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第五章 冒険者編

59 組合長と受付嬢 (受付嬢視点)

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「はぁ……!はぁ……!」

 受付嬢は息を切らして階段を駆け上っていた。
 アレクたち三人が組合庁舎を出て直後のことである。

「組合長! 私です! 失礼します!」

 受付嬢は最上階の組合長室の扉前に着くとノックして返事を待たず入室する。

「ええ!?」

 室内を見て受付嬢は驚きの声を上げた。
 組合長のデスクをはじめとした家具類が粉々に砕けていたからだ。
 街の凄腕の細工師が施した貴重な調度品も含まれている。
 絨毯までも焦げて朽ちていた。
 想定外の状況に受付嬢は唖然とした。

「そんなに慌ててどうしたのかな?」

 ガラスの割れた窓から街並みを眺めていた組合長が、所々汚れのついた白ローブをはためかせて振り返る。
 受付嬢は咄嗟に声が出なかった。
 組合長を問い詰めるつもりだったのに、部屋の惨状を見たことで瞬時に言葉が浮かばなかったのだ。

「あの……これは……」
「あー、うん」

 組合長は罰の悪そうな顔をした後、
「ルドとちょっとね」
 笑って誤魔化した。

「ルドさんが新人に喧嘩を売ったと聞きましたけど」
 受付嬢はアレクたちから聞いた話を思い出した。

 ルドが文字通り尻に敷かれていたのは組合長も見ていたはずだ。

「今回で二度目だからね。叱りつけたよ」
 物理的にね。組合長は言った。

「その結果がこれですか……」

 戦慄しながら部屋を見渡す受付嬢。

「君も知っている通り、ぼくはこの魔法しか使えないから手加減できないんだ。……する気もなかったけど」

 組合長はそう言って掌の上に頭の大きさほどの火球を生み出した。
 離れた受付嬢に凄まじい熱気が届く。
 受付嬢はそれから逃れるように少し後ずさった。
 ーー魔法使い。
 知る人ぞ知る組合長の職業だ。
 魔法使いは、魔法を扱う職業の中では最弱の職業とされる。
 火球、水球、風刃、土壁……基本の魔法スキルしか覚えられないからだ。
 爆炎魔法を扱える魔導士がすると魔法使いは子供同然であるし、天変地異を起こしたとされる伝説の賢者と比べたらよちよち歩きの幼子だ。
 しかも組合長は基本魔法の火球しか使えない。
【最弱の魔法使い】
 組合長を目の敵にしている人達が呼んでいるのを聞いたことがあった。

「さすが組合長、お見事です」

 しかし受付嬢は尊敬していた。
 基本魔法の火球を、ここまで巨大に生成できる人を組合長以外に知らなかった。
 基本魔法と言いながら中級魔法ほどの威力を誇るのだ。
 これはもう火球ではない。
 別の魔法だ。
 どれほどの研鑽を積めば、ここまで巨大にできるのか。
 受付嬢には想像がつかなかった。

「若い頃に泥臭く努力しただけだよ。あまり自慢できるものじゃないさ」

 組合長は嬉しくなさそうな様子で、ふっと火球を消した。

「魔女様に弟子入りされていたのですよね?」
「一時期ね。あの婆さんは大して教えてくれなかったけどさ。ぼくが無能で教える所がなかったのかもね。……受付嬢ちゃんは昔話を聞きにきたわけじゃないんだろう? 何の用かな?」

 そこで受付嬢はこの部屋を訪れた本来の理由を思い出した。
 思い出したことで、怒りの感情も沸々と湧き上がってきた。
 すぅと空気を吸い込む。

「どうして新人に、空腹熊ハングリーベアの討伐という危険な依頼を出されたのですか!」
「ふむ」

 組合長は冷静だった。

「新人というのは、アレクくんとカレンちゃんとシフォンちゃんのことだね」
「もちろんです!」
 受付嬢の即答に、
「答えは単純だ。アレクくんなら出来ると思った。それだけだよ」

 組合長は悪びれた様子もなく言った。
 一瞬呆けた顔になった受付嬢が聞き返す。

「ほ、本気ですか?」
「ぼくは常に本気だよ。今だってアレクくんなら空腹熊ハングリーベアを余裕で倒せると思っている」
「その自信はどこからくるのですか……」

 受付嬢は不思議でならなかった。
 B級の魔物、空腹熊ハングリーベア
 ベテラン冒険者パーティーでも苦戦する相手だ。
 新人が倒せる魔物ではない。
 無茶。
 無謀。
 全滅。
 受付嬢の頭の中はそれらの単語で埋め尽くされていた。
 しかし組合長は違ったようだ。

「逆に聞くけど、受付嬢ちゃんが無理だと思う根拠を知りたいな」
「あの空腹熊ハングリーベアですよ!? 近隣の森では一番の強さを誇るB級の魔物! 常に空腹に飢えていて、餌を求めて襲いかかってくる危ないやつ!」

 受付嬢が訴えると、組合長は真剣に頷いた。

「その通り。ちゃんと勉強しているようだね」
「いえいえこのくらいちょっと調べれば……って違いますよ! 新人の初依頼に選ぶ相手じゃないって言いたいのですが!?」
「心配無用さ」
「ですからその根拠を……」
「ルドに勝った。これ以上の根拠が必要かな?」

 その話は受付嬢も知っていた。
 とある酒場で、アレクが  Aランク冒険者のルドにまぐれで喧嘩に勝った、と。

「勝ちは勝ちでも偶然であれば根拠としては弱いと思いますけど」
「偶然? アレクくんは普通に勝ったよ?」
「はい?」
「ルドは本気でやって負けたんだ」
「え? え?」
「その場にいたルドのパーティーメンバーの証言だよ。ルドは大人気なくスキルを連発していた。それでもアレクくんには敵わなかったそうだよ」

 初耳だった。
 受付嬢が聞いた話と全く違う内容に困惑するばかりだ。
 組合長の話が本当ならば、受付嬢は盛大な勘違いをしていたのではないだろうか。

「アレク様にとって空腹熊ハングリーベアは大した相手ではない、ということですよね……?」
「そうだよ。ぼくだって無茶な依頼を出して有望な新人を失いたくはないさ」

 組合長の言葉は尤もだった。
 受付嬢は自分が何を言うべきか分からなくなっていた。

「ちなみに最初の依頼に選んだ理由は、アレクくんは冒険者のランクにあまり興味がないようだったからね。本当の実力を知るにはこの機会しかないと思ったんだ」

 冒険者になるには、組合長の依頼を必ず達成しなくてはならない。
 その仕組みを上手く使ったようだ。

「そうでしたか……」
「他に何か聞きたいことはあるかい?」
「いいえ、もう十分です」

 受付嬢は部屋を出た。
 怒りは完全に消えていた。

  Aランク冒険者を圧倒したという新人、アレク。
 もしかしたら。
 彼ならば、あの高みに至れるのかもしれない。
 組合が設立されて以来初となる、Sランク冒険者に。

「すごい新人が入ってきましたね」

 受付嬢は期待で胸が躍ったのだった。
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