戦国澄心伝

RyuChoukan

文字の大きさ
35 / 268

第三十五話 澄斎の歳暮・童の手に落ちる木剣

しおりを挟む
    年の暮れも押し詰まり、清洲城下の町は、ふだんにも増して賑やかになる。

 寒風の中で魚売りが声を張り上げ、布を売る者は色鮮やかな反物を高く吊るし上げる。子どもたちは雪玉を追いかけて走り回り、泥水に転げても気にも留めない。

 城西に近い一本の横町。その一角にある澄斎の門前にも、いつもより多くの足跡が刻まれていた。

 雪はきれいに片側へと掃き寄せられ、その両脇には新しい竹箒が立てかけられている。門の上には稲穂と紙垂を束ねた小さな飾りが吊るされており、ささやかながら新年を迎える装いを見せていた。

 ここで年を越すのも、もう二度目である。

 庭の中も、忙しさに満ちていた。

 阿新は袖をたくし上げ、竈の前で鍋の汁をかき回している。立ちのぼる湯気が凍えた鼻先をあぶり、赤くなった鼻がむずむずと痒くなる。阿久は、珍しく手に入った魚の身を丁寧に切っていた。できるだけ薄く、皆の碗に一片ずつ行き渡るように。

 弥助は薪を抱えて、庭の端から端へ小走りで往復している。あまり急ぎすぎて、雪の縁で足を滑らせかけたところを、阿新に後ろ襟を掴まれて引き止められた。

「もっと落ち着いて動け。」

 阿新はつい叱りつける。

 「怪我でもしたらどうする。年の暮れだってのに、主君の手伝いができなくなるぞ。」

 弥助は舌を出す。

 「わかってるよ、父ちゃん。」

 廊下では、佐吉が一枚の紙を片手に、ぶつぶつと唱えている。

 「米二石、味噌二桶、干し魚若干……阿新、この数日分の品は、全部控えたか。」

「書いた書いた。」

 阿新は灶の前から声を返す。

「佐吉殿、この半年で字がずいぶん上手くなりましたよ。官の帳簿みたいだって、みんな言ってます。」

 佐吉はうしろ頭を掻き、少し照れくさそうに笑った。

「主君に尻を叩かれて、書いているだけさ。」

 彼は庭の奥の主屋を見やる。

「あれもこれも、帳付けるなら、一筆残しておけと。そうしないと、いつか頭が働かなくなったとき、どこに何を使ったのか分からなくなると。」

「そりゃあ、理にかなっている。」

 廊の角から、聞き慣れた声がした。

柳澄斎が、室内から姿を現した。素色の羽織を肩にかけ、髪は簡素に後ろでまとめてある。

「主君。」

皆、手を止めて頭を下げる。

「仕事を続けなさい。」

澄斎は軽く手を振る。「年の暮れは、一日くらい余計に忙しいものだ。」

彼は廊の小机の前に歩み寄る。佐吉が、持っていた紙を恭しく差し出した。

「この数日の出入りでございます。主君に教わった通りの書き方にしてみました。」

紙に並ぶ文字は、すでにだいぶ落ち着きを帯びている。行はそろい、欄も整い、傍らには入金、出金、その用途が細かく書き添えてある。薬種にあたる項目には、別の印が付され、自分なりの仕分けが生まれつつあるのが見て取れる。

「よくなった。」

澄斎は読み終えると、紙を折りたたみ、机の上に置いた。

「字に骨が通れば、帳にも根が生える。そうなれば、頭の回りもおのずと冴えてくる。」

佐吉は照れ隠しに頭をかく。

「主君に借りた医書や帳簿と、日々にらめっこしているおかげで、どうにか字を川に流さずに済んでおります。」

「医書の方は、どうだ。」

「経絡と穴の名前なら、おおよそ覚えました。」佐吉は真面目な顔つきで答える。「先ごろ隣町の老人が冷え込んで息が苦しくなったとき、主君に教わった通りに二カ所ほど鍼を打ち、しょうが湯を煎じて飲ませましたら、翌日には歩けるようになりまして。」

「それはいい。」

澄斎は頷く。

「家は身を寄せる場所に過ぎないが、技は、一生身につけて持ち運べる甲冑だ。腕がいくつもあれば、世の中がどれほどひっくり返っても、一息で流れに呑まれはしない。」

そう言いながら、袖の中から布に包んだ小さな包みをいくつか取り出し、机の上に並べた。

「阿新、阿久。」

「はい。」

ふたりは手をぬぐって、前へ進み出る。

「この包みは反物が少し。色はさほど派手ではないが、丈夫な布だ。」

澄斎は阿久の方へ包みを差し出した。

「日々忙しく立ち働いているのだから、正月には自分のためにも一枚、まともな小袖を仕立てるがよい。」

阿久は何度も頭を下げる。

「ありがとうございます。」

「これは、よく使う薬種を幾つか。」

もう一包みを佐吉に渡す。

「鍼だけでなく、薬を使うことも覚えなさい。雪の頃には、寒気と凍えが増える。澄斎の家を預かるのなら、一つ屋根の下の安否も背負うということでもある。」

佐吉は両手で包みを受け取り、目尻を熱くしながら言った。

「必ずや、主君のお預けになった役目を違えません。」

「弥助。」

「はいっ!」弥助はほとんど跳ねるように返事をした。

「これは、おまえへの分だ。」

澄斎は机の下から一本の木剣を取り出した。削りたての木肌がまだ新しく、少し重みのある刀身に、柄の部分だけ布が巻かれている。少年の手にちょうど馴染む太さだ。

「ずっと、自分の剣が欲しいと言っていたな。」

木剣を見つめる弥助の目が、冬の日差しを受けて光る氷のように、一気に明るくなる。

「ほ、本当に、いただいても?」

「ああ。」

澄斎は剣を手渡しながら言った。

「だが、手にするのは剣という形ばかりではない。これからお前が、どのように立って生きていくかも、一緒に握ることになる。」

そう言って、少し間を置いた。

「明年から、仕事の邪魔にならぬ範囲で、毎朝、庭で半刻立ち続けなさい。まずは立ち方、次に歩き方、それから振り方だ。」

弥助は真剣な顔で力強く頷いた。

「肝に銘じます!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

天正の黒船

KEYちゃん
歴史・時代
幕末、日本人は欧米諸国が日本に来た時の黒船に腰を抜かした。しかしその300年前に日本人は黒船を作っていた。

ヤバイ秀吉

魚夢ゴールド
歴史・時代
題名通り、性格をヤバくした羽柴秀吉の伝記モノです。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

強いられる賭け~脇坂安治軍記~

恩地玖
歴史・時代
浅井家の配下である脇坂家は、永禄11年に勃発した観音寺合戦に、織田・浅井連合軍の一隊として参戦する。この戦を何とか生き延びた安治は、浅井家を見限り、織田方につくことを決めた。そんな折、羽柴秀吉が人を集めているという話を聞きつけ、早速、秀吉の元に向かい、秀吉から温かく迎えられる。 こうして、秀吉の家臣となった安治は、幾多の困難を乗り越えて、ついには淡路三万石の大名にまで出世する。 しかし、秀吉亡き後、石田三成と徳川家康の対立が決定的となった。秀吉からの恩に報い、石田方につくか、秀吉子飼いの武将が従った徳川方につくか、安治は決断を迫られることになる。

不屈の葵

ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む! これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。 幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。 本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。 家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。 今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。 家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。 笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。 戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。 愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目! 歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』 ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

マルチバース豊臣家の人々

かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月 後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。 ーーこんなはずちゃうやろ? それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。 果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?  そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

処理中です...