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第五幕
第23話 【道程】
しおりを挟む「なあ、陀津羅」
「なんですか、夕立」
「俺は〝どーてー〟なのか?」
とある日。普段どおり平和だった昼休憩中の裁きの間に、筆が握り潰される凶暴な音が響き渡った。
「お前その筆、すげぇ気に入ってたろ。そんなに怒るようなこと聞いちまったのか、俺」
「……いいえ? 夕立はなんにも悪くありませんから、少し待っていて下さいね」
陀津羅は夕立へ満面の笑みを向けて静かに席を立ち、優雅に廊下へ出ると端末を高速タップして電話をかける。数秒後、中庭に陀津羅の怒号が響き渡った。
「夕立に何を吹き込んだんですか、貴方ッ!」
『おー、陀津羅。そろそろ電話くる頃だと思ってたわ』
通話の相手、真砂は楽しそうな声で答え、笑っている。
『ははっ、ホントあいつは期待を裏切らないよなぁ。おもしれー』
「全然面白くないッ! 貴方の悪ふざけのせいで、愛用していた筆と平常心が見事に砕け散りましたよ!」
『まーまー、そう怒るなよ。血圧上がるぞ。筆は弁償してやるから、ちょっと落ち着けって』
「〝自分は童貞か?〟なんて聞かれて落ち着いていられますか! 言葉の意味すら分かってないんですよ!?」
『あいつ、そんな言い方したの? あっはっはっはっ! ひー、腹痛てぇー! まさか、そんなド直球で聞くとは思わなかったわ! こりゃ傑作だぜ!』
電話越しに腹筋崩壊させている真砂に殺意が湧く。
「……いい加減にしないと、貴方の〝持ち物〟も握り潰しますよ。超回復も追いつかないくらい、跡形もなく、ぐちゃぐちゃにね……」
『マジ声やめろよ! 怖ぇよ! はー、久し振りに爆笑したわー。すまんすまん、そいつは悪ぃことしたなぁ』
「謝罪は結構ですから、いったい彼に何を言ったのか、きちんと説明してください。このままじゃ、休憩中ずっと夕立から逃げ回らなきゃならなくなるんですよ」
『ああ、実は夕べなぁ──……』
真砂の話はこうだった。
◇
昨夜、真砂と夕立は『地獄花』で玉藻や従業員の女性数人と酒を酌み交わしていた。
「それにしても珍しいわねぇ。夕立様が真砂様をお連れになるなんて」
「どうしてもここが良いって、こいつが駄々こね倒しやがったんだよ。恥ずかしげもなく往来で、しかも大声上げてな。ほとんど恐喝だわ」
「なんだよぉ、まだ怒ってんのかー? 良いじゃねぇかよ、たまには一緒に来たって。ほら、もっと飲んで機嫌直せって、な?」
「うるせぇ、絡むな、鬱陶しい」
そんな二人のやり取りに、女性陣はころころと笑い声を立てている。
「あらあら、相変わらず真砂様は夕立様が大好きなのねぇ。でも、あまり困らせては駄目よ。夕立様はこう見えて、とても繊細な方なのだから」
「いやぁ、分かってるんだけど、ついからかっちゃうんだよねー。夕立ってこう、 ちょっと世知に疎いって言うか、天然なところあるじゃない? ずれた反応がいちいちツボで、面白くてさぁ」
真砂の言葉に、「分かるわぁ」と女性たちから賛同の声が上がって場は賑わうが、夕立の眉間の皺は濃くなるいっぽうだ。心底、不愉快そうに紫煙を吐く夕立に酒を注ぎながら、玉藻が柔らかい声音で執り成す。
「ほら、いつまでもそんな怖いお顔をしてないで、肩の力をお抜きなさいな。折角、良いお酒を飲んでいるのに、勿体ないわよ」
「分かってるけどよ……どうにも、こういう雰囲気にゃ慣れねぇんだよ。あいつみたいに面白いことも言えねぇし、愛想笑いもできねぇしな」
