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8章
最終話【彼の愛した者たち】
しおりを挟む「養子縁組ぃ!?」
手入れの行き届いた朝夷家の庭園に、丹生の素っ頓狂な声が響き渡った。
「そうだよ。僕の息子になってほしいんだ、璃津くん」
笑顔でそれに答えたのは朝夷 武蔵。朝夷家当主であり、長門の父だ。優しそうなどんぐり眼が印象的な洒落男で、細身のイタリアスーツを品良く着こなしている。
武蔵の右隣に座す前当主、大和は渋い黒茶の着流しと黒い羽織りで、長い白髪と顎髭は絵に書いたような貫禄だ。
丹生の隣では、長門が普段通りの優美な笑みを浮かべて成り行きを見守っている。
丹生は今、三代の朝夷家当主に視線を注がれ、唐突な養子縁組を迫られているのだ。
丹生の拉致から3年。多少、局内でごたついたものの、目立った事件や事故はなく、長門との恋人関係もすっかり定着し、今や特別局きっての円満バディと認知されている。
大きく変わったことと言えば、周防の母、柊子の逝去だ。それ以降、周防はすっかり毒気を抜かれ、嫌がらせの類いも辞めて、当主争いから完全に手を引いた。
順風満帆だった丹生の日常を一変させたのは、大和からの呼び出しだった。
何事かとおっかなびっくり朝夷邸へ赴き、格調高い応接間で大和と武蔵に対面し、挨拶を交わしてこれまでの慰労を受け、今に至る。
「あの……すみません、お話が突然すぎて、理解が追いつかないというか……」
丹生は礼儀に構っていられないほど混乱し、額に手をやった。
「いや、こちらこそすまないね。単刀直入に伝えたほうが良いと思ったのだけれど、流石に言葉が足らなかったかな」
そう言って笑う武蔵に、長門が同じように笑って答えた。
「足らないにも程がありますよ、父上。俺も聞いていませんでしたし。母上はご存知なのですか?」
「ああ、稜香さんなら大丈夫。話は通してあるから」
「そうですか。しかしそもそも、これはお爺様のお考えでは? 説明はお爺様がされたほうが良いと思いますよ」
長門に話を振られた大和は、白い顎髭を撫でながら「うむ」と頷いた。
大和の声はバリトンで重く深く、聞く者を萎縮させる圧がある。反対に、武蔵は低めだが角のない柔らかな声音だ。丹生は混乱しながらも、長門は父親に似ているな、と思った。
「実を言うと、数年前から考えていたことなのだ。璃津くん、君は自分の本当の戸籍がどうなっているか、知っておるかな」
大和に問われ、丹生は首をかしげた。特別局に入ってからというもの、偽の戸籍しか使っておらず、本物のことなどすっかり忘れていたのだ。
「……いえ、分かりません。もう何年も見ていませんので……」
やはりな、という顔で大和が顎を引く。
「久宝院 六花は法律上、死んでいる」
数年ぶりに聞く本名はどこかよそよそしい響きで、丹生は自分のことだと理解するのに数秒を要した。少しの間の後、「ええ!?」と再び丹生の声が部屋に響いた。
堪えきれずに笑いを漏らす長門に、丹生が小声でくってかかる。
「お前、知ってたのかよ!?」
「ごめん、知ってるものだとばかり。まさかそこまで無頓着だなんて、予想外だったよ」
大和に代わり、武蔵が説明を続ける。
「璃津くん──いや、六花くんには15年前、行方不明者届が出された。失踪期間が一定を超えると、失踪宣告の申し立てが可能になる。これが確定すると、法律上死亡とみなされるんだ。財産などの処分に必要な手続きだよ」
「……なるほど……。財産なんて無いですけど、母はよほど頭にきたんでしょうね……。普通しませんよ、そんな面倒なこと……」
顔を引き攣らせる丹生に、武蔵は眉尻を下げて慰めるように言った。
「無いと思っていても、案外あったりするものだよ。名義が君のものとか、こまごましたものがね」
丹生が武蔵の優しさに感動していると、大和の深い声が話を続けた。
「要するに、君は吹けば飛ぶような偽戸籍しかない状態なのだ。これがいかに危ういか、聡い君なら分かるはずだ」
浮ついていた気分を地に下ろし、丹生は真剣に首を縦に振った。
特別局の作る偽戸籍は非常に精巧だが、深く調べれば粗が出る。あくまで本物を隠すための偽装なのだから当然だ。それを生涯使い続けるなど、無理に決まっている。
「そこで、養子縁組というわけなんだ。僕の息子として戸籍を作れば、誰の詮索も受けずに済むし、長門ともずっと一緒に居られるよ」
武蔵の最後の言葉に、丹生の頬がぴくりと動く。弛みそうになった表情筋を、慌てて引き締めたせいだ。
「よろしいのでしょうか、私などにそこまでして頂いて」
