九段の郭公【完結】

四葩

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8章

80【仕組まれた子どもたち】

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 仕切り直して座敷へ戻ると、丹生たんしょう朝夷あさひなは、陸奥むつに向かい合う形で横並びに座った。
 陸奥は3人分の茶をいれると、脇息きょうそくにもたれ、煙草に火をつけながら問う。

「それで結局のところ、今日は先の話を知らせに来てくださったんですか?」
「いや、本来の目的はそれじゃないんだ。出茂会いづもかい絡みで、吉原にも影響が出たって小耳に挟んだんで、心配になってね。さっきたかむらさんにも聞いたんだけど、ここは大丈夫だった?」

 陸奥は片眉をはね上げ、驚いたように丹生を見た。

璃津りつさんは篁とお知り合いで?」
「まぁね。厳密には、篁さんの親分と繋がってるんだけど、そこそこ長い付き合いかな」
「そうでしたか……。想像以上に世間は狭いと思い知りましたよ。見世自体に影響はありませんでしたが、亡くなったのがうちの太夫の旧友でね。痛ましい事件でした」

 丹生は、本当に狭い世界だな、と苦々しく思った。

「亡くなった人は戻らないけど、腐った根は絶やしたたはずだ。篁さんもより一層、見張りに尽力してくれると思うよ」
「ええ。お気遣い、有り難うございます」

 ふと、丹生は陸奥に聞きたい事があったのを思い出し、「そういえば」と話を変えた。

「篁さんが入れ上げてるのが、ここの太夫だって聞いたんだけど、どんな人なの? その人の話、結構よく聞くからさ。陸奥さんの片思い相手なんでしょ?」

 最後の言葉に、陸奥は朝夷をちらりと見た。おしゃべりめ、とでも言いたそうな表情に、朝夷は満面の笑みで返した。

「別に隠す事でもないだろう。俺も見てみたいし」
「やれやれ……。どんなと聞かれると、表現が難しいですが……。少しだけ、璃津さんに似ている気もしますね」

 丹生は思わず苦笑した。篁も同じ事を言っていたからだ。

「少しって、どこが? 吉原一の太夫に似てるところなんて、俺にあるとは思えないんだけどね」
「なんと言うか……掴みどころのない不思議な魅力と、強い存在感でしょうか。ああ、お顔立ちは、まったく似ていませんよ」
「当たり前だ。璃津のほうが絶対、可愛いに決まってる」

 丹生は朝夷の脇を肘で小突き、「やめろバカ」と顔をしかめる。すると、陸奥から意外な答えが返ってきた。

「確かに、璃津さんのほうが格段に美しいですね」
「ええっ!? いやいや、まさかでしょ。そんなところで気を遣わなくていいよ」
「いえ、本当に。彼は、飛び抜けて器量が良い訳ではなく、手離したくないと思わせる、手練手管が売りなのでね」

 丹生はなるほど、と納得した。考えてみれば、売れっ子だから1番の美人とは限らないのが吉原だ。容姿や瞬発的な魅力を優先されるのではなく、惹き付けて虜にする持続的な手管こそ、ここでは最も重要な素質である。

「さすが吉原、奥が深いね。陸奥さんは、なんでここに来ようと思ったの?」
「ご存知でしょうが、家柄的に政界か会社勤めの2択でしてね。どちらも嫌で、なにか面白い事は無いものかと思っていた所へ、ちょうどこの見世の前楼主から、声を掛けられたんです」

 丹生と朝夷は揃って「へぇ」と声を上げた。どうやら朝夷も、陸奥がここへ入った経緯は知らないようだ。

「楼主のスカウトか。まったく、入楼まで規格外だね、陸奥は」
「いえいえ。因みに、さっきから話に出ている太夫は、今の遣手のスカウトですよ。下でお会いになったでしょう?」
黒蔓くろづるさんだっけ? ははぁ、なるほど。お互いひと目惚れしちゃったとか? だとしたら、横恋慕も難易度上がるわなぁ」
「……兄さん、そんな事までお話しに?」

