冥府の徒花【完結】

四葩

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第六幕

第36話 【奸計胎動】

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 五方神が閻魔庁を訪れてから、実に四日後。

「あー、夕立さまぁ! おかえりなさーい!」
「おはようございます、夕立様!」
「おう」

 ようやく裁きの間に夕立の姿が戻り、丑生うしお月出ひたちが嬉しそうに挨拶する。

「やっぱり夕立さまが居ると落ち着くー。何日もお見かけしなかったから、すっごく寂しかったです!」
「ずいぶん長い接待でしたね、お疲れ様でした。皆様、もう中国に帰られたんですか?」
「いや、釈迦に挨拶しに行った。しばらくは極楽浄土あっちで飲んだくれてると思うぜ」
「閻魔様への挨拶は無いんですね……。麒麟様なんて、わざわざ謝罪のためにいらしてたのに……」
「ねぇよ、そんなもん。麒麟は火に油って言葉を覚えねぇやつだな」

 夕立が呆れ顔で嘆息していると、陀津羅だつらが大量の書類を抱えて現れた。

「おはようございます、皆さん」
「おはようございます!」
「なんだ、その馬鹿みてぇな量の紙束は」
「なにって、溜まった仕事に決まっているでしょう。貴方の署名が必要な物も多いんですよ。それが済んだら視察に行ってもらいます。四日も休んだ分のツケは相当ですから、覚悟して下さいね」

 にっこりと良い笑顔で言う陀津羅に反して、膨大な仕事量にげっそりする夕立。

「最悪だな……。それにしても多過ぎねぇか、これ」
「もうすぐ泥梨ないり総会がありますからね。しかたがありませんよ」
「あー、くそ……そうだったわ。完全に忘れてた」
「そう言えば、酒呑童子さまも仰ってましたねー。その〝ないり〟って何なんですか?」

 首をかしげる丑生に、陀津羅が穏やかな声で答えた。

「泥梨は地獄の別名です。主要地獄の獄長が集まって、規約や設備の見直しや改定を話し合う会議ですよ。現世の発展に伴って、地獄も変化を求められますからね」
「はぁー、なるほどぉ。それは確かに大事ですね!」
「どこもかしこも問題と不満だらけだろうな、こりゃ」

 山積された書類と総会の話でうんざりする夕立に、月出が苦笑を向ける。

「接待に書類仕事に総会とは、相変わらず多忙を極めてますね。何かお手伝いできることはありますか?」
「あー……じゃ、後で視察に付き合ってくれ。丑生もだ」
「はーい! 喜んで!」
「では、仕事にかかりましょうか。書類整理は私がお手伝いしますから、閻魔王がいらっしゃるまでに終わらせましょう」
「おお、ありがとよ」

 そうして、いつもより少し慌ただしい冥府の日常が始まった。
 閻魔庁は亡者の裁判だけでなく、八熱地獄と八寒地獄の統括と管理も担っている。総会に向けて提出された書類に目を通していた夕立が、深く嘆息しながら声を上げた。

「今期は大幅な改定が必要だな。獄卒と亡者のバランスが、明らかに合ってねぇ。今の現世じゃ、ほとんど起きねぇような罪も多いしな」
「そうですねぇ。名ばかりで機能していない小地獄も多いので、削除か合併すべきでしょう。最近は宗教離れが進んでいますから、焦熱、大焦熱、無間むげんの条件見直しも必要ですね」
「反対に黒縄こくじょうと叫喚、衆合は年々、亡者が増え続けて破綻寸前だ。増員だけじゃなく、増築も必要そうだな。そうなると十王省と整備局にも連絡しなきゃなんねぇし……あー、めんどくせぇ」
「こうして改めてみると、昔は禁忌とされていたことが、現代では当たり前になっていると気付かされます」
「なんせ人間の五十年は四天王のひと晩だからな。現世の移り変わりなんて瞬く間だ」

 地獄の規範は仏教の教えに沿っており、現代の思想や環境にそぐわない物も多くある。めまぐるしく発展していく現世に対応するため、こうした見直しも重要な仕事のひとつだ。
 大方の書類に目を通し終わった時、ふわりと閻魔殿に伽羅香きゃらこうが漂った。夕立が顔を上げると、穏やかながら僅かに困ったような微笑を浮かべた羅睺羅らごらが立っていた。