当初の混乱がとけ、冷静になった丹生が謙遜を見せると、武蔵は大袈裟な身振りで否定した。
「とんでもない。璃津くんには朝夷家の未来を繋いでもらった大恩があるからね。どうか君の未来も守らせてくれないかな」
武蔵に続き、大和が重々しく頷いた。あらかた話がまとまったのを見て、長門がいたずらっぽく耳打ちしてきた。
「俺たち、兄弟になるんだね。近親相姦なんて、滾っちゃうな」
丹生は「やめろ」と小声で返しながら長門の脇腹を小突く。
実家に戻る選択肢の無い丹生にとって、これは願ってもない話だ。軽く咳払いをし、居住まいを正して大和と武蔵を交互に見た。
「養子縁組のお申し出、謹んでお受け致します。不束者ですが、何卒よろしくお願い致します」
深々と頭を下げる丹生に、武蔵も同じく頭を下げて「こちらこそ」と笑った。
◇
その夜。武蔵に「せっかくだから泊まっていきなさい」と言われ、丹生は長門の部屋に泊まることになった。
朝夷邸は、日本家屋の良さを残しつつ巧みにリフォームされており、築数百年の古さを感じさせない。
長門の部屋にはほとんど物がなく、本当にここで生まれ育ったのか疑問に思うほどだった。がらんとした20畳ほどの和室に、布団が2組敷いてある。夕食の豪華な御膳や広い檜風呂、着替えの浴衣なども相まって、まるで由緒ある旅館にでも来ているような気分だ。
丹生がそんなことを考えていると、長門が風呂から戻ってきた。
「ごめんね。俺の部屋、なにも無くて退屈でしょ」
「頭と心の整理したかったし、静かでちょうど良かったよ。まさか俺が朝夷を名乗る日が来るなんて、まだ現実感ないけど」
長門は笑って丹生の側へ腰をおろし、顔を寄せながら囁く。
「朝夷 璃津、いい名前だ。お爺様がこんなに粋な計らいをしてくれるとは、俺も夢心地だよ」
啄むようなキスを受けながら、言われてみれば擬似結婚にも取れるな、と思った。
「お前んちって寛大だよな。それに比べてうちは……」
丹生は失踪宣告のことを思い出し、心底、憂鬱そうな溜め息をついた。
「そう落ち込まないで。もしかしたら、好きに生きなさいってメッセージかもしれないよ?」
気の利いた励ましに、丹生は確かにと思った。養子縁組の話に気を取られ、そこまで頭が回らなかった。母は合理主義で冷静な人だが、冷血ではない。
「そうかも。なんにせよ、逃げだした分際で文句は言えねぇよな。おかげでお前んちに拾ってもらえたんだし、結果的に良かったよ」
「そうだよ、可愛い弟くん。お墓の中でも一緒に居られるなんて、本当に幸せ」
長門は口付けながら丹生を布団に押し倒した。
「長門兄さんのえっち」
丹生が片方の口角を吊り上げて言うと、長門は低く呻いて顔をひきつらせた。
「……楽しみにしてたけど、やっぱりその呼び方は辞めよう。陸奥を思い出して萎えちゃう……」
丹生はけらけらと愉快そうに笑った。
「じゃあ今まで通りだな」
長門は「うん」と綺麗に笑い、大事な宝物のように丹生を抱きしめる。
「死んでも離れないよ、璃津」
「死んでも好きだよ、長門」
2人は深く口付けながら重なり合った。明日も明後日もその先も、永遠を誓うように指を絡め、新たな門出の1歩を踏み出したのだ。
◇
数十年後。
長門が特別局の局長に就任すると、情報機関は飛躍的な革新をとげた。
まず五大情報機関──内閣情報調査室、防衛省、外務省、警察庁、公安調査庁──の確実な連携だ。
大和の計算通り、この頃には各所のトップは朝夷家か棗家に代わっていた。
内調の実権は周防が握り、防衛大臣には茴香が就いている。国際情報統括官組織は、長門の実妹が室長に就いた。警察庁の棗家とは相変わらず、付かず離れずだ。情報のるつぼ、吉原特区は陸奥の培った伝手が多くいる。
そうして実質的一元化が成ると、情報共有や調査協力もスムーズに進んだ。多少の摩擦は残っているものの、以前のような利権争いや情報の出し渋り、隠蔽は目に見えて減っていった。
大和が目指したインテリジェンスの強化は、着実に達成されている。彼の愛した者たちによって。
「お爺様は喜んでくださってるかな」
「ああ。きっと天国から見守ってるよ」
大和の墓前で、長門と璃津はそんな会話を交わし、時を重ねた顔を見合わせて微笑む。局長と局長秘書という関係になっても、2人は共に歩んでいる。これからも変わらずにいるために、陰ながら国を支え、守っていくのだ。次の世代へ引き継ぐまで、もうしばらく彼らの重責は続く。
終
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