 低い声で冷笑する陸奥に、朝夷はあっけらかんと答える。

「良いだろ、別に。璃津に話したからって、何が変わる訳でも無し。この子は吹聴したりしないから、安心しろって」
「ごめん……デリカシー無いこと言っちゃった……。でもホント、誰にも言わないって約束するから」

 陸奥は紫煙と共に嘆息しつつ苦笑した。

「構いませんよ。確かに璃津さんの言う通りですし。少し聞いただけでそこまで推察される頭の良さは、さすがと言わざるを得ませんね」
「ただの勘だよ。しかし、前の楼主って凄い審美眼だよなぁ。あの黒蔓さんもだけど。これだけの大見世を切り盛りする人ってのは、素質を見抜く力があるもんなのかね」
「そうかもしれません。まぁ、令法りょうぶさんの場合、審美眼というより調査力、と言ったほうが正しいでしょうけど」

 すると、陸奥の発した名に、朝夷が眉をひそめる。

「令法……? まさかその前楼主って、令法 秋巨あきなおか?」
「ええ、そうですが。お知り合いでしたか?」

 朝夷は心底ぞっとしたように「そういう事だったのか……」と呟く。陸奥と丹生が首をかしげる中、朝夷は口角を引きつらせながら言った。

「知ってるも何も、令法 秋巨は、お爺様の輔弼ほひつだよ」

 陸奥は一瞬、唖然とした後、額に手を当てて「やられた……」と悔しそうに呻いた。丹生はまだ首をかしげている。

「ほひつって何? つーか、令法って誰?」
「輔弼っていうのは、要するに相談役だよ。令法家は、朝夷の傍系に当たる一族なんだけど、お爺様は秋巨さんが大のお気に入りでね。若い頃から、書生として本家に住まわせてたんだ。陸奥はまったく母屋に寄り付かなかったから、会った事がなかったんだな」

 苦笑を浮かべる朝夷と、頭を抱えて歯噛みする陸奥とを見ながら少し考え、丹生はぽんと手を打った。

「陸奥さんは自分でここを選んだつもりが、実はお爺様の考え通りに動かされてた、と。つまりはそういう話だよな?」
「明瞭にまとめたね。その通りだよ。まさか、秋巨さんを吉原に送り込んでいたとは、俺も知らなかった。おおかた、ここの内情検分と、陸奥の道筋作りをさせてたんだろうさ。こいつの性格じゃ、絶対に官界へは来ないと、分かってただろうからね」
「そうすると……公安警察以外の諜報機関に吉原特区、情報が集約する全ての場所に、朝夷家が居る事になるな。公安警察にはなつめ家が居るから、実質そこも手の内か……。うお、怖っ! 怖すぎるぞ、お前のお爺様!」
「でしょ? まったく、あのお方にはどこまで見えてるんだろうね。もはや未来に生きてると思ってるよ」

 綿密に張り巡らされた朝夷 大和やまと計図けいとに、朝夷と丹生が揃って身震いしていると、陸奥は荒々しく煙草を揉み消し、不機嫌そうに息を吐いた。

「結局、俺も因業じじいの手駒に成り下がってたって事か……。いや、そもそも、産まれた時からそうだったんだな……。くそが……腹立つな、まじで……」

 静かに暴言を吐く陸奥に、丹生は若干、引いている。

「おお……ガチギレじゃん……。陸奥さんってあんなに口悪いんだな。いつも優雅だから、落差で超怖いんだけど……」
「凄い二面性だよね。そういう所も、お爺様そっくりだ」
「ま、まぁでも、ああしてると年相応っつーか、人間なんだなぁと思うわ。てか、陸奥さんっていくつだっけ?」
「34。璃津の2個上」
「俺らのチームメイトと同い年か。はー、やっぱり大人びてるなぁ。お前が若々しいのもあるけど、どっちが兄貴か、たまに分かんなくなるもん」
「それ、どういう意味? 男性を若く言っちゃ駄目だって事くらい、璃津なら知ってるよね」
「拗ねるなよ。だいたいソレ、かなり古いぞ。今や、若く見られて喜ぶ壮年は多いんだからな。お前だってこの前、俺と同い年っつっても違和感ないって言ったら、喜んでたろ」
「ああ、確かに。きっと、陸奥と比べられたから嫌な感じしたんだな、きっと」
「ちょっと兄さん、今ピークでイライラしてるんで、油そそぐの辞めてもらえますか。キレそうです」