「貴方たちは正に悪友ね。正反対に見えるけれど、お互い認め合っている。とっても相性が良いと思うわよ」
「まじか! 玉藻ちゃんにお似合いだってお墨付き貰っちゃったよ! いやー、嬉しいなぁ」
「悪友なのに相性良いっておかしくね? ただの皮肉だろ」
「ばっか、分かってないなー。悪友ってのは、親しみを込めて親友に言うことのほうが多いんだよ。ねー、玉藻ちゃん」
「うふふ。さて、どうかしらねぇ」
「ええ!? そこは同意してよ! 今夜の床がかかってるんだから!」
「かかってねーよ。娼家まで来てよくそんなこと言えるな、びっくりするわ。紅葉も笑ってないで、こいつの手綱きっちり締めとけよ」
夕立が話を振ったのは、真砂の馴染みである鬼女、紅葉だ。衆合地獄の副獄長を務めている。艶やかな黒髪に切れあがった眦が知的な印象を与える美人で、現世でも様々な伝説を残している強力な鬼だ。
紅葉はふうっと紫煙を吐き、柳眉を片方、吊り上げた。
「なにを今更。いい加減、抱かれておしまいになってはいかが? なんなら、今夜は三人でもよろしくてよ」
「おお、さすが紅葉! それナイスだわ! そうしようぜ、夕立!」
「お前らもう結婚しろよ。これ以上ないくらいお似合いだぞ」
と、そんな調子で酒宴は進み、ほどよく酔いが回った所で真砂は紅葉の肩を抱き、立ち上がった。
「さて、そろそろ部屋移ろっか。夕立はほんとに来ないのか?」
「行かねーよ、二人で楽しめ。俺は帰る」
「えっ、帰んの!? せっかく俺の奢りなんだから、泊まっていけよ」
「いや、いい。寝るなら自分の部屋のほうが落ち着くし」
「はー? これだけの美女を目の前にして勿体ない。せめてスッキリしてから帰れって」
「お前の価値観を押し付けんな。俺は玉藻の顔見に来てるだけだ。十分、満足したから良いんだよ」
「なんっだそれ! 紳士気取りかよ、ぺっ! ここは綺麗な女の子たちとイイコトして楽しむ店だろうが! ねえー、玉藻ちゃんからも何とか言ってやってよー」
「いいのよ、真砂様。夕立様はいつもこうだから。私もお話しできて嬉しいし、そういう楽しみ方があっても良いと思うわよ」
「いつも? なに、まさかお前、毎週来てるくせに、ただ話すだけで帰ってんのか? 誰とも寝たことないの? 一回も?」
「だから何度も言ってんじゃねぇか。てめぇの色キチガイと一緒にすんなって」
「な──……」
真砂はあまりの衝撃に、顎が外れるほどぽかんと口を開けて固まった。言いたいことは色々あったが、最終的に真砂が選んだ問いはこれだった。
「じゃあ、お前って童貞なの?」
「どーてー? なんだそれ」
今度は女性陣が顔を青くして硬直する番だった。
「そうじゃなグフォッ──!」
「あら失礼。うっかり肘が滑ってしまったわ。大丈夫かしら、真砂様」
「ぉ゙お゙ぉ゙ぉ゙……っ、なにすんだよ紅葉ッ! ゔっ……気持ち悪……ッ」
「ここで吐かないでちょうだいね。ああ、真砂様は厠へ放り込んでおきますから、夕立様はお帰り頂いて結構ですわよ」
「……それ、ほっといて良いのか?」
「良いのよ、後のことは紅葉に任せて。さ、玄関までお見送りするわね」
「お、おう」
光の速さで真砂の鳩尾へ肘を打ち込んだ紅葉と、有無を言わせぬ笑みを浮かべた玉藻に促され、夕立は店を後にしたのだった。
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