冥府の徒花【完結】

四葩

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第五幕

第23話 【道程】

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「なあ、陀津羅だつら
「なんですか、夕立ゆうだち
「俺は〝どーてー〟なのか?」

 とある日。普段どおり平和だった昼休憩中の裁きの間に、筆が握り潰される凶暴な音が響き渡った。

「お前その筆、すげぇ気に入ってたろ。そんなに怒るようなこと聞いちまったのか、俺」
「……いいえ? 夕立はなんにも悪くありませんから、少し待っていて下さいね」

 陀津羅は夕立へ満面の笑みを向けて静かに席を立ち、優雅に廊下へ出ると端末を高速タップして電話をかける。数秒後、中庭に陀津羅の怒号が響き渡った。

「夕立に何を吹き込んだんですか、貴方ッ!」
『おー、陀津羅。そろそろ電話くる頃だと思ってたわ』

 通話の相手、真砂まさごは楽しそうな声で答え、笑っている。

『ははっ、ホントあいつは期待を裏切らないよなぁ。おもしれー』
「全然面白くないッ! 貴方の悪ふざけのせいで、愛用していた筆と平常心が見事に砕け散りましたよ!」
『まーまー、そう怒るなよ。血圧上がるぞ。筆は弁償してやるから、ちょっと落ち着けって』
「〝自分は童貞か?〟なんて聞かれて落ち着いていられますか! 言葉の意味すら分かってないんですよ!?」
『あいつ、そんな言い方したの? あっはっはっはっ! ひー、腹痛てぇー! まさか、そんなド直球で聞くとは思わなかったわ! こりゃ傑作だぜ!』

 電話越しに腹筋崩壊させている真砂に殺意が湧く。

「……いい加減にしないと、貴方の〝持ち物〟も握り潰しますよ。超回復も追いつかないくらい、跡形もなく、ぐちゃぐちゃにね……」
『マジ声やめろよ! 怖ぇよ! はー、久し振りに爆笑したわー。すまんすまん、そいつは悪ぃことしたなぁ』
「謝罪は結構ですから、いったい彼に何を言ったのか、きちんと説明してください。このままじゃ、休憩中ずっと夕立から逃げ回らなきゃならなくなるんですよ」
『ああ、実は夕べなぁ──……』

 真砂の話はこうだった。



 昨夜、真砂と夕立は『地獄花じごくばな』で玉藻たまもや従業員の女性数人と酒を酌み交わしていた。

「それにしても珍しいわねぇ。夕立様が真砂様をお連れになるなんて」
「どうしてもここが良いって、こいつが駄々こね倒しやがったんだよ。恥ずかしげもなく往来で、しかも大声上げてな。ほとんど恐喝だわ」
「なんだよぉ、まだ怒ってんのかー? 良いじゃねぇかよ、たまには一緒に来たって。ほら、もっと飲んで機嫌直せって、な?」
「うるせぇ、絡むな、鬱陶しい」

 そんな二人のやり取りに、女性陣はころころと笑い声を立てている。

「あらあら、相変わらず真砂様は夕立様が大好きなのねぇ。でも、あまり困らせては駄目よ。夕立様はこう見えて、とても繊細な方なのだから」
「いやぁ、分かってるんだけど、ついからかっちゃうんだよねー。夕立ってこう、 ちょっと世知せちに疎いって言うか、天然なところあるじゃない? ずれた反応がいちいちツボで、面白くてさぁ」

 真砂の言葉に、「分かるわぁ」と女性たちから賛同の声が上がって場は賑わうが、夕立の眉間の皺は濃くなるいっぽうだ。心底、不愉快そうに紫煙を吐く夕立に酒を注ぎながら、玉藻が柔らかい声音で執り成す。

「ほら、いつまでもそんな怖いお顔をしてないで、肩の力をお抜きなさいな。折角、良いお酒を飲んでいるのに、勿体ないわよ」
「分かってるけどよ……どうにも、こういう雰囲気にゃ慣れねぇんだよ。あいつみたいに面白いことも言えねぇし、愛想笑いもできねぇしな」
「貴方たちは正に悪友ね。正反対に見えるけれど、お互い認め合っている。とっても相性が良いと思うわよ」
「まじか! 玉藻ちゃんにお似合いだってお墨付き貰っちゃったよ! いやー、嬉しいなぁ」
「悪友なのに相性良いっておかしくね? ただの皮肉だろ」
「ばっか、分かってないなー。悪友ってのは、親しみを込めて親友に言うことのほうが多いんだよ。ねー、玉藻ちゃん」
「うふふ。さて、どうかしらねぇ」
「ええ!? そこは同意してよ! 今夜のとこがかかってるんだから!」
「かかってねーよ。娼家まで来てよくそんなこと言えるな、びっくりするわ。紅葉もみじも笑ってないで、こいつの手綱きっちり締めとけよ」

 夕立が話を振ったのは、真砂の馴染みである鬼女、紅葉だ。衆合地獄の副獄長を務めている。艶やかな黒髪に切れあがったまなじりが知的な印象を与える美人で、現世でも様々な伝説を残している強力な鬼だ。
 紅葉はふうっと紫煙を吐き、柳眉りゅうびを片方、吊り上げた。

「なにを今更。いい加減、抱かれておしまいになってはいかが? なんなら、今夜は三人でもよろしくてよ」
「おお、さすが紅葉! それナイスだわ! そうしようぜ、夕立!」
「お前らもう結婚しろよ。これ以上ないくらいお似合いだぞ」

 と、そんな調子で酒宴は進み、ほどよく酔いが回った所で真砂は紅葉の肩を抱き、立ち上がった。

「さて、そろそろ部屋移ろっか。夕立はほんとに来ないのか?」
「行かねーよ、二人で楽しめ。俺は帰る」
「えっ、帰んの!? せっかく俺の奢りなんだから、泊まっていけよ」
「いや、いい。寝るなら自分の部屋のほうが落ち着くし」
「はー? これだけの美女を目の前にして勿体ない。せめてスッキリしてから帰れって」
「お前の価値観を押し付けんな。俺は玉藻の顔見に来てるだけだ。十分、満足したから良いんだよ」
「なんっだそれ! 紳士気取りかよ、ぺっ! ここは綺麗な女の子たちとイイコトして楽しむ店だろうが! ねえー、玉藻ちゃんからも何とか言ってやってよー」
「いいのよ、真砂様。夕立様はいつもこうだから。私もお話しできて嬉しいし、そういう楽しみ方があっても良いと思うわよ」
「いつも? なに、まさかお前、毎週来てるくせに、ただ話すだけで帰ってんのか? 誰とも寝たことないの? 一回も?」
「だから何度も言ってんじゃねぇか。てめぇの色キチガイと一緒にすんなって」
「な──……」

 真砂はあまりの衝撃に、顎が外れるほどぽかんと口を開けて固まった。言いたいことは色々あったが、最終的に真砂が選んだ問いはこれだった。

「じゃあ、お前って童貞なの?」
「どーてー? なんだそれ」

 今度は女性陣が顔を青くして硬直する番だった。

「そうじゃなグフォッ──!」
「あら失礼。うっかり肘が滑ってしまったわ。大丈夫かしら、真砂様」
「ぉ゙お゙ぉ゙ぉ゙……っ、なにすんだよ紅葉ッ! ゔっ……気持ち悪……ッ」
「ここで吐かないでちょうだいね。ああ、真砂様は厠へ放り込んでおきますから、夕立様はお帰り頂いて結構ですわよ」
「……それ、ほっといて良いのか?」
「良いのよ、後のことは紅葉に任せて。さ、玄関までお見送りするわね」
「お、おう」

 光の速さで真砂の鳩尾へ肘を打ち込んだ紅葉と、有無を言わせぬ笑みを浮かべた玉藻に促され、夕立は店を後にしたのだった。
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