊り目で知的さと冷酷さを漂わせる美丈夫だ。男をひと目見るなり、四之宮は「げっ」と呻いて嫌な顔をする。

リュウ仔空シア……なんでここに……?」
「ご挨拶だな。呼んだのはお前だろう」
「呼んでないし! そもそも個人的な依頼だし! アンタにだけは絶対言うなって、あれほど念押ししたのに……ファンの裏切り者!」
「ち、違いますよ明紗さん! 俺じゃありません!」
「ああ、聞いていない。ヤツからはな」

 意味ありげに片方の口角を上げるリュウに、四之宮は悪寒を感じたように身震いして自身の体を抱く。

「怖……。いい加減、盗聴とかするの辞めてくれない? お互い立場的に重罪だよ。国際問題になるの分かってる?」
「今回、ファン上尉の潜入が大きな成果をもたらした。これは大きな貸しだからな。きっちり俺に返すんだぞ」
「いやいやいや、待って。そもそもそっちの人間がやらかしたことで、責任は全部そっちにあるじゃん。貸しって言うならこっちでしょ。はぁ……久し振りに会っても疲れる……」
「なに、久し振りに会えて嬉しいだと? よろしい、今夜はたっぷり可愛がってやるから待ってろ」
「まったく話が噛み合わないな!?」

 突如、始まった四之宮たちの痴話喧嘩に、ファンと斑鳩は頭をかかえている。更科は煙草を咥えて2人のやり取りを眺め、朝夷へ視線を投げた。

「あっちにも居るんだな、お前みたいなやつ」
「あそこまで酷くないですよ、俺」
「誰なの? 隊長かなんか?」

 丹生の疑問に、斑鳩が苦笑混じりに答える。

「あの人は華国陸軍のリュウ仔空シア中佐。今回の作戦に必要だったんで、うちの班長が華国軍の知り合いにこっそり協力依頼したワケ。あ、因みにコイツね。ファン憂炎ユーエン上尉」

 斑鳩はファンの腕を引いて雑に紹介する。

「おおかた中佐はそれを盗聴して、すっ飛んで来たんだろうな。あの人、監視癖あるから」
「監視って……。なんかすごい揉めてますけど、大丈夫なんですか? もし俺のせいなら……」

 眉をひそめる丹生に、斑鳩は軽く手を振って笑った。

「あー、大丈夫だから気にしないで。あの2人、わりと長い付き合いでさ。昔からあんな調子なのよ。リュウが一方的に追いかけ回してて、要は超絶めんどくさいストーカーだな」
「はぁ……四之宮さんも苦労してるんですねぇ」

 と、丹生らが引いている間にも、四之宮たちはまだ何やら言い争っている。

「だから、なんでアンタが出張ってくるワケ? わざわざ中佐が来る案件じゃないでしょ」
「なにもお前に会いに来ただけではない。必要があるから来てるんだ。あのワンルイが絡んでいるとあっては、こちらも傍観者ではいられんからな」

 リュウの不服そうな言い分を聞き、四之宮は引きつった笑みを浮かべて嘆息した。

「……なるほどね。お仲間ごっこも結構だけど、手網はしっかり握っといてくれないと困るよ。ただでさえ均衡ギリギリでやってんのに、また戦争になったらどうするつもり?」
「それを言うな。我々も今回の件には頭を痛めている。あの慎重で狡猾な男が、まさかここまで派手に事を構えてくれるとは思わなかったからな。始末はこちらでつける、二度とお前の手は汚させない」
「……分かったよ」

 四之宮は不快感もあらわに顔をしかめたが、それ以上の言及はしなかった。
 リュウは四之宮を説き伏せると、おもむろに丹生へ視線を移した。端正な顔立ちだが、細められた双眸は蛇のように鋭く、ぞっとする冷たさを帯びている。丹生が身を竦ませていると、リュウは視線に違わぬ酷薄な声で淡々と告げた。

ワンルイの身柄は華国政府が確保した。後のことは我々に任せて頂こう」

 謝罪も無く、高圧的な物言いだが、今回の目的は丹生の奪還であり、ワンの身柄に口を出す権利は無い。丹生たちは黙って受け入れるしかないのだ。すると再び四之宮が声を上げた。

「被害者に対してその態度はないんじゃないの。こんな事態になったのは、華国政府の監督責任なんだよ。せめて謝罪するのが礼儀でしょう」
「フン。仮にも国家のエージェントともあろう者が、簡単に捕まるなど程度が知れる。あの偽善紳士のことだ、さぞ丁重に扱ってもらったのだろう。互いに愉しんだなら、文句を言われる筋合いはないはずだが?」

 リュウは片方の口角を上げ、嘲るように笑う。すると朝夷が大股にリュウへ向かって行き、無言で軍服の胸ぐらを掴んだ。リュウは顔色ひとつ変えず、冷ややかに吐き捨てる。

「なんだ、アレの仲間か。ならばしっかり躾ておけ。危機察知能力の低さは家畜以下のようだからな」
「そっちこそ、いぬなら狗らしく従順にしっぽを振っていろ。おもねるしか能がないくせに」
「貴様……」

 一触即発の空気に周囲が恐慌をきたした時、丹生が朝夷へ駆け寄った。

「やめろ、もういい! 確かに捕まったのは俺の落ち度だ。ここで揉めたら、みんなの苦労が無駄になる!」

 取りすがって宥められ、朝夷は低く唸ると手を離した。まだ鋭く睨みつけている朝夷を鼻で笑い、襟元を正すリュウへ今度は四之宮が歩み寄り、その頬へ思い切り拳を叩きつけた。甲板に重く鈍い音が響き、その場の全員が「あ」の形に口を開いて固まった。

「あちゃー、グーでいったなー。班長、久々にマジギレしてるわ」
「我が上官ながら、あれは殴られてもしかたない……」

 斑鳩は苦笑し、ファンはやれやれと額に手を当てている。静まり返った甲板で、リュウは切れた唇の血を親指でぬぐうと四之宮の右手首を掴み上げた。

「素手で殴るな、手を痛めるだろう」
「素手じゃなきゃ意味がない」

 リュウは赤く腫れた四之宮の拳をじっと見つめた後、小さく息を吐く。

「……悪かった」
「謝る相手が違うよ」

 嫌そうに躊躇したものの、リュウは丹生へ顔を向け、ひと言ずつゆっくり、はっきりと言った。

「迷惑をかけた。すまない」
「無礼ですみません、これでも彼なりの精一杯なんです。許してやって下さい」

 リュウへ殴りかかった気迫から一転し、四之宮は眉尻を下げて丹生へ笑みを向ける。丹生はゆるゆると首を縦に振りながら呆気にとられていた。
 丹生だけでなく、初対面でも分かるほど気位の高そうな男を、殴りつけたうえに謝罪させた四之宮の手腕には、特別局の面々はただ感服するばかりだった。

「流石、朝夷事務次官の愛鳥と言われるだけある。凄い女だ」
「まったくです。華奢で小柄なのに、それを補って余りある気迫と気概ですね」
「あれほどの人財がいるなら、日本のインテリジェンスも大分マシになってきてるんだろうな」
「ええ……」

 更科の言葉を受け、朝夷は思った。

(すべてはあの方のシナリオ通り、か。順調そうで何より……)

 晴れ晴れしく大団円、というわけにはいかないまでも、こうして丹生の拉致事件は幕を閉じたのだった。
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