「こいつぁ驚いた。浄土の大幹部が、わざわざこんな所まで降りてくるとはな」
「お久しゅうございます、夕立殿、陀津羅殿。お変わりないようで、何よりです」
「お久し振りです、羅睺羅様。どうなされたのです? ご一報くだされば、お迎えの場をもうけましたのに」
「いえいえ、お構いなく。皆さま、お忙しいでしょうから」

 羅睺羅はゆるりと閻魔殿を見渡し、首を傾げた。

「閻魔王は、まだお部屋におられるのでしょうか」
「ええ、おそらく。じきにいらっしゃると思いますが、お呼びしましょうか?」
「いえ、お出でになるのをお待ちします」

 柔らかい声音と物腰は、さすがに浄土の住人たる神々しさを伴っている。着ている衣は質素だが襤褸ぼろではなく、慎ましくも上品だ。羅睺羅は再びあぐむように眉を寄せつつ微笑む。

「王だけでなく、貴方がたにも聞いて頂きたいのです。しらせもなく押し掛けてしまって、申し訳ございません」
「それは構いませんが、私たちも同席してよろしいので?」
「ええ。お二人に居て頂いたほうが、私としても──」
「いくらか安心、か? そんなに怯えずとも、ぬしに当たったりせぬわ」

 羅睺羅の言葉を遮って、紫煙と共にゆらりと閻魔が現れた。

「これは閻魔王。そのような他意はございませんよ」

 ふん、と皮肉めいた笑みを浮かべつつ玉座へ座り、いつものように頬杖をつく。閻魔の前に立った羅睺羅は、うやうやしくこうべを垂れた。

「ご無沙汰しております」
「久しいな、羅睺羅。かような遣い走りをさせられるなど、十大弟子に数えられながら難儀なことよのう」
「いいえ。王と大臣方に拝顔させて頂けるだけで、光栄ですから」
「相変わらず口の巧いやつじゃ。して、話とは?」

 閻魔に促され、羅睺羅は笑みを消して声を低くした。

「天界にて、不穏な動きが認められました。帝釈天が軍勢を集めているとの報告を受けております。目的はおそらく……」

 羅睺羅は言葉を切って夕立へ目を向けた。

「……何なんだ、いったい。なんで俺なんかを神と思うんだか、まったく理解できねぇよ」
「最早、あやつに理性は残っておらんということか。いよいよ終いじゃな」

 夕立は顔をしかめて舌打ちし、呆れ果てた閻魔は頬杖をついて紫煙を吐く。陀津羅が冷静な声で羅睺羅に問うた。

「しかし、浄土は中立を貫いていたでしょう。何故、今になって我々に情報をくださるのです?」
「ええ。釈迦如来のお考えは、今も変わっておりません。しかし、世界を見守ると同時に、安寧と調和をはかることもまた、大切な使命です。帝釈天が戦争を起こす気ならば、我々も傍観者では居られません。五方神の皆様も、お力添えくださるそうです」
「なんじゃと? あの畜生ども、ただ居座るための口実にしておるのではあるまいな」

 閻魔の不信感もあらわな言い分に、羅睺羅は苦笑しながら答えた。

「はは、そうではございますまい。条約もありますし、あの方々なりの誠意でしょう。状況が落ち着くまで浄土に滞在して頂きますが、閻魔王にもお知らせしておいたほうが良いと思った次第です」
「ふん……どいつもこいつも面倒じゃな。恋はなんとやらと言うが、ほとほと厄介な連中ばかりで頭が痛いわ」
「ふざけた思い込みで戦争なんて……いくら神でも、完全にイカれてやがるぜ……」

 夕立は顔を歪め、苦い毒を吐く。道理も理屈も通らぬような理由で、自分一人のために閻魔庁どころか浄土や中国神まで巻き込む大事おおごとになりつつあるのだ。唇を噛む夕立を、陀津羅と羅睺羅は複雑な面持ちで見やる。

「夕立殿にはなんの責もございません。あまり思い詰めてはなりませんよ」
「羅睺羅様のおっしゃる通りです。何もかも、あの狂神のせいなのですから」
「……ああ……」

 頷いて見せたものの、面倒事ばかり寄せる己への自責は嫌でも沸く。帝釈天への怒りと疑念、自己への呵責は混ざり合い、夕立の腹中へおりのように溜まっていくのだった。
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