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6章
62【赤い鳥は蜥蜴を喰らう】
しおりを挟む細長く薄暗い非常用廊下を抜け、外へ出てようやくここが例の豪華客船だったと知り、思わず笑みが漏れる。王睿という男は、どこまでもロマンチストで粋な人物だったな、と丹生は憎めない心持ちになった。
日差しの降り注ぐ甲板では、特殊部隊らしき日本人の中に、ちらほら華国軍が混ざっているのが分かった。おそらく、黄という男性の部隊だろう。
そして、四之宮に誘導された先では、更科と朝夷が待ち受けていた。丹生の頭を、更科がくしゃりと撫でて笑う。朝夷は困ったような笑みを浮かべ、掠れた声で囁いた。
「おかえり、璃津」
「ただいま、長門」
涙声で答えた丹生に、更科も「おかえり」と呟き、真っ青な空と海の狭間で、感動の再会が果たされたのだった。
◇
特殊任務課が船内の鎮圧と調査を終え、港へ向けて船を出してから数十分経った頃。甲板の端で煙草を吸っていた四之宮と斑鳩の元へ、更科たちがやってきた。
「世話になったな、四之宮2佐。感謝する」
「いえいえ。無事にお返しできて良かったですよ、更科部長」
2人が握手と挨拶を交わすと、朝夷も微笑を浮かべて手を差し出した。
「初めまして、朝夷 長門です。私からも、改めて御礼申し上げます」
「ああ、貴方が茴香さんの御令弟ですね。四之宮 赤紗です。お姉様には、いつもお世話になっております」
名乗りを聞くとぱっと顔を明るくし、愛らしく笑う四之宮を見て、朝夷は想像とまったく違う姿に驚いていた。
今回、特殊任務課が出張ってきたのは、長門の異母姉、朝夷 茴香の指示だ。茴香は防衛省、防衛事務次官を務める大幹部である。
公安庁が特別局を抱えているように、防衛省も極秘の直轄組織を持っている。国内外のあらゆる場所に潜伏し、おおやけにできない武力工作や暗殺任務を請け負い、秩序と安寧を守っている。それが四之宮の所属する特殊任務課だ。
彼らは通称『籠の鳥』と呼ばれ、目的のためには手段を選ばない、非情で危険な殺人集団だという噂と通り名だけが独り歩きし、官界の都市伝説と化している。中でも四之宮は〝赤鳥〟というふたつ名が付いており、敵の返り血で真っ赤になる凶暴性が由来だと聞いていたのだ。
(本当にこの人が赤鳥なのか? さっきの通信もこの社交性も、凶暴どころか、気遣いの細やかな、素敵な人じゃないか。てっきり、棗の女性版みたいなものを想像していたが、やはり噂は噂に過ぎないということか。それほど実態を知られていない証拠とも言えるな)
そんなこと考えていると、更科が笑みを含む声をかけた。
「どうした、朝夷。呆けたツラして」
「ああ、すみません。特殊任務課の方とお会いするのは初めてだったので、つい見入ってしまいました」
「私も、特別局の方々とお会いできて嬉しいです。流石は色仕掛け専門と言われるだけあって、驚くほどの美形さんばかりですね」
「そっちもな。美人すぎて、とても自衛官には見えないぞ」
「またまたぁ。お上手ですね、更科部長」
「いえ、うちの部長はお世辞が言えないんです」
「言えないってなんだ。言わないだけだ」
「仲がよろしくて羨ましいです」
珍しく上機嫌な更科に、朝夷が茶々を入れ、耳障りのいい四之宮の笑声が響く。初対面とは思えないほど打ち解けていると、黙って煙草をふかしていた斑鳩が、四之宮の肩に腕を回して割って入った。
「ちょっと、あーちゃん、羨ましいってなんだよ。聞き捨てならねーな。それじゃ、まるで俺らが仲悪いみたいじゃん」
「こら、任務中は班長って呼ぶ約束でしょ。それに、まずちゃんと挨拶しなさい」
「あ、すんません。どーも初めまして、斑鳩でーす」
四之宮に窘められ、斑鳩はポケットに手を突っ込んだまま、気だるそうに頭を下げた。
更科、朝夷、丹生は胸中で(なんだこのバカ丸出しのチャラ男は。特殊任務課、人選、間違えてないか?)と思ったが、そこは特別調査官。一切、顔にも態度にも出さず、和やかに挨拶を交わした。
しばらくすると、四之宮の元へ、華国の軍服に身を包んだ男が歩み寄ってきた。すらりと背が高く、切れ長の吊り目で、知的さと冷酷さを漂わせる美丈夫だ。男をひと目見るなり、四之宮は「げっ」と呻いて嫌な顔をする。
「劉仔空……なんでここに……」
「ご挨拶だな。呼んだのはお前だろう」
「呼んでない! アンタにだけは絶対言うなって、あれほど念押ししたのに……黄の裏切り者!」
「ち、違いますよ赤紗さん! 俺じゃありません!」
「ああ、聞いていない。ヤツから直接には、な」
意味ありげに片方の口角を上げる劉に、四之宮は悪寒を感じたように身震いして自身の体を抱く。
「怖……。いい加減、盗聴するの辞めてくれない? 立場的に重罪だよ。国際問題になるの、分かってる?」
「今回、黄上尉の潜入が大きな成果をもたらした。これは大きな貸しだからな。きっちり俺に返すんだぞ」
「いやいやいや、待って。なんであんたに返さなきゃいけないんだよ。元はと言えば、そっちの人間がやらかしたことで、責任は全部そっちにあるじゃん。貸しって言うならこっちでしょ。はぁ……久し振りに会っても疲れる……」
「なに、久し振りに会えて嬉しいだと? よろしい、今夜はたっぷり可愛がってやるから、楽しみにしていろ」
「まったく話が噛み合わないな!」
突如、始まった四之宮たちの痴話喧嘩に、黄と斑鳩は頭をかかえている。更科は煙草を咥えて2人のやり取りを眺め、朝夷へ視線を投げた。
「あっちにも居るんだな、お前みたいなやつ」
「あそこまで酷くないですよ、俺」
「誰なの? 隊長かなんか?」
丹生の疑問に、斑鳩が苦笑混じりに答える。
「あの人は華国陸軍の劉仔空中佐。今回の作戦に必要だったんで、赤紗班長が華国軍の知り合いにこっそり協力依頼したワケ。あ、因みにコイツがその協力者ね。黄憂炎上尉」
斑鳩は黄の腕を引いて、雑に紹介する。黄は真面目な性格らしく、斑鳩の態度に眉をひそめつつも、丹生らに黙礼した。
「おおかた、劉中佐はそれを盗聴して、すっ飛んで来たんだろうな。あの人、監視癖あるから」
「監視って……。なんかすごい揉めてますけど、大丈夫なんですか? もし俺のせいなら……」
不安そうに言う丹生に、斑鳩は軽く手を振って笑った。
「あー、大丈夫だから気にしないで。あの2人、わりと長い付き合いでさ。昔からあんな調子なのよ。劉が一方的に追いかけ回してて、要は、しこたまタチの悪いストーカーだな」
「はぁ……。四之宮さんも苦労してるんですねぇ」
丹生らが引いている間にも、四之宮たちはまだ何やら言い争っている。
「だから、なんであんたが出張ってくるワケ? わざわざ中佐が来る案件じゃないでしょ」
「なにも、お前に会いたかっただけではない。必要があるから来ているんだ。あの王睿が絡んでいるとあっては、こちらも傍観者ではいられんからな」
劉の不服そうな言い分を聞き、四之宮は引きつった笑みを浮かべて嘆息した。
「……なるほどね。お仲間ごっこも結構だけど、手網はしっかり握っといてくれないと困るよ。ただでさえ均衡ギリギリでやってるのに、また戦争になったらどうするつもり?」
「それを言うな。我々も、今回の件には頭を痛めている。あの慎重で狡猾な男が、まさかここまで派手に事を構えてくれるとは、思わなかったからな。始末はこちらでつける、二度とお前の手は汚させない」
「……分かったよ」
四之宮は不快感もあらわに顔をしかめたが、それ以上の言及はしなかった。
劉は四之宮を説き伏せると、おもむろに丹生へ視線を移した。端正な顔立ちだが、細められた双眸は蛇のように鋭く、ぞっとする冷たさを帯びている。丹生が身を竦ませていると、劉は視線に違わぬ酷薄な声で淡々と告げた。
「王睿の身柄は、華国政府が確保した。後のことは我々に任せて頂こう」
謝罪も無く、高圧的な物言いだが、今回の目的は丹生の奪還であり、王の身柄に口を出す権利は無い。丹生たちは、黙って受け入れるしかないのだ。すると、再び四之宮が声を上げた。
「被害者に対して、その態度はないんじゃないの。こんな事態になったのは、華国政府の監督責任なんだよ。せめて、謝罪するのが礼儀でしょう」
「フン。仮にも国家のエージェントともあろう者が、簡単に捕まるなど程度が知れる。見たところ怪我もないし、あの偽善紳士のことだ、さぞ丁重に扱ってもらったのだろう。互いに愉しんだなら、文句を言われる筋合いは無いはずだが?」
劉は片方の口角を上げ、嘲るように笑う。すると、朝夷が大股に劉へ向かって行き、無言で軍服の胸ぐらを掴んだ。劉は顔色ひとつ変えず、冷ややかに吐き捨てる。
「なんだ、アレの仲間か。ならばしっかり躾ておけ。危機察知能力の低さは、家畜以下のようだからな」
「そっちこそ、狗なら狗らしく、従順にしっぽを振っていろ。おもねるしか能がないくせに」
「貴様……」
一触即発の空気に、周囲が恐慌をきたした時、丹生が朝夷へ駆け寄った。
「やめろ、もういい! 確かに捕まったのは俺の落ち度だ。ここで揉めたら、みんなの苦労が無駄になる!」
取りすがって宥められ、朝夷は低く唸ると手を離した。まだ鋭く睨みつけている朝夷を鼻で笑い、襟元を正す劉へ、今度は四之宮が歩み寄り、その頬へ思い切り拳を叩きつけた。甲板に重く鈍い音が響き、その場の全員が「あ」の形に口を開いて固まった。
「あちゃー、グーでいったなー。班長、久々にマジギレしてるわ」
「我が上官ながら、あれは殴られてもしかたない……」
斑鳩は苦笑し、黄はやれやれと額に手を当てている。静まり返った甲板で、劉は切れた唇の血を親指でぬぐうと、四之宮の右手首を掴み上げた。
「素手で殴るな、手を痛めるだろう」
「素手じゃなきゃ意味がない」
劉は赤く腫れた四之宮の拳をじっと見つめた後、小さく息を吐く。
「……悪かった」
「謝る相手が違うよ」
嫌そうに躊躇したものの、劉は丹生へ顔を向け、ひと言ずつゆっくり、はっきりと言った。
「迷惑をかけた。すまない」
「無礼ですみません、これでも彼なりの精一杯なんです。許してやって下さい」
劉へ殴りかかった気迫から一転し、四之宮は眉尻を下げて丹生へ謝罪する。丹生はゆるゆると首を縦に振りながら、呆気にとられていた。
丹生だけでなく、初対面でも分かるほど気位の高そうな男を、殴りつけたうえに謝罪させた四之宮の手腕には、特別局の面々は、ただ感服するばかりだった。
「流石、朝夷事務次官の愛鳥と言われるだけある。凄い女だ」
「まったくです。華奢で小柄なのに、それを補って余りある、気迫と気概がありますね」
「あれほどの人財がいるなら、日本のインテリジェンスも、大分マシになってきてるんだろうな」
「ええ……」
更科の言葉を受け、朝夷は思った。
(すべてはあの方のシナリオ通り、か。順調そうで何よりだな)
晴れ晴れしく大団円、というわけにはいかないまでも、こうして丹生の拉致事件は幕を閉じたのだった。
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