 じろりと睨まれ、「ひえ」と身を竦める丹生とは正反対に、朝夷は愉快そうに笑った。

「まぁ落ち着けって。今更怒っても仕方ないだろ。俺たちは元々、仕組まれた種なんだ。朝夷家に産まれたが最後、みんなこの憂国に身を捧げる運命さだめなんだよ」

 陸奥は不愉快そうに紫煙を吐き、片方の口角を上げて苦々しく答える。

「やれやれ……兄さんは相変わらず正しい。正しすぎて、俺ならとっくに窒息していますよ」
「俺だってギリギリさ。死なずにいるのは、璃津が生かしてくれてるからだよ。この子を失えば、俺は簡単に壊れる」
「はあー、腹立つわー。惚気のろけなら余所よそでやって下さいよ。今のメンタルじゃ、とても笑って受け流せませんから」

 ふてくされる陸奥に、朝夷は少し眉根を寄せて首を横に振り、優しく言った。

「そうじゃない。俺はただ、この子が存在してくれていれば良いんだ。今も昔も、それは変わらない。お前も同じだと思ってたけど、違ったか?」

 陸奥は不意を突かれたような顔で朝夷を見た。朝夷は少し首をかしげ、更に付け加えた。

「いや、お前の場合は少し違うのか。喉から手が出るほど欲しいし、手に入れば最高だけど、実は手に入らないからこそ惹かれてる、って感じかな」

 丹生は電子タバコをふかしながら、ぼんやり2人のやり取りを聞いていた。
 似ているようで微妙に違う。人の心とは、個々それぞれに複雑で厄介な代物だな、と丹生は自らも含めて思った。

「ハハ……さすが兄さん。やはり、貴方こそ当主に相応しい。あの狒狒ひひ爺に良いように使われるのはまっぴらですが、貴方のためと思えば、少しは溜飲りゅういんも下がります」
「お前が味方で居てくれる事ほど、心強いものは無いよ。それと、あまりお爺様を悪く言うな。あの方は、俺たちが産まれるよりずっと前から、この国のために尽力しているんだ。盛徳せいとく大業たいぎょうの孤独は、きっとお前が1番、理解できるはずだぞ」
「……解るからこそ、ああはなりたくないと思うんですよ……」

 苦く笑って言う陸奥に、朝夷はそれ以上、言い含める事はしなかった。
 それから3人は和やかな雰囲気に戻って雑談を交わし、丹生と朝夷は休憩が終わる前に見世を出た。

「陸奥さん、元気そうで良かったな」
「そうだね。亡くなったのが太夫の旧友だって話にはちょっと驚いたけど。吉原は寄せ集めのるつぼだから、娼妓同士の繋がりは薄いはずなのに」
「ああ、確かに。不幸な偶然ってあるんだなと思ったわ」

 丹生は、鮮やかな夕焼けに染まる空を眺めて、久々の吉原訪問は濃密だったなと思った。
 朝夷の嫉妬や陸奥の素顔、2人の幼少期、大和の緻密で壮大な計画の片鱗などをいっぺんに知り、情報過多で気疲れを起こしている。
 ひっそり溜め息をついていると、朝夷の大きく温かい手が丹生の手に重なった。見上げると、茜色に照らされた優しい笑みが向けられている。

「帰ろう、俺たちの家に」
「ああ」

 赤提灯が灯り始める吉原を、仲睦まじく手を繋いで歩く2人の影は濃く長く、仲之町通りに伸びていた。
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