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第三十七話 澄斎の客人・博徒と軍門
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除夜を前にしたある日、澄斎には、いつもとは違う客が訪れた。
外では雪の音が絶えず、庭には鎧の鳴る微かな響きが重なる。
佐吉が慌てて門へ駆け出すと、数人の武士がすでに草鞋を脱ぎ、先頭の男が腰の刀に手を置いたまま、衣に積もった雪を払っているところだった。
「柴田殿、丹羽殿、それに森殿まで……。」
佐吉は息を呑み、深々と頭を下げる。
「皆さま、このようなところへおいでとは……。」
「肩の力を抜きなさい。」
丹羽長秀が笑いながら手を振る。
「殿は城中で諸国からの使者を迎えておられてな。明日は本丸にて大勢を招いて宴を開かれる。自ら出向く暇はないが、その前に我らに命じられた。『澄斎は、この一年、無事に暮らしておるか見てこい』とな。」
「見張りに来たわけではない。」
森可成が横から笑って口を添える。
「殿の言うには、『もし澄斎でさえ年の瀬の膳も満足に整えられぬようでは、わしは自分で自分を、賢者を大事にしておるなどと、とても言えぬ』そうだ。」
一同、どっと笑い声をあげた。
柳澄斎が出迎え、拱手して頭を下げる。
「このような寒中にお越しくださるとは、これ以上ない栄でございます。」
「寒さなど。」
柴田勝家は短く鼻を鳴らし、広く取られた庭と、簡素ながらよく整えられた建物を見渡した。
「この庭は、そこらの中堅武士の屋敷より、よほど行き届いておるではないか。」
丹羽長秀は素直だ。
「殿が仰っていた。『澄斎に与えた屋敷は、清洲城下でも中の上には入る。そんな場所に住みながら、なお山に登り、外の郡まで足を運び、人があまり考えたがらぬことを考えている。その方が、よほど価値がある』とな。」
澄斎は客を座敷に通し、阿新と阿久が慌ただしく茶を運ぶ。
彼らは湯気の立つ茶をすすりながら、部屋の様子を物珍しそうに眺めた。幾つかの書棚があり、一角には鍼灸箱が置かれ、机の上には開いた書物が数巻と、きちんと積まれた帳簿が並んでいる。
「番頭殿には、病を診て、帳簿も付けているそうだな。」
丹羽が尋ねる。
「手下の者が、腕だけで頭を持たぬ者では、この先の荒波は越えられません。」
澄斎は答える。
「尾張はいずれ、別の姿に変わっていく。殿がお一人で、すべての隅々まで目を届かせることはできぬ。書が読めて帳が付けられ、人を救う術もある者が増える方が、刀を振るうだけの者が増えるより、ずっと役に立ちましょう。」
柴田は鼻先で笑ったきり、否定の言葉は返さなかった。
森可成が茶碗を置き、豪快に笑う。
「だから殿は言うのだ。『澄斎の座敷に座っている連中の方が、小牧山の石垣の一段より高くつく』とな。」
「買いかぶりが過ぎる。」
澄斎は首を振る。
「私はただ、この屋敷の中で、人を磨いているだけです。外の風が乱れた時に、一息で吹き飛ばされぬように。」
しばし雑談に花が咲き、やがて三人は腰を上げた。
別れ際、丹羽長秀がふと、澄斎の肩に身を寄せるようにして小声で言う。
「殿は、美濃のことをここで長く語らなくともよいと仰せだ。あの方の胸の内では、すでに筋が通っておられる。年が明け、小牧山がもう少しばかり高くなった頃、殿自ら澄斎に来て、次の手を聞かれるであろう。」
澄斎は彼らが雪の中に消えていく背中を見送りながら、心は小牧山の土と稲葉山の石の間を行き来していた。
さらに二日ほどして、雪が一度止んだ。
昼下がり、門前が急に騒がしくなる。
「佐吉殿! 佐吉殿はおられるか!」
声は粗野ながら、どこか陽気で、昔の賭場の賑わいを思わせる響きを含んでいる。
佐吉が慌てて門を開けると、頬に走る刀傷が以前よりいくらか薄くなった男が一人、数人の若者たちを従えて立っていた。手には幾つかの包みを下げている。
「幸蔵か。」
「そうだ、幸蔵だ。」
幸蔵は佐吉の顔を見るなり、口を裂けんばかりに笑った。
「澄斎の門には、てっきり『無用の者立ち入りお断り』と札が掛かっているのかと思ったぜ。」
「早く入れ。」佐吉は荒っぽくも嬉しそうに道を開ける。「主君がおられる。」
かつてのような荒んだ軽さは、彼らの足取りからいくらか薄れていた。身につけている着物も以前より整っており、刀傷は依然目立つものの、そこに宿る気配は、年と規律によって尖りが削られ、代わりに少しの落ち着きが宿っている。
「主君。」
幸蔵は座敷に進み出ると、どすんと大きく膝をつき、深々と頭を下げた。
「これは、拙者と何人かの仲間からの、ささやかな品でございます。」
包みを一つずつ押し出すと、中には干し魚や酒の他、粗い紙が何巻か入っている。
「この二年、主君に命を拾っていただいた恩は忘れておりません。」
幸蔵の声には、少し掠れが混じる。
「例の賭場も、もう無茶はできなくなりました。乱暴者は減り、ツケを踏み倒す連中も減り、町奉行も、いちいち目くじらを立てなくなっております。」
澄斎は頷く。
「賭場というものは、人の心の高下が一ヶ所に集まる場所だ。賭けごとをなくすことはできぬが、刃だけは抑え込める。」
彼は幸蔵の後ろに立つ若者たちを見やる。
「お前たちは、一日どのように過ごしている。」
「朝は掃除、昼は帳付けの手伝い、夜は見張りと、揉め事の仲裁で。」一人が答える。
「全員、帳簿は付けられるか。」
彼らは顔を見合わせ、誰かが照れ笑いをした。
「銭を数えるくらいは。紙に書き出すとなると、途端にぐちゃぐちゃに。」
「口で数えるのと、紙に落とすのとは、別の技だ。」
澄斎は言う。
「口の上で転がる数を、紙の上に並べられるようになると、初めて、もう一段上の仕事が見えてくる。」
彼は佐吉に小石を幾つか持って来させ、机の上に並べた。
「賭場では、一人が三貫、一人が五貫の借りをこしらえたとしよう。口で覚えているだけでは、あっという間に忘れてしまう。いつ誰が来て、いついくら払ったか、一つ一つを紙に落としてこそ、後で理が通う。」
小石を使って、貸し借りや収支の流れを図にしてみせ、それから佐吉の帳簿を見本に、簡単な出入りの記録のつけ方をなぞらせた。
「ひと月ほどしたら、また来なさい。」
澄斎は言う。
「その時、俺はお前たちに『この一月でどれだけ勝ったか』は問わぬ。『どれだけ正しく覚えているか』だけを聞く。」
「承知しました。」
幸蔵は大きく頷いた。
連れてきた若者たちも、それぞれに声を揃えた。
見送った後、佐吉がぽつりと聞く。
「主君。あの人たちにそんな術を教えて、また悪知恵に使われるとはお思いになりませんか。」
「数を操れる者が皆、良いことしかしないわけではない。」
澄斎は静かに答える。
「だが、何も知らぬまま腕っ節しかない者が、悪しき主に拾われた時には、もっと酷い形で使い捨てられるだけだ。」
彼は静まっていく街の方を見やる。
「闇の中で暴れる力に任せるよりは、先に幾分かの秩序を教えておいた方がよい。いずれ殿が治めるべきは、武士ばかりではない。この城下の落ち着かぬ手足も、皆、束ねねばならぬのだから。」
佐吉は、胸の中で何度もその言葉を噛みしめた。
外では雪の音が絶えず、庭には鎧の鳴る微かな響きが重なる。
佐吉が慌てて門へ駆け出すと、数人の武士がすでに草鞋を脱ぎ、先頭の男が腰の刀に手を置いたまま、衣に積もった雪を払っているところだった。
「柴田殿、丹羽殿、それに森殿まで……。」
佐吉は息を呑み、深々と頭を下げる。
「皆さま、このようなところへおいでとは……。」
「肩の力を抜きなさい。」
丹羽長秀が笑いながら手を振る。
「殿は城中で諸国からの使者を迎えておられてな。明日は本丸にて大勢を招いて宴を開かれる。自ら出向く暇はないが、その前に我らに命じられた。『澄斎は、この一年、無事に暮らしておるか見てこい』とな。」
「見張りに来たわけではない。」
森可成が横から笑って口を添える。
「殿の言うには、『もし澄斎でさえ年の瀬の膳も満足に整えられぬようでは、わしは自分で自分を、賢者を大事にしておるなどと、とても言えぬ』そうだ。」
一同、どっと笑い声をあげた。
柳澄斎が出迎え、拱手して頭を下げる。
「このような寒中にお越しくださるとは、これ以上ない栄でございます。」
「寒さなど。」
柴田勝家は短く鼻を鳴らし、広く取られた庭と、簡素ながらよく整えられた建物を見渡した。
「この庭は、そこらの中堅武士の屋敷より、よほど行き届いておるではないか。」
丹羽長秀は素直だ。
「殿が仰っていた。『澄斎に与えた屋敷は、清洲城下でも中の上には入る。そんな場所に住みながら、なお山に登り、外の郡まで足を運び、人があまり考えたがらぬことを考えている。その方が、よほど価値がある』とな。」
澄斎は客を座敷に通し、阿新と阿久が慌ただしく茶を運ぶ。
彼らは湯気の立つ茶をすすりながら、部屋の様子を物珍しそうに眺めた。幾つかの書棚があり、一角には鍼灸箱が置かれ、机の上には開いた書物が数巻と、きちんと積まれた帳簿が並んでいる。
「番頭殿には、病を診て、帳簿も付けているそうだな。」
丹羽が尋ねる。
「手下の者が、腕だけで頭を持たぬ者では、この先の荒波は越えられません。」
澄斎は答える。
「尾張はいずれ、別の姿に変わっていく。殿がお一人で、すべての隅々まで目を届かせることはできぬ。書が読めて帳が付けられ、人を救う術もある者が増える方が、刀を振るうだけの者が増えるより、ずっと役に立ちましょう。」
柴田は鼻先で笑ったきり、否定の言葉は返さなかった。
森可成が茶碗を置き、豪快に笑う。
「だから殿は言うのだ。『澄斎の座敷に座っている連中の方が、小牧山の石垣の一段より高くつく』とな。」
「買いかぶりが過ぎる。」
澄斎は首を振る。
「私はただ、この屋敷の中で、人を磨いているだけです。外の風が乱れた時に、一息で吹き飛ばされぬように。」
しばし雑談に花が咲き、やがて三人は腰を上げた。
別れ際、丹羽長秀がふと、澄斎の肩に身を寄せるようにして小声で言う。
「殿は、美濃のことをここで長く語らなくともよいと仰せだ。あの方の胸の内では、すでに筋が通っておられる。年が明け、小牧山がもう少しばかり高くなった頃、殿自ら澄斎に来て、次の手を聞かれるであろう。」
澄斎は彼らが雪の中に消えていく背中を見送りながら、心は小牧山の土と稲葉山の石の間を行き来していた。
さらに二日ほどして、雪が一度止んだ。
昼下がり、門前が急に騒がしくなる。
「佐吉殿! 佐吉殿はおられるか!」
声は粗野ながら、どこか陽気で、昔の賭場の賑わいを思わせる響きを含んでいる。
佐吉が慌てて門を開けると、頬に走る刀傷が以前よりいくらか薄くなった男が一人、数人の若者たちを従えて立っていた。手には幾つかの包みを下げている。
「幸蔵か。」
「そうだ、幸蔵だ。」
幸蔵は佐吉の顔を見るなり、口を裂けんばかりに笑った。
「澄斎の門には、てっきり『無用の者立ち入りお断り』と札が掛かっているのかと思ったぜ。」
「早く入れ。」佐吉は荒っぽくも嬉しそうに道を開ける。「主君がおられる。」
かつてのような荒んだ軽さは、彼らの足取りからいくらか薄れていた。身につけている着物も以前より整っており、刀傷は依然目立つものの、そこに宿る気配は、年と規律によって尖りが削られ、代わりに少しの落ち着きが宿っている。
「主君。」
幸蔵は座敷に進み出ると、どすんと大きく膝をつき、深々と頭を下げた。
「これは、拙者と何人かの仲間からの、ささやかな品でございます。」
包みを一つずつ押し出すと、中には干し魚や酒の他、粗い紙が何巻か入っている。
「この二年、主君に命を拾っていただいた恩は忘れておりません。」
幸蔵の声には、少し掠れが混じる。
「例の賭場も、もう無茶はできなくなりました。乱暴者は減り、ツケを踏み倒す連中も減り、町奉行も、いちいち目くじらを立てなくなっております。」
澄斎は頷く。
「賭場というものは、人の心の高下が一ヶ所に集まる場所だ。賭けごとをなくすことはできぬが、刃だけは抑え込める。」
彼は幸蔵の後ろに立つ若者たちを見やる。
「お前たちは、一日どのように過ごしている。」
「朝は掃除、昼は帳付けの手伝い、夜は見張りと、揉め事の仲裁で。」一人が答える。
「全員、帳簿は付けられるか。」
彼らは顔を見合わせ、誰かが照れ笑いをした。
「銭を数えるくらいは。紙に書き出すとなると、途端にぐちゃぐちゃに。」
「口で数えるのと、紙に落とすのとは、別の技だ。」
澄斎は言う。
「口の上で転がる数を、紙の上に並べられるようになると、初めて、もう一段上の仕事が見えてくる。」
彼は佐吉に小石を幾つか持って来させ、机の上に並べた。
「賭場では、一人が三貫、一人が五貫の借りをこしらえたとしよう。口で覚えているだけでは、あっという間に忘れてしまう。いつ誰が来て、いついくら払ったか、一つ一つを紙に落としてこそ、後で理が通う。」
小石を使って、貸し借りや収支の流れを図にしてみせ、それから佐吉の帳簿を見本に、簡単な出入りの記録のつけ方をなぞらせた。
「ひと月ほどしたら、また来なさい。」
澄斎は言う。
「その時、俺はお前たちに『この一月でどれだけ勝ったか』は問わぬ。『どれだけ正しく覚えているか』だけを聞く。」
「承知しました。」
幸蔵は大きく頷いた。
連れてきた若者たちも、それぞれに声を揃えた。
見送った後、佐吉がぽつりと聞く。
「主君。あの人たちにそんな術を教えて、また悪知恵に使われるとはお思いになりませんか。」
「数を操れる者が皆、良いことしかしないわけではない。」
澄斎は静かに答える。
「だが、何も知らぬまま腕っ節しかない者が、悪しき主に拾われた時には、もっと酷い形で使い捨てられるだけだ。」
彼は静まっていく街の方を見やる。
「闇の中で暴れる力に任せるよりは、先に幾分かの秩序を教えておいた方がよい。いずれ殿が治めるべきは、武士ばかりではない。この城下の落ち着かぬ手足も、皆、束ねねばならぬのだから。